漢文「漁夫の利」の意味・書き下し文・現代語訳をわかりやすく解説

高校古文で学習する漢文「漁夫の利」について、故事成語「漁夫の利」とはどういう意味か、由来となった漢文の書き下し文や現代語訳、定期テストで必要となる知識・ポイントをわかりやすく解説するよ。

漢文「漁夫の利」テスト対策ポイント

  • 「漁夫の利」の意味は「両者が争っているのにつけこんで、別の第三者が利益を横取りしてしまう」こと。読み方は、「ぎょふのり」
  • 由来は、中国の遊士の遊説を劉向がまとめた「戦国策」という中国の書物に書かれている逸話
  • 趙が燕を攻めようとするのを、2国が弱まれば強国の秦に2国ともやられてしまうと、燕が趙を説得した、という3国の関係性を確認しよう
  • 「趙且伐燕」の再読文字「且」に注意する
  • 「今者」は「いま」と読む
  • 「臣」とは蘇代を指す
  • 「方に」は「まさ(に)」と読む
  • 「而して」は「しか(して)」または「しこう(して)」と読む
  • 「肯ぜず」は「がえん(ぜず)」と読む
  • 「敝れしめ」は使役なので、「疲弊させる」と訳す

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目次

「漁夫の利」の意味(解説)

「漁夫の利」は、現代でも使われる有名な故事成語だね。
意味としては、「両者が争っているのにつけこんで、別の第三者が利益を横取りしてしまう」こと読み方は、「ぎょふのり」だね。

故事成語とは、昔あったことや、昔の文章の中にある言葉をもとにして作られた言葉のこと。「矛盾」や「蛇足」なども故事成語だったね。

では、「漁夫の利」は何が由来になっているのかというと、「戦国策」という中国の書物に書かれている逸話なんだ。

「戦国策」は、戦国時代の中国で、諸国をめぐり歩いていた人(遊士)が、各地で意見や主張を説いて(遊説)まわっていたときの、その演説内容や政策などを、前漢の劉向(りゅうきょう)がまとめたもの。

では、どんな逸話かというと、戦国時代、趙(ちょう)という国が、燕(えん)という国に攻め込もうとしていたところ、燕の蘇代(そだい)という人が、趙の恵文王(けいぶんおう)を説得して攻め込むのを止めてもらうことに成功したというエピソード。

そのとき、蘇代が恵文王を説得するために話した内容が「漁夫の利」なんだ。

蘇代が話した内容は、簡単にいうと「ハマグリとシギが意地を張って争っていたところに、通りかかった漁師がハマグリとシギをまとめて捕らえてしまった」ということ。

つまり、両者(ハマグリとシギ)が争っていたのにつけこんで、第三者(通りかかった漁師)が利益を得た(ハマグリとシギを捕らえてしまった)ということだね。

では、なぜこんな話で趙が燕に攻め込むのをやめたのかというと、この2国とは別に、この時代かなりの強国だった「秦(しん)」という国があったんだ。

もし趙が燕に攻め込めば、お金・武器・兵力を消費してしまって、お互いにどうしてもダメージを受けるよね。

そうして趙と燕がお互い弱ったところを、秦が攻め込んでくれば、2国ともあっというまにやられてしまう、ということを蘇代は「漁夫の利」のエピソードを話すことで恵文王にわかりやすく伝えたんだ。
たしかにこれを聞いたら、「じゃあやめとこう」となるよね。

「漁夫の利」あらすじ

趙は燕に攻め込もうとしていた。

そこで、燕の蘇代は趙の恵文王を説得する。

「私が見てきたことには、ハマグリとシギがお互いに争っているところ、通りかかった漁師がハマグリもシギも捕らえていってしまいました。
趙と燕が争って弱ってしまえば、きっと強国の秦がこの2国を手に入れてしまいます。その漁師のように。」

恵文王は燕に攻め込むのを止めたのだった。

「漁夫の利」白文(原文)

趙且伐燕。

蘇代、爲燕謂惠王曰

「今者臣来過易水。蚌方出曝。而鷸啄其肉。蚌合而箝其喙。
 鷸曰、
『今日不雨、明日不雨、即有死蚌。』
 蚌亦謂鷸曰
『今日不出、明日不出、即有死鷸。』
 両者不肯相舎。
 漁者得而幷擒之。
 今趙且伐燕。
 燕趙久相支、以敝大衆、臣恐強秦之爲漁父也。
 故願王之熟計之也。」

