「大人になれなかった弟たちに・・」あらすじと要点・ポイントを解説!【テスト対策】中学1年国語

中学1年国語で学「大人になれなかった弟たちに・・」について、そのあらすじとテストで必要になるポイントを解説するよ。

中学1年国語
「大人になれなかった弟たちに・・」

目次【本記事の内容】

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「大人になれなかった弟たちに・・」
あらすじ

弟のヒロユキは、僕が小学4年生のときに生まれた。

太平洋戦争の真っ最中。父は戦争に行き、毎日のように空襲があった。
食べ物は十分になく、母は僕たちに食べさせるために自分はあまり食べなかった。そのせいで、ヒロユキのためのお乳が出なくなった

配給のミルクが一缶、それがヒロユキの大切な食べ物だった・・・。

そんな大切なミルクを、僕は何回も盗み飲みしてしまった
どんなに悪いことか、よくわかっていたし、弟がかわいくてしかたがなかったが、飲んでしまった。

空襲がひどくなり、疎開しようと思い、引っ越しの相談をするために田舎の親戚を訪ねた。
はるばる出かけてきた母と僕と弟を見て親戚の人が口にしたのは「うちに食べ物はない」と言う言葉。

母はくるりと後ろを向いて帰った。その顔は悲しく、しかし、僕たち子供を必死で守ろうとする強く美しい顔だった。

やっと疎開先が決まり、僕たちは引っ越しをした。石釜という山あいの村だ。
そこはまるで桃源郷だった。僕は胸をはずませた。

しかし疎開者に配給はない。母は着物を米と交換した。母の着物はなくなった。
そしてヒロユキは病気になった

十日くらい入院しただろうか。ヒロユキは死んだ。栄養失調だった・・・。

小さなヒロユキのために小さな小さな棺が用意された。しかし、棺が小さすぎて入らなかった。

「大きくなっていたんだね」と言うと、母は初めて泣いた

ヒロシマに原爆が落とされたのはその九日後のことだ。さらにその三日後には、ナガサキにー。

そして、六日後の一九四五年八月十五日、戦争は終わった

僕はひもじかったこと、そして弟の死は一生忘れない。

「大人になれなかった弟たちに・・・」のテスト対策ポイント

①「大人になれなかった弟たちに・・・」は、戦時中の体験をもとにした絵本。
戦時中の人々の厳しい生活や状況を、本文から読み取れるようにしよう。

②登場人物の行動や、情景描写から、人物の心情を読み取れるようにしよう。

色のついている言葉は、クリック(タップ)すると、意味が表示されるよ。

くまごろう
「大人になれなかった弟たちに・・・」は、米倉斉加年よねくらまさかねさんの実際の体験をもとにした絵本。
米倉さんは、俳優、演出家、絵本作家であり、そして画家でもあったよ。
「大人になれなかった弟たちに・・・」に使われている絵は、米倉斉加年さん本人によるものなんだ。

テスト対策ポイント①
内容を理解しよう

物語の時代背景は?

いつの頃のお話なの?

「大人になれなかった弟たちに・・・」は、「僕」である筆者の米倉斉加年さんが、小学校(国民学校こくみんがっこう)四年生から六年生(11歳)までのお話。

1943年から1945年8月15日のことで、太平洋戦争(第二次世界大戦)の真っ只中だったよ。

弟のヒロユキは、「僕」が四年生の頃に生まれて、終戦の1945年7月28日に、2歳※で亡くなっているよ。
※米倉斉加年さんのテレビ番組インタビューでの証言から

国民学校とは?

1941年に、国民学校令という天皇の命令が出されて、それまでの「尋常じんじょう小学校」は「国民学校」に変わったんだ。

何が変わったかというと、国民学校では、子供たちは将来戦争で日本を支える人になるために、訓練をしたり、身体をきたえたりしなくてはいけなかったんだ。
そして戦争へ行ってしまった男の人たちの代わりに、農作業や土木工事の仕事もしなければいけなかったよ。

受ける教育の内容も、戦争に役立つことを中心したものばかりで、「天皇のため、日本のために命をささげることが素晴らしい」と教えるものだったんだ。

「僕の」家族構成は?

