【中学歴史】ロシアの拡大とアメリカの発展をわかりやすく解説!南下政策・南北戦争・奴隷制
前の単元では、19世紀のヨーロッパで国民意識が高まり、ドイツやイタリアの統一、中南米諸国の独立が進んだことを学んだね。
この時代、ヨーロッパの国々は「自分たちの国を強くしたい」「もっと広い地域に影響力を持ちたい」と考えるようになっていったよ。
その中で大きく動いた国の一つがロシアなんだ。ロシアは広い領土を持つ国だったけれど、さらに南や東へ勢力を広げようとしたよ。
一方、アメリカ合衆国では、ヨーロッパからの移民が増え、西へ西へと開拓が進んでいったんだ。しかし、その発展の裏側では、先住民の土地が奪われたり、奴隷制をめぐる深刻な対立が起こったりしたよ。
この単元では、19世紀のロシアの拡大とアメリカの発展が、世界の歴史にどのような影響を与えたのかを見ていこう。

この記事でわかること
- ロシアが領土を広げようとした理由
- 南下政策とは何か
- クリミア戦争とロシアの東アジア進出
- アメリカ合衆国が西へ発展した流れ
- 先住民が受けた影響
- 奴隷制をめぐる南北の対立と南北戦争
- リンカンと奴隷解放宣言の意味
目次
19世紀の世界では何が起きていた?
19世紀は、世界の国々の力関係が大きく変わった時代だよ。
ヨーロッパでは産業革命が進み、工業力を持った国々が強くなっていったんだ。鉄道や蒸気船の発達によって、人や物の移動も活発になったよ。
そして、力をつけた国々は、原料や市場、領土を求めて海外へ目を向けるようになったんだ。
このような時代の中で、ロシアは南や東へ領土を広げようとし、アメリカ合衆国は西へ西へと発展していったよ。
ただし、「発展」と聞くとよいことばかりに思えるかもしれないけれど、その裏側には、土地を奪われた人々や、奴隷として働かされた人々の苦しみもあったんだ。
だからこの単元では、「国が大きくなる」という表面だけでなく、そこに関わった人々の立場や影響まで考えることが大切だよ。
ロシアはなぜ領土を広げようとした?
ロシアは、もともと広い領土を持つ国だったよ。けれど、17世紀のはじめごろまでのロシアは、ヨーロッパの強国と比べると、国のしくみや産業の発展が遅れている面もあったんだ。
ロシアの領土は北の寒い地域が多く、海に出るための港にも大きな問題があったよ。寒さのために冬に凍ってしまう港が多く、一年中使いやすい港を手に入れたいと考えたんだ。
国にとって港は、とても大切だよ。船で貿易をしたり、軍艦を出したり、外国とつながったりするために必要だからなんだ。
たとえば、お店を開きたいのに、道がふさがっていて商品を運べなかったら困るよね。ロシアにとって、一年中使える港は、世界とつながるための大切な出入り口だったんだ。
そのためロシアは、南の黒海方面や、東のシベリア・太平洋方面へ進出しようとしたよ。
たろう
くまごろう南下政策とは?