惠王曰「善。」

乃止。

「漁夫の利」書き下し文

※書き下し文の送り仮名や漢字の読みは、教科書によって異なる場合があるので、最終的には(テストで回答するときは)自分が使っている教科書に合わせてもらうのが安心だよ。

漁夫の利の訓読文の画像
漁夫の利の訓読文の画像

趙且(まさ)に燕を伐たんとす。

蘇代、燕の為に惠王に謂ひて曰はく、

「今者(いま)臣来たりて易水を過ぐ。

蚌(ぼう)方(まさ)に出でて曝(さら)す。

而(しか)して鷸(いつ)其(そ)の肉を啄(つい)ばむ。

蚌合(がっ)して其の喙(くちばし)を箝(はさ)む。

鷸曰く、

『今日雨ふらず、明日雨ふらずんば、即ち死蚌(しぼう)有らん』と。

蚌も亦(また)鷸に謂ひて曰はく、

『今日出でず、明日出でずんば、即ち死鷸有らん』と。

両者、相(あい)舎(す)つるを肯(がえん)ぜず。

漁者(ぎょしゃ)得(え)て之(これ)を幷(あわ)せ擒(とら)ふ。

今趙且に燕を伐たんとす。

燕と趙久しく相支(ささ)へ、以つて大衆を敝(つか)れしめば、臣強秦の漁父と為(な)らんことを恐るるなり。故に王の之を熟計(じゅくけい)せんことを願ふなり。」と。

惠王曰わく、

「善(よ)し。」と。 乃(すなわ)ち止む。

「漁夫の利」現代語訳

趙は今まさに燕(の国)を攻めようとしていた。

蘇代が燕のために(趙の王である)惠王に対して言うには、

「今、私がこちらに来るときに易水を通り過ぎてきました。

蚌(ハマグリ)が水面に出て日に当たっていました。

そして鷸(シギ)がその肉をついばんで食べようとしていました。

ハマグリは貝殻を合わせて、そのシギのくちばしを挟んでしまいました。

シギが言うには、

『今日も雨が降らずに、明日も雨が降らなければすぐにひからびて死んだハマグリとなるだろう』と。

ハマグリがシギに向かって言うには、

『今日、くちばしを出すことができず、明日もくちばしが出なければすぐに死んだシギができあがるだろう』と。

両者ともお互いを離すことを承諾しませんでした。

そのとき漁師が来てハマグリとシギの両方を捕らえていきました。

今、趙はまさに燕に攻め込もうとしています。

燕と趙が長い間戦い続け、それが理由で国民を疲弊させていくならば、私は強国である秦が漁師と同じように燕と趙の両方を得ることになるということを恐れています。

そのために王が燕に攻め込むことをよく考えていただきたいと願っているのです。

(これを聞いた)恵王が言うには、

「わかった」と。 そして燕に攻め込むことを中止しました。

「漁夫の利」古語・語句

語句意味
戦国時代の中国にあった国。戦国時代に有力だった7つの国(戦国七雄)のうちの1国。
且にまさに。「これから~しようとする」
戦国時代の中国にあった国。戦国時代に有力だった7つの国(戦国七雄)のうちの1国。
蘇代燕の国の武将
恵王趙の代7代君主である「恵文王」のこと。※「秦の代26代君主」も恵文王というが、この「恵文」とは諡号(しごう:亡くなった後におくられる名)
今者いま。(「者」は、漢文で用いる助辞で、読みが省略されるため、「今者」二字で「いま」と読む。他にも、「昔者」で「むかし」と読む。)
私め。自分のことをへりくだって言う時に使う
易水趙と燕の国境沿いにある川のこと
過ぐ通り過ぎる・通過する
どぶがい・はまぐり
方にちょうど
曝す日光の当たるにまかせて放置すること(日向ぼっこ)
而してそうして
※読み方は、「しかして」と「しこうして」の2通りあるので、使用している教科書に合わせて覚えておくと安心
鳥のシギのこと
啄ばむ鳥がくちばしを使い、つつくようにして食べるようす
合して合わせる。ここでは、ハマグリがシギのクチバシをはさむために貝を合わせたこと
箝む挟む
おたがい
舎つる解放する・放す
肯ぜず承諾しなかった
※読みの「がえん」は、テストでもよく出るので注意しよう。
漁者漁師
久しく長いあいだ
支へ防ぎ戦う
敝れ疲弊する
※敝れしめの「しめ」は、使役なので、「疲弊させる」という意味になるので注意すること
熟計よく計画を練ること
善しよい。(わかった)
乃ちそして
止む中止した