「僕」の家族は、父・母・自分・妹・弟・祖母の6人家族。

でもお父さんは戦争に行ってしまっていて、家に残っていたのは母・自分・妹・弟・祖母の5人だね。

弟がこのお話で描かれている「ヒロユキ」で、まだ生まれたばかりだね。

人々の生活は?

毎日のようにくる空襲くうしゅう

当時は、第二次世界大戦の真っ只中で、毎日のように日本は空襲くうしゅうにあっていたよ。

空襲とは、航空機で空から爆弾を落としたり、機関銃を撃ったりする襲撃しゅうげきのこと。

B29とは

B29というのは、アメリカの最新型の爆撃機。9トンもの爆弾を抱えて、時速640Kmで飛行できるケタ違いの性能だったんだ。

防空壕ぼうくうごうとは

防空壕は、空襲のような攻撃から、身を守るためのもの。

太平洋戦争の頃に作られていた防空壕は、おもに「地面に穴を掘ったもの」。空襲が来そうになったらすぐに避難できて、また元の生活の場に戻りやすいように、自宅の庭や、近くの空き地に作られたりしたんだ。

くまごろう
現代のようなシェルターであれば、シッカリした作りで安全そうだけれど、この頃はただ地面に穴を掘っただけで、爆弾による「爆風」とか、飛び散る破片から身を守る役割だったんだ。だから、直接爆弾が落ちてしまうと、助かるのは難しかったよ・・・
「僕」の家で作った防空壕も、自分たちで掘った穴で、とても小さい部屋だったとあるね。
それに、防空壕の中にいれば絶対安全というわけではないし、とてもゆっくり寝てなんかいられなかっただろうね。

配給とは

「そのころは食べ物が十分になかった」とあるけれど、どうして食べ物がなかったのだろう?

戦争が始まって、多くの大人(17歳※〜40歳)の男の人は戦争へ行ってしまったね。
さらに、戦争中ということは、もちろん外国からの輸入もストップしてしまっている状態。
※17〜18歳は志望した人のみ

くまごろう
輸入がストップして、さらに大人の男の人がほとんどいなくなって、食べ物やモノを生産する人手が不足してしまったら・・・
食べるものも、モノも全然足りなくなってしまうね。

そこで、国は、食べ物や生活に必要なモノが国民に公平に行き渡るように、「切符」をあらかじめ各家庭の人数に合わせて配って、その切符と引き換えに食べ物やモノを購入できるようにしたんだ。

そうすれば、「買い占め」を防ぐことができるからね。
これが、「配給制度」だよ。

配給制になった、おもな食べ物とモノ(1940年〜)

砂糖・木炭・マッチ・育児用乳製品・牛乳・米・卵・魚・塩・しょうゆ・みそ・衣料品

農家の人ならお米を食べられた?

農家の人なら、自分でお米を作れるから十分に食べられると思うかもしれないよね。
でも、実際には、農家で獲れたお米は、戦地で戦う兵隊さんたちへ送らなければいけなかったんだ。
だから、自分たちが食べるためのギリギリのお米(場合によっては足りなくなるくらい)しか残らなかったんだよ。

ということは、たとえお金があったとしても、食べ物は決められた量しか手に入れることができなかったんだよね。

それどころか、切符がちゃんとあっても、結局は食べ物や品物がないなんてこともあったりしたんだ。

くまごろう
例えば、戦時中によく食べられていた「雑炊」だけど、ひどい時にはなんと一人分のお椀の中にあるお米は、たった10粒ほど、なんて状態だったりもしたよ・・
お米でさえそんな状態なんだから、「甘いもの」とか「お菓子」なんて、とうてい手に入らない状態だったんだね。

だから、「僕」は弟のミルクを我慢することができなかったんだね・・。

そんな状態の中、「僕」の母はできるだけ「僕」や妹に多く食べさせてあげるために、自分は我慢をしたんだね。

でも、そのために母のお乳は出なくなってしまったんだね。

弟のヒロユキはまだ赤ちゃんで、まだ普通のご飯を食べることはできない。とはいえ、母のお乳も出ないので、代わりに「おもゆ」や「やぎのミルク」をあげていたんだ。

「おもゆ」とは?

