高校日本史「大化改新」テスト対策練習問題と過去問まとめ
高校日本史で学習する、「大化改新」のテストでよく出る問題をまとめているよ。
この単元では、乙巳の変と大化改新の違い、中大兄皇子・中臣鎌足・蘇我入鹿、孝徳天皇の即位、改新の詔、公地公民制、評の設置、そして律令国家へ向かう流れを整理することが大切だよ。
特に、大化改新は律令国家の完成ではなく、律令国家へ向かう出発点だったことをしっかり押さえておこう。
まずは解説を確認してからチャレンジする場合は、「大化改新」の解説ページをチェックしよう。
目次
「大化改新」テスト対策練習問題
重要語句の問題
次の文の( )に入る重要語句を答えなさい。
問1
645年、中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿を倒した政変を( )という。
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答え:乙巳の変
【解説】乙巳の変は、645年に中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿を倒した政変だよ。大化改新のきっかけとなった事件として押さえよう。
【解説】乙巳の変は、645年に中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿を倒した政変だよ。大化改新のきっかけとなった事件として押さえよう。
問2
乙巳の変をきっかけに進められた、天皇中心の中央集権国家をめざす一連の政治改革を( )という。
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答え:大化改新
【解説】大化改新は、乙巳の変をきっかけに進められた一連の政治改革だよ。乙巳の変=事件、大化改新=改革と区別しよう。
【解説】大化改新は、乙巳の変をきっかけに進められた一連の政治改革だよ。乙巳の変=事件、大化改新=改革と区別しよう。
問3
乙巳の変で、蘇我入鹿を倒した中心人物で、のちに天智天皇となった人物を( )という。
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答え:中大兄皇子
【解説】中大兄皇子は、乙巳の変・大化改新の中心人物だよ。のちに天智天皇として即位することも重要だね。
【解説】中大兄皇子は、乙巳の変・大化改新の中心人物だよ。のちに天智天皇として即位することも重要だね。
問4
中大兄皇子と協力して蘇我氏を倒し、のちに藤原鎌足となった人物を( )という。
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答え:中臣鎌足
【解説】中臣鎌足は、のちに藤原姓を与えられて藤原鎌足となったよ。藤原氏の祖としても重要だよ。
【解説】中臣鎌足は、のちに藤原姓を与えられて藤原鎌足となったよ。藤原氏の祖としても重要だよ。
問5
乙巳の変で倒された蘇我氏の有力者を( )という。
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答え:蘇我入鹿
【解説】蘇我入鹿は、乙巳の変で倒された人物だよ。その後、父の蘇我蝦夷も自害した。
【解説】蘇我入鹿は、乙巳の変で倒された人物だよ。その後、父の蘇我蝦夷も自害した。
問6
蘇我入鹿の父で、乙巳の変後に自害した人物を( )という。
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答え:蘇我蝦夷
【解説】乙巳の変では蘇我入鹿が倒され、その後、父の蘇我蝦夷が自害したことで、蘇我本宗家は滅亡したよ。
【解説】乙巳の変では蘇我入鹿が倒され、その後、父の蘇我蝦夷が自害したことで、蘇我本宗家は滅亡したよ。
問7
643年、蘇我入鹿によって滅ぼされた、厩戸王の子を( )という。
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答え:山背大兄王
【解説】山背大兄王は、厩戸王の子で、皇位継承の有力候補と見られていた人物だよ。蘇我氏の権力集中を示す出来事として重要だね。
【解説】山背大兄王は、厩戸王の子で、皇位継承の有力候補と見られていた人物だよ。蘇我氏の権力集中を示す出来事として重要だね。
問8
乙巳の変後、皇極天皇の譲位を受けて即位した天皇を( )という。
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答え:孝徳天皇
【解説】軽皇子が孝徳天皇として即位したよ。乙巳の変後の新政権成立とセットで押さえよう。