「漁夫の利」内容とポイント

3つの国の立ち位置を確認しよう

「漁夫の利」には、3つの国の名前が登場しているね。
「趙」「燕」「秦」、この3つの国の立ち位置をおさえよう。

「趙」「燕」「秦」3国とも、戦国時代の中国で有力とされていた7国のうちのひとつ。
「趙」は、「燕」に攻め込もうとしている国。
「燕」は、「趙」に攻め込まれたくないと考えて、趙を説得しようとしている国。
そして「秦」は、強国で、「趙」と「燕」がお互いに争って弱ったときに、2国ともを手に入れてしまうのではないか、と言われている国。

「漁夫の利」のエピソードと照らし合わせると、
「ハマグリとシギ」=「趙」と「燕」
「漁夫」=「秦」

となるよ。

「臣」とは誰のことかおさえよう

「臣來過易水」や「臣恐強秦之爲漁父也」で出てくる「臣」とは、「私」という意味だけれど、これは誰のことだろう?

「臣」は、王などに対して、臣下が自分のことをへりくだって「臣下である私めが」という意味で使うことばなんだ。

なので、ここでは「蘇代」が趙の恵文王に対して、自分のことをへりくだって「臣」と言っているんだ。

「両者不肯相舎」の「両者」とは誰のことかおさえよう

「両者不肯相舎」の「両者」とは、もちろん「蚌(ハマグリ)」と「鷸(シギ)」のことだね。

また、この「肯」の読み「がえん(ぜず)」は高確率でテストに出るので、かならず覚えよう。

また、その後につづく「漁者得而幷擒之」の「之」も、おなじく「蚌(ハマグリ)」と「鷸(シギ)」ことを指しているね。

「漁夫の利」文法

「趙且伐燕」の再読文字「且」

「且」は、10種類ある再読文字のひとつ。
再読文字とは、漢字1字だけであるけれど、訓読するときには二度読む特別な文字だったね。

「且」は、「まさ二~(セ)ントす」と書き下し、訳すときは「まさに~(し)ようとする(意志)」か、「~(する)だろう(推量)」となるよ。

「趙且伐燕」は、趙が燕を伐とうとする意志をあらわしていて、書き下し文は「趙且(まさ)に燕を伐たんと(且)す」となるよ。

「且」は1回目は「まさ(に)」と読み、返り点に従って2回目は「す」と読むんだね。

テストでは、「趙且伐燕」を書き下しなさいという問題が出ることが多いので、再読文字だということを意識して答えられるようにしておこう。

「謂~曰」

「謂~曰」は、「~に謂いて曰く」となり、「~に向かって言う」という意味。
「曰く」は、対象者を限定せずに「言う」となるのに対して、「謂いて曰く」は、言う相手がはっきりとされているところがポイント。

「今者臣來過易水」の助辞「者」の読みについて

「今者」の「者」は助辞(助字)で、読みが省略されるんだ。
なので、「今者」の漢字二文字で「いま」と読むよ。

他にも、「昔者」と書いて「むかし」と読んだりもするので、覚えておこう。

「蚌方出曝」の「方」の読みについて

「方」は「まさに」と読む。「ちょうど」「その時に」、「~してはじめて」という意味。「まさに」という読み方はテストに出題されやすいので、覚えておこう。

「而鷸啄其肉」の「而」の読みについて

「而」という文字を見ると「置き字だから訳さなくても良い」と考えるかもしれないね。

たしかに、「而」は置き字として登場することが多いのだけれど、この文のように文頭に「而」の文字を置いている場合は置き字として扱うのではなく、順接の場合は「しかうシテ、しかシテ」、逆接の場合は「しかルニ、しかレドモ」と読むんだ。

