【高校日本史】「律令国家への道」テスト対策練習問題と過去問まとめ

高校日本史で学習する、「律令国家への道」のテストでよく出る問題をまとめているよ。

この単元では、律令国家の意味白村江の戦い天智天皇の改革庚午年籍近江令壬申の乱天武天皇八色の姓持統天皇飛鳥浄御原令庚寅年籍藤原京大宝律令の流れを整理することが大切だよ。

特に、律令国家は一気に完成したのではなく、大化改新から白村江の敗戦、天智・天武・持統朝の制度整備を経て、段階的に整えられたことを押さえておこう。

まずは解説を確認してからチャレンジする場合は、「律令国家への道」の解説ページをチェックしよう。

目次

「律令国家への道」テスト対策練習問題

重要語句の問題

次の文の( )に入る重要語句を答えなさい。

問1

律と令にもとづいて、天皇を中心に全国を支配する国家体制を( )という。
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答え:律令国家
【解説】律令国家とは、律と令という法にもとづいて、天皇を中心に全国を支配する国家体制のことだよ。律は刑罰、令は政治や行政のきまりを意味するよ。

問2

律令のうち、おもに刑罰のきまりを意味するものを( )という。
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答え:律
【解説】律は刑罰のきまりを指すよ。一方、令は政治や行政のしくみを定めたきまりだよ。

問3

律令のうち、政治や行政のしくみを定めたきまりを( )という。
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答え:令
【解説】令は政治や行政のしくみを定めたきまりだよ。律と令を合わせて律令というよ。

問4

663年、倭国が唐・新羅連合軍に敗れた戦いを( )という。
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答え:白村江の戦い
【解説】白村江の戦いは、倭国が百済復興を支援するために軍を送ったものの、唐・新羅連合軍に敗れた戦いだよ。国防強化と中央集権化が急がれるきっかけになった。

問5

白村江の戦いで倭国が敗れた相手は、唐と( )の連合軍である。
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答え:新羅
【解説】白村江の戦いでは、倭国は唐・新羅連合軍に敗れたよ。新羅は唐と結び、百済や高句麗と争った朝鮮半島の国だよ。

問6

白村江の戦い後、九州北部などに配置された国境防衛の兵士を( )という。
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答え:防人
【解説】防人は、外敵に備えて配置された兵士だよ。白村江の敗戦後の国防強化とセットで覚えよう。

問7

敵の接近を知らせるための、のろし台を( )という。
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答え:烽
【解説】烽は、火や煙で敵の接近を知らせるためののろし台だよ。白村江の敗戦後の防衛体制で重要だよ。

問8

白村江の敗戦後、筑紫に築かれた防御施設を( )という。
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答え:水城
【解説】水城は、筑紫に築かれた防御施設だよ。唐・新羅の侵攻に備える国防強化の一つとして押さえよう。

問9

667年、中大兄皇子が政治の中心を移した宮を( )という。
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答え:近江大津宮
【解説】近江大津宮は、現在の滋賀県大津市周辺にあったとされる宮だよ。白村江の敗戦後の国防・交通・政治再編と関係づけて押さえよう。

問10

668年、中大兄皇子が即位してなった天皇を( )という。
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答え:天智天皇
【解説】中大兄皇子は、668年に天智天皇として即位したよ。乙巳の変・大化改新から天智天皇の改革までつなげて覚えよう。

問11

670年に作られた、全国的な戸籍として知られるものを( )という。
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答え:庚午年籍
【解説】庚午年籍は、670年に作られた全国的な戸籍として知られるよ。「こうごねんじゃく」と読むことが多いけれど、「こうごねんせき」とする教材もあるため、学校の教材に合わせよう。

問12

天智天皇の時代に編纂されたと伝えられる令を( )という。
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答え:近江令
【解説】近江令は、天智天皇の時代に編纂されたと伝えられる令だよ。ただし現存せず、内容や完成度には不明な点があるため、断定しすぎないことが大切だよ。

問13

672年、天智天皇の死後に起きた皇位継承をめぐる内乱を( )という。
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答え:壬申の乱
【解説】壬申の乱は、672年に起きた皇位継承をめぐる内乱だよ。大友皇子と大海人皇子が争い、大海人皇子が勝利した。