ロシアが南の地域へ進出しようとした政策を、南下政策というよ。
南下政策の大きな目的は、暖かくて一年中使いやすい港を手に入れることだったんだ。
ロシアは黒海方面へ進出し、さらに地中海へ出る道を求めようとしたよ。けれど、その動きはほかの国々に警戒されたんだ。
特に、黒海や地中海の周辺には、オスマン帝国やイギリス、フランスなどの利害が関係していたよ。ロシアが南へ出てくると、ほかの国々の貿易や軍事のバランスが崩れると考えられたんだ。
つまり南下政策は、「ロシアが港をほしい」という単純な話だけではなく、ヨーロッパや西アジアの国々の思惑がぶつかる問題でもあったんだよ。
南下政策のポイント
- ロシアが南の地域へ進出しようとした政策。
- 一年中使える港を求めたことが大きな理由。
- 黒海や地中海方面への進出をめざした。
- イギリスやフランスなどの警戒を招いた。
クリミア戦争とロシアの進路
ロシアの南下政策をめぐって起こった大きな戦争が、クリミア戦争だよ。
クリミア戦争は、1853年から1856年にかけて起こった戦争なんだ。ロシアが南へ進出しようとしたことに対して、イギリスやフランスなどが警戒し、オスマン帝国側を支援したよ。
ロシアから見ると、南へ出ていくための道を広げたいという思惑があったよ。一方で、イギリスやフランスから見ると、ロシアが地中海方面に影響力を広げることは、自分たちの貿易や植民地支配にも関わる大問題だったんだ。
そのため、ロシアとイギリス・フランスなどの対立は、ただの地域争いではなく、世界の勢力バランスをめぐる争いでもあったんだよ。
クリミア戦争でロシアは敗れ、南下政策は思うようには進まなかったよ。この経験から、ロシアはさらに東アジア方面にも関心を向けるようになったんだ。
また、この戦争では、イギリスの看護師ナイチンゲールが負傷兵の看護にあたり、近代看護の発展に大きな影響を与えた人物として知られているよ。
歴史では、戦争の勝敗だけでなく、その中で医療や看護、社会のしくみがどう変わったかにも目を向けると、できごとの見え方が広がるんだ。
ロシアの東アジア進出と日本への接近
ロシアは南へ進むだけでなく、東のシベリア方面にも領土を広げていったよ。
18世紀には、日本の近くにもロシア船が現れるようになったんだ。ロシアは北方の地域や太平洋方面にも関心を持ち、日本との関係を求めるようになっていったよ。
江戸時代の日本は、外国との交流を厳しく制限していたけれど、ロシアやアメリカ、イギリスなどの船が日本近海に近づくようになり、日本も世界の動きと無関係ではいられなくなっていったんだ。
19世紀になると、ロシアは東アジアにも勢力を伸ばそうとし、清や日本との関係にも影響を与えるようになったよ。
つまり、ロシアの拡大は、ヨーロッパだけの話ではないんだ。東アジア、そして日本の近代化にも関係していく大きな動きだったんだよ。
たろう
くまごろうアメリカ合衆国の発展
次に、アメリカ合衆国の発展を見ていこう。
アメリカ合衆国は、18世紀の終わりに独立したあと、19世紀に入ると急速に領土を広げていったよ。
ヨーロッパから多くの移民がやって来て、人口が増え、農業や工業も発展したんだ。
アメリカでは、「西へ進めば新しい土地やチャンスがある」と考える人々が増え、西部開拓が進んでいったよ。
しかし、その土地には、もともと先住民が暮らしていたんだ。開拓が進むということは、別の立場から見ると、先住民の生活の場が奪われるということでもあったよ。
だから、アメリカの発展は、移民や開拓者にとっては新しい生活の始まりだった一方で、先住民にとっては土地や生活を失う苦しい歴史でもあったんだ。
西部開拓と先住民への影響
19世紀のアメリカでは、西部への移住や開拓が進んだよ。
開拓者たちは、農地や新しい生活を求めて西へ向かったんだ。鉄道が建設されると、人や物の移動もさらに活発になったよ。
けれど、その過程で、先住民は土地を追われたり、移住を強制されたりしたんだ。
1830年には、先住民を東部から西の地域へ移住させるための法律が定められたよ。これをもとに、1830〜40年代にかけて、先住民の強制移住が進められていったんだ。
特に、1838〜1839年ごろに行われたチェロキー族の強制移住は、多くの人々が命を落とした悲しい出来事として知られているよ。この出来事は、涙の道と呼ばれているんだ。
