【中学国語】角田光代「律儀な桜」あらすじ・心情の変化・表現の工夫を解説
中学国語で学習する角田光代「律儀な桜」について、あらすじや文章の構成、筆者の心情の変化、表現の意味などをわかりやすく解説するよ。
「律儀な桜」は、桜が毎年決まった季節に咲くことを通して、変わらずに繰り返される自然の営みと、それを受け止める人間の気持ちについて考えた随筆だよ。
くまごろう「律儀な桜」テスト対策ポイント
- 東京と、各地の桜の名所での花見について、筆者が述べていることを理解しよう。
- 「幻の満開」の意味を説明できるようにしよう。
- タクシーの運転手の言葉が、筆者の心に残った理由を考えよう。
- 「昨年」と「7年前」の出来事を整理しよう。
- 2011年4月、震災後の東北で筆者が桜を見て感じたことを理解しよう。
- 「残酷」から「時に私たちを救うのではないか」へと、筆者の考えがどのように変化してきたかを押さえよう。
- 「律儀」「ほうける」「目をみはる」などの語句の意味を確認しよう。
- 最後の「律儀にほうけていたい」に込められた筆者の思いを考えよう。
「律儀な桜」の作者・角田光代について
「律儀な桜」の筆者は、角田光代(かくた みつよ)さんだよ。
角田光代さんは、1967年に神奈川県で生まれた小説家・作家だよ。
代表的な著書には、小説『幸福な遊戯』『対岸の彼女』『八日目の蟬』などがあるよ。
今回の「律儀な桜」は、桜にまつわる自分自身の体験を振り返りながら、その体験を通して考えたことを述べている文章だね。
随筆とは?
随筆とは、自分が経験したことや見聞きしたこと、そこから感じたこと・考えたことなどを、比較的自由な形式で書いた文章のことだよ。
この作品でも、筆者が実際に見聞きした出来事をきっかけにして、桜についての考えが深まっていくね。
「律儀な桜」のあらすじ
まずは、文章全体の内容を確認しよう。
「律儀な桜」あらすじ
筆者は、自分が暮らす東京では満開の桜を見たことがあるものの、ほかの地域の桜の名所では、満開の桜を見たことがなかった。
各地で花を付けていない桜の木を見ると、筆者は、そこに花がいっせいに咲くところを思い描く。そして、まるで「幻の満開」を見たような気持ちになって、次は桜の季節に来ようと思う。しかし、実際にはそのような花見をしたことがなかった。
昨年、鹿児島を訪れたときも、桜が咲く時期より2週間ほど早かった。タクシーの運転手は、あと10日ほど遅く来ればよかったと話し、毎年決まった時期になると桜は律儀に咲くものだと言った。
その言葉は筆者の心に残り、筆者は7年前の2011年4月、東日本大震災の被災地を訪れたときのことを思い返す。
町がなくなってしまうほどの被害を受けた場所にも、桜は例年と同じように咲いていた。桜の美しさをたたえる人も、見る人すらもいない状況で、美しく咲く桜を見た筆者は、強い衝撃を受けた。そして、自然とはなんと残酷なのだろうと思った。
しかし、7年前に抱いたその感想は、筆者の中で少しずつ変わっていたらしい。筆者は、鹿児島のタクシー運転手の言葉をきっかけに、その変化に気づく。
人間の暮らしは変わり続けるしかない。それでも、何があっても変わらずに咲く桜のようなものがあることは、時には私たちの心を救うのではないかと考えるようになっていたのだ。
そして筆者は、毎年律儀に咲く満開の桜を見て、自分も毎年、律儀にほうけていたいと考えるのだった。
「律儀な桜」の文章の構成を理解しよう
この文章では、筆者の体験と考えが、次のような流れで書かれているよ。
文章に書かれている順序
① 桜についての筆者の普段の思い
東京では満開の桜を見ているが、各地の桜の名所では「幻の満開」を想像するばかりだった。
↓
② 昨年、鹿児島で聞いたタクシー運転手の言葉
毎年決まった時期に桜が律儀に咲くという言葉が、筆者の心に残る。
↓
