「大化の改新」期末テスト対策ポイントまとめ
このページでは、中学歴史「大化の改新」について、中学で覚えなきゃいけないことに絞って解説するよ。
中学の歴史は、小学校で習う内容に「さらにエピソードがプラスされたり」、「もっと詳しくなっている」ので、まずは小学校の歴史を理解することが大事だよ。
このサイトの「6年生社会」では、小学校で習う「大化の改新」の解説ページもあるので、合わせて読んでみてね!
まずは小学校で習うことをチェックしておこう!
- 改革が必要だったもうひとつの理由
- 「公地公民」という言葉
- 白村江の戦いのこと
「プラスされる学習」の前に、まずはサクッと大化の改新のことをおさらいしておこう!
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「大化の改新」
基本知識をおさらい!
「大化の改新」ってなんだっけ?
ザックリいうと
「大化の改新」とは、645年に起こった「改革」のこと。
「改革」というのは、なにかを改めて変えること。
つまり、改めて新しいものにするということだね。
この改革で、「大化」という日本で初めての「年号」も定めた。
というワケで、「大化」に起こった「改新」だから、「大化の改新」というんだよ。
なんで改革する必要があったんだっけ?
ザックリいうと
やりたい放題の蘇我氏をやっつけて、天皇中心の国を作るため!
飛鳥時代には、蘇我氏が力を持ちすぎて「やりたい放題」していたよね。
なんと皇子のことまで殺害してしまうヤバさだった。
「このままでは自分も殺されてしまう!」と、蘇我氏の力を抑えて天皇中心の国を作るために中大兄皇子と、有力な豪族の中臣鎌足が協力して645年に蘇我入鹿を倒したんだ。
この事件を「乙巳の変」と呼ぶんだよね。
どんな改革をしたんだっけ?
ザックリいうと
土地や民を「国のもの」にした!
蘇我氏を倒したあと、中大兄皇子はもう豪族が力を持ちすぎることがないように、それまで豪族が支配していた土地や民を、「国のもの」とすることにしたんだよね。
土地や民を「国のもの」としたというところが、「改革」なんだね。
ざっと大化の改新の復習ができたら、いよいよ「中学でプラスされる学習」について解説するよ!
プラスされる学習①
「改革が必要だったもうひとつの理由」
中国や朝鮮に対抗できるように、日本をまとめる必要があった!
小学校の「大化の改新」では、蘇我氏がやりたい放題しすぎて倒された、とだけ学習したよね。
中学では、日本の外の事情(中国とか朝鮮などの日本の周りの国のこと)まで学習するよ。
中国では唐がパワーアップ
飛鳥時代には、中国は「随」という国が統一していたよね。
聖徳太子が「遣隋使」を送っていた国だね。
でもこの「随」は618年に滅びて、今度は「唐」という国が中国を統一したんだ。
唐が高句麗に攻撃開始
この「唐」という国が、どんどん力をつけて行って、645年に朝鮮の「高句麗」を攻撃し始めたんだ。
日本もちゃんとしておかなきゃ危なくない?
唐にはすでに日本から「遣唐使」が派遣されていて、唐で勉強してきた人がいた。
その人たちから唐の進んだ政治を学んでいた中大兄皇子と中臣鎌足は、「日本(倭)※も唐のように政治体制をちゃんとしておかないと、対抗できない!」と考えたんだね。
※このころはまだ「日本」という国名ではなく、「倭」と呼ばれていたね。
キーワードは「中央集権」
中央集権というのは、国の政治をする「権利やお金」などが「中心」に「集まる」ということ。
この「中心」は、日本の場合「朝廷」や「天皇」ということだね。
でも実際は、蘇我氏が天皇よりも権力を持ってしまったりしていたよね。
権力が朝廷や天皇以外にいってしまうということは、「バラバラ状態」ということなんだね。
中大兄皇子と中臣鎌足は、中国や朝鮮の国に対抗できるような強い国をつくるために、日本を「中央集権国家」にしようと考えて蘇我氏を倒す必要があった んだね。
プラスされる学習②
「公地公民」について
「土地や民は、国のものにします!」=「公地公民」
大化の改新で、今まで豪族が支配していた土地や民は、すべて「国のもの」にすることになった、と学習していたよね。
これを「公地公民」という、ということをプラスで覚えればいいだけだよ。
ちなみに、それまでの「豪族や皇室が、それぞれ土地や民を支配していた」状態のことは「私地私民」 というよ。
どうやって発表したの?
