【中学歴史】イギリスとアメリカの革命をわかりやすく解説!議会政治・独立宣言・近代化の流れ
17世紀から18世紀のヨーロッパやアメリカでは、政治のしくみが大きく変わりはじめたよ。
それまでのヨーロッパでは、王や貴族が強い力を持ち、国の政治を動かしていることが多かったんだ。けれど、商業や貿易が発達すると、町の商人や地主、工場を経営する人々など、経済的に力を持つ人々も増えていったよ。
すると、「税金を払っているのに、政治に意見を言えないのはおかしい」「王が一人で何でも決めるのではなく、国民の代表が話し合って政治をするべきだ」という考え方が広がっていったんだ。
この単元では、イギリス革命とアメリカ独立革命を中心に、近代の政治のしくみがどのように生まれていったのかを見ていこう。

この記事でわかること
- 17世紀から18世紀のヨーロッパで、なぜ政治が変わりはじめたのか
- ロック、モンテスキュー、ルソーの考え方がなぜ重要なのか
- イギリス革命によって、政治のしくみがどう変わったのか
- アメリカ独立革命は、なぜ起こったのか
- イギリス革命とアメリカ独立革命が、現代の政治につながる理由
目次
近世ヨーロッパでは何が変わりはじめた?
17世紀から18世紀のヨーロッパでは、国と国の力関係が大きく変わっていったよ。
16世紀には、スペインやポルトガルが海外貿易で大きな力を持っていたんだ。けれど、その後はオランダが貿易で発展し、さらに17世紀後半から18世紀になると、イギリスとフランスが世界各地で勢力を広げていったよ。
イギリスとフランスは、北アメリカやインドなどで植民地をめぐって争ったんだ。つまり、ヨーロッパの国どうしの競争は、ヨーロッパの中だけではなく、世界各地に広がっていったんだよ。
このような時代には、貿易や植民地から利益を得る商人たちが力をつけていったよ。お金を持つ市民や商人が増えると、だんだん「政治にも自分たちの意見を反映させたい」と考えるようになったんだ。
たとえば、学校でクラスの活動費をみんなで出しているのに、使い道を先生や一部の人だけが勝手に決めていたら、「自分たちにも話し合いに参加させてほしい」と思うよね。
この時代の市民たちも、それに近い不満を持つようになっていったんだ。税金を払っているのに、政治は王や貴族が決める。このことへの疑問が、やがて革命につながっていくよ。
たろう
くまごろう新しい政治の考え方が生まれた
このころのヨーロッパでは、政治についての新しい考え方も広がっていったよ。
それまでの社会では、「王は神から特別な力を与えられている」「王が国を治めるのは当然だ」と考えられることも多かったんだ。けれど、学問や思想が発展すると、「本当に王が一人で政治を決めてよいのかな」と疑問を持つ人々が現れたよ。
その代表的な思想家が、ロック、モンテスキュー、ルソーなんだ。
| 人物 | 時代・地域 | 主な考え方 |
|---|---|---|
| ロック | 17世紀のイギリス | 人々は生まれながらに自由や権利を持ち、政府がそれを守らないときは抵抗できると考えた。 |
| モンテスキュー | 18世紀のフランス | 権力が一か所に集中しないよう、権力を分ける考え方を示した。これは三権分立につながる。 |
| ルソー | 18世紀の思想家。ジュネーヴ生まれで、フランス語で著作を残した。 | 政治は人々の意思にもとづいて行われるべきだと考え、人民主権や社会契約説の考え方に影響を与えた。 |
これらの考え方は、王や貴族が中心だった政治に大きな疑問を投げかけたんだ。
「人々には自由や権利がある」「政治は国民のために行われるべきだ」「権力を一人に集中させると危険だ」という考えは、のちのイギリスやアメリカ、フランスの政治に大きな影響を与えていくよ。
ここで押さえよう
- ロックは、17世紀のイギリスの思想家。
- モンテスキューは、18世紀のフランスの思想家。
- ルソーは、ジュネーヴ生まれで、フランス語で著作を残した思想家。
- ロック、モンテスキュー、ルソーの思想は、イギリス革命、アメリカ独立革命、フランス革命と深く関係している。
イギリス革命はなぜ起こった?
イギリスでは、17世紀に王と議会の対立が強まったよ。
当時のイギリスでは、王が強い権力を持とうとしていたんだ。一方で、議会は「税金や政治の重要なことは、王が一人で決めるのではなく、議会で話し合うべきだ」と考えていたよ。
ここでの対立は、ただのけんかではないんだ。王は「国を治める権力は王にある」と考え、議会側は「国民の代表である議会の同意が必要だ」と考えていた。政治を動かす中心が、王なのか、議会なのかをめぐる対立だったんだよ。
この対立が激しくなり、イギリスでは革命が起こったんだ。中学歴史では、ピューリタン革命と名誉革命を個別に押さえることが大切だよ。
たろう
くまごろうピューリタン革命とは?
17世紀半ば、イギリスでは王と議会の対立が内戦に発展したんだ。これがピューリタン革命だよ。
このとき議会側を率いた人物が、クロムウェルなんだ。クロムウェルは、王の軍を破り、国王チャールズ1世は処刑された。そしてイギリスは、一時的に王のいない共和政になったんだよ。
王を処刑するというのは、当時としては非常に大きな出来事だったんだ。なぜなら、ヨーロッパでは王が特別な存在と考えられていたからだよ。
けれど、議会側の人々からすれば、王が勝手に政治を行い、税を集めようとすることは見過ごせなかったんだ。王であっても、法律や議会を無視してよいわけではない、という考え方が強まっていたんだよ。
ただし、ピューリタン革命のあと、イギリスですぐに安定した議会政治が完成したわけではないよ。クロムウェルの政治にも強い権力があり、その後、王政が復活することになるんだ。
つまり、ピューリタン革命は、王の力をおさえる大きな一歩だったけれど、イギリスの政治のしくみが完成するまでには、まだ時間が必要だったんだよ。
名誉革命と権利章典
ピューリタン革命のあと、イギリスでは王政が復活したよ。けれど、再び王と議会の対立が起こったんだ。
そこで1688年、議会は王を退位させ、オランダ総督ウィリアムを新しい王ウィリアム3世として迎えたんだ。ウィリアム3世は、イギリス王女メアリー2世とともに即位したよ。このとき、大きな流血をともなわずに政治体制が変わったため、この出来事は名誉革命と呼ばれているんだ。
そして1689年、議会は権利章典を定めたよ。権利章典では、王が議会を無視して政治を行ったり、勝手に税を集めたりすることを制限したんだ。
つまり、権利章典は「王も議会のルールに従わなければならない」ということをはっきりさせたものなんだよ。
これによって、イギリスでは王が存在しながらも、議会が政治の中心となるしくみが発展していったんだ。
イギリス革命の流れ
| 出来事 | 内容 | ポイント |
|---|---|---|
| ピューリタン革命 | 王と議会の対立が内戦となり、クロムウェルが議会側を率いた。 | 王の力をおさえようとする動きが強まった。 |
| 王政復活 | ピューリタン革命後、王政が復活した。 | 議会政治がすぐに完成したわけではなかった。 |
| 名誉革命 | 議会が王を退位させ、ウィリアム3世とメアリー2世が即位した。 | 大きな流血をともなわずに政治体制が変わった。 |
| 権利章典 | 王が議会を無視して政治を行うことを制限した。 | 議会政治の発展につながった。 |