【解説】軽皇子が孝徳天皇として即位したよ。乙巳の変後の新政権成立とセットで押さえよう。
問9
乙巳の変後、中大兄皇子がついた、次の天皇候補としての地位を( )という。
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答え:皇太子
【解説】中大兄皇子は皇太子となり、新政権の中心人物として改革を進めていったよ。
【解説】中大兄皇子は皇太子となり、新政権の中心人物として改革を進めていったよ。
問10
中臣鎌足がついた、天皇の側近・顧問的な役職を( )という。
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答え:内臣
【解説】中臣鎌足は内臣として新政権に関わったよ。最高顧問的な役割として整理しよう。
【解説】中臣鎌足は内臣として新政権に関わったよ。最高顧問的な役割として整理しよう。
問11
旻や高向玄理が任命された、大陸の制度や学問に通じた専門家を( )という。
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答え:国博士
【解説】旻・高向玄理は国博士として登用されたよ。大陸で学んだ知識を政治改革に生かした人物として重要だね。
【解説】旻・高向玄理は国博士として登用されたよ。大陸で学んだ知識を政治改革に生かした人物として重要だね。
問12
孝徳天皇の時代に政治の中心となった宮で、現在の大阪市周辺にあった宮を( )という。
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答え:難波長柄豊碕宮
【解説】難波長柄豊碕宮は「なにわのながらのとよさきのみや」と読むよ。資料によって「難波長柄豊崎宮」と表記されることもあるので、学校の教材の表記に合わせよう。
【解説】難波長柄豊碕宮は「なにわのながらのとよさきのみや」と読むよ。資料によって「難波長柄豊崎宮」と表記されることもあるので、学校の教材の表記に合わせよう。
問13
646年に出されたとされ、公地公民制などの改革方針を示したものを( )という。
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答え:改新の詔
【解説】改新の詔は、646年に出されたとされる改革方針だよ。ただし、『日本書紀』の記述には後の律令制の内容が反映された可能性がある点に注意しよう。
【解説】改新の詔は、646年に出されたとされる改革方針だよ。ただし、『日本書紀』の記述には後の律令制の内容が反映された可能性がある点に注意しよう。
問14
土地と人民を国家が支配するという考え方を( )という。
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答え:公地公民制
【解説】公地公民制は、土地と人民を国家が支配するという考え方だよ。ただし、646年に全国で一気に完成したわけではないよ。
【解説】公地公民制は、土地と人民を国家が支配するという考え方だよ。ただし、646年に全国で一気に完成したわけではないよ。
問15
豪族の私有地を( )という。
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答え:田荘
【解説】田荘は豪族の私有地だよ。部曲とともに、公地公民制と対立する存在として整理しよう。
【解説】田荘は豪族の私有地だよ。部曲とともに、公地公民制と対立する存在として整理しよう。
問16
豪族に支配された人々を( )という。
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答え:部曲
【解説】部曲は豪族に支配された人々だよ。豪族による私的支配を示す用語として重要だよ。
【解説】部曲は豪族に支配された人々だよ。豪族による私的支配を示す用語として重要だよ。
問17
7世紀に置かれた地方行政区画で、のちの郡につながるものを( )という。
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答え:評
【解説】評は、地方を区分して中央の支配を及ぼすための行政区画だよ。のちの律令制で郡につながるものとして押さえよう。
【解説】評は、地方を区分して中央の支配を及ぼすための行政区画だよ。のちの律令制で郡につながるものとして押さえよう。
問18
663年、倭国が唐・新羅連合軍に敗れ、国防強化と中央集権化がさらに重要になった戦いを( )という。
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答え:白村江の戦い
