「推古天皇と厩戸王の改革」テスト対策練習問題と過去問まとめ
高校日本史で学習する、「推古天皇と厩戸王の改革」のテストでよく出る問題をまとめているよ。
この単元では、推古天皇の即位、厩戸王(聖徳太子)と蘇我馬子、冠位十二階、憲法十七条、遣隋使、そして中央集権国家への流れを理解することが大切だよ。
特に、593年の推古天皇即位、603年の冠位十二階、604年の憲法十七条、607年の小野妹子の遣隋使は、年号と内容をセットで押さえておこう。
まずは解説を確認してからチャレンジする場合は、「推古天皇と厩戸王の改革」解説ページをチェックしよう。
目次
「推古天皇と厩戸王の改革」テスト対策練習問題
重要語句の問題
次の文の( )に入る重要語句を答えなさい。
問1
593年に即位し、厩戸王や蘇我馬子とともに政治を進めた天皇を( )という。
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答え:推古天皇
【解説】推古天皇は、593年に即位した天皇だよ。推古天皇のもとで、厩戸王と蘇我馬子が政治を支えたことを押さえよう。
【解説】推古天皇は、593年に即位した天皇だよ。推古天皇のもとで、厩戸王と蘇我馬子が政治を支えたことを押さえよう。
問2
推古天皇のもとで政治に関わり、後世に聖徳太子と呼ばれるようになった人物を( )という。
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答え:厩戸王
【解説】厩戸王は、後世に聖徳太子と呼ばれるようになった人物だよ。教科書によって「聖徳太子」「厩戸王(聖徳太子)」など表記が異なることがあるので、学校の教科書に合わせて確認しよう。
【解説】厩戸王は、後世に聖徳太子と呼ばれるようになった人物だよ。教科書によって「聖徳太子」「厩戸王(聖徳太子)」など表記が異なることがあるので、学校の教科書に合わせて確認しよう。
問3
587年に物部守屋を滅ぼし、推古朝で大きな政治的影響力を持った豪族を( )という。
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答え:蘇我馬子
【解説】蘇我馬子は、物部守屋を滅ぼしたあと、推古天皇の時代に大きな政治的影響力を持った豪族だよ。
【解説】蘇我馬子は、物部守屋を滅ぼしたあと、推古天皇の時代に大きな政治的影響力を持った豪族だよ。
問4
603年に定められ、役人に十二段階の位を与えた制度を( )という。
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答え:冠位十二階
【解説】冠位十二階は、氏族ではなく個人に位を与え、能力や功績を評価しようとした制度だよ。
【解説】冠位十二階は、氏族ではなく個人に位を与え、能力や功績を評価しようとした制度だよ。
問5
604年に定められた、役人の道徳的な心構えを示したものを( )という。
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答え:憲法十七条
【解説】憲法十七条は、現代の憲法とは違い、国民の権利を定めたものではないよ。役人の道徳的な心構えを示したものとして押さえよう。
【解説】憲法十七条は、現代の憲法とは違い、国民の権利を定めたものではないよ。役人の道徳的な心構えを示したものとして押さえよう。
問6
憲法十七条の有名な言葉で、話し合いや調和を大切にする考えを示す表現は「( )を以て貴しとなす」である。
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答え:和
【解説】「和を以て貴しとなす」は、憲法十七条の有名な言葉だよ。「和」は話し合いや調和を大切にする考えとして理解しよう。
【解説】「和を以て貴しとなす」は、憲法十七条の有名な言葉だよ。「和」は話し合いや調和を大切にする考えとして理解しよう。
問7
隋へ派遣された使節を( )という。
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答え:遣隋使
【解説】遣隋使は、隋との外交や大陸の制度・文化を学ぶことを目的として派遣された使節だよ。
【解説】遣隋使は、隋との外交や大陸の制度・文化を学ぶことを目的として派遣された使節だよ。
問8
607年に遣隋使として隋へ派遣された人物を( )という。
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答え:小野妹子
【解説】607年の遣隋使では、小野妹子が隋へ派遣されたよ。「日出づる処の天子」の国書とセットで問われやすいよ。
【解説】607年の遣隋使では、小野妹子が隋へ派遣されたよ。「日出づる処の天子」の国書とセットで問われやすいよ。
問9
607年の遣隋使の国書を受け取った隋の皇帝を( )という。