重湯おもゆ」は、お粥の「うわずみ液」のこと。たくさんの水で煮て作ったお粥の、上の方の水分だけの部分のことだよ。
母乳が100gあたり66kcalあるのに対して、重湯は21kcalしかないんだ。

疎開とは

疎開とは、都市に住む人が、比較的安全な地方へ移り住むことだよ。

空襲は、人がたくさん住んでいたり、大きくて重要な建物がたくさんある「都市」が狙われるんだ。そのほうが相手の国にダメージをたくさん与えることができるからだね。

だから、都市から離れて、あまり狙われることがない安全な地方へ引っ越すんだよ。

米倉斉加年さんが戦時中に住んでいたのは、福岡市中央区の福岡城裏。

1945年6月19日夜10時から2時間続いた福岡大空襲では、被害にあった人は約6万人(亡くなった人は902人)。
たくさんの建物が炎上して、交通・通信・電気・ガス・水道なども被害を受けて都市としての機能はほぼストップしてしまったよ。

くまごろう
「僕」である米倉斉加年さんの家族は、福岡市中央区から南に20キロほど行った「石釜」という山あいの村へ疎開したんだね。
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テスト対策ポイント②
人物の行動や描写から、気持ちを読み取ろう

くまごろう
テストでは、人物の行動やセリフ、情景描写から、人物はそのときどんな思いだったのか?という問題が出されるよ。
ひとつひとつ解説していくよ。

「ミルクはヒロユキのご飯だから」と言った母の気持ち

ときどきの配給で手に入れることができる一缶のミルクについて、母は「ミルクはヒロユキのご飯だから、ヒロユキはそれしか食べられないのだから」とよく言っていたね。

当時は食べ物も十分に手に入らない時代だったね。ましてや、甘いお菓子なんてぜんぜんなかった。

でも「僕」は当時4年生ぐらいで、育ち盛りだね。

十分にご飯を食べることもできていない中、甘いヒロユキのミルクはあまりに魅力的だったんだ。

でも、母はお乳が出なかったので、ヒロユキにとっては、そのミルクが命綱いのちづななんだ。

母からすると、「僕」も、「妹」も、そして「ヒロユキ」も同じ大切な子供。

ミルクはヒロユキの大切な食料だから、「僕」や「妹」には食べて欲しくないという思いと、
そして「僕」や「妹」に、ミルクが欲しくてたまらなくなってしまうくらい十分なご飯をあげることができないことを、申し訳なく思う気持ち

この2つが入り混じっているんだね。

配給のミルク缶について(余裕があったら読もう!)

日本初の粉ミルクは、和光堂というメーカーから発売された「キノミール」というもの。でも粉ミルクは、戦時中は生産供給がほとんどなかったとのこと。

ここで書かれているミルク缶は、赤ちゃん用の粉ミルクではなくて、コンデンスミルクだったと米倉斉加年さんは話しているよ。

マグカップより少し小さいくらいのサイズで、米倉さんはこれを1日1回ひと舐めしていたんだって。
でもひと舐めでも、それが10日続けば、まあまあの量になってしまうよね。

母は、いつも必死にミルクを隠していたんだけど、米倉さんもまた必死に探し当ててしまっていた、と米倉さんは話していたよ。

「何回も・・・・」「・・・それなのに」という表記について

「でも、僕はかくれて、ヒロユキの大切なミルクを盗み飲みしてしまいました。それも、何回も・・・。」
「・・・それなのに飲んでしまいました。」

この、「・・・・」には、「僕」のどんな思いが込められているのだろう?

