古文例文集で学ぶ!受験に必要な読解力と語彙力を身につけよう

古文は日本語でありながらなかなかスラスラと読めないという生徒が多くなっています。

それにはいろいろな理由があるのですが、勉強する際には細かく「例文」を見ていくことによって慣れていくということが可能です。

そこでここでは古文の例文を使って読解力や語彙力を鍛えていく方法について紹介していきたいと思います。

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古文例文集で学ぶ! 受験に必要な読解力と語彙力を身につけよう

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なぜ古文の文章は読みにくいのか

古文の文章はいろいろな理由があって読みにくくなっています。

ここではその理由について例文を使いながら紹介します。

主語が省略される

古文が読みにくいとされる理由の一つに「主語の省略」があります。

これは文章にいちいち主語が書かれていないということがあるため、「誰の言動なのかわからない」ということがあるのです。

しかしこれは落ち着いて考えてみれば現代文でも同様です。

「昨日あなたはお風呂に入りましたか?」という質問に対して

「はい、私は昨日お風呂に入りました」と答えるケースはあまりありません。

「はい、入りました」と答えることが多いでしょう。

つまり現代文でもほとんどの会話で主語は省略されているのです。

これは古文でも同様で、すでに登場している人物については主語が省略されることが多いのです。

例えば竹取物語では、

「今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。野山にまじりて竹をとりつつ、よろずの事につかひけり」

という書き出しから始まっています。

この部分でも「野山にまじりて竹をとりつつ」という文には主語がありませんが、もちろんこの主語は「竹取の翁」ということになります。

このように基本的には主語が省略されているといっても「すでに登場している人物」「直前に何か行動を起こしている人物」を中心にして予測していくことで主語の判別ができるということになるのです。

全文の理解ができない

古文を読んでいて軽いパニックになってしまうことに「全文の意味が理解できない」ということがあります。

まじめな生徒ほどわからない部分があるとパニックに陥ってしまうことがあるのです。

例えば、

「昔、男ありけり。その男、伊勢国に狩りに使ひに行きけるに、かの伊勢の斎宮なりける人の親、常の使ひよりは、この人よくいたはれ。と言ひやりければ、親の言なりければ、いとねむごろにいたはりけり。」

という伊勢物語の文章があります。

まじめな生徒はこの文章の単語の意味をすべてはっきりさせ、品詞を考えて、完璧な現代語訳をしようとします。

もちろん品詞分解の問題などではそういったことが必要になってくるのですが、最初に文章を読むときには「ざっくりと読む」という読み方で十分です。

あまりにも細かく分析しようとすると時間がかかるだけでなく、わからない部分があったりするとそこで詰まってしまうこととなります。

この文章についてはまず、

「昔、男がいた。その男は伊勢の国に使いに行った。伊勢の斎宮という人の親は「いつもの使いよりもこの男のことをよくいたわれ。と言ったので、親が言うことだからよくいたわった」

という訳で十分だということになります。

これくらいのざっくりとした訳ができるのであれば、ほとんどの問題は解けますので、まずはざっくりと訳せるというようにしていきましょう。

理解できない部分が存在する

古文を読んでいく際に現代語に訳して読んでいると現在の常識から考えると「?」となることがあります。

これは現代と昔の文化の違いや考え方の違いがあるためです。

こういった部分に疑問を持ったとしても無視して読み切ることが重要です。

例えば源氏物語の有名な「雨世の品定め」のシーンでは、

「 いと、さばかりならむあたりには、 誰れかはすかされ寄りはべらむ。取るかたなく口惜しき際と、優なりとおぼゆばかりすぐれたるとは、数等しくこそはべらめ。人の 品高く生まれぬれば、人にもてかしづかれて、隠るること多く、自然にそのけはひこよなかるべし。中の品になむ、人の心々、おのがじしの立てたるおもむきも見えて、分かるべきことかたがた多かるべき。下のきざみといふ際になれば、ことに耳たたずかし」

と頭中将が光源氏に話しかけるシーンがあります。

これは簡単に言えば「上流、中流、下流の女性の中で中流の女性が個性があって良い」という自分の意見を言っています。

この二人は仕事でも恋愛でもライバル関係にあって何より親友でもあるということを考えればこのシーンに特に不思議を感じないかも知れません。

ただ、学習を進めている人であれば、頭中将は光源氏の正妻である葵の上の実兄であるということを知識として持っています。

するとこのシーンは義理の兄が義理の弟と現在の恋愛観や恋愛対象の女性について語っているということになります。

これは現在の感覚からすれば「本気か?」となるかもしれません。

当時は一夫多妻ということもあって正妻が居たとしても他の女性にアタックしても問題がなかったのです。

こういったように文章を読んでいて理解に苦しむ部分、なぜそのような結末にという部分が出てきます。

その場合でも無視してとりあえず読み切ってしまうということを優先することが重要だと言えるでしょう。

<h2>古文は何か言葉の由来になった話が多いことにも注意</h2>

古文を読んでいると現在につながる言葉の由来などに関する話も出てきます。

こういった話に慣れておけば、すぐにその文章構成を理解することができるので対応が早くなります。

例えば、今昔物語集の「尼ども山に入り、茸(たけ)を食ひて舞ひし語」で以下のような話があります。

「茸のありつるを見付けて、物のほしきままにこれを取りて食ひたらむ、

 酔ひやせむずらむとは思ひながら、餓ゑて死なむよりは、いざこれ

 取りて食はむと思ひて、それを取りて焼きて食ひつるに、

 いみじく甘(うま)かりつれば、かしこき事なりと思ひて食ひつるより、

 ただかく心ならず舞はるるなり。心にもいと怪しきことかなとは思へども、

 いと怪しくなむ。」と云ふに、木伐人どもこれを聞きて、あさましく思ふこと

 限りなし。

 さて木伐人どももいみじく物のほしかりければ、尼どもの食ひ残して

 取りて多く持ちける其の茸を、死なむよりは、いざ此の茸乞ひて食はむと

 思ひて、乞ひて食ひける後より、亦木伐人どもも心ならず舞はれけり。

 然れば、尼どもも木伐人どもも、互に舞ひつづけて笑ひける。

 さて暫くありければ、酔ひのさめたるが如くして、道も思はで

 各返りにけり。それより後、此の茸をば舞茸(まひたけ)と云ふなりけり。

 これを思ふに、極めて怪しきことなり。近来(ちかごろ)も

 其の舞茸あれども、これを食ふ人、必ず舞はず。

 これは極めていぶかしきことなりとなむ語り伝へたるとや。」

これは、

「きのこがあるのを見て空腹に耐えきれなくて食べた。

すると自然と舞いだしてしまった。

木こりたちも空腹だったので尼たちが食べ残したきのこを食べた。

とたんに木こりたちも自然に舞いだしてしまった。

しならく笑いながら舞っていたが、そのうちに酔いが覚めたようになってそれぞれ帰宅した。

それ以来このきのこのことを『舞茸』と呼ぶようになった」

という文章です。

「舞茸」の言葉の由来となった話だと早い段階で理解できればスムーズに文章が読めたでしょう。

まとめ

古文は文章が読みにくいという部分はありますが、いくつかのルールを知っていれば問題なく対応できることも多くあります。

まずは多くの例文に触れることでそういった感覚に慣れていくということが重要だと言えるでしょう。

運営者情報

青山学院大学教育学科卒業。TOEIC795点。2児の母。2019年の長女の高校受験時、訳あって塾には行かずに自宅学習のみで挑戦することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。志望校の特待生クラストップ10位内で合格を果たす。

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  1. 大宮悠慎 より:

    いとをかし