③ 7年前・2011年4月の東北での体験
震災後の町にも美しく咲く桜を見て、自然の残酷さを感じたことを思い返す。
↓
④ 桜に対する考えの変化への気づき
7年前の感想が少しずつ変わり、変わらず咲く桜は人を救うこともあるのではないかと考える。
↓
⑤ 最後の筆者の願い
毎年咲く満開の桜を前に、自分も毎年、律儀にほうけていたい。
出来事が起こった順番と、文章に書かれた順番は違う
ここはテストで問われてもおかしくない重要なポイントだよ。
文章では「昨年」の鹿児島の出来事が先に紹介され、その後で「7年前」の東北での出来事が語られているね。
でも、実際に出来事が起きた順番は、その逆なんだ。
| 時期 | 出来事・筆者の考え |
|---|---|
| 7年前(2011年4月) | 震災後の東北を訪れ、変わらずに咲く桜に自然の残酷さを感じる。 |
| 昨年 | 鹿児島でタクシーの運転手から、毎年律儀に咲く桜についての言葉を聞く。 |
| 文章を書いている現在 | 7年前の感想が自分の中で少しずつ変わっていたことに気づき、桜の変わらなさが人を救うこともあるのではないかと考える。 |
| これから | 毎年、満開の桜を前に律儀にほうけていたいと願う。 |

くまごろう「律儀な桜」の内容と筆者の心情を読み取ろう
「一度もそういう場所で花見をしたことがない」とは?
筆者は、東京では満開の桜を見たことがあるんだ。
でも、国内各地にある桜の名所では、満開の桜を見たことがなかった。
桜の季節ではなくても、桜の木を見ると、花が満開になった光景を思い描くことができる。
そして、そのような場所を訪れるたびに、次は桜の季節に来ようと思うんだね。
ところが実際には、そういう花見をしたことがなかったんだ。
くまごろう「幻の満開」とはどういう意味?
筆者は、桜の花が咲いていない木を見て、その木にいっせいに花が咲くところを思い描くよ。
そして、まるで満開の桜を見たような気持ちになるんだね。
これが「幻の満開」だよ。
「幻の満開」の意味
実際には花が咲いていない桜の木を見て、頭の中で花がいっせいに咲いて満開になる光景を想像すること。
つまり、実際に満開の桜を見たわけではないんだ。
「幻」という言葉によって、目の前にある現実の桜と、筆者が頭の中で思い描いた満開の桜が区別されているんだね。

鹿児島でタクシーの運転手は何と言ったのか
昨年、筆者は鹿児島に行ったんだけれど、桜が咲く時期まで、あと2週間ほどあったんだね。
川沿いには桜の木がずらりと並んでいたけれど、まだ花は咲いていなかった。
そんなとき、タクシーの運転手は、あと10日ほど遅く来ればよかったと話したよ。
さらに運転手は、毎年この時期になると桜は律儀に咲くもので、何があっても咲くということを、しみじみと語ったんだ。
筆者にとって、その言葉は心に残るものだった。
くまごろう「毎年この時期になると桜は律儀に咲くものだね」とはどういうこと?
まず、「律儀」という言葉の意味を確認しよう。
律儀(りちぎ)
義理堅く、決まりや約束などをきちんと守ること。また、そのような様子。
普通は、人の性格や行動について使うことが多い言葉だね。
例えば、「律儀な人」といえば、約束したことをきちんと守るような人を思い浮かべることができるよ。
でも、この文章では、人間ではなく「桜」が律儀だと言われているんだ。
桜は人間のように約束を守っているわけではないけれど、毎年、桜の季節が来ると花を咲かせる。
まるで、毎年の約束をきちんと守っているかのようだね。
このように、人間の性質を表す「律儀」という言葉を桜に用いることで、桜が毎年変わらずに咲くことを、印象的に表現していると考えられるよ。
表現の工夫としては、人ではない桜を人のように捉えているため、擬人化した表現として読むこともできるね。
運転手の言葉が「心に残った」のはなぜ?