「僕」は、ミルクがヒロユキにとってどれだけ大切で、ミルクが足りなくなってしまったら、かわいくてしかたがないヒロユキの命が危なくなってしまうかもしれないということも、十分にわかっていたんだよね。

でも、どうしてもどうしても、甘いものを飲むことを我慢することができなかったんだ。

「あの時、僕がミルクを飲むのを我慢していれば、ヒロユキは助かっていたのかもしれない」
「ヒロユキに申し訳ない。自分の弱さがくやしい」
という思いが込められているんだね。

「うちに食べ物はない」と言った親戚の人と母の反応

「僕」たち家族が住む福岡市への空襲もひどくなってきたので、疎開をしようと思った母は、引っ越しの相談をしに田舎の親戚のもとへ出かけていったね。

でも、親戚の人は、母と僕、そしてヒロユキを見るなり「うちに食べ物はない」と言ったね。

親戚の人は、母と僕たちが、食べるもの分けてもらいに来たと思ったんだね。
なぜなら、当時は食べ物が十分になくて、みんな大変だったから。

きっと戦争ではない普段であれば、親戚同士、お互い助け合おうとしてくれたのかもしれない。でも、戦争という厳しい生活の中では、自分や自分の家族を守るので精一杯になってしまうのも無理はなかったんだ。

その言葉を聞いた母は、僕に帰ろうと言って、くるりと後ろを向いて帰ったね。

「食べ物をもらいに来たのではなく、引っ越しの相談をしに来た」と、誤解を解こうとすることもなかったのは、親戚の人の冷たい言葉に衝撃を受けて、「ああ、この戦争の中、親戚でさえも頼ることはできないのだ」とガッカリしたからだね。

親戚にさえ冷たくされてしまう戦時中の状況に、深い悲しみを感じたよ。だから、「悲しい悲しい顔」だったんだ。

でも、それと同時に、「子供たちを守ることができるのは、自分しかいないのだ」と、改めて決意したんだね。
だから、「強い顔」で、「美しい顔」だったんだ。

米倉斉加年さんは、この時の母の気持ちを思って「胸がいっぱい」になるんだね。

「栄養失調です・・・」という表記に込められた気持ち

「病名はありません。栄養失調です・・・・。」の「・・・」には、どういう気持ちが込められているのだろう?

ヒロユキは病気になったとはあるけれど、病名はない。

これは、「本当なら、ヒロユキは死んでしまわなければならないような身体の異常はなかった」、「戦争がなくて、食べ物が十分に食べられてさえいれば、ヒロユキは元気なままでいられたのに・・・」と、悔しくてたまらないのと同時に、戦争下での自分たちの無力さに深く悲しんでいる気持ちが込められているんだ。

くまごろう
初めの方に、「ヒロユキはいつも泣かないで一人でおとなしく寝ていた」とあったよね。
米倉斉加年さんは、「あれは、大人しかったのではなくて、栄養が足りていなくて、泣く力がなかったのではないかな・・・」と話していたよ。
亡くなるときも、「泣きもせず、静かに息をひきとった」とあるよね・・・。
泣く力がなくなってしまうくらい、十分に栄養が取れなかったなんて・・本当にくやしいね。

「白い乾いた一本道」に込められた思い

病院から家への帰り道を、「白い乾いた一本道」と表現しているね。

「白い」からは「色のない寂しさ」
「乾いた」からは「うるおいのなさ」
「一本道」からは「殺風景さっぷうけい

ヒロユキが亡くなってしまって、寂しくて、虚しくて、静かで悲しい気持ちが読者に伝わるように情景が描かれているよ。

くまごろう
同じように、
「空は高く高く澄んでいた」
「B29の独特のエンジン音
「青空にきらっきらっと機体が美しく輝いている」
「道にも畑にも、人影はない」
これらも「自分たちの無力さ」「静けさ」「寂しさ」を表現しているよ。
ヒロユキが亡くなってしまって、母と「僕」が、深い悲しみの中、やるせなくてむなしくて、寂しさに襲われていることが読者に伝わるように描かれているんだ。

「三人で歩き続きけた」の表現に込められた思い

病院から家までの帰り道、「三人で山の村に向かって歩き続けました」とあるけれど、実際に歩いているのは「母」と「僕」の2人だよね。

では、なぜ「三人」と書かれているのだろう?

