飛鳥時代に活躍した聖徳太子。
聖徳太子が亡くなってしまったあと、朝廷はどうなってしまったのか?
このページでは、「大化の改新」が起きた原因と、その後どう日本が変わっていったかを解説するよ!
飛鳥時代に聖徳太子が何をしたかピンと来ない場合はココを読もう!
- 蘇我氏が倒されちゃうけど、蘇我氏って悪者なの?
- 蘇我氏を倒した中大兄皇子とか、中臣鎌足って何者?なんでその2人が倒すの?
- なんで「大化の改新」っていうの?大化って??
- 大化の改新で何が変わったの??
蘇我氏ってなんで倒されちゃったの?
蘇我氏がますます やりたい放題したから!!
聖徳太子の作戦も、蘇我氏にはイミなし
飛鳥時代にどんどん力をつけた蘇我氏。
でも聖徳太子は天皇を中心とした国にしたいと考えていたよね。
聖徳太子が亡くなってしまうと、もう誰も止められない状態に
それで、聖徳太子が病気で622年に亡くなってしまうと、ますます蘇我氏はやりたい放題。

この蘇我蝦夷と蘇我入鹿、これからも力を持ち続けるには「天皇」が出来るだけ蘇我氏の血筋が入っていて、自分たちの思い通りに動いてくれる人になることが必要だと考えたんだ。

蘇我入鹿「よし、邪魔な皇子を殺してしまおう!」
これからも力を持ち続けるには「天皇」が出来るだけ蘇我氏の血筋が入っていて、自分たちの思い通りに動いてくれる人になることが必要なんだよね。
逆にいえば、「そうじゃない人は邪魔だなぁ」と考えたんだ。
この時、蘇我氏にとって邪魔になってしまった皇子が
聖徳太子の息子だった「山背大兄王」なんだ。
聖徳太子も、もともと天皇の息子だったんだから、その息子も皇子(天皇になる資格がある人)だよね。

こういうワケだった!
- 聖徳太子の作戦では蘇我氏の力が抑えられなかった
- 聖徳太子が亡くなると、ますますやりたい放題
- とうとう皇子まで殺してしまった!!→蘇我氏ヤバすぎるだろ!
なんで中大兄皇子と中臣鎌足が倒したの?
中大兄皇子「やられる前にやるしかない!」
中臣鎌足「蘇我氏め、許せん!」
次は俺があぶないよね・・
山背大兄王が蘇我入鹿に殺されてしまって、「次は自分が狙われるんじゃないか?」と思ったのが、この時の天皇だった舒明天皇の息子の「中大兄皇子」だ。

そうなると、中大兄皇子が「邪魔だなぁ・・」となってしまうよね。
蘇我氏を許せない男 中臣鎌足
いっぽう、蘇我氏のあまりのやりたい放題さに、他の豪族たちも「ふざけるな!」という状態。
中でも、有力な豪族だった中臣氏の中臣鎌足は、もともと政治について勉強をしていた人で、「このまま蘇我氏を好き放題にさせるもんか!」とたちあがった。

中大兄皇子&中臣鎌足「よし!一緒に蘇我氏を倒そう!」
そこで、中臣鎌足はおなじく「打倒蘇我氏!」と燃えていた中大兄皇子と協力することにしたというワケ。
こういうワケだった!
- 次に蘇我氏に命を狙われると思ったのは中大兄皇子だったから
- 政治の勉強をしていた中臣鎌足は、蘇我氏のやりたい放題さが許せなかったから
- 「打倒蘇我氏」同士で、中大兄皇子と中臣鎌足が協力することになった
なぜ大化の改新というの?
蘇我氏を倒して、新しい政治を始めた→「改新」
年号を使うようになって、最初の年号が大化になったから→「大化の改新」
中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我氏をやっつける
645年の6月12日、朝廷で大切な行事があって、蘇我入鹿も出席していた。
そこで中大兄皇子と中臣鎌足は入鹿に突然襲いかかって、やっつけることに成功。
そのことを知ったお父さんの蝦夷も、「もう蘇我氏がこれからもやっていくのは無理だ」と諦めて、自殺をしてしまった。

