運営者情報

基本情報

名前:ゆみねこ
最終学歴:青山学院大学文学部教育学科心理学専攻卒業
保有資格など:TOEIC795点・国際線AXESS検定2級・医療事務講座修了認定試験合格・ホノルルマラソン完走(5時間56分3秒)
趣味:ピアノ・DIY
家族構成:夫・長女・息子・柴犬の4人と1匹暮らし。

どうして「ゆみねこの教科書」を作ったの?

2019年の長女の高校受験時のこと。最初は普通に塾に通わせていたものの、仲良しのお友達が同じ塾にいた娘は、ついつい授業中にお友達とメモのやり取りをするなどしてしまい集中できず。ある日とうとう、塾長からやんわりと「退塾命令」が下ってしまいました。

このように集団型の塾だと、なかなか真剣に取り組むのが難しいし、かといって個別型だと、金銭的にも時間的にも、せいぜい2~3教科くらいしか見てもらえない・・・自力で学習させるにも、「学校の授業は興味がもてないし、教科書を頑張って読み返しても、何を言っているのかサッパリ」という状態。

そこで意を決して、「私が全教科をみて高校受験を突破してやろう」ということになりました。

まずは学校で使っている教科書を家で使うように全教科もうひと組購入し、中学1年の内容から1単元ずつ一緒に読み返し、教科書の内容を子供達の身近なことに置き換えるなどして徹底的にわかりやすいように説明していきました。

たとえば、数学の「マイナスとマイナスをかけるとプラスになる」ルールを説明する場合なら、「苦手な教科(マイナス)のテストをする予定が中止(マイナス)になったら嬉しい(プラス)よね」という感じ。同じくルート(√)のことを教えるなら、「√5」は、「2枚揃えば5になれるよ券」なんて教えていました。

教科書の内容を読んでもわからない子どもに、教科書の内容をそのまま教えたってやっぱり「わからない」になっちゃうんです。教科書の内容を、子どもたちに伝わるように「子どもたちの世界に通じることば」に通訳して教える。そんな感覚で娘の勉強をみてきました。

その結果、娘の偏差値は20上昇。志望していた高校の特待生クラスに上位10位内で入ることができました。

子どもたちの世界の話に置き換えてあげると、勉強しているはずなのに、親子でゲラゲラ笑い合うこともしばしば。歴史のエピソードなんか、「○○がああしてこうして、こう考えて、それで××がいきなりこんなこと言い出して・・・こんな人がクラスにいたらヤバイよね」なんて話しているだけで、めちゃくちゃ興味を持ってくれるんです。そのあとで練習問題を解いてみると、おどろくほどスラスラ解けてしまう。「歴史っておもしろい」という言葉が娘の口から出たときは、本当に嬉しかったです。

教科書って、当たり前だけれど「そのままのこと」しか書かれていない部分が多いですよね。「聖徳太子が冠位十二階を定めた」だとか、「マイナスとマイナスをかけるとプラスになる」、とか。どうして聖徳太子はそのルールをつくることになったのか?肝心なことが書いてないから、ただただ丸覚えするしかない。マイナスとマイナスをかけるとプラスになる、もただただそういうものだと納得するしかない。

でもそれじゃあ、本当に理解したことにはならないから、応用問題が出ると間違えちゃうし、何より勉強することが辛くなってしまう。

せっかく娘と勉強してきたことを活かして、同じように「教科書ってわかりづらい・・・」と悩んでいる子どもたちの手助けが少しでもできるような記事を書いてみよう、そう思って教科書の内容を子供達に通訳するべくできあがったのが「ゆみねこの教科書」というわけです。

「そうか、教科書はこういうことを伝えたかったんだ!」とスッキリできる子どもがひとりでも増えて、「勉強っておもしろい!」とワクワクする子どもがひとりでも増えてほしい。

こんな思いでサイトを運営しています。

ゆみねこってどんな人?

