茨木のり子『わたしが一番きれいだったとき』表現技法や主題を解説
中学2年の教科書(東京書籍など)で学習することがある、詩人の茨木のり子さんの詩『わたしが一番きれいだったとき』について、テストでよく出る表現技法、言葉の意味、詩の情景、作者の思いと伝えたいこと(主題)など、定期テスト対策に必要なポイントをわかりやすく解説するよ。
※このページでは、著作権に配慮して詩の本文は掲載していません。お手元の教科書を開いて、詩を読みながら解説を一緒に確認してね。
「わたしが一番きれいだったとき」テスト対策ポイントまとめ
「わたしが一番きれいだったとき」テスト対策ポイント
- 作者は、日本の詩人茨木のり子。(※「茨城」と書き間違えないように注意!)
- 詩の形式は「口語自由詩」。
- 第1連から第7連にかけて、同じ言葉がくり返し現れる「反復法(リフレイン)」が使われている。
- 「頭はからっぽで / 心はかたくなで」には、似た表現を並べて状態を強調する「対句法(対句的な表現)」が使われている。
- 「卑屈な町を」には「擬人法」、「だから決めた できれば長生きすることに」には「倒置法」が使われていると読むことができる。
- 描かれている時代は、第二次世界大戦中(太平洋戦争中)から、終戦直後にかけての日本。
- 「わたし」が一番きれいだったとき(青春時代)は、戦争によって奪われ、おしゃれも恋愛も楽しむことができなかった。
- 作者の伝えたいこと(主題)は、「戦争によって青春を奪われた悔しさ・悲しみ」と、「それでも前を向き、人生の後半で美しく生きようとする強い生命力と決意」。
【中学2年国語】『わたしが一番きれいだったとき』基本情報
| 作者 | 詩人の茨木のり子(※漢字の「木」に注意!) |
| 詩の形式 | 口語自由詩(現代の話し言葉で書かれ、決まったリズムがない詩) |
| 詩の構成 | 全8連からなっている |
| 使われている表現技法 | 反復法・対句的な表現・直喩・擬人法・倒置法など |
この詩は、行のまとまりである「連」が、全部で8つあるよ。
一番きれいで輝いているはずの10代後半から20代前半の「青春時代」を、戦争という異常な状況の中で過ごさなければならなかった作者の、悲しみと強い決意が歌われているんだ。
『わたしが一番きれいだったとき』の詩の形式
『わたしが一番きれいだったとき』の詩の形式は、「口語自由詩」だよ。
「口語」というのは、今の日本で私たちが普通に使っている話し言葉のこと。
★口語に対して、「昔の書き言葉」のことを「文語」というよ。
「自由詩」とは、音数や行数などの決まった型にしばられずに作られた詩ということ。
※自由詩に対して、「五・七・五」のように文字数の型が決まって作られている詩を「定型詩」というよ。
たろう
「口語自由詩」というキーワードはテストでよく問われるので、しっかり覚えておこう!
【テスト頻出】『わたしが一番きれいだったとき』の表現技法
この詩には、読者の心に強い印象を残すために、いくつかの表現技法が使われているよ. テストでよく狙われるポイントを確認しよう。
1. 反復法(リフレイン)
反復法とは
同じ言葉やフレーズを何度も繰り返すことで、リズムを作り出したり、その言葉の意味や作者の思いを強く読者に印象づけたりする表現技法。
この詩の最大の特徴は、題名にもなっている「わたしが一番きれいだったとき」というフレーズが、第1連から第7連にかけて、同じ言葉でくり返し現れることだよ。
本来なら一番美しくて幸せなはずの時期を、戦争によって奪われてしまった「悔しさ」や「無念さ」という強い思いが、このくり返しによってひしひしと伝わってくるね。
また、何度もくり返されることで、まるで焼け跡の町を力強く歩く足音のような「リズム」が生まれているよ。
2. 対句法(対句的な表現)
対句法とは
似たような形(構成)の言葉を二つ並べることで、リズムを作ったり、内容を対比(比較)して意味を際立たせたりする表現技法。
第4連のなかに、似た形の表現を並べた箇所(対句的な表現)があるよ。
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
「わたしの〇〇は〜で」という、同じ言葉のリズムで並べられているね。戦争中の教育によって、自由に物を考えることができなくなってしまった内面の状態が強調されているよ。
3. 直喩法(比喩)
直喩とは
「〜のようだ」「〜みたいに」という言葉を直接使って、あるものを別のものに例える表現技法。
第6連に、「禁煙を破ったときのように くらくらしながら」という表現があるね。
戦争が終わって、敵国の音楽として禁止されていた「ジャズ」に初めて触れたときの「刺激の強さ」や「戸惑い」を、ずっと我慢していたタバコを久しぶりに吸って頭がくらくらする感覚に例えているんだね。
4. 擬人法
擬人法とは
人間以外のものを、まるで人間(または生き物)のように例えることで、生き生きとした印象を与える表現技法。