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答え:煬帝
【解説】隋の皇帝・煬帝は、「日出づる処の天子」の国書を受け取った人物として重要だよ。
【解説】隋の皇帝・煬帝は、「日出づる処の天子」の国書を受け取った人物として重要だよ。
問10
「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」という国書を持って派遣された使節は( )である。
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答え:遣隋使
【解説】この国書は、ヤマト政権が隋に従属するだけでなく、独立した国として外交しようとした姿勢を示すものとして重要だよ。
【解説】この国書は、ヤマト政権が隋に従属するだけでなく、独立した国として外交しようとした姿勢を示すものとして重要だよ。
問11
大陸で学んだ人物で、中大兄皇子・中臣鎌足の師として知られる人物を( )という。
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答え:南淵請安
【解説】南淵請安は、中大兄皇子・中臣鎌足の師として知られる人物だよ。のちの大化改新につながる学びの流れとして重要だね。
【解説】南淵請安は、中大兄皇子・中臣鎌足の師として知られる人物だよ。のちの大化改新につながる学びの流れとして重要だね。
問12
大陸で学び、大化改新後に国博士として政治改革に関わった人物の一人を( )という。読みは「たかむこのくろまろ」である。
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答え:高向玄理
【解説】高向玄理は、大陸で学び、大化改新後に国博士として政治改革に関わった人物だよ。
【解説】高向玄理は、大陸で学び、大化改新後に国博士として政治改革に関わった人物だよ。
問13
学問僧として大陸で学び、大化改新後に国博士として活動した人物を( )という。
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答え:旻
【解説】旻は「みん」と読むよ。学問僧として大陸で学び、大化改新後に国博士として活動した人物として押さえよう。
【解説】旻は「みん」と読むよ。学問僧として大陸で学び、大化改新後に国博士として活動した人物として押さえよう。
問14
630年に遣唐使として派遣された人物を( )という。
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答え:犬上御田鍬
【解説】犬上御田鍬は、630年に遣唐使として派遣された人物だよ。遣隋使から遣唐使へ、大陸に学ぶ流れが続いていくことを押さえよう。
【解説】犬上御田鍬は、630年に遣唐使として派遣された人物だよ。遣隋使から遣唐使へ、大陸に学ぶ流れが続いていくことを押さえよう。
問15
645年に中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿を倒した事件を( )という。
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答え:乙巳の変
【解説】乙巳の変は、645年に中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿を倒した事件だよ。その後に進められた政治改革を大化改新というよ。
【解説】乙巳の変は、645年に中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿を倒した事件だよ。その後に進められた政治改革を大化改新というよ。
問16
乙巳の変の後に進められた、天皇中心の政治をさらに進めようとした政治改革を( )という。
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答え:大化改新
【解説】大化改新は、乙巳の変の後に進められた政治改革だよ。推古朝の改革は、大化改新や律令国家形成につながる前段階として重要なんだ。
【解説】大化改新は、乙巳の変の後に進められた政治改革だよ。推古朝の改革は、大化改新や律令国家形成につながる前段階として重要なんだ。
推古天皇と厩戸王の政治
問1
推古天皇の時代の政治について、最も適切なものを選びなさい。
ア:推古天皇のもとで、厩戸王や蘇我馬子が政治を支えた。
イ:推古天皇は隋の皇帝として中国を統一した。
ウ:推古天皇は加耶諸国を新羅に併合した。
エ:推古天皇の時代には、遣隋使や冠位十二階は行われなかった。
ア:推古天皇のもとで、厩戸王や蘇我馬子が政治を支えた。
イ:推古天皇は隋の皇帝として中国を統一した。
ウ:推古天皇は加耶諸国を新羅に併合した。