「開拓」という言葉だけを見ると、何もない土地を切り開いたように感じてしまうかもしれないね。でも実際には、そこにはすでに暮らしていた人々がいたんだ。
歴史を学ぶときは、開拓を進めた側だけでなく、土地を奪われた側の視点も大切にしたいね。
西部開拓のポイント
- ヨーロッパからの移民が増え、人口が増加した。
- 人々は新しい土地や農地を求めて西へ移動した。
- 鉄道の発達も西部開拓を進めた。
- 先住民は土地を追われ、強制移住させられた。
- 1830年の法律をもとに、先住民の強制移住が進んだ。
- 涙の道は、特に1838〜1839年ごろのチェロキー族の強制移住を象徴する出来事。
アメリカ北部と南部の違い
アメリカ合衆国では、発展のしかたが北部と南部で大きく違っていたよ。
北部では、工業が発展し、工場で働く人々が増えていったんだ。移民も多く、都市や工業が発展していったよ。
一方、南部では、大農園で綿花などを栽培する農業が盛んだったんだ。この大農園をプランテーションというよ。
南部のプランテーションでは、多くの黒人奴隷が働かされていたよ。南部の農園主たちは、奴隷制を続けたいと考えていたんだ。
しかし北部では、工業の発展や人権意識の高まりもあり、奴隷制に反対する考えが強まっていったよ。
こうして、北部と南部の対立は、経済のしくみの違いだけでなく、奴隷制をめぐる社会の考え方の違いとして深まっていったんだ。
| 地域 | 経済の特徴 | 奴隷制への考え方 |
|---|---|---|
| 北部 | 工業が発展 | 奴隷制に反対する考えが強い |
| 南部 | 綿花などを栽培する大農園が発展 | 奴隷制を続けたい考えが強い |

南北戦争とは?
アメリカの北部と南部の対立は、やがて大きな戦争へ発展したよ。それが南北戦争なんだ。
南北戦争は、1861年から1865年にかけて起こった、アメリカ国内の戦争だよ。
対立の大きな原因の一つは、奴隷制を続けるかどうかだったんだ。北部は奴隷制に反対する立場が強く、南部は奴隷制を守ろうとしたよ。
南部では、綿花栽培の大農園で奴隷労働に大きく頼っていたため、奴隷制をなくすことは経済のしくみに大きな影響を与えると考えられていたんだ。
一方で北部では、工業が発展し、奴隷労働に頼らない経済のしくみが広がっていたよ。また、奴隷制は人間の自由や権利に反するという考え方も強まっていたんだ。
南北戦争は、単なる地域どうしの争いではなく、アメリカがどのような国になるのかをめぐる大きな対立だったんだよ。
リンカンと奴隷解放宣言
南北戦争のころのアメリカ大統領が、リンカンだよ。
リンカンは、奴隷制に反対する立場をとった人物として知られているんだ。
1863年、リンカンは奴隷解放宣言を出したよ。これは、南北戦争の意味を大きく変える重要な宣言だったんだ。
南北戦争は、はじめはアメリカ合衆国を一つに保つための戦いという面が強かったよ。けれど、奴隷解放宣言によって、奴隷制を終わらせるための戦いという意味も強まったんだ。
戦争は北部側の勝利で終わり、アメリカでは奴隷制が廃止されていったよ。
ただし、奴隷制が廃止されたからといって、人種差別がすぐになくなったわけではないんだ。黒人への差別や不平等は、その後も長く続いたよ。
つまり、南北戦争と奴隷解放宣言は大きな転換点だったけれど、平等な社会を実現するための課題はその後も残ったんだ。
たろう
くまごろう
この単元の大きな流れ
この単元では、ロシアとアメリカという二つの国の動きを学ぶよ。一見すると別々の話に見えるけれど、どちらも「国が外へ広がっていく時代」の動きとして見るとつながりが見えてくるんだ。
ロシアの拡大とアメリカの発展の流れ
- ロシアは、一年中使える港を求めて南や東へ進出しようとした。
- 南下政策をめぐって、クリミア戦争が起こった。
- ロシアは東アジアにも関心を向け、日本にも接近していった。
- アメリカ合衆国では、移民が増え、西部開拓が進んだ。
- 西部開拓の中で、先住民は土地を追われ、強制移住させられた。
- 北部と南部で経済のしくみが異なり、奴隷制をめぐる対立が深まった。
- 南北戦争が起こり、リンカンが奴隷解放宣言を出した。
- 北部が勝利し、アメリカは工業国としてさらに発展していった。
大切なのは、「大国が発展した」という結果だけでなく、その発展の裏でどのような人々が影響を受けたのかまで考えることだよ。
次の時代へどうつながる?