第5連に、「卑屈な町をのし歩いた」という表現があるよ。
「卑屈(=自分を卑しめて、いじけること)」というのは、自分を必要以上に低く評価して、いじけてしまう人間の性格や態度のこと. 町全体が人間のようにいじけて自信を失っているかのように表現し(擬人法と読むことができるよ)、敗戦で意気消沈(=元気をなくして沈み込むこと)している当時の空気を伝えているんだ。
連ごとの内容解説:時代背景(太平洋戦争)と情景の読み解き
この詩で描かれている時代は、第二次世界大戦中(太平洋戦争中)から、終戦直後にかけての日本だよ. 「わたし」の状況や感情がどのように変化していくか、詳しく読み解いていこう。
第1連・第2連:破壊と死の日常
「街々はがらがら崩れていって」「とんでもないところから青空なんかが見えたりした」。
これは、激しい空襲(飛行機からの爆弾の投下)によって、家や建物が次々と破壊されていく様子だよ。屋根や壁が吹き飛んでしまったから、普段は見えないはずの場所から青空が見えてしまうんだね。
そして、「まわりの人達がたくさん死んだ」。工場で、海で、名もない島で。
本来なら、10代から20代にかけての「青春時代」は、可愛い服を着ておしゃれを楽しむ時期だよね. でも、生きるか死ぬかの極限状態の中では、そんなことを考える余裕すら奪われてしまった(=おしゃれのきっかけを落としてしまった)という悲しみが書かれているよ。
第3連・第4連:男たちの出征と、「対比」されるアンバランスさ
同年代の男たちも、みんな兵士として戦地へ発って(出発して)しまったんだ。
彼らは女の子に「やさしい贈物」を捧げる余裕もなく、軍隊式の「挙手の礼(ピシッと右手を額にあげる敬礼)」しか知らされずに、死を覚悟した純粋な「きれいな眼差し」だけを残して行ってしまった。
残された「わたし」はどうだったかというと、学校で自由に勉強することもできず、ただ「お国のために働きなさい」と教え込まれていたから、「頭はからっぽで 心はかたくな(頑固で柔軟性がない状態)」だったんだ。
でも、勤労動員(=学生なども軍需工場や農業などで働かされたこと)によって、外で働く手足だけは真っ黒に日焼けして「栗色に光って」いた。
ここでは、心はすっかり貧しくなってしまったのに、若い体だけは太陽の光を浴びて健康的に輝いているという「対比」の構造が使われているよ。テストでもよく問われるポイントなので覚えておこう。
第5連・第6連:敗戦の悔しさと、新しい文化への戸惑い
くまごろう「そんな馬鹿なことってあるものか」。
これは、信じていた国が負けたショックだけでなく、「私たちは一体なんのために青春時代を犠牲にしてきたんだ!?」という強い怒りや徒労感(=むだ骨を折ったという感じ)が込められているよ。
でも作者は、ただ落ち込むだけじゃなかった。
「ブラウスの腕をまくり 卑屈な町をのし歩いた」。
「のし歩く」とは、肩をそびやかして堂々と歩くこと。町中のみんなが戦争に負けて下を向いていじけている中で、「わたしは負けないぞ!」と反抗するように、腕まくりをして堂々と歩いたんだね. 作者の気の強さと、たくましい生命力が伝わってくる一文だよ。
そして戦後、ラジオからはジャズが溢れてきた。
戦争中は「敵の音楽だ」と禁止されていた自由で甘い音楽。それに初めて触れたとき、強烈な刺激に「くらくらしながら」も、飢えていた心を満たすように夢中になって受け入れた(むさぼった)んだね。
第7連・第8連:深い孤独と、未来への決意
第7連では、素直な自分の感情が吐き出されているよ。
「ふしあわせ」「とんちんかん(つじつまが合わないこと)」「めっぽう(ひどく)さびしかった」。
一番きれいで楽しいはずの時期に、たくさんの人が死に、やりたいこともできず、世の中の価値観がひっくり返ってしまった. その深い孤独と、青春を奪われた悲しみが、ひらがな表記によってむき出しの感情として直接に伝わってくるね。
でも、詩の最後(第8連)で、作者は前を向くよ。
「だから決めた できれば長生きすることに」。
年をとってから素晴らしい絵を描いた、フランスの画家「ルオー爺さん」のように。
「若いときに奪われてしまった美しさを、私はこれからの人生で、時間をかけて咲かせてみせる」。そんな力強い決意が込められているね。
そして最後の「ね」。
この一文字があることで、重たい決意の言葉が、自分に言い聞かせるようでもあり、読者にそっと語りかけるようでもある、あたたかい余韻を残して終わっているんだ。
作者の思い・主題(伝えたいこと)を解説
この詩の主題(一番伝えたいこと)は、次の2点として読むことができるよ. テストの記述問題で書けるようにしておこう。
『わたしが一番きれいだったとき』作者の思い・伝えたいこと(主題)
- 戦争によって青春を奪われた悔しさや悲しみ、静かな怒り。
- それでも絶望するのではなく、逆境を跳ね返して「これからの人生の後半で美しく生き抜いてやる」という前向きで力強い決意と生命力。
たろう作者「茨木のり子」はどんな人?