エ:推古天皇の時代には、遣隋使や冠位十二階は行われなかった。
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答え:ア
【解説】推古天皇のもとで、厩戸王や蘇我馬子が政治を支えたよ。推古天皇・厩戸王・蘇我馬子の3人をセットで押さえよう。
【解説】推古天皇のもとで、厩戸王や蘇我馬子が政治を支えたよ。推古天皇・厩戸王・蘇我馬子の3人をセットで押さえよう。
問2
厩戸王について、最も適切な説明を選びなさい。
ア:厩戸王は、607年に国書を受け取った隋の皇帝である。
イ:厩戸王は、後世に聖徳太子と呼ばれるようになった人物で、推古天皇のもとで政治に関わった。
ウ:厩戸王は、562年に加耶諸国を併合した新羅の王である。
エ:厩戸王は、630年に遣唐使として派遣された人物である。
ア:厩戸王は、607年に国書を受け取った隋の皇帝である。
イ:厩戸王は、後世に聖徳太子と呼ばれるようになった人物で、推古天皇のもとで政治に関わった。
ウ:厩戸王は、562年に加耶諸国を併合した新羅の王である。
エ:厩戸王は、630年に遣唐使として派遣された人物である。
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答え:イ
【解説】厩戸王は、後世に聖徳太子と呼ばれるようになった人物だよ。近年の教科書では「厩戸王(聖徳太子)」のように表記されることもあるよ。
【解説】厩戸王は、後世に聖徳太子と呼ばれるようになった人物だよ。近年の教科書では「厩戸王(聖徳太子)」のように表記されることもあるよ。
問3
推古朝の改革が必要になった背景として、最も適切なものを選びなさい。
ア:ヤマト政権が完全に地方支配を終え、もう制度改革が必要なくなったため。
イ:豪族同士の政治を続けるだけで、隋や朝鮮半島の国々に十分対応できたため。
ウ:隋の中国統一など東アジア情勢が変化し、国としてまとまる必要が高まったため。
エ:推古天皇が遣唐使として唐へ渡ったため。
ア:ヤマト政権が完全に地方支配を終え、もう制度改革が必要なくなったため。
イ:豪族同士の政治を続けるだけで、隋や朝鮮半島の国々に十分対応できたため。
ウ:隋の中国統一など東アジア情勢が変化し、国としてまとまる必要が高まったため。
エ:推古天皇が遣唐使として唐へ渡ったため。
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答え:ウ
【解説】589年に隋が中国を統一し、東アジアの国際環境が大きく変化したよ。ヤマト政権も国のしくみを整える必要を強く意識するようになったんだ。
【解説】589年に隋が中国を統一し、東アジアの国際環境が大きく変化したよ。ヤマト政権も国のしくみを整える必要を強く意識するようになったんだ。
問4
推古天皇の即位に関する説明として、最も適切なものを選びなさい。
ア:推古天皇は、603年に冠位十二階を受けた役人の一人だった。
イ:推古天皇は、587年に物部守屋を滅ぼした豪族だった。
ウ:推古天皇は、630年に遣唐使として派遣された人物だった。
エ:推古天皇は、593年に即位した女性天皇である。
ア:推古天皇は、603年に冠位十二階を受けた役人の一人だった。
イ:推古天皇は、587年に物部守屋を滅ぼした豪族だった。
ウ:推古天皇は、630年に遣唐使として派遣された人物だった。
エ:推古天皇は、593年に即位した女性天皇である。
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答え:エ
【解説】推古天皇は593年に即位した女性天皇だよ。敏達天皇の皇后だった人物としても知られているよ。
【解説】推古天皇は593年に即位した女性天皇だよ。敏達天皇の皇后だった人物としても知られているよ。
冠位十二階の問題
問1
冠位十二階の説明として、最も適切なものを選びなさい。
ア:603年に定められ、役人に十二段階の位を与えた制度である。
イ:604年に定められた、国民の権利を保障する現代的な憲法である。
ウ:607年に小野妹子が隋へ持っていった国書である。
エ:630年に唐へ派遣された使節である。
ア:603年に定められ、役人に十二段階の位を与えた制度である。
イ:604年に定められた、国民の権利を保障する現代的な憲法である。
ウ:607年に小野妹子が隋へ持っていった国書である。
エ:630年に唐へ派遣された使節である。
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答え:ア
【解説】冠位十二階は603年に定められた制度だよ。役人に十二段階の位を与えたこと、個人の能力や功績を評価しようとしたことが重要だよ。
【解説】冠位十二階は603年に定められた制度だよ。役人に十二段階の位を与えたこと、個人の能力や功績を評価しようとしたことが重要だよ。
問2
