「死に近き母に添寝の~」表現技法・解説まとめ(短歌に親しむ)
中学校2年生の国語で学習する「短歌に親しむ」より、斎藤茂吉の短歌「死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる」をわかりやすく解説するよ。
短歌の意味、作者の心情、使われている語句についてなど、定期テスト対策に必要なポイントをくわしく説明するよ。
「死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる」定期テスト対策ポイント
- 作者は山形県出身の歌人である斎藤茂吉
- 「遠田(とおだ)」の読み方に注意しよう
※「とおた」とする場合もある。 - 歴史的仮名遣い「そひね(添寝)」は現代仮名遣いで「そいね」となる。
- 歴史的仮名遣い「とほだ(遠田)」は現代仮名遣いで「とおだ」となる。
- 歴史的仮名遣い「かはづ」は現代仮名遣いで「かわず」となる。
- 意味は「もうすぐ亡くなるであろう母のそばで寝ていると、あまりに静かで、遠くの田んぼで鳴いている蛙たちの声が天まで届きそうである」。
- 連体止めの技法が使われている
- 句切れは「句切れなし」である。
- 「かはづ」とは蛙のこと。
目次
「死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる」歌と読み方
死に近き母に添寝のしんしんと 遠田のかはづ天に聞ゆる
【読み方】
しにちかき ははにそいねの しんしんと とおだのかわず てんにきこゆる
歴史的仮名遣いについて
「死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる」の「添い寝(そひね)」と「遠田(とほだ)」「かはづ」には、歴史的仮名遣いが使われているよ。
歴史的仮名遣いとは
歴史的仮名遣いとは、「仮名(ひらがな・かたかな)」で書くときの表記の仕方のひとつなんだ。
現代、みんなが普通に使っている仮名遣いは、現代仮名遣いと呼ばれるよ。
それに対して、明治時代までに使われていた仮名遣いを歴史的仮名遣いと呼ぶんだ。
語頭以外の歴史的仮名遣いの「は・ひ・ふ・へ・ほ」は現代仮名遣いで「わ・い・う・え・お(わ行)」になるんだ。
なので、「添い寝(そひね)」は「添い寝(そいね)」となるよ。
そして「遠田(とほだ)」は「遠田(とおだ)」になるし、「かはづ」の「は」は「わ」になるね。
歴史的仮名遣いの「ぢ・づ」は現代仮名遣いで「じ・ず」になるんだ。
なので、「かはづ」の「づ」は「ず」となるよ。
「死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる」意味と解釈
「死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる」の歌は、古語(昔使われていた言葉)で書かれているね。
このあとでも語句の意味をまとめているけれど、「死に近き」とは死期が近づいているということ、「添寝」はそばで寝ることで、ここでは母を看病するためにそばに寄り添って寝ること。「しんしんと」とは、静かさを表現しているよ。「遠田」は遠くの田んぼ、「かわず」は蛙のこと。
なので、現代の言い方でまとめると次のようになるよ。
もうすぐ亡くなるであろう母のそばで寝ていると、あまりに静かで、遠くの田んぼで鳴いている蛙たちの声が天まで届きそうである
「蛙」は春の季語。
実母の「いく」さんが亡くなったのは1913年の5月なので、この歌の情景は4~5月ごろと考えることができるね。
句切れについて
句切れとは
句切れとは、俳句や短歌などの一首・歌の中の「大きな意味の上での切れ目」のこと。
短歌の場合、意味や調子の切れ目が句切れになるよ。
意味が切れているところ(「。」が打てるようなところ)がないので、「死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる」の歌は「句切れなし」だよ。
表現技法について
「しんしんと」という語句の役割
「死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる」の歌で重要な役割をはたしているひとつが、「しんしんと」という擬態語(オノマトペ)だね。
この「しんしんと」という言葉は、あたりがとても静かになっている様子だけではなく、母を失うときが近づいている、斎藤茂吉の寂しい心の中の様子も表現しているんだ。
対比について
「死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる」の歌には、いくつかの対比が存在するんだ。
- 「しんしんと」と「きこゆる」によって、「無音」と「音あり」の対比
- 「かすかな母の呼吸」と「遠くまで聞こえてくる蛙の声」の対比
- 「天に昇ろうとする母の魂」と「天にまで届く蛙の声」の対比
- 「片方は消えゆく命」、「もう片方は生命力あふれる命」の対比
- 「片方はたった一人」、「もう片方は群れ」の対比
- 「添い寝(すぐそば)」と「遠田(遠く)」の距離の対比
この対比によって、より「母の死」がはっきりと浮き彫りされて、茂吉の母を失う悲しみを、読み手がより印象的に感じ取れるようになっているよ。