作者の茨木のり子さん(1926年 – 2006年)は、日本の現代詩を代表する詩人の一人だよ. (※テストで「茨城」と書き間違える人がとても多いので気をつけよう!)
彼女の詩の特徴は、この詩のように「自分の感情や生き方に対して、真っ直ぐでブレていないこと」なんだ。
実は茨木さんは、戦争中に薬学の専門学校に通っていて、卒業して薬剤師の資格を得ていたんだ. でも、「学生時代は空襲下で逃げ惑うばかりで、かなりの劣等生だった」と自分を恥じて、一生その資格を使って働くことはなかったんだって. 自分に対する厳しさと、真っ直ぐな性格が伝わってくるエピソードだよね。
戦後、焼け跡の東京で新劇(=大正・昭和初期に起こった近代的な演劇)を見て感激した彼女は、そこから脚本や童話を書き始め、やがて詩の世界へと足を踏み入れていくよ。
また、医師の夫を深く愛して、夫が病気で亡くなった後も、彼をめぐる詩を密かに書きためていたよ(のちに『歳月』という詩集としてまとめられています)。
さらに、50歳を過ぎてから韓国語を学び始め、韓国の現代詩を日本に翻訳して紹介するなど、いくつになっても「ルオー爺さん」のように学ぶ意欲と探求心を持ち続けた、とてもパワフルでかっこいい女性だったんだ。
「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」という詩でも有名だから、気になった人はぜひ図書館で読んでみてね。
『わたしが一番きれいだったとき』感想文(例)
『わたしが一番きれいだったとき』の感想文を考えてみたよ. 宿題などで書くときの参考にしてみてね。
『わたしが一番きれいだったとき』を読んで、私は自分が今当たり前のように楽しんでいる「青春」が、どれほど幸せで恵まれたものなのかを強く感じました. 私たちが友達と笑い合ったり、好きな服を着ておしゃれを楽しんだりしている10代という時間は、作者にとっては「まわりの人達がたくさん死んだ」時代であり、頭はからっぽで心はかたくなにならざるを得ない、とても苦しい時代でした。
特に心に残ったのは、戦争に負けたあとに「ブラウスの腕をまくり 卑屈な町をのし歩いた」という部分です. 青春を大きく傷つけられた怒りや絶望に押しつぶされるのではなく、逆に腕まくりをして力強く歩き出す作者の姿に、たくましい生命力を感じました. 戦争の被害者としてただ泣いているのではなく、「そんな馬鹿なことってあるものか」と怒れる強さがとてもかっこいいと思いました。
最後の「だから決めた できれば長生きすることに」という決意には、奪われた時間を取り戻そうとする希望が込められていると思います. 平和な時代に生きている私たちは、作者が生きられなかった「一番きれいなとき」を今まさに生きているのだと気づきました. だからこそ、一日一日を無駄にせず、自分の心に素直に、真っ直ぐに生きていきたいと思います。
まとめ
「わたしが一番きれいだったとき」テスト対策ポイント
- 作者は、日本の詩人茨木のり子。(※「茨城」と書き間違えないように注意!)
- 詩の形式は「口語自由詩」。
- 第1連から第7連にかけて、同じ言葉がくり返し現れる「反復法(リフレイン)」が使われている。
- 「頭はからっぽで / 心はかたくなで」には、似た表現を並べて状態を強調する「対句法(対句的な表現)」が使われている。
- 「卑屈な町を」には「擬人法」、「だから決めた できれば長生きすることに」には「倒置法」が使われていると読むことができる。
- 描かれている時代は、第二次世界大戦中(太平洋戦争中)から、終戦直後にかけての日本。
- 「わたし」が一番きれいだったとき(青春時代)は、戦争によって奪われ、おしゃれも恋愛も楽しむことができなかった。
- 作者の伝えたいこと(主題)は、「戦争によって青春を奪われた悔しさ・悲しみ」と、「それでも前を向き、人生の後半で美しく生きようとする強い生命力と決意」。
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本ページでは、学習・批評の目的で必要最小限の表現のみを引用して解説しています. 詩の全文はお手元の教科書等でご確認ください。
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