冠位十二階の特徴として、最も適切なものを選びなさい。
ア:氏族全体に位を与え、家柄だけを固定する制度だった。
イ:仏教を禁止し、伝統的な祭祀だけを守る制度だった。
ウ:氏族ではなく個人に位を与え、能力や功績を評価しようとした。
エ:隋の皇帝に日本列島の支配を認める制度だった。
ア:氏族全体に位を与え、家柄だけを固定する制度だった。
イ:仏教を禁止し、伝統的な祭祀だけを守る制度だった。
ウ:氏族ではなく個人に位を与え、能力や功績を評価しようとした。
エ:隋の皇帝に日本列島の支配を認める制度だった。
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答え:ウ
【解説】冠位十二階は、氏族全体ではなく個人に位を与えた制度だよ。家柄だけでなく、能力や功績を評価しようとした点が重要だよ。
【解説】冠位十二階は、氏族全体ではなく個人に位を与えた制度だよ。家柄だけでなく、能力や功績を評価しようとした点が重要だよ。
問3
冠位十二階と氏姓制度の違いとして、最も適切なものを選びなさい。
ア:氏姓制度は隋へ使者を送る制度、冠位十二階は仏教を伝える制度である。
イ:氏姓制度は氏族や家柄にもとづく身分秩序、冠位十二階は個人に位を与える制度である。
ウ:氏姓制度は役人の心構え、冠位十二階は現代の憲法である。
エ:氏姓制度も冠位十二階も、どちらも遣唐使の派遣制度である。
ア:氏姓制度は隋へ使者を送る制度、冠位十二階は仏教を伝える制度である。
イ:氏姓制度は氏族や家柄にもとづく身分秩序、冠位十二階は個人に位を与える制度である。
ウ:氏姓制度は役人の心構え、冠位十二階は現代の憲法である。
エ:氏姓制度も冠位十二階も、どちらも遣唐使の派遣制度である。
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答え:イ
【解説】氏姓制度は氏族や家柄にもとづく身分秩序だったよ。一方、冠位十二階は個人に位を与え、能力や功績を評価しようとした制度なんだ。
【解説】氏姓制度は氏族や家柄にもとづく身分秩序だったよ。一方、冠位十二階は個人に位を与え、能力や功績を評価しようとした制度なんだ。
問4
冠位十二階の意義として、最も適切なものを選びなさい。
ア:隋の支配を受け入れ、外交をやめるための制度だった。
イ:すべての豪族の力をただちに消滅させ、完全な実力主義を実現した。
ウ:国民の権利を定め、現代の憲法と同じ性格を持った。
エ:豪族を朝廷の役人として組み込み、中央集権化へ近づけようとした。
ア:隋の支配を受け入れ、外交をやめるための制度だった。
イ:すべての豪族の力をただちに消滅させ、完全な実力主義を実現した。
ウ:国民の権利を定め、現代の憲法と同じ性格を持った。
エ:豪族を朝廷の役人として組み込み、中央集権化へ近づけようとした。
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答え:エ
【解説】冠位十二階は、豪族を朝廷の役人として組み込み、中央集権的な国家へ近づけようとした制度として理解しよう。ただし、有力豪族の力がすぐになくなったわけではないよ。
【解説】冠位十二階は、豪族を朝廷の役人として組み込み、中央集権的な国家へ近づけようとした制度として理解しよう。ただし、有力豪族の力がすぐになくなったわけではないよ。
憲法十七条の問題
問1
憲法十七条の性格として、最も適切なものを選びなさい。
ア:現在の日本国憲法と同じように、国民の権利を保障した最高法規である。
イ:役人の道徳的な心構えを示したものである。
ウ:隋に派遣する使者を決めるための外交制度である。
エ:氏族全体に十二段階の位を与える制度である。
ア:現在の日本国憲法と同じように、国民の権利を保障した最高法規である。
イ:役人の道徳的な心構えを示したものである。
ウ:隋に派遣する使者を決めるための外交制度である。
エ:氏族全体に十二段階の位を与える制度である。
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答え:イ
【解説】憲法十七条は、現代の憲法とは違い、国民の権利を定めたものではないよ。主に役人の道徳的な心構えを示したものとして押さえよう。
【解説】憲法十七条は、現代の憲法とは違い、国民の権利を定めたものではないよ。主に役人の道徳的な心構えを示したものとして押さえよう。
問2
憲法十七条について、誤解しやすい点として最も適切なものを選びなさい。
ア:名前に「憲法」とあるが、現代の憲法と同じ性格ではない。
イ:604年ではなく、必ず607年に定められたものとして覚える。
ウ:隋の煬帝が日本に命じて作らせた法律である。
エ:冠位十二階の別名であり、内容も完全に同じである。
ア:名前に「憲法」とあるが、現代の憲法と同じ性格ではない。
イ:604年ではなく、必ず607年に定められたものとして覚える。