19世紀のロシアやアメリカの動きは、世界の力関係を大きく変えていくよ。
ロシアは東アジアにも進出しようとしたため、やがて日本や清との関係にも深く関わるようになるんだ。
アメリカ合衆国は、南北戦争後に工業国として大きく発展し、やがて世界の中でも重要な国になっていくよ。
一方で、ヨーロッパの国々も、産業革命で得た力を背景に、アジアやアフリカへ進出していくようになるんだ。
この流れは、次の単元で学ぶ欧米諸国のアジア進出や、日本の開国・近代化にもつながっていくよ。
つまり、この単元は、世界の国々がそれぞれ広がり、ぶつかり合う時代へ進んでいくための大切な準備になるんだ。
重要語句ミニ辞典
この単元でよく出る重要語句を整理しておこう。
| 用語 | 説明 |
|---|---|
| 南下政策 | ロシアが南の地域へ進出しようとした政策。一年中使える港を求めた。 |
| クリミア戦争 | 1853年から1856年にかけて起こった戦争。ロシアの南下政策をめぐり、イギリス・フランスなどがオスマン帝国側を支援した。 |
| ナイチンゲール | イギリスの看護師。クリミア戦争で負傷兵の看護にあたり、近代看護の発展に影響を与えた。 |
| 西部開拓 | アメリカ合衆国で、人々が新しい土地を求めて西へ移住し、開拓を進めたこと。 |
| 先住民 | ヨーロッパからの移民が来る前からアメリカ大陸で生活していた人々。 |
| 涙の道 | 1838〜1839年ごろのチェロキー族の強制移住を象徴する出来事。多くの人々が命を落とした。 |
| プランテーション | 南部で発達した、綿花などを栽培する大農園。 |
| 奴隷制 | 人を奴隷として所有し、自由を奪って働かせる制度。 |
| 南北戦争 | 1861年から1865年にかけて起こったアメリカ国内の戦争。奴隷制をめぐる北部と南部の対立が大きな原因だった。 |
| リンカン | 南北戦争時のアメリカ大統領。奴隷解放宣言を出した。 |
| 奴隷解放宣言 | 1863年にリンカンが出した宣言。南北戦争に、奴隷制を終わらせる戦いという意味を強めた。 |

テストで問われやすいポイント
テスト対策ポイント
- ロシアは、一年中使える港を求めて南下政策を進めた。
- 南下政策は、黒海や地中海方面への進出と関係している。
- ロシアの南下政策をめぐって、1853〜1856年にクリミア戦争が起こった。
- クリミア戦争では、イギリス・フランスなどがオスマン帝国側を支援した。
- ナイチンゲールは、クリミア戦争で負傷兵の看護にあたったイギリスの看護師。
- ロシアは東アジアにも関心を向け、日本にも接近していった。
- アメリカ合衆国では、ヨーロッパからの移民が増え、西部開拓が進んだ。
- 西部開拓の中で、先住民は土地を追われ、強制移住させられた。
- 1830年の法律をもとに、1830〜40年代に先住民の強制移住が進んだ。
- 涙の道は、特に1838〜1839年ごろのチェロキー族の強制移住を象徴する出来事。
- アメリカ北部では工業が発展し、奴隷制に反対する考えが強かった。
- アメリカ南部では綿花栽培のプランテーションが発展し、奴隷制を続けたい考えが強かった。
- 奴隷制をめぐる北部と南部の対立から、1861〜1865年に南北戦争が起こった。
- リンカンは南北戦争時の大統領で、1863年に奴隷解放宣言を出した。
- 南北戦争は北部側の勝利で終わり、アメリカは工業国としてさらに発展していった。
- 奴隷制が廃止されても、人種差別や不平等はその後も残った。
練習問題とドリルに挑戦しよう
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青山学院大学教育学科卒業。TOEIC795点。2児の母。2019年の長女の高校受験時、訳あって塾には行かずに自宅学習のみで挑戦することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。志望校の特待生クラストップ10位内で合格を果たす。 ※サイト全体の運営実績についてはこちらにまとめています。