「聞こゆる」の詠嘆的表現
「聞こゆ」はヤ行下二段活用で、「聞こゆる」は連体形なんだ。
本当なら、句の終わりだから終止形である「聞こゆ」になるところを、連体形の「聞こゆる」で歌を終わらせることで、「ラ行」の音のやわらかさの印象と、余韻(詠嘆)が残るようにしているよ。
これは「連体止め」という技法だよ。
作者「斎藤茂吉」について
「死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる」の作者である斎藤茂吉は、大正から昭和の前期に活躍した山形県出身の歌人・医師。
もとは守谷家に生まれた茂吉だけれど、守谷家は経済的に余裕がなくて、茂吉が14歳のときに東京で医院を開いていた斎藤家の養子になったんだ。
歌に詠まれている「母」は、14歳で別れた実母のことなんだね。
代表作には「赤光」という歌集があるよ。
今回学習する「死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる」の歌は「赤光」におさめられているよ。
「死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる」作者の心情
実母が危篤だという知らせをうけた斎藤茂吉は、ふるさとの山形県に東京からかけつけるんだ。このとき、茂吉は31歳前後。
その時の東京から山形までの道中から、母の死後のことまでの2ヶ月間のことを時系列順で詠んだのが「死にたまふ母」という作品で、全部で59首からなるよ。
「死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる」は、その59首のうちの一首なんだ。
「死にたまふ母」の内容
※「死にたまふ」は、「死ぬ」の尊敬語
「其の一」母の危篤の知らせをうけて、山形までかけつける
「其の二」母が亡くなる
「其の三」母の火葬と骨揚げ
「其の四」葬儀を終え、母をしのぶ
ずっと離れて暮らしていた実母の危篤の知らせ。
かけつけてみると、母はもう口をきくこともできないくらいの状態だった。
母を見守るために、茂吉もすぐそばに寄り添って横たわる。
あたりはとても静かで「しんしんと」しており、かすかな母の呼吸だけが聞こえる。
母の死が近いのだと、茂吉はあらためて「しんしんと」心を痛める。
すると、遠くの田から、蛙たちの鳴き声が聞こえてきた。
蛙たちの声は、とても生命力にあふれていて、まるで天まで届くようだ。
目の前の、静かに死にゆく母。天に召されるであろう母。
遠くの、賑やかに命あふれる蛙たち。天まで届くその声。
ただ死にゆく母を見送ることしかできない茂吉にとって、この母と蛙たちの対比はどのように映ったのだろうか。
より悲しみを増したのか。それとも救いを感じたのか。
ぜひ、情景を思い浮かべて、みんなの思うままに感じ取ってほしい。
「死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる」語句
語句 | 意味 |
---|---|
死に近き | 「死」に近づいている →もうすぐ亡くなってしまう。 |
添い寝 | すぐそばで寝ること ここでは、看病するために母親のそばにより添って寝ている様子。 |
しんしん | 「しん」とした静けさ ここでは、茂吉の心にしんしんと悲しみと寂しさがせまる様子も表している。 |
遠田 | 遠くにある田んぼのこと。 |
かはづ | 蛙のこと。 春を表す季語でもある。 |
天 | ここでは単なる「空」というよりは、「天界」や「あの世」を表していると考えられる。 |
聞こゆる | 聞こえる。 蛙の鳴く声が、天まで聞こえるようだということを表現している。 「聞こゆ」の連体形 |
「死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる」定期テスト対策ポイントまとめ
「死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる」定期テスト対策ポイント
- 作者は山形県出身の歌人である斎藤茂吉
- 「遠田(とおだ)」の読み方に注意しよう
※「とおた」とする場合もある。 - 歴史的仮名遣い「そひね(添寝)」は現代仮名遣いで「そいね」となる。
- 歴史的仮名遣い「とほだ(遠田)」は現代仮名遣いで「とおだ」となる。
- 歴史的仮名遣い「かはづ」は現代仮名遣いで「かわず」となる。
- 意味は「もうすぐ亡くなるであろう母のそばで寝ていると、あまりに静かで、遠くの田んぼで鳴いている蛙たちの声が天まで届きそうである」。
- 連体止めの技法が使われている
- 句切れは「句切れなし」である。
- 「かはづ」とは蛙のこと。
ここまで学習できたら、「死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる」の短歌の定期テスト対策練習問題に挑戦しよう!
運営者情報
ゆみねこ
詳しいプロフィールを見る
青山学院大学教育学科卒業。TOEIC795点。2児の母。2019年の長女の高校受験時、訳あって塾には行かずに自宅学習のみで挑戦することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。志望校の特待生クラストップ10位内で合格を果たす。