ウ:隋の煬帝が日本に命じて作らせた法律である。
エ:冠位十二階の別名であり、内容も完全に同じである。
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答え:ア
【解説】憲法十七条は「憲法」という名前がついているけれど、現代の憲法と同じものではないよ。役人の心構えを示したものとして理解しよう。
【解説】憲法十七条は「憲法」という名前がついているけれど、現代の憲法と同じものではないよ。役人の心構えを示したものとして理解しよう。
問3
憲法十七条に見られる考え方として、最も適切なものを選びなさい。
ア:武士による幕府政治を重視する考え方。
イ:仏教や儒教の影響を受け、役人に調和や天皇への服従などを求める考え方。
ウ:明治時代の議会政治を定める考え方。
エ:荘園の私有を進め、中央政府の力を弱める考え方。
ア:武士による幕府政治を重視する考え方。
イ:仏教や儒教の影響を受け、役人に調和や天皇への服従などを求める考え方。
ウ:明治時代の議会政治を定める考え方。
エ:荘園の私有を進め、中央政府の力を弱める考え方。
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答え:イ
【解説】憲法十七条には、仏教や儒教の考え方が取り入れられているよ。役人に調和や天皇への服従、まじめに政治に取り組む姿勢などを求めたんだ。
【解説】憲法十七条には、仏教や儒教の考え方が取り入れられているよ。役人に調和や天皇への服従、まじめに政治に取り組む姿勢などを求めたんだ。
問4
「和を以て貴しとなす」の説明として、最も適切なものを選びなさい。
ア:隋に従属することだけを命じた外交文書の言葉である。
イ:冠位十二階の最高位を表す言葉である。
ウ:争いを避け、話し合いや調和を大切にしようとする考えを示す言葉である。
エ:遣唐使が唐から持ち帰った税の制度を示す言葉である。
ア:隋に従属することだけを命じた外交文書の言葉である。
イ:冠位十二階の最高位を表す言葉である。
ウ:争いを避け、話し合いや調和を大切にしようとする考えを示す言葉である。
エ:遣唐使が唐から持ち帰った税の制度を示す言葉である。
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答え:ウ
【解説】「和を以て貴しとなす」は、憲法十七条の有名な言葉だよ。話し合いや調和を大切にする考えとして知られているよ。
【解説】「和を以て貴しとなす」は、憲法十七条の有名な言葉だよ。話し合いや調和を大切にする考えとして知られているよ。
遣隋使と外交の問題
問1
遣隋使の目的として、最も適切なものを選びなさい。
ア:隋との外交関係を結び、大陸の進んだ制度や文化を学ぶため。
イ:加耶諸国を新羅から奪い返すためだけに派遣された軍隊である。
ウ:憲法十七条を廃止するために派遣された使節である。
エ:唐が滅びたことを知らせるために派遣された使節である。
ア:隋との外交関係を結び、大陸の進んだ制度や文化を学ぶため。
イ:加耶諸国を新羅から奪い返すためだけに派遣された軍隊である。
ウ:憲法十七条を廃止するために派遣された使節である。
エ:唐が滅びたことを知らせるために派遣された使節である。
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答え:ア
【解説】遣隋使は、隋との外交関係を結び、大陸の進んだ制度や文化を学ぶために派遣されたよ。外交と学習の両面が大切だよ。
【解説】遣隋使は、隋との外交関係を結び、大陸の進んだ制度や文化を学ぶために派遣されたよ。外交と学習の両面が大切だよ。
問2
600年と607年の遣隋使について、最も適切な説明を選びなさい。
ア:600年には遣隋使の記録はなく、607年だけが唯一の派遣である。
イ:600年にも遣隋使が派遣された記録があり、607年には小野妹子が派遣された。
ウ:600年は遣唐使、607年は遣新羅使である。
エ:600年と607年のどちらも、犬上御田鍬が唐へ派遣された年である。
ア:600年には遣隋使の記録はなく、607年だけが唯一の派遣である。
イ:600年にも遣隋使が派遣された記録があり、607年には小野妹子が派遣された。
ウ:600年は遣唐使、607年は遣新羅使である。
エ:600年と607年のどちらも、犬上御田鍬が唐へ派遣された年である。
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答え:イ
【解説】600年にも遣隋使が派遣された記録があるよ。高校日本史では、特に607年の小野妹子の遣隋使がよく問われるよ。
【解説】600年にも遣隋使が派遣された記録があるよ。高校日本史では、特に607年の小野妹子の遣隋使がよく問われるよ。
問3
607年の遣隋使について、正しい組み合わせを選びなさい。
ア:小野妹子 ― 隋 ― 煬帝