順接か逆接かは、前後の内容から判断しよう。

今回の「蚌方出曝。而鷸啄其肉。」では、「ハマグリが日向ぼっこをしていた」そして「シギがその肉をついばんだ」ということなので、順接だね、

なので「しかうシテ・しかシテ」と読んで、「そして」という訳になるよ。

「而」が文頭に来たときの扱いと、訳し方を覚えておこう。

不雨・不出「不ンバ」について

ハマグリとシギの会話の中で出てくる「不」という言葉は、述語の前に連用修飾語として置くことで、動作や状態を「否定する」副詞となるよ。
英語の「not」と同じイメージで考えるとわかりやすいね。

「不雨」・「不出」は、ここでは「雨が降る」「(くちばしを)出す」ということを否定しているので、「雨が降らない」「(くちばしを)出さない」という訳し方になるよ。

さらに、「不」の送り仮名が「ンバ」となっているものは、「ずンバ」という「~ないならば」という仮定になるんだ。

ちなみに、なぜ送り仮名が「ンバ」になるかというと、「明日不雨」に続く「即有死蚌」の「即」は、「すなわ(ち)」と読んで、「~であればすぐに」という意味になる言葉で、上文の送り仮名が「~レバ」とか「~ンバ」という仮定をあらわす形になるから。

つまり、「明日不雨」・「明日不出」は「雨が降らないならば」「(くちばしを)出さないならば」という訳し方になるね。

実際のテストなどでは、「不」の使い方や訳し方が問われることが多くなっているので、よくおさえておこう。

「即」と「乃」について

「明日不雨、即有死蚌」の「即」が「~であればすぐに」という意味の「すなわ(ち)」であることを説明したね。

「漁夫の利」には、最後にも「乃止。」と「すなわ(ち)」が使われているね。
「乃」は、「意外にも」とか、「ようやく」という「一筋縄には行かないながらも」というニュアンスがあるんだ。

つまり、「雨が降らない=すぐに死んでしまう」というように、「すぐにそうなってしまう」というニュアンスの「即」に対して、「乃」は蘇代の説得の末、なんとか燕へ攻め込むのを止めた、というように「なんとかそうなった」というニュアンスがあるということだね。

「得而幷擒之」の「得」について

「得」という字を見ると、「何かを得る」という意味で訳したくなってしまうね。

実際、ここでは漁師がハマグリとシギの両方を得ているので、この文でもそう訳したくなってしまうけれど、この文の「得」は「可能を表す助動詞」として使われていて、「〇〇することができる」という訳し方になるんだ。

なので、「ハマグリとシギの両方を得た」と訳すのではなくて、「ハマグリとシギの両方を捕らえることができた」と訳すのが正解ということになるよ。

この文の訳し方が問題として出される場合は、本当にこの「得」の意味がわかっているかどうかを問われる場合が多く、難易度も高い問題となるので、答えることができれば高い評価につながるよ。

「以敝大衆」の使役表現

「以敝大衆」は「以つて大衆を敝(つか)れしめば」となるけれど、この「しめ」は、使役となるので、「疲弊させる」という意味になるよ。

運営者情報

青山学院大学教育学科卒業。TOEIC795点。2児の母。2019年の長女の高校受験時、訳あって塾には行かずに自宅学習のみで挑戦することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。志望校の特待生クラストップ10位内で合格を果たす。

感想や意見を聞かせてね

  1. より:

    いつもテストのときにお世話になっています!!
    学校の先生よりも分かりやすくて大好きです。
    これからもお願いします。

  2. カンブンニガテザル より:

    即ち死蚌(しぼう)有らん』と。 の部分に関しての質問なのですが、
    何故 らん』のあとに と。 という形をとるのでしょうか?

    • yumineko より:

      カンブンニガテザルさん

      簡単に言うと、これは現代での

      Aが「〇〇は、××だ。」と言った。

      の、「と言った。」と同じ役割の「と。」です。

      「 」の中はセリフで、セリフの前には「〇〇曰く、」という言葉がありますよね。
      これは、「〇〇が言うには、」という意味ですね。

      この「曰く」と「と。」はひとつのセットととらえてください。

      現代でも、
      Aは「〇〇は××だ。」の後に何も無かったら日本語として不自然ですよね。
      そのため、漢文では本来「と。」は書かれていないのですが、日本語として読んだ時に不自然にならないように「と。」という送り仮名をつけているのです。

      訓読文にも、「ト」と送り仮名がちゃんと書かれています。
      訓読文を書き下す時に、この「ト」をきちんと「と。」と書き下しているということですね。