塾がだめなら、自分が教えてみよう!とか、せっかくならサイトを作っちゃおう!なんて思うようになったのには、いままでの人生経験があるように思います。というわけで、ここではゆみねこの半生を振り返ってみます(笑)

パリに生まれる

生まれただけです。フランス国籍もありませんし、両親ともに日本人です。生まれてから1年くらいはいたらしいです。母親は臨月でパリ入り。父親は出張だかなんだかでいなかったらしく、言葉もわからないままひとりで異国の地での出産に臨んだそうです。ただでさえ出産は不安なもの。同じ母になった今、ひたすら尊敬しています。

このころのフランスでは黄色人種に対する差別もまだひどく、パン屋さんに行っても「お前たちアジア人に売るパンはない」と追い返されたとか。そんな中でもくじけず子育てをした母。逆境に対しての強さは、母から受け継いだのかもしれません。

幼稚園~(ジャカルタ)

一度日本に戻ったものの、幼稚園入園後くらいから今度はインドネシアのジャカルタへ。このころから私自身にもうっすら記憶があります。当時、インドネシアでは日本人は相当なお金持ち扱いで、社宅だったと思うんですが、これがまたとんでもない家でした。

庭にはドーベルマンがいて、マンゴーとかパイナップルの木が生い茂り、トイレは確か7個ぐらい、お風呂も5個くらいあったような。住み込みのお手伝いさんが3人くらいいて、専用の運転手さんもいます。

ただとんでもない目にもあっています。ここから書くことは40年前くらいのことです。インドネシアを否定的に書く意図はありません。

まず、当時幼稚園児だった私は、お手伝いさんとお留守番をする機会が多かったのですが、そのときによく庭で捕まえた生きたバッタを食べさせられていたらしいです。どういうこと。家の中にはサソリが出るし、寝る時には部屋の真ん中にお札の束を置いてから寝ます。泥棒が入ったときに、「このお金を持って行っていいから、命だけは助けてください」というメッセージがわりなのです。

家の中にある壁掛け時計とか、アクセサリーとかは気が付くと無くなっています。お手伝いさんが持っていってしまうのです。これをとがめると、最悪の場合、逆恨みしたお手伝いさんが泥棒をわざと呼び込んだりするので、怒ることはできません。

いちばん恐ろしかったのが、当時通っていた日本人幼稚園に爆弾を落とされたことですね。とりあえず、よくぞ生きぬいたなぁという感じです。この頃の経験からか、基本的に「何が起きても基本動じない」性格になりました。

小学校〜中学校(日本)

日本に戻ります。神奈川県の中学校に通います。それまでとは一変、ごく普通の日々を過ごしました。

小さい頃から絵を描くのが好きで、同じ趣味の友達とオリジナルの漫画雑誌を手作りして、クラスメイトに向けて月一で発行していたような。お手製の付録なんかもつけていたような。当時の自作漫画がかろうじて残っていますが、完全に黒歴史です。でもこのころから「イラストで人になにかを伝えたい」という気持ちがあったのかもです。

勉強はというと、全く興味がなく、数学とかは30点くらいだったように思います。そんなんで学習ブログなんか書いているんじゃない!と怒られそうですが、中学3年になって、突然勉強に目覚めます。

たしか数学の関数かなにかの単元のときに、急に「勉強とやらを本気でやってみるか」と突然教科書やらワークやらを必死に読み込んで、次の定期テストでは90点超えして先生を驚かせました。その先生の反応にすっかり気を良くして、他の教科の点数も上げてやろうと燃えていました。当時は「テストで良い点を取るということ」にゲーム感覚的な楽しみを見出していました。

まあそんな感じで平和に?過ごしていたのですが、中学3年の2学期にいきなりスイスへ転勤となります。

中学~高校(スイス)

スイスではインターナショナルスクールへ。授業はすべて英語の世界に突然放り込まれたわけです。ここからがまあまあの試練です。まず、授業が全くわからない。テストは問題文がそもそも読めない。

外国のテストって、印刷ではなく先生の手書きなんですが、まあ字のクセが強い。たまたま私の学校がそうだっただけかもですが。たとえばコチラ、当時11年生(高校2年)の数学のテストプリントの画像。

数学のテストプリント

1年くらいは、オール0点でした。成績も、「評価すらできません」の文字だけが書かれている始末。授業では、どうせ当てても分からないだろうということで、私を飛ばして進んでいったりします。

当時自覚はなかったのですが、結構精神的に追い込まれていたらしく、毎日学校から帰っては母親を追いかけ回してくすぐるという奇行に走っていたそうです。ひたすら耐えてくれていた母、ありがとう。