イ:犬上御田鍬 ― 唐 ― 太宗
ウ:南淵請安 ― 新羅 ― 武烈王
エ:大伴金村 ― 加耶 ― 高句麗王
ア:小野妹子 ― 隋 ― 煬帝
イ:犬上御田鍬 ― 唐 ― 太宗
ウ:南淵請安 ― 新羅 ― 武烈王
エ:大伴金村 ― 加耶 ― 高句麗王
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答え:ア
【解説】607年の遣隋使では、小野妹子が隋へ派遣されたよ。国書を受け取った隋の皇帝は煬帝だよ。
【解説】607年の遣隋使では、小野妹子が隋へ派遣されたよ。国書を受け取った隋の皇帝は煬帝だよ。
問4
「日出づる処の天子」の国書について、最も適切な説明を選びなさい。
ア:隋の皇帝がヤマト政権に服属を命じた文書である。
イ:唐の皇帝が遣唐使に与えた法律である。
ウ:ヤマト政権が仏教を禁止するために出した命令である。
エ:ヤマト政権が、隋に従属するだけでなく独立した国として外交しようとした姿勢を示す国書である。
ア:隋の皇帝がヤマト政権に服属を命じた文書である。
イ:唐の皇帝が遣唐使に与えた法律である。
ウ:ヤマト政権が仏教を禁止するために出した命令である。
エ:ヤマト政権が、隋に従属するだけでなく独立した国として外交しようとした姿勢を示す国書である。
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答え:エ
【解説】「日出づる処の天子」の国書は、ヤマト政権が独立した国として外交しようとした姿勢を示すものとして重要だよ。隋の煬帝が不快に感じたと伝えられている点も押さえよう。
【解説】「日出づる処の天子」の国書は、ヤマト政権が独立した国として外交しようとした姿勢を示すものとして重要だよ。隋の煬帝が不快に感じたと伝えられている点も押さえよう。
問5
遣隋使とともに大陸へ渡った留学生・学問僧の役割として、最も適切なものを選びなさい。
ア:大陸の制度・文化・仏教・儒教などを学び、帰国後の政治改革に影響を与えた。
イ:朝鮮半島南部の加耶諸国を復活させるためだけに活動した。
ウ:冠位十二階を廃止して、氏姓制度だけに戻そうとした。
エ:隋ではなく、必ず日本列島の中だけで学問を行った。
ア:大陸の制度・文化・仏教・儒教などを学び、帰国後の政治改革に影響を与えた。
イ:朝鮮半島南部の加耶諸国を復活させるためだけに活動した。
ウ:冠位十二階を廃止して、氏姓制度だけに戻そうとした。
エ:隋ではなく、必ず日本列島の中だけで学問を行った。
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答え:ア
【解説】留学生や学問僧は、大陸で制度・文化・仏教・儒教などを学び、帰国後の政治改革に影響を与えたよ。南淵請安・高向玄理・旻などを押さえよう。
【解説】留学生や学問僧は、大陸で制度・文化・仏教・儒教などを学び、帰国後の政治改革に影響を与えたよ。南淵請安・高向玄理・旻などを押さえよう。
問6
遣隋使から遣唐使への流れとして、最も適切なものを選びなさい。
ア:607年に唐が成立し、600年に犬上御田鍬が遣唐使として派遣された。
イ:618年に隋が滅び唐が成立し、630年に犬上御田鍬が遣唐使として派遣された。
ウ:630年に隋が中国を統一し、遣隋使が始まった。
エ:589年に唐が滅び、遣唐使は完全に廃止された。
ア:607年に唐が成立し、600年に犬上御田鍬が遣唐使として派遣された。
イ:618年に隋が滅び唐が成立し、630年に犬上御田鍬が遣唐使として派遣された。
ウ:630年に隋が中国を統一し、遣隋使が始まった。
エ:589年に唐が滅び、遣唐使は完全に廃止された。
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答え:イ
【解説】618年に隋が滅び、唐が成立したよ。その後、630年に犬上御田鍬が遣唐使として派遣されたんだ。
【解説】618年に隋が滅び、唐が成立したよ。その後、630年に犬上御田鍬が遣唐使として派遣されたんだ。
改革の意義と次の時代へのつながり
問1
推古朝の改革の意義として、最も適切なものを選びなさい。
ア:中央集権国家への第一歩となったが、まだ完成ではなかった。
イ:すべての豪族の力を完全になくし、律令国家を完成させた。
ウ:隋に従属し、日本独自の政治をすべてやめた。
エ:冠位十二階・憲法十七条・遣隋使は、すべて地方の豪族が独自に行った改革だった。
ア:中央集権国家への第一歩となったが、まだ完成ではなかった。
イ:すべての豪族の力を完全になくし、律令国家を完成させた。
ウ:隋に従属し、日本独自の政治をすべてやめた。
エ:冠位十二階・憲法十七条・遣隋使は、すべて地方の豪族が独自に行った改革だった。
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答え:ア