これは、ヒロユキはもう亡くなってしまっているのだけれど、「僕」にとって大切な弟を、生きていたときと同じように扱いたい、接したい、という気持ちが込められているんだ。

「ヒロユキは幸せだった」という母の言葉について

「ヒロユキは幸せだった。母と兄とお医者さん、看護師さんにみとられて死んだのだから。空襲の爆撃で死ねば、みんなばらばらで死ぬから、もっとかわいそうだった。」と言ったね。

確かに、戦時中では、人は爆撃で死んでしまう可能性だってとても高いよね。
家族がはなればなれのまま、たった1人で死んでしまうことだってあるかもしれない。

それに比べれば、ヒロユキはみんなに見守られた中死んだので、その分幸せだった、と母は言っているんだね。

でもこれには、食べ物が十分にあれば死なずにすんだヒロユキがかわいそうで、せめて、「ヒロユキは幸せだった」と自分に言い聞かせることで、そのつらい思いに耐えようとしている母の気持ちがあるんだ。

「大きくなっていたんだね」と泣いた母の気持ち

農家のおじいさんが用意してくれた小さな棺にヒロユキを寝かそうとしたとき、棺が小さすぎてヒロユキのひざを曲げないと入れることができなかった。

このとき、母は「大きくなっていたんだね」と言って、初めて泣いたね。

ヒロユキには、十分なお乳やミルクをあげることができなかったよね。
だから、栄養失調で亡くなってしまったんだよね。

でも、棺に入れようとしたとき、ヒロユキが「大きくなっていた」ことに母は気がついたんだ。

十分に栄養を与えてあげられなかったのに、ヒロユキはちゃんと成長しようとしていたんだ。
厳しい戦争の生活の中、成長しようとしていたヒロユキがとても可哀想になって、そんなヒロユキに、十分な栄養を与えてあげることができなかったことが悔しくて、十分な大きさの棺を用意してあげることもできなかったことが申し訳ない、そんな思いが込められているんだ。

それまで、「自分が子供たちを守らなくては」と、必死で頑張ってきた母は、ヒロユキが亡くなっても泣くことはなかった。もちろん悲しくなかったのではなく、「強くいなければ」という気持ちから、涙を流せなかったんだよね。

でも、ヒロユキが「大きくなっていた」ことに気がついて、たくさんの悔しい、無念な思いが込み上げてきて、母は涙を流したんだね。

「大人になれなかった弟たちに・・・」という題名

このお話は、筆者の米倉斉加年さんの弟について書かれたものだよね。

でも、題名は「大人になれなかった弟に」ではなくて、「弟たちに」となっている。

これは、太平洋戦争で犠牲になったのは、自分の弟だけではなくて、ヒロユキと同じように、大人になることができなかった多くの子供たちがいる、ということを筆者自身はもちろん、このお話を読む人に思い起こして欲しいからなんだ。

「ヒロユキ」「ヒロシマ」「ナガサキ」などのカタカナ表記

弟の名前は、ずっと「ヒロユキ」となっているね。

本当は、ちゃんと漢字があるのだけれど、どうしてカタカナで書かれているのだろう?