大化の改新は645年だね。
その翌年の646年に「改新の詔」という「天皇からの言葉」を発表したよ。
そこに、「土地や民は、すべて国のものにする」という文があるんだ。
でもすぐには実現しなかった!
とはいえ、そう簡単にすぐ実現するわけにはいかなくて、670年に「誰がどこに住んでいるか」を把握するための戸籍が全国的に作られて、さらに701年(大宝元年)に、「大宝律令」という法律が作られて確実なものになったんだ。
大宝律令については、次のページで学習するよ!
プラスされる学習③
「白村江の戦い」について
百済のために、唐と戦った!
唐はどんどん力をつけて、660年には新羅と連合して百済と高句麗を滅ぼしてしまったんだ。
百済と仲良くしていた日本(倭)は、百済をもういちど復活させようと、663年に朝鮮半島へ兵を出して、唐と新羅の連合軍と戦ったよ。
この戦いを「白村江(はくすきのえ)の戦い」というんだ。
朝鮮半島にある「白村江」という場所で戦ったから、「白村江の戦い」だね。
ちょっと待って。
なんで日本って百済と仲良くしていたんだっけ?
中学歴史「古墳時代」で解説したのは覚えているかな?
大和政権は、朝鮮半島からとれる鉄をめぐって、朝鮮の高句麗と対立していたね。
朝鮮の百済も、高句麗とは対立していたので、「敵の敵は味方」ということで、大和政権と百済は同盟を結んでいたんだよ。
白村江の戦いで負けてしまった日本
でも唐と新羅の連合軍はとても強くて、日本(倭)は負けてしまった。
また襲われた時のために、準備しておこう・・
白村江の戦いで負けてしまったということは、唐や新羅が、今度は日本(倭)に攻めて来るかもしれないよね。
その時のために、中大兄皇子は「山城(やまじろ)」や「水城(みずき)」を作って守りを固めたんだ。
他にも、九州の北部に「防人(さきもり)」という兵士を配置したよ。
中国や朝鮮から日本に攻めて来る時は、九州の北部から攻め込んでくる可能性が高いからだね。
唐や新羅に対抗するためにも、天皇に即位して政治に力を入れよう!
さらに、それまで「皇子」のまま動いていた中大兄皇子だったけど、唐や新羅に対抗するために、「もっと日本(倭)の政治に力をいれなければ!」と、とうとう668年に即位して「天智天皇」になったんだよ。
天智天皇になった中大兄皇子は、国の力をつけるために税や兵士を集めるためにも、「戸籍」を作ったんだ。
↓
・唐が力をつけ始める(恐い!)
↓
・中大兄皇子「中央集権国家を目指して日本も力をつけよう!」
↓
・蘇我氏を倒して、大化の改新
↓
・改新の詔で、「公地公民」を発表
↓
・唐と新羅の連合軍が百済を滅ぼす
↓
・仲良しの百済のために唐&新羅と戦う!(白村江の戦い)
↓
・負けてしまったので、山城&水城&防人で防御!
↓
・天皇に即位して、戸籍を作って政治に力を入れる
・645年 大化の改新 唐が新羅と連合して高句麗に攻撃
・646年 改新の詔
・660年 唐が百済を滅ぼす
・663年 白村江の戦い
・668年 中大兄皇子が天皇に即位 唐が高句麗を滅ぼす
・670年 全国的に戸籍を作る
中学歴史ではココを押さえればOK!
大化の改新まとめ
・随を滅ぼして、唐が中国を統一した。
・中大兄皇子と中臣鎌足は、中央集権の国を目指して、蘇我氏を倒した。
・初の年号「大化」を定めて、政治の「改新」を行った。(大化の改新)
・改新の詔で、公地公民を発表した。
・唐が新羅と連合して、百済を滅ぼした。
・百済を復活させるために、朝鮮へ兵を出した(白村江の戦い)
・唐や新羅から守るために、山城、水城を作り、九州北部に防人を置いた。
・中大兄皇子が即位して天智天皇になった。
・全国的に戸籍を作った。
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ゆみねこ
詳しいプロフィールを見る
青山学院大学教育学科卒業。TOEIC795点。2児の母。2019年の長女の高校受験時、訳あって塾には行かずに自宅学習のみで挑戦することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。志望校の特待生クラストップ10位内で合格を果たす。

分かりやすいです!
鎌倉時代あたりも見てみたいです!!