【解説】推古朝の改革は、天皇中心の国家づくりへ向かう第一歩だったよ。ただし、すぐに中央集権国家が完成したわけではなく、有力豪族の力はまだ大きかったんだ。
【解説】推古朝の改革は、天皇中心の国家づくりへ向かう第一歩だったよ。ただし、すぐに中央集権国家が完成したわけではなく、有力豪族の力はまだ大きかったんだ。
問2
推古朝の改革と大化改新の関係として、最も適切なものを選びなさい。
ア:推古朝の改革は大化改新と無関係で、そこで国家づくりは完全に止まった。
イ:推古朝の改革は、のちの乙巳の変・大化改新・律令国家形成へつながる前段階だった。
ウ:大化改新は遣隋使より前に行われ、推古朝の改革を禁止した。
エ:大化改新は唐の皇帝が日本で直接行った改革である。
ア:推古朝の改革は大化改新と無関係で、そこで国家づくりは完全に止まった。
イ:推古朝の改革は、のちの乙巳の変・大化改新・律令国家形成へつながる前段階だった。
ウ:大化改新は遣隋使より前に行われ、推古朝の改革を禁止した。
エ:大化改新は唐の皇帝が日本で直接行った改革である。
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答え:イ
【解説】推古朝の改革は、中央集権国家への第一歩だったよ。その流れは、のちの乙巳の変・大化改新・律令国家形成へつながっていくんだ。
【解説】推古朝の改革は、中央集権国家への第一歩だったよ。その流れは、のちの乙巳の変・大化改新・律令国家形成へつながっていくんだ。
問3
645年の乙巳の変について、最も適切なものを選びなさい。
ア:中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿を倒した事件である。
イ:小野妹子が隋の煬帝に国書を届けた事件である。
ウ:推古天皇が即位した事件である。
エ:犬上御田鍬が遣唐使として派遣された事件である。
ア:中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿を倒した事件である。
イ:小野妹子が隋の煬帝に国書を届けた事件である。
ウ:推古天皇が即位した事件である。
エ:犬上御田鍬が遣唐使として派遣された事件である。
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答え:ア
【解説】乙巳の変は、645年に中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿を倒した事件だよ。その後に進められた政治改革を大化改新というよ。
【解説】乙巳の変は、645年に中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿を倒した事件だよ。その後に進められた政治改革を大化改新というよ。
問4
この単元全体の流れとして、最も適切なものを選びなさい。
ア:冠位十二階で現代の憲法が完成し、遣隋使によって国内政治は終わった。
イ:推古天皇のもとで厩戸王と蘇我馬子が政治を支え、冠位十二階・憲法十七条・遣隋使を通じて中央集権国家への第一歩が進められた。
ウ:隋が日本列島を直接支配し、推古天皇は中国皇帝になった。
エ:遣唐使が先に始まり、そのあとに遣隋使が派遣された。
ア:冠位十二階で現代の憲法が完成し、遣隋使によって国内政治は終わった。
イ:推古天皇のもとで厩戸王と蘇我馬子が政治を支え、冠位十二階・憲法十七条・遣隋使を通じて中央集権国家への第一歩が進められた。
ウ:隋が日本列島を直接支配し、推古天皇は中国皇帝になった。
エ:遣唐使が先に始まり、そのあとに遣隋使が派遣された。
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答え:イ
【解説】この単元は、推古天皇のもとで、厩戸王と蘇我馬子が政治を支え、冠位十二階・憲法十七条・遣隋使を通じて天皇中心の国家づくりへ向かった流れとして理解しよう。
【解説】この単元は、推古天皇のもとで、厩戸王と蘇我馬子が政治を支え、冠位十二階・憲法十七条・遣隋使を通じて天皇中心の国家づくりへ向かった流れとして理解しよう。
記述問題
問1
冠位十二階の特徴と意義を説明しなさい。
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解答例:冠位十二階は、603年に定められた制度で、役人に十二段階の位を与えた。氏族全体ではなく個人に位を与え、家柄だけでなく能力や功績を評価しようとした点が特徴である。豪族を朝廷の役人として組み込み、中央集権化へ近づけようとした意義がある。
【解説】「603年」「個人に位を与える」「能力・功績」「氏姓制度との違い」「中央集権化」を入れられるとよいよ。
【解説】「603年」「個人に位を与える」「能力・功績」「氏姓制度との違い」「中央集権化」を入れられるとよいよ。