【解説】白村江の戦いで倭国は唐・新羅連合軍に敗れたよ。この敗戦をきっかけに、国防強化と中央集権化がさらに急がれるようになった。
【解説】白村江の戦いで倭国は唐・新羅連合軍に敗れたよ。この敗戦をきっかけに、国防強化と中央集権化がさらに急がれるようになった。
問19
701年に制定され、律令国家のしくみを本格的に整えた法典を( )という。
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答え:大宝律令
【解説】大宝律令は701年に制定されたよ。大化改新でめざされた方向性が、長い改革を経て具体化されていく流れとして押さえよう。
【解説】大宝律令は701年に制定されたよ。大化改新でめざされた方向性が、長い改革を経て具体化されていく流れとして押さえよう。
内容理解の問題
問1
乙巳の変と大化改新の関係として、最も適切なものを選びなさい。
ア:乙巳の変は701年に大宝律令が制定された出来事で、大化改新とは関係がない。
イ:乙巳の変は645年に蘇我入鹿を倒した政変で、大化改新はそれをきっかけに進められた一連の政治改革である。
ウ:乙巳の変は白村江の戦いの別名で、大化改新は唐の制度そのものである。
エ:乙巳の変は藤原氏が滅ぼされた事件で、大化改新は江戸時代の改革である。
ア:乙巳の変は701年に大宝律令が制定された出来事で、大化改新とは関係がない。
イ:乙巳の変は645年に蘇我入鹿を倒した政変で、大化改新はそれをきっかけに進められた一連の政治改革である。
ウ:乙巳の変は白村江の戦いの別名で、大化改新は唐の制度そのものである。
エ:乙巳の変は藤原氏が滅ぼされた事件で、大化改新は江戸時代の改革である。
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答え:イ
【解説】乙巳の変は事件、大化改新はその後に進められた一連の政治改革だよ。この区別はテストでとても重要だよ。
【解説】乙巳の変は事件、大化改新はその後に進められた一連の政治改革だよ。この区別はテストでとても重要だよ。
問2
大化改新の説明として、最も適切なものを選びなさい。
ア:645年の時点で律令国家が完全に完成したこと。
イ:唐が倭国を直接支配するために行った制度改革。
ウ:蘇我氏がさらに権力を強めるために行った改革。
エ:乙巳の変をきっかけに進められた、天皇中心の中央集権国家をめざす一連の政治改革。
ア:645年の時点で律令国家が完全に完成したこと。
イ:唐が倭国を直接支配するために行った制度改革。
ウ:蘇我氏がさらに権力を強めるために行った改革。
エ:乙巳の変をきっかけに進められた、天皇中心の中央集権国家をめざす一連の政治改革。
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答え:エ
【解説】大化改新は、律令国家の完成ではなく、天皇中心の中央集権国家へ向かう出発点として理解しよう。
【解説】大化改新は、律令国家の完成ではなく、天皇中心の中央集権国家へ向かう出発点として理解しよう。
問3
乙巳の変の中心人物の組み合わせとして、最も適切なものを選びなさい。
ア:中大兄皇子と中臣鎌足
イ:聖武天皇と行基
ウ:藤原道長と藤原頼通
エ:平清盛と後白河法皇
ア:中大兄皇子と中臣鎌足
イ:聖武天皇と行基
ウ:藤原道長と藤原頼通
エ:平清盛と後白河法皇
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答え:ア
【解説】乙巳の変では、中大兄皇子と中臣鎌足らが蘇我入鹿を倒したよ。中大兄皇子=のちの天智天皇、中臣鎌足=のちの藤原鎌足も重要だよ。
【解説】乙巳の変では、中大兄皇子と中臣鎌足らが蘇我入鹿を倒したよ。中大兄皇子=のちの天智天皇、中臣鎌足=のちの藤原鎌足も重要だよ。
問4
乙巳の変の結果として、最も適切なものを選びなさい。
ア:中臣鎌足が倒され、藤原氏が滅亡した。
イ:山背大兄王が即位し、蘇我氏の政治が続いた。
ウ:蘇我入鹿が倒され、その後、蘇我蝦夷が自害した。
エ:唐が倭国を直接統治するようになった。
ア:中臣鎌足が倒され、藤原氏が滅亡した。
イ:山背大兄王が即位し、蘇我氏の政治が続いた。
ウ:蘇我入鹿が倒され、その後、蘇我蝦夷が自害した。
エ:唐が倭国を直接統治するようになった。
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答え:ウ
【解説】乙巳の変では蘇我入鹿が倒され、その後、父の蘇我蝦夷が自害したことで、蘇我本宗家は滅亡したよ。
【解説】乙巳の変では蘇我入鹿が倒され、その後、父の蘇我蝦夷が自害したことで、蘇我本宗家は滅亡したよ。