このように最初はただただ絶望していたんですが、2年目くらいからか?またまた急に「負けるもんか!日本人の根性を見せてやる!」と謎の使命感に燃え出します。とりあえず、めちゃめちゃ勉強しました。教科書の一字一句を辞書で調べて、とにかくひたすら勉強しました。授業中も、率先して手を上げて発言するようにしました。その結果、化学の定期テストでクラス唯一の満点を取りました。

あれは嬉しかったですね。先生も素晴らしいと褒めてくれました。

当時使っていた学校の化学と生物のノート。(海外では、チェックマーク✔が「OK」の意味になります。成績は7が最高。)

化学のノート

生物のノート

それまで「日本人はどうせわからないよね」と当ててさえもくれなかった先生が、「yumiなら分かるかい?」なんて指名してくれるようになったのが本当に嬉しかったです。このあたりの経験で「たいていのことはやれば出来る」という信念を持つようになったように思います。

高校~大学・就職(日本)

そんなわけでそれなりに頑張って過ごしていたのですが、なんと高校3年2学期に、また父親の会社から無茶ぶりが。突然の帰国命令。こちとら高校3年2学期。あまりに中途半端なタイミングです。

母親が死に物狂いで、そんなありえないタイミングで編入してくれる学校を探してくれました。その結果、東京にある女子校に入ることになりました。でも、しつこいですが高校3年の2学期ですよ。そんな最後の1学期間だけの転入生とか、どうなの?って感じですよね。しかも女子校。

最悪いじめられても仕方ない・・・と覚悟して行きましたが、恵まれたことに、クラスみんなあたたかく迎え入れてくれました。本当に感謝です。そんなこんなで、これまたあわてて大学受験して、なんとか青山学院大学に合格。「何が起きても基本動じない」精神のおかげでした。

大学では心理学を専攻しました。

成績証明書

卒業証明書

普通の大学生活を過ごし、あっという間に就職。

航空会社のグループ企業へ入社。空港に航空会社のカウンターがありますよね。あれが市内にもあるんですが、その市内で航空券を取り扱う仕事です。これがまた人生で大変だったトップ3に入ります。

20年前くらいの話なので今は違うかもですが、あれははっきりいって「鬼畜レベルの仕事」です。学生時代には20種類くらいのバイトをして、現在もいくつか仕事をしましたが、ダントツで大変でした。覚える量、専門的知識の量と難解さ、そしカウンターで随時接客する際のスピードと内容の難しさ。

当時、航空会社では専用の予約システム(AXESS)を使っていて、これがC言語のような独自の言語での入力が必要になります。その入力で1文字間違えただけで飛行機には乗れなくなってしまいます。だけどお客様は◯時間後の飛行機に乗るから、1分1秒を急いでいることが多い。プレッシャーが半端ない。

あれのおかげで「あの難しさに比べれば、たいていのことは理解できるはず」精神が備わったような気がします。

結婚と出産

出産してから今度はDIYに目覚めます。子供用の机とか、棚とか、洋服とかを突然作り始めます。軽トラ借りて木材とかホームセンターから持って帰るとか平気でやっていました。

ちなみに妊娠中はパンとケーキの資格とかイラストレーターの資格を取ったり、医療事務の勉強、行政書士の勉強なんかをしていました。今やほとんど活用できていませんが。

九州へ転勤

九州へ移ると、今度はアンティークインテリアに目覚め、部屋中を大改造。家具にわざとヤスリで傷をつけたり、サビ加工したり、思いつくことにはどんどんチャレンジしていました。(食器棚のビフォーアフター。引き出しや扉をあらたに作ってます)

食器棚のビフォー

食器棚のアフター

子供の学校キャンプの行事の委員長になったときには、ホームセンターでセメントを買ってきて、お化け屋敷用に「真実の口」とか作ったり。

真実の口

フレンチアンティークの欲しいデザインのもの売っていないからと、ダイニングテーブルとかも見よう見まねで作ったり。

ダイニングテーブル

見よう見まねでも案外形になるので、「やってみれば大抵のことはできるものだ」と確信しました。

アメーバブログでDIYネタを発信したりして、家具や布小物のオーダー制作とか始めたのもこの頃。焼き鳥屋さんの看板なんかも依頼を受けて作りました(笑)

焼き鳥屋さんの看板

東京へ

主人の転勤で東京へ戻っても私の暴走は止まらず、借り上げ社宅なのに懲りずにDIYでいじりまくっていました。原状回復できるように、壁にマスキングテープをあらかじめ貼って、その上から壁紙を貼り付けたり、既存の窓に木材で窓枠をはめ込んだりして、むりやりフレンチアンティークにしたりしていました。