運転手は、桜が毎年同じ季節に咲くことについて、不思議なことだと語ったね。
確かに、毎年春になれば桜が咲くのは当たり前のようにも思える。
でも、どんな年であっても、桜はその季節になると花を咲かせる。
そのことをあらためて考えると、当たり前のように感じていたことが、不思議なことにも思えてくるね。
筆者は、その言葉が心に残り、ことあるごとに思い出していたんだ。
ただし、本文には、誰が言った言葉だったか忘れているときもあったと書かれているね。
つまり、言った人のことは忘れることがあっても、「何があっても桜は咲く」という言葉そのものが、強く心に残っていたんだね。
そして、この言葉によって筆者は、7年前に東北で見た桜に対する自分の感じ方が、少しずつ変わっていたことに気づかされるんだ。
くまごろう2011年4月、筆者は東北で何を見たのか
筆者は、7年前の2011年4月のことを思い返しているよ。
2011年3月11日には、東日本大震災が発生したね。
筆者は、その翌月に新聞社の依頼を受けて、東北の太平洋沿岸の町々を歩いたんだ。
そこには、町がなくなってしまうほどの大きな被害を受けた場所もあった。
ところが、そのような町にも、桜は咲いていたんだね。
しかも、桜の美しさをたたえる人も、見る人すらもいないような状況だった。
それでも、桜は青空に映えるほど美しく咲いていた。
その光景を見た筆者は、心の底から驚いたんだ。
なぜ筆者は「心底驚いた」のか
筆者が驚いたのは、ただ桜が咲いていたからではないよ。
町が大きな被害を受け、人々の暮らしが大きく変わってしまった場所にも、いつもと変わらず桜が美しく咲いていたからなんだ。
しかも、その美しさをたたえる人も、見る人すらもいない。
それなのに、桜は何事もなかったかのように花を咲かせていた。
つまり、町が失われてしまった悲惨な現実と、青空に映える満開の桜の美しさが、強く対照的だったんだね。
この対照が、筆者に大きな衝撃を与えたと考えられるよ。
「自然とはなんと残酷なのだろう」と思ったのはなぜ?

ここは、この文章の中でも特に重要なところだよ。
筆者は、被災した町にも変わらず桜が咲く様子を見て、自然はなんと残酷なのだろうと思った。
「残酷」とは、人の苦しみや悲しみに対して、思いやりがないように感じられることなどを意味する言葉だね。
なぜ、美しく咲く桜を見て「残酷」だと思ったのだろう?
それは、人間がどれほど大きな被害を受け、苦しい状況にあっても、桜は何事もなかったかのように咲いているからだと考えられるよ。
桜は、人間の事情に合わせて咲くのをやめたり、時期を変えたりするわけではない。
大きな災害があった年でも、例年どおり咲く。
そして、その美しさをたたえる人や見る人がいなくても、美しく咲き続ける。
その変わらなさが、筆者には、人間の悲しみとは関係なく季節が進んでいくことの残酷さとして感じられたと読めるんだ。
くまごろう「うつくしさを誇るかのように花開く」という表現
筆者は、桜が「うつくしさを誇るかのように花開く」と表現しているよ。
「誇る」とは、自分の優れたところなどを得意に思ったり、示したりすることだね。
でも、桜は人間のように自分の美しさを誇るわけではないよね。
この表現では、まるで桜が自分の美しさを誇っているかのように、花を咲かせる様子が描かれているんだ。
「かのように」という言葉を使ってたとえているため、直喩(明喩)的な表現と捉えられるよ。また、人間のような振る舞いになぞらえた擬人的な表現でもあるね。
この表現によって、周囲に悲惨な現実が広がっていても、それとは関係なく美しく咲く桜の姿が、より印象的に伝わってくると考えられるよ。
「何があっても桜は咲く」という言葉を思い出した筆者
筆者は、タクシーの運転手の言葉を思い出すよ。
何があっても、桜は毎年同じ季節に咲く。
その事実を、2011年の東北で見た光景と重ねて考えているんだね。
人間の暮らしは、大きな出来事によってすっかり変わってしまうことがある。
それでも桜は、季節になれば咲く。
筆者は、そのことを残酷でありながら、不思議なことでもあると受け止めているんだ。
なぜ「とても不思議なこと」だと考えたのか
桜が毎年春に咲くのは、私たちにとっては当たり前のことのように思えるね。
でも、よく考えてみると、人間の生活では、何が起きるか分からない。
平穏な毎日が、突然の出来事によって大きく変わってしまうこともある。
それなのに、桜は変わらず咲く。
その人間の暮らしの変わりやすさと、毎年繰り返される桜の開花との違いが、筆者には不思議に感じられたと考えられるよ。
「残酷だという感想は、私のなかで少しずつ変わっているらしい」とは?