問5
山背大兄王について、最も適切なものを選びなさい。
ア:中大兄皇子の別名で、のちに天智天皇となった。
イ:厩戸王の子で、643年に蘇我入鹿によって滅ぼされた。
ウ:百済から暦法を伝えた僧である。
エ:大宝律令を制定した唐の皇帝である。
ア:中大兄皇子の別名で、のちに天智天皇となった。
イ:厩戸王の子で、643年に蘇我入鹿によって滅ぼされた。
ウ:百済から暦法を伝えた僧である。
エ:大宝律令を制定した唐の皇帝である。
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答え:イ
【解説】山背大兄王は厩戸王の子で、皇位継承の有力候補と見られていた人物だよ。蘇我入鹿によって滅ぼされたことが、蘇我氏の権力集中を示す出来事として重要だよ。
【解説】山背大兄王は厩戸王の子で、皇位継承の有力候補と見られていた人物だよ。蘇我入鹿によって滅ぼされたことが、蘇我氏の権力集中を示す出来事として重要だよ。
問6
乙巳の変後の新政権について、最も適切なものを選びなさい。
ア:皇極天皇が譲位し、軽皇子が孝徳天皇として即位した。
イ:蘇我入鹿が即位し、中央集権化を進めた。
ウ:唐の皇帝が倭国の天皇となった。
エ:大宝律令がすぐに制定され、律令国家が完成した。
ア:皇極天皇が譲位し、軽皇子が孝徳天皇として即位した。
イ:蘇我入鹿が即位し、中央集権化を進めた。
ウ:唐の皇帝が倭国の天皇となった。
エ:大宝律令がすぐに制定され、律令国家が完成した。
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答え:ア
【解説】乙巳の変後、皇極天皇が譲位し、軽皇子が孝徳天皇として即位したよ。ただし、この時点で律令国家が完成したわけではない点に注意しよう。
【解説】乙巳の変後、皇極天皇が譲位し、軽皇子が孝徳天皇として即位したよ。ただし、この時点で律令国家が完成したわけではない点に注意しよう。
問7
乙巳の変後の人事として、最も適切なものを選びなさい。
ア:行基が左大臣となり、鑑真が右大臣となった。
イ:聖武天皇が国博士となり、藤原道長が内臣となった。
ウ:蘇我入鹿が皇太子となり、蘇我蝦夷が国博士となった。
エ:阿倍内麻呂が左大臣、蘇我倉山田石川麻呂が右大臣、中臣鎌足が内臣となった。
ア:行基が左大臣となり、鑑真が右大臣となった。
イ:聖武天皇が国博士となり、藤原道長が内臣となった。
ウ:蘇我入鹿が皇太子となり、蘇我蝦夷が国博士となった。
エ:阿倍内麻呂が左大臣、蘇我倉山田石川麻呂が右大臣、中臣鎌足が内臣となった。
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答え:エ
【解説】乙巳の変後、新政権では阿倍内麻呂が左大臣、蘇我倉山田石川麻呂が右大臣、中臣鎌足が内臣となったよ。
【解説】乙巳の変後、新政権では阿倍内麻呂が左大臣、蘇我倉山田石川麻呂が右大臣、中臣鎌足が内臣となったよ。
問8
旻・高向玄理について、最も適切なものを選びなさい。
ア:乙巳の変で倒された蘇我氏の父子である。
イ:遣唐使を禁止した地方豪族である。
ウ:大陸の制度や学問に通じ、国博士として登用された人物である。
エ:白村江の戦いで唐・新羅連合軍を率いた人物である。
ア:乙巳の変で倒された蘇我氏の父子である。
イ:遣唐使を禁止した地方豪族である。
ウ:大陸の制度や学問に通じ、国博士として登用された人物である。
エ:白村江の戦いで唐・新羅連合軍を率いた人物である。
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答え:ウ
【解説】旻・高向玄理は国博士として登用され、大陸で学んだ知識を政治改革に生かしたよ。
【解説】旻・高向玄理は国博士として登用され、大陸で学んだ知識を政治改革に生かしたよ。
問9
難波長柄豊碕宮について、最も適切なものを選びなさい。
ア:孝徳天皇の時代に政治の中心となった宮で、現在の大阪市周辺にあった。
イ:平安京の別名で、794年に造られた都である。
ウ:飛鳥寺の別名で、蘇我馬子が建立した寺院である。
エ:唐の都で、遣唐使が滞在した宮である。
ア:孝徳天皇の時代に政治の中心となった宮で、現在の大阪市周辺にあった。
イ:平安京の別名で、794年に造られた都である。
ウ:飛鳥寺の別名で、蘇我馬子が建立した寺院である。
エ:唐の都で、遣唐使が滞在した宮である。
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答え:ア