問2
憲法十七条の性格を、現代の憲法との違いに注意して説明しなさい。
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解答例:憲法十七条は、604年に定められた、主に役人の道徳的な心構えを示したものである。現代の憲法のように国民の権利を定めたものではなく、豪族や役人に対して、朝廷の役人として国全体を考えて政治に取り組む姿勢を求めた点が特徴である。
【解説】「現代の憲法とは違う」「国民の権利ではない」「役人の道徳的な心構え」を必ず入れよう。ここはテストでかなり狙われやすいよ。
【解説】「現代の憲法とは違う」「国民の権利ではない」「役人の道徳的な心構え」を必ず入れよう。ここはテストでかなり狙われやすいよ。
問3
遣隋使が派遣された目的を説明しなさい。
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解答例:遣隋使は、隋との外交関係を結び、大陸の進んだ制度や文化を学ぶために派遣された。隋が中国を統一して東アジアの国際環境が変化する中で、ヤマト政権は強大な中国王朝に対応し、国のしくみを整える必要があった。
【解説】「外交」「大陸文化の摂取」「隋の中国統一」「国のしくみを整える必要」を結びつけるとよいよ。
【解説】「外交」「大陸文化の摂取」「隋の中国統一」「国のしくみを整える必要」を結びつけるとよいよ。
問4
「日出づる処の天子」の国書が示した意味を説明しなさい。
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解答例:「日出づる処の天子」の国書は、607年の遣隋使で小野妹子が隋に届けたものとして知られる。ヤマト政権の君主を「日出づる処の天子」、隋の皇帝を「日没する処の天子」と表したことで、ヤマト政権が隋に従属するだけでなく、独立した国として外交しようとした姿勢を示している。
【解説】「607年」「小野妹子」「煬帝」「独立した国として外交しようとした姿勢」を押さえよう。
【解説】「607年」「小野妹子」「煬帝」「独立した国として外交しようとした姿勢」を押さえよう。
問5
推古朝の改革が、中央集権国家への第一歩といえる理由を説明しなさい。
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解答例:推古朝では、冠位十二階によって個人の能力や功績を評価し、豪族を朝廷の役人として組み込もうとした。また、憲法十七条によって役人の心構えを示し、遣隋使によって大陸の制度や文化を学ぼうとした。これらの改革は、豪族中心の政治から天皇中心の国家づくりへ向かう第一歩だった。ただし、有力豪族の力はまだ大きく、中央集権国家が完成したわけではなかった。
【解説】「冠位十二階」「憲法十七条」「遣隋使」をそれぞれの役割と結びつけて説明しよう。「完成ではなく第一歩」という点も大切だよ。
【解説】「冠位十二階」「憲法十七条」「遣隋使」をそれぞれの役割と結びつけて説明しよう。「完成ではなく第一歩」という点も大切だよ。
問6
推古朝の改革が、乙巳の変や大化改新へどのようにつながったかを説明しなさい。
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解答例:推古朝の改革では、冠位十二階・憲法十七条・遣隋使などを通じて、天皇中心の国家づくりへの第一歩が進められた。しかし、改革によって中央集権国家が完成したわけではなく、蘇我氏など有力豪族の力はまだ大きかった。やがて蘇我氏の権力が強まりすぎたことが問題となり、645年に中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿を倒す乙巳の変が起こり、その後の大化改新へつながった。
【解説】「推古朝の改革=第一歩」「蘇我氏の権力」「乙巳の変」「大化改新」の流れで書けるとよいよ。
【解説】「推古朝の改革=第一歩」「蘇我氏の権力」「乙巳の変」「大化改新」の流れで書けるとよいよ。
ドリルでさらに練習しよう
ここまで確認できたら、「推古天皇と厩戸王の改革」のドリルにも挑戦して、用語と流れをしっかり定着させよう!
- 【高校日本史】「推古天皇と厩戸王の改革」重要語句ドリル
- 【高校日本史】「推古天皇と厩戸王の改革」内容理解ドリル
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青山学院大学教育学科卒業。TOEIC795点。2児の母。2019年の長女の高校受験時、訳あって塾には行かずに自宅学習のみで挑戦することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。志望校の特待生クラストップ10位内で合格を果たす。 ※サイト全体の運営実績についてはこちらにまとめています。