ここでは、「少しずつ」と「らしい」という言葉に注目しよう。
7年前、筆者は震災後の東北で桜を見て、自然の残酷さを感じていたね。
しかし、その後も桜について考える中で、当時の感じ方が少しずつ変わっていたようなんだ。
そして、鹿児島のタクシー運転手が「何があっても桜は咲く」という趣旨の言葉を語ったことによって、自分の中で考えが変わってきていたことに気づかされたと読めるよ。
つまり、運転手の言葉を聞いた瞬間に、「残酷」という思いが突然「救い」に変わったわけではないんだね。
「少しずつ」は、考えが時間をかけて変化してきたことを表している。
また、「らしい」という言い方からは、筆者自身が、自分の考えの変化をあらためて確かめているような様子も読み取れるよ。
筆者の考えの変化
7年前
震災後の東北で、変わらずに咲く桜を見て、自然の残酷さを感じる。
↓
その後
桜に対する感じ方が、少しずつ変わっていく。
↓
鹿児島で聞いた運転手の言葉
何があっても桜は律儀に咲くという言葉を聞き、自分の考えの変化に気づく。
↓
現在の筆者の考え
変わらず咲く桜の存在は、時には人の心を救うこともあるのではないかと考える。

「時に私たちを救うのではないか」とはどういうこと?
ここは、「律儀な桜」の中心となる考えを読み取るために、特に重要な部分だよ。
筆者は、「変わり続けるしかない私たちの暮らし」に対して、変わらないものがあることは、時に私たちを救うのではないかと考えているんだ。
どうしてだろう?
人間の暮らしが大きく変わってしまっても、毎年咲いてきた桜が、また同じ季節に咲いている。
その光景を見ることで、変わらないものがあることに、安心や希望を感じる人もいるかもしれないね。
つまり、何があっても変わらずに桜が咲くということは、状況によっては、人の心を支えるものにもなり得ると考えられるんだ。
ここで大切なのは、筆者が「時に」「のではないか」と述べていることだよ。
これは、変わらない桜がすべての人を必ず救うと断定しているのではなく、人を救うこともあるのではないか、という可能性を考えている表現なんだ。
くまごろう「変わり続けるしかない私たちの暮らし」と桜の対照
筆者は、人間の暮らしと桜の様子を対照的に捉えているよ。
人間の暮らし
災害などの出来事によって、大きく変わってしまうことがある。
変わり続けるしかない。
⇅ 対照
桜
人間の暮らしに何があっても、毎年、季節が来れば花を咲かせる。
変わらずに繰り返される。
この対照から、筆者が桜の変わらなさを、ただ当たり前のものとして見るのではなく、不思議で、時には人を救う可能性もあるものとして捉えていることが分かるね。
「律儀な桜」という題名の意味
それでは、どうしてこの文章には「律儀な桜」という題名が付けられているのだろう?
「律儀」という言葉は、もともとタクシーの運転手の言葉に出てきたものだったね。
筆者は、その言葉をきっかけに、毎年同じ季節に咲く桜について考えていくよ。
大きな災害があったときも、桜は変わらず咲いていた。
そして、毎年、桜が咲くと分かっていても、筆者は満開の桜を見ると感動してしまう。
つまり題名の「律儀な桜」には、人間の暮らしにどのような出来事があっても、毎年決まった季節に変わらず花を咲かせる桜の姿が表されていると考えられるね。
くまごろう最後の「律儀にほうけていたい」とは?