フレンチアンティーク

その後家を購入。今度はホテルライクインテリアに目覚め、この時自分で間取りの設計を考えたり、好みのキッチンをデザインしてキッチン会社に持ち込んだり。それをきっかけに、あるキッチン会社の方からお声をかけいただいて、ホームページの記事制作のお手伝いをはじめました。その時に、ワードプレスに触れる機会をいただき、同時にデジタルイラストにもチャレンジしました。

そして娘の高校受験。勉強を見た経験+ワードプレス+デジタルイラスト×「やればなんでもできるだろう精神」でこの「ゆみねこの教科書」を思いついたというわけです。

どうやって記事を作っているの?

「教科書の内容を通訳する」がモットーなので、まずは教科書をスミからスミまで読みこみます。そして、文部科学省の学年ごとの指導要領も確認し、教科書が何を伝えようとしているのか?をまず理解して、それをどうしたら子どもたちにわかりやすく伝えられるか、興味をもってもらえるような言い換え方はないかを真剣に考えます。ここが一番大変です。

少しでもわかりやすくできるように、イラストを描きます。イラストは、iPad Proに直接アップルペンシルで描きこんでいます。イラスト制作ソフトは「CLIP SUDIO」を使っています。

テスト予想問題は、市販の問題集・学校で配られる教科書に付随している問題集、そして自分の子どもが受けてきた実際の学校の期末テストを全て目を通して、それぞれの問題が「何を理解しているかを測ろうとしているのか」の出題意図を汲んで、そこからオリジナルの問題を作り直しています。

実績など

メディア:コンテンツがヤフーニュース一覧にて多数掲載。

たくさんの嬉しいコメントをいただけています!

  • 「テストに出ました!ありがとうございます」
  • 「とても分かりやすくて全く一緒の問題が二問、似たような問題が三問も出ました!」
  • 「絵がわかりやすくとても勉強しているように思えないくらいです‼」
  • 「このサイトのおかげでテストで90点以上を取ることができました。参考になる考え方がとても多かったと感じます。」
  • 「わかりやすくてテスト40点取れました(50点満点中)ありがとうございました。」
  • 「6問中4問このサイトを見たおかげで書くことができました本当にありがとうございます!」
  • 「授業でやりました。授業のときよくわからなかったけどこれを見てよくわかりました。」
  • 「本当に12問ぐらい出たから本当に助かりました‼」
  • 「中二です。このサイトのおかげで国B満点取れました!ありがとうございます!」
  • 「この単元で100点取れました。」
  • 「こういった問題は前はわからなくなっていたけど、よく分かるようになっていました。」
  • 「生物と水のかかわりの問題の問4、5と、生物と空気のかかわりの問題の問1が似たような感じで出ました。そして百点を取ることができました。本当にこれのおかげです。」
  • 「おかげで100点が取れました。」
  • 「このサイトで勉強したおかげで前回71点だったのが94まで伸びました!!!本当に感謝してます!!」
  • 「コロナウイルスでオンライン授業に使わさせていただきました!ありがとうございました!このサイトなかったらどうしたらいいかわかりませんでした、ありがとうございました!」
  • 「ちなみにこのサイトのおかげでとある中学校で、特待生を取ることが出来ました。 本当に感謝しています。」
  • 「これのおかげでテストで満点取ることができました。ありがとうございました。」
  • 「ありがとうございますおかげで期末テスト90点台取れました!」
  • 「大造じいさんとガンを教えているのですが、問題をさがしていたところ、こちらのサイトにたどり着きました。とてもいい問題が作られていて、感動いたしました!ありがとうございました!」
  • 「こちらのおかげで、小6娘が鎌倉時代のテストで95点を取ってきました。ありがとうございます。これからも見させて頂きます。」
  • 「塾通いではない我が家の勉強(母の私も娘と一緒に勉強)にも、とてもわかりやすい内容のサイトを作っていただいたお気持ちに、心から感謝申し上げたくてご連絡させて頂きました。これからもよろしくお願いします。」
  • 「すごくわかりやすくてテストの点数が20点もあげることができました。ありがとうございます。」
  • 「教科書だと分からなかったのに、yuminekoさんのサイトだと内容がスッと入ってきました。」

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