これは、「弟たち」という題名と同じように、犠牲になった子供は、弟だけではなくて、たくさんの子供たちが戦争によって命を落としたということを伝えるために、漢字ではなくカタカナで表記しているんだ。

同じ「ヒロユキ」でも、漢字で書いてしまったら、限定されてしまうよね。

「ヒロユキ」とカタカナで書くことで、「僕」の弟に限定するのではなく、「戦争で犠牲になった子供」を意味する特別な言葉になるんだ。

同じように、「ヒロシマ」「ナガサキ」も、限定された都市名ではなく、「原爆の被害にあった都市」という、特別な意味を持つ言葉にしているんだね。

新出漢字と登場する語句

新出漢字

襲名・空襲
爆破・爆弾
弾む・爆弾
寝具・寝る
発掘・掘る
畳語・畳
温床・床
薄情・薄い
空き缶
赤ん坊
盗作・盗む
疎遠・疎開
歳月・四歳・歳
信頼・頼む
動揺・揺られる
岡山県・福岡
渓流
桃色・桃源郷
渡航・渡る
換気・換える
乾季・乾いた
思慮・遠慮
打撃・爆撃
杉林・杉板
削減・削る
納棺・棺

 登場する語句

国民学校 1941年に天皇の命令が出されて「尋常じんじょう小学校」は「国民学校」に変わった。子供たちは将来戦争で日本を支える人になるために、訓練をしたり、身体をきたえたりしなくてはいけなかった。
空襲 空襲とは、航空機で空から爆弾を落としたり、機関銃を撃ったりする襲撃しゅうげきのこと。
B29 アメリカの最新型の爆撃機。9トンもの爆弾を抱えて、時速640Kmで飛行できる
防空壕 防空壕は、空襲のような攻撃から、身を守るためのもの。太平洋戦争の頃に作られていた防空壕は、おもに地面に穴を掘ったものだった。
お乳 母乳のこと
おもゆ お粥の「うわずみ液」のこと。たくさんの水で煮て作ったお粥の、上の方の水分だけの部分のこと。
配給 戦争中は食べ物やモノが不足したので、あらかじめ「切符」を各家庭の人数に合わせて配って、その切符と引き換えに食べ物やモノを購入できるようにした。
とうてい どうやってみても。どうしても。
【本文】みんなにはとうていわからないでしょうが、
疎開 栄えた都市などは、空襲で狙われやすいため、身を守るために比較的安全な地方の都市などに移り住むこと。
はるばる 遠く離れている様子をあらわす言葉。
【本文】はるばる出かけてきた
桃源郷 俗世界を離れた、理想的な楽園のような場所のこと。
【本文】生まれて初めて見る、それは桃源郷でした。
胸をはずませる 喜びや期待でわくわくすること。
【本文】これからの生活に胸をはずませました。
三里 距離のこと。一里は約3.9キロメートルなので、三里は約12キロメートル。
栄養失調 健康でいるために身体が必要とするエネルギーや栄養が十分にとれないことで、不健康になること。
みとる 看取る。ここでは、亡くなる時を見守るという意味。
【本文】母と兄とお医者さん、看護婦さんにみとられて死んだ
とうとう 最後まで。ついに。
【本文】とうとう見ないままでした
ひもじい お腹が空いていること。
【本文】ひもじかったことと、弟の死は一生忘れません
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「大人になれなかった弟たちに・・・」
まとめ

まとめ
  • 戦時中の人々の暮らしや、戦争の厳しい状況を、本文から読み取れるようにしよう。
  • 登場人物の行動やセリフ、情景描写から人物の気持ちを読み取れるようにしよう。
  • 題名が「弟たち」となっているのは、自分の弟だけでなく、戦争の犠牲になった幼い子供たちみんなのことを読み手に思い起こしてほしいから。
  • 「ヒロユキ」がカタカナで書かれているのは、自分の弟だけではなく、戦争の犠牲になった幼い子供たちみんなのことを読み手に思い起こしてほしいから。
  • 「ヒロユキ」「ヒロシマ」「ナガサキ」がカタカナで書かれているのは、限定された言葉ではなく、戦争の悲劇を意味する特別な言葉だから。
参考:NHKアーカイブス「戦争証言」より「あの日 昭和20年の記憶」放送日2005年7月28日

yumineko
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