文章の最後で筆者は、毎年桜が咲くことは分かっているのに、満開の桜を前にすると、思わず立ち止まってしまうと述べているよ。
そして、これからも毎年、満開の桜を前にして、律儀にほうけていたいと考えているんだ。
「ほうける」とはどういう意味?
「ほうける」とは、何かに心を奪われ、ぼんやりとすることだよ。
この文章では、満開の桜の美しさに心を奪われて、思わず立ち止まり、見入ってしまう様子を表していると考えられるね。
決して、何も考えずに時間を無駄にするという意味ではないよ。
桜を見て、その美しさに驚いたり、感動したりして、しばらく見入ってしまうような様子を想像すると分かりやすいね。
なぜ「律儀にほうけていたい」のか
ここでは、桜と筆者の両方に「律儀」という言葉が関係していることに注目しよう。
桜の「律儀」
何があっても、毎年決まった季節に花を咲かせる。
↓
筆者の「律儀」
毎年咲くと分かっていても、満開の桜を見るたびに驚き、感動して見入ってしまう。
桜は毎年律儀に咲く。
そして筆者も、毎年律儀に、その桜に心を奪われてしまうんだね。
筆者は、毎年繰り返される桜の開花を、当たり前のこととして見過ごすのではなく、そのたびに新鮮な驚きや感動をもって受け止めていたいと考えていると読めるよ。

くまごろう「律儀な桜」の表現の工夫
この文章では、筆者の考えを印象的に伝えるために、いくつかの表現の工夫が見られるよ。
| 表現の特徴 | 効果・読み取り |
|---|---|
| 「律儀」という言葉 | 人間に使うことの多い言葉を桜に用いることで、桜が毎年決まった季節に咲くことを印象的に伝えている。擬人化した表現として読むこともできる。 |
| 「うつくしさを誇るかのように花開く」 | 直喩・擬人的な表現。桜が自分の美しさを誇っているかのように描き、周囲の悲惨な現実とは関係なく美しく咲く姿を印象づけている。 |
| 「寒かろうが暑かろうが」「多かろうが少なかろうが」 | 対照的な言葉を並べた反復的な表現。気温や雨の量に違いがあっても、毎年桜が咲くことを強調している。 |
| 対照的な内容 | 震災によって大きく変わった人間の暮らしと、例年どおり咲く桜の姿を対照的に描き、その違いを際立たせている。 |
| 「残酷」と「時に私たちを救うのではないか」 | 同じ桜の開花を異なる見方で捉えることで、筆者の考えが少しずつ変化し、深まってきたことを示している。 |
| 「毎年毎年」 | 同じ言葉を繰り返すことで、毎年変わらず桜に感動していたいという筆者の願いを強めていると考えられる。 |
| 「律儀にほうけていたい」 | 桜の「律儀」と筆者自身の「律儀」を結び付け、満開の桜に毎年感動していたいという思いを印象的に伝えている。 |
「律儀な桜」の重要語句
テストで意味を聞かれそうな言葉を確認しておこう。
| 語句 | 意味 |
|---|---|
| 律儀(りちぎ) | 義理堅く、決まりや約束などをきちんと守ること。また、その様子。 |
| 満開(まんかい) | 花が十分に開ききること。 |
| 幻(まぼろし) | 実際には目の前にないものが、あるように思われること。 |
| 心底(しんそこ) | 心の底から。本当に。 |
| 衝撃(しょうげき) | 心に強い驚きや動揺を与えること。 |
| 残酷(ざんこく) | むごいこと。思いやりがなく、むごたらしいこと。 |
| 例年(れいねん) | いつもの年。毎年のこと。 |
| 降雨量(こううりょう) | 降った雨の量。 |
| 膨らむ(ふくらむ) | 大きくなること。ふくらみをもつこと。 |
| 目をみはる | 驚きや感動などによって、目を大きく開くこと。 |