【解説】難波長柄豊碕宮は、孝徳天皇の時代に政治の中心となった宮だよ。資料によって「難波長柄豊崎宮」と表記されることもあるので、学校の教材に合わせよう。
【解説】難波長柄豊碕宮は、孝徳天皇の時代に政治の中心となった宮だよ。資料によって「難波長柄豊崎宮」と表記されることもあるので、学校の教材に合わせよう。
問10
改新の詔について、最も適切なものを選びなさい。
ア:645年に蘇我入鹿が出した、蘇我氏の権力を強める命令である。
イ:663年に唐・新羅連合軍が出した、倭国への降伏文書である。
ウ:701年に制定された、日本で最初の本格的な律令である。
エ:646年に出されたとされ、公地公民制などの改革方針を示したものとされる。
ア:645年に蘇我入鹿が出した、蘇我氏の権力を強める命令である。
イ:663年に唐・新羅連合軍が出した、倭国への降伏文書である。
ウ:701年に制定された、日本で最初の本格的な律令である。
エ:646年に出されたとされ、公地公民制などの改革方針を示したものとされる。
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答え:エ
【解説】改新の詔は646年に出されたとされ、公地公民制などの改革方針を示したものとされるよ。ただし、後の律令制の内容が反映された可能性がある点に注意しよう。
【解説】改新の詔は646年に出されたとされ、公地公民制などの改革方針を示したものとされるよ。ただし、後の律令制の内容が反映された可能性がある点に注意しよう。
問11
改新の詔を学ぶときの注意点として、最も適切なものを選びなさい。
ア:改新の詔の内容は、すべて646年に全国で完全に実行されたと考える。
イ:『日本書紀』の改新の詔には、後の律令制の内容が反映された可能性があるため、史料として慎重に扱う。
ウ:改新の詔は、仏教文化だけを説明する美術資料である。
エ:改新の詔は、江戸幕府が出した武家法度の一部である。
ア:改新の詔の内容は、すべて646年に全国で完全に実行されたと考える。
イ:『日本書紀』の改新の詔には、後の律令制の内容が反映された可能性があるため、史料として慎重に扱う。
ウ:改新の詔は、仏教文化だけを説明する美術資料である。
エ:改新の詔は、江戸幕府が出した武家法度の一部である。
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答え:イ
【解説】改新の詔は、改革の方向性を示すものとして重要だけれど、『日本書紀』の記述には後の制度が反映された可能性があるため、「そのまますぐ実行」と断定しないことが大切だよ。
【解説】改新の詔は、改革の方向性を示すものとして重要だけれど、『日本書紀』の記述には後の制度が反映された可能性があるため、「そのまますぐ実行」と断定しないことが大切だよ。
問12
公地公民制について、最も適切なものを選びなさい。
ア:豪族がそれぞれの土地と人々を私的に支配するしくみである。
イ:寺院がすべての土地と人民を所有するしくみである。
ウ:土地と人民を国家が支配するという考え方である。
エ:唐が倭国の土地を直接支配する制度である。
ア:豪族がそれぞれの土地と人々を私的に支配するしくみである。
イ:寺院がすべての土地と人民を所有するしくみである。
ウ:土地と人民を国家が支配するという考え方である。
エ:唐が倭国の土地を直接支配する制度である。
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答え:ウ
【解説】公地公民制は、土地と人民を国家が支配するという考え方だよ。ただし、646年に全国で一気に完成したわけではなく、後の律令制の中で具体化されていったよ。
【解説】公地公民制は、土地と人民を国家が支配するという考え方だよ。ただし、646年に全国で一気に完成したわけではなく、後の律令制の中で具体化されていったよ。
問13
田荘と部曲の説明として、最も適切なものを選びなさい。
ア:田荘は天皇の宮、部曲は遣唐使の船を意味する。
イ:田荘は地方行政区画、部曲は律令の条文を意味する。
ウ:田荘は唐の都、部曲は白村江の戦いの別名である。
エ:田荘は豪族の私有地、部曲は豪族に支配された人々である。
ア:田荘は天皇の宮、部曲は遣唐使の船を意味する。
イ:田荘は地方行政区画、部曲は律令の条文を意味する。
ウ:田荘は唐の都、部曲は白村江の戦いの別名である。
エ:田荘は豪族の私有地、部曲は豪族に支配された人々である。
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答え:エ
【解説】田荘は豪族の私有地、部曲は豪族に支配された人々だよ。公地公民制と対立する存在として整理しよう。