★大化の改新で中心となった2人の「後の名前」は何かを答える問題が期末テストに出た学校があるよ!
中大兄皇子は668年に天皇に即位して、「天智天皇」になったよ。
中臣鎌足は大化の改新でも活躍したし、中大兄皇子のためにとてもよく働いてくれたので、「藤原」という「氏」を新しくもらって、「藤原鎌足」と名乗るようになるよ。
なのでこの問題の答えは、「天智天皇」と「藤原鎌足」だね。
この事件の名前は実は「乙巳の変」
この暗殺事件をキッカケに、色々政治の革命が起こったから、「大化の改新」に繋がったということだよ。
新しい政府が誕生
みごと蘇我氏をやっつけた中大兄皇子と中臣鎌足は、新しい政府を作ったよ。
目指したのはやっぱり「天皇中心の国づくり」。
日本オリジナルの元号を定めた
「昭和」とか「平成」のような「元号※」が、この時初めて定められたんだ。
日本初の元号は「大化」になった。 なので、この時の新しい国づくりのことを「大化の改新」と言うよ。
※この頃はまだ元号と言わず、年号と言っていたよ。年号と元号は同じ意味。明治時代から天皇の一代にひとつの年号を定めることになって、この頃から「元号」と呼ぶようになったんだ。
※イメージです(笑)
※他のタイミングだったという説もあるので、参考にだけしてね。
余裕があったら読もう!
なぜ元号を作ったのか?
中国は紀元前から元号を使っていた。
中国はこのころアジアで一番の大国だったので、他の国に貢ぎ物をさせるような立場だった。
そんな中国の元号を、他の国も使わされていたりしていたんだ。
でも、聖徳太子のころから日本は「日本も中国に対等になってやる!」という考えで中国の元号を使わなかった。
そしてとうとう、大化の改新で日本独自の「元号」を作ったんだ。
つまり、日本は中国の手下なんかではなく、ひとつの独立した「国」であるというアピールでもあったんだね。
こういうワケだった!
- 蘇我氏を倒して新しい政府を作った!→「改新」
- 新しい政府では、日本オリジナルの元号を使うことにした
- 最初の元号を「大化」にした
- 「大化」に「改新」されたから、「大化の改新」!
大化の改新で、何がどう変わったの?
土地と民を国のものにした
今までは、各地に栄えた豪族がいて、その土地の人々(民)や土地は、その豪族が支配していたよね。
その土地と民を、すべて「国のもの」にしたんだ。
こうして、豪族がまた力をつけすぎることのないようにしたんだね。

「誰がどの土地をもっているか」管理しなきゃ!
まず、「戸籍(こせき)」を作ったよ。
戸籍というのは、「誰がどこに住んでいるのか」をあらわすもの。
その戸籍をもとにして、それぞれにお米を耕すための田んぼを分け与えたんだ。
そしてその田んぼで採れたお米の何割かを「税」として国に収めさせたんだよ。
これで「民」も「土地」も国が支配することになるね。
こういうワケだった!
- もう豪族が力を持ちすぎることがないようにしよう!
- 土地と民は「国のもの」!
- 誰がどの土地を持っているか管理しなきゃ!
- 民に土地を与えて、「戸籍」も作った!
- 戸籍をもとにして、民から「税」をとることにした!
聖徳太子もいなくなってしまって、ストッパーがなくなった蘇我氏はやりたい放題。天皇中心の政治ができなくなる?
↓
そんなことは許さないと、中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我氏を倒す
↓
もう豪族が力をつけすぎないように、民や土地はすべて国が管理することにする。
↓
日本も独自の元号をつけて、「独立した国」を意識
↓
色々なことが政治の上で新しくなったので、これらの改革をこの時の元号にちなんで「大化の改新」と呼ぶ
6年生はココを押さえればOK!
まとめ
622年 聖徳太子がなくなる
645年 大化の改新がおこる
※赤いキーワードは必ず覚えよう!
- 聖徳太子亡き後、蘇我氏がますますやりたい放題。
- 中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我氏を倒す日本初の元号(大化)を定めた
- 土地と民を、豪族のものから国のものにした
- 民は国へ税を支払わなくてはならなくなった
- 地方は、朝廷から送られた役人が支配した
- これらの新しい国づくりを「大化の改新」と呼ぶ