| ほうける | 何かに心を奪われて、ぼんやりすること。 |
| 救い(すくい) | 苦しみや不安などを和らげ、心を支えるもの。 |
くまごろう「律儀な桜」から読み取れる筆者の考え
この文章では、毎年同じように咲く桜が描かれているね。
でも、桜を見たときに人間が感じることは、いつも同じとは限らない。
震災で大きな被害を受けた町で咲く桜は、筆者には残酷にも感じられた。
しかし、その感想は、筆者の中で少しずつ変わっていた。
そして、鹿児島のタクシー運転手の言葉によって、何があっても変わらず咲く桜は、人の心を救うこともあるのではないかと考えるようになっていたことに気づく。
また、毎年咲くと分かっていても、満開の桜を見れば思わず感動してしまう。
ここから筆者は、変わらず繰り返される自然の営みの不思議さや、それを目にしたときに人間が感じるさまざまな思いについて考えていると読み取れるよ。
そして最後の「律儀にほうけていたい」からは、毎年繰り返される桜の美しさに、これからも新鮮な感動を覚え続けていたいという筆者の願いが読み取れるね。
「律儀な桜」テスト対策ポイントまとめ
- 作者は角田光代。
- 文章の種類は、筆者の体験や考えを述べた随筆。
- 筆者は東京で満開の桜を見たことがあるが、各地の桜の名所では満開の桜を見たことがなかった。
- 「幻の満開」とは、花の咲いていない桜の木を見て、頭の中で満開の様子を想像すること。
- 昨年、鹿児島では、桜が咲く時期より約2週間早く訪れていた。
- タクシーの運転手は、桜が毎年決まった時期に律儀に咲くことを話した。
- 2011年4月、筆者は東日本大震災後の東北を訪れた。
- 町が大きな被害を受けても、桜は例年どおり美しく咲いていた。
- 筆者が「残酷」だと思ったのは、桜の美しさをたたえる人も見る人すらもいない状況で、変わらず美しく咲いていたからだと考えられる。
- 7年前の「残酷」という感想は、筆者の中で少しずつ変わっていた。
- 筆者がその変化に気づいたきっかけは、鹿児島のタクシー運転手の言葉だった。
- 変わらず咲く桜は、時には人の心を救うこともあるのではないかと筆者は考えている。
- 題名の「律儀な桜」は、毎年決まった季節に変わらず咲く桜を表している。
- 「ほうける」は、何かに心を奪われてぼんやりすること。
- 最後の「律儀にほうけていたい」には、毎年満開の桜を見るたびに、変わらず感動していたいという筆者の願いが表れていると考えられる。
「律儀な桜」まとめ
「律儀な桜」は、毎年決まった季節に咲く桜を通して、自然の変わらなさと、それを見つめる人間の思いについて考えた文章だよ。
桜は、どんな出来事があっても、季節が来れば咲く。
その姿が、7年前には残酷に感じられた。
しかし、筆者の考えは少しずつ変わり、何があっても変わらず咲く桜は、人の心を救うこともあるのではないかと考えるようになっていた。
そして筆者は、毎年同じように咲く桜を前に、これからも毎年、感動して見入っていたいと考えているんだね。
くまごろうここまで学習できたら、「律儀な桜」のテスト対策練習問題とドリルにも挑戦しよう!
【中国語】「律儀な桜」テスト対策問題|筆者の心情変化・表現の意味
【中学国語】角田光代「律儀な桜」重要語句ドリル
【中学国語】角田光代「律儀な桜」本文・内容理解ドリル
【中学国語】角田光代「律儀な桜」表現・筆者の考えドリル

参考資料
- 中学校国語教科書「律儀な桜」角田光代
- 角田光代「律儀な桜」(『ベスト・エッセイ2019』所収。教科書の出典表記による)
- 教科書の語句・背景説明
運営者情報
檜垣由美子
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