【解説】田荘は豪族の私有地、部曲は豪族に支配された人々だよ。公地公民制と対立する存在として整理しよう。
問14
評について、最も適切なものを選びなさい。
ア:7世紀に置かれた地方行政区画で、のちの郡につながる。
イ:蘇我入鹿の別名で、乙巳の変で倒された人物である。
ウ:白村江の戦いで使われた船の名前である。
エ:中臣鎌足が与えられた姓である。
ア:7世紀に置かれた地方行政区画で、のちの郡につながる。
イ:蘇我入鹿の別名で、乙巳の変で倒された人物である。
ウ:白村江の戦いで使われた船の名前である。
エ:中臣鎌足が与えられた姓である。
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答え:ア
【解説】評は、7世紀に置かれた地方行政区画で、のちの郡につながるものとして重要だよ。中央の支配を地方へ及ぼすしくみと関係しているよ。
【解説】評は、7世紀に置かれた地方行政区画で、のちの郡につながるものとして重要だよ。中央の支配を地方へ及ぼすしくみと関係しているよ。
問15
大化改新と律令国家の関係として、最も適切なものを選びなさい。
ア:大化改新によって、645年に大宝律令が制定された。
イ:大化改新によって、倭国は唐に完全に支配された。
ウ:大化改新は律令国家の完成ではなく、律令国家へ向かう出発点である。
エ:大化改新は平安時代の貴族文化を完成させた改革である。
ア:大化改新によって、645年に大宝律令が制定された。
イ:大化改新によって、倭国は唐に完全に支配された。
ウ:大化改新は律令国家の完成ではなく、律令国家へ向かう出発点である。
エ:大化改新は平安時代の貴族文化を完成させた改革である。
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答え:ウ
【解説】大化改新は、律令国家が完成した出来事ではなく、律令国家へ向かう出発点だよ。その後、白村江の戦い、天智・天武・持統朝の改革を経て、大宝律令へつながるよ。
【解説】大化改新は、律令国家が完成した出来事ではなく、律令国家へ向かう出発点だよ。その後、白村江の戦い、天智・天武・持統朝の改革を経て、大宝律令へつながるよ。
問16
白村江の戦いがその後の改革に与えた影響として、最も適切なものを選びなさい。
ア:倭国が勝利したため、国防強化の必要がなくなった。
イ:唐・新羅連合軍に敗れたことで、国防強化と中央集権化の必要性がさらに意識された。
ウ:蘇我氏が復活し、豪族の私有地がさらに拡大した。
エ:平城京がただちに完成し、奈良時代が始まった。
ア:倭国が勝利したため、国防強化の必要がなくなった。
イ:唐・新羅連合軍に敗れたことで、国防強化と中央集権化の必要性がさらに意識された。
ウ:蘇我氏が復活し、豪族の私有地がさらに拡大した。
エ:平城京がただちに完成し、奈良時代が始まった。
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答え:イ
【解説】663年の白村江の戦いで、倭国は唐・新羅連合軍に敗れたよ。この敗戦により、国防強化と中央集権化の必要性がさらに高まった。
【解説】663年の白村江の戦いで、倭国は唐・新羅連合軍に敗れたよ。この敗戦により、国防強化と中央集権化の必要性がさらに高まった。
問17
中大兄皇子への権力集中について、最も適切なものを選びなさい。
ア:中大兄皇子は乙巳の変後、政治的対立相手を排除しながら権力を強め、のちに天智天皇として即位した。
イ:中大兄皇子は乙巳の変で倒され、その後は蘇我入鹿が即位した。
ウ:中大兄皇子は大宝律令を制定した奈良時代の僧である。
エ:中大兄皇子は唐の皇帝で、倭国を直接支配した。
ア:中大兄皇子は乙巳の変後、政治的対立相手を排除しながら権力を強め、のちに天智天皇として即位した。
イ:中大兄皇子は乙巳の変で倒され、その後は蘇我入鹿が即位した。
ウ:中大兄皇子は大宝律令を制定した奈良時代の僧である。
エ:中大兄皇子は唐の皇帝で、倭国を直接支配した。
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答え:ア
【解説】中大兄皇子は、乙巳の変後、政治的対立の中で権力を強め、のちに天智天皇として即位したよ。ただし、単純な善悪ではなく、王族・豪族の政治対立の中で権力が集中していったと理解しよう。
【解説】中大兄皇子は、乙巳の変後、政治的対立の中で権力を強め、のちに天智天皇として即位したよ。ただし、単純な善悪ではなく、王族・豪族の政治対立の中で権力が集中していったと理解しよう。
問18
倭国という表記について、最も適切なものを選びなさい。
ア:倭国は江戸時代の幕府の正式名称である。
イ:倭国は唐の都の名前である。
ウ:倭国は明治時代の政府だけを指す言葉である。
エ:この時代の日本列島の政権を表す呼び方として、倭国やヤマト政権と書くと時代に合いやすい。
ア:倭国は江戸時代の幕府の正式名称である。
イ:倭国は唐の都の名前である。
ウ:倭国は明治時代の政府だけを指す言葉である。
エ:この時代の日本列島の政権を表す呼び方として、倭国やヤマト政権と書くと時代に合いやすい。
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答え:エ
【解説】7世紀半ばの記事では、現在の日本という意味で「日本」と断定しすぎるより、倭国やヤマト政権と書くほうが時代に合いやすいよ。
【解説】7世紀半ばの記事では、現在の日本という意味で「日本」と断定しすぎるより、倭国やヤマト政権と書くほうが時代に合いやすいよ。
問19
大化改新から律令国家への流れとして、最も適切なものを選びなさい。
ア:乙巳の変 → 改新の詔 → 白村江の戦い → 天智・天武・持統朝の改革 → 大宝律令
イ:大宝律令 → 乙巳の変 → 飛鳥文化 → 鎌倉幕府 → 白村江の戦い
ウ:白村江の戦い → 平安京遷都 → 改新の詔 → 藤原道長 → 大化改新
エ:乙巳の変 → 江戸幕府 → 公地公民制 → 平城京 → 室町幕府
ア:乙巳の変 → 改新の詔 → 白村江の戦い → 天智・天武・持統朝の改革 → 大宝律令
イ:大宝律令 → 乙巳の変 → 飛鳥文化 → 鎌倉幕府 → 白村江の戦い
ウ:白村江の戦い → 平安京遷都 → 改新の詔 → 藤原道長 → 大化改新
エ:乙巳の変 → 江戸幕府 → 公地公民制 → 平城京 → 室町幕府
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答え:ア
【解説】大化改新は律令国家へ向かう出発点だよ。乙巳の変、改新の詔、白村江の戦い、天智・天武・持統朝の改革を経て、701年の大宝律令へつながる流れを押さえよう。
【解説】大化改新は律令国家へ向かう出発点だよ。乙巳の変、改新の詔、白村江の戦い、天智・天武・持統朝の改革を経て、701年の大宝律令へつながる流れを押さえよう。
問20
大化改新の理解として、最も安全で正確なものを選びなさい。
ア:大化改新は、乙巳の変をきっかけに進められた一連の改革で、律令国家へ向かう出発点だった。
イ:大化改新は、645年に律令国家が完全に完成した出来事だった。
ウ:大化改新は、蘇我氏が天皇中心の政治を廃止した改革だった。
エ:大化改新は、仏教美術だけを発展させた文化運動だった。
ア:大化改新は、乙巳の変をきっかけに進められた一連の改革で、律令国家へ向かう出発点だった。
イ:大化改新は、645年に律令国家が完全に完成した出来事だった。
ウ:大化改新は、蘇我氏が天皇中心の政治を廃止した改革だった。
エ:大化改新は、仏教美術だけを発展させた文化運動だった。
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答え:ア
【解説】大化改新は、乙巳の変をきっかけに進められた一連の政治改革だよ。ただし、律令国家がすぐに完成したわけではなく、律令国家へ向かう出発点だったと理解しよう。
【解説】大化改新は、乙巳の変をきっかけに進められた一連の政治改革だよ。ただし、律令国家がすぐに完成したわけではなく、律令国家へ向かう出発点だったと理解しよう。
記述問題
問1
乙巳の変と大化改新の違いを説明しなさい。
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解答例:乙巳の変は、645年に中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿を倒した政変である。大化改新は、その乙巳の変をきっかけに進められた、天皇中心の中央集権国家をめざす一連の政治改革である。
【解説】「乙巳の変=事件」「大化改新=その後の改革」と区別して書くことが大切だよ。
【解説】「乙巳の変=事件」「大化改新=その後の改革」と区別して書くことが大切だよ。
問2
乙巳の変が起きた背景を、蘇我氏の権力集中にふれて説明しなさい。
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解答例:7世紀前半、蘇我氏は朝廷内で大きな力を持ち、蘇我入鹿は643年に厩戸王の子である山背大兄王を滅ぼした。こうした蘇我氏の権力集中が王族や他の豪族との対立を深め、中大兄皇子・中臣鎌足らによる乙巳の変につながった。
【解説】蘇我氏を単純に悪者とするのではなく、権力集中と皇位継承をめぐる対立として説明できるとよいよ。
【解説】蘇我氏を単純に悪者とするのではなく、権力集中と皇位継承をめぐる対立として説明できるとよいよ。
問3
乙巳の変後の新政権について説明しなさい。
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解答例:乙巳の変後、皇極天皇が譲位し、軽皇子が孝徳天皇として即位した。中大兄皇子は皇太子となり、中臣鎌足は内臣として政治に関わった。また、阿倍内麻呂が左大臣、蘇我倉山田石川麻呂が右大臣となり、旻・高向玄理が国博士として登用された。
【解説】孝徳天皇・中大兄皇子・中臣鎌足・左大臣・右大臣・国博士を整理して書けると強いよ。
【解説】孝徳天皇・中大兄皇子・中臣鎌足・左大臣・右大臣・国博士を整理して書けると強いよ。
問4
改新の詔について、内容と注意点を説明しなさい。
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解答例:改新の詔は、646年に出されたとされる改革方針で、公地公民制や地方制度、戸籍・税制の整備など、天皇中心の国づくりの方向性を示したものとされる。ただし、『日本書紀』の記述には後の律令制の内容が反映された可能性があり、書かれた内容が646年にすべてそのまま実行されたと断定するのは避けるべきである。
【解説】「646年に出されたとされる」「方向性」「後の律令制の反映の可能性」「すぐ完成ではない」を入れられるとよいよ。
【解説】「646年に出されたとされる」「方向性」「後の律令制の反映の可能性」「すぐ完成ではない」を入れられるとよいよ。
問5
公地公民制について、田荘・部曲と対比して説明しなさい。
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解答例:公地公民制とは、土地と人民を国家が支配するという考え方である。それ以前は、豪族が私有地である田荘や、支配下の人々である部曲を私的に支配していた。大化改新では、こうした豪族の私的支配を改め、国家が土地と人民を把握する方向性が示された。ただし、このしくみは後の律令制の中でしだいに具体化された。
【解説】田荘=豪族の私有地、部曲=豪族に支配された人々、公地公民制=国家による支配、と対比して書こう。
【解説】田荘=豪族の私有地、部曲=豪族に支配された人々、公地公民制=国家による支配、と対比して書こう。
問6
評の設置が大化改新の流れの中で持つ意味を説明しなさい。
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解答例:評は、7世紀に置かれた地方行政区画で、のちの律令制で郡につながるものと考えられる。地方を区分し、中央の支配を地方へ及ぼすためのしくみであり、中央集権化を進めるうえで重要な意味を持った。
【解説】評は「地方行政区画」「のちの郡」「中央集権化」と結びつけて説明しよう。
【解説】評は「地方行政区画」「のちの郡」「中央集権化」と結びつけて説明しよう。
問7
大化改新が律令国家へどのようにつながったか説明しなさい。
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解答例:大化改新は、乙巳の変をきっかけに進められた、天皇中心の中央集権国家をめざす一連の改革である。ただし、律令国家がすぐに完成したわけではなく、663年の白村江の戦い後に国防強化と中央集権化の必要性がさらに高まり、天智・天武・持統朝の改革を経て、701年の大宝律令へとつながっていった。
【解説】「大化改新=出発点」「白村江の戦い」「天智・天武・持統朝」「大宝律令」を流れで書けるとよいよ。
【解説】「大化改新=出発点」「白村江の戦い」「天智・天武・持統朝」「大宝律令」を流れで書けるとよいよ。
ドリルでさらに練習しよう
ここまで確認できたら、「大化改新」のドリルにも挑戦して、用語と流れをしっかり定着させよう!
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yumineko
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青山学院大学教育学科卒業。TOEIC795点。2児の母。2019年の長女の高校受験時、訳あって塾には行かずに自宅学習のみで挑戦することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。志望校の特待生クラストップ10位内で合格を果たす。 ※サイト全体の運営実績についてはこちらにまとめています。