問14

壬申の乱で、大海人皇子と争った天智天皇の子を( )という。
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答え:大友皇子
【解説】大友皇子は天智天皇の子で、壬申の乱で大海人皇子と争った人物だよ。

問15

壬申の乱に勝利し、のちに天武天皇として即位した人物を( )という。
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答え:大海人皇子
【解説】大海人皇子は、壬申の乱に勝利し、673年に天武天皇として即位した人物だよ。

問16

大海人皇子が即位してなった天皇を( )という。
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答え:天武天皇
【解説】大海人皇子は、壬申の乱に勝利したあと、天武天皇として即位したよ。天皇中心の国家づくりを進めた人物として重要だよ。

問17

684年、天武天皇が豪族を新しい姓で序列づけた制度を( )という。
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答え:八色の姓
【解説】八色の姓は、天武天皇が684年に定めた新しい姓の制度だよ。豪族を天皇中心の身分秩序に組み込む目的があった。

問18

689年に施行された令で、大宝律令へ向かう重要な段階となったものを( )という。
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答え:飛鳥浄御原令
【解説】飛鳥浄御原令は、天武天皇の時代に編纂が進められ、持統天皇の時代に施行された令だよ。大宝律令へ向かう重要な段階として押さえよう。

問19

690年に作られた戸籍を( )という。
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答え:庚寅年籍
【解説】庚寅年籍は、690年に作られた戸籍だよ。読み方には資料によるゆれがあるため、年号と内容を優先して覚えよう。

問20

694年、持統天皇が遷都した本格的な都城を( )という。
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答え:藤原京
【解説】藤原京は、694年に持統天皇が遷都した本格的な都城だよ。律令国家づくりの中で、都城の整備が進んだことを示す重要語句だよ。

問21

701年に制定され、律令国家のしくみを本格的に整えた律令を( )という。
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答え:大宝律令
【解説】大宝律令は、701年に制定された律令だよ。律令国家のしくみが本格的に整えられた重要な法典として押さえよう。

内容理解の問題

問1

律令国家の説明として、最も適切なものを選びなさい。

ア:律と令にもとづいて、天皇を中心に全国を支配する国家体制。
イ:豪族がそれぞれ独立して土地と人民を支配するしくみ。
ウ:寺院が政治をすべて行う仏教中心の国家体制。
エ:唐が倭国を直接支配するために作った制度。
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答え:ア
【解説】律令国家とは、律と令にもとづいて、天皇を中心に全国を支配する国家体制のことだよ。豪族がばらばらに支配するしくみから、中央政府が全国を管理するしくみへ進んでいったんだ。

問2

律と令の説明として、最も適切なものを選びなさい。

ア:律は寺院の名前、令は豪族の私有地を意味する。
イ:律は刑罰のきまり、令は政治や行政のしくみを定めたきまりを意味する。
ウ:律は朝鮮半島の国名、令は中国王朝の名前である。
エ:律は戸籍、令は年貢そのものを意味する。
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答え:イ
【解説】律は刑罰のきまり、令は政治や行政のしくみを定めたきまりだよ。この2つを合わせて律令というよ。

問3

白村江の戦いについて、最も適切なものを選びなさい。

ア:645年に蘇我入鹿が倒された政変である。
イ:672年に大友皇子と大海人皇子が争った内乱である。
ウ:663年に倭国が唐・新羅連合軍に敗れた戦いである。
エ:701年に律令国家のしくみが整えられた法典である。
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答え:ウ
【解説】白村江の戦いは、663年に倭国が唐・新羅連合軍に敗れた戦いだよ。この敗戦によって、国防強化と中央集権化の必要性が高まった。

問4

白村江の戦い後の倭国の動きとして、最も適切なものを選びなさい。

ア:国防をやめ、地方豪族の独立を認めた。
イ:唐・新羅の侵攻に備え、防人・烽・水城などを整備した。
ウ:大宝律令をただちに制定し、奈良時代を始めた。
エ:百済を攻め滅ぼし、朝鮮半島を直接支配した。
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答え:イ
【解説】白村江の敗戦後、倭国は唐・新羅の侵攻に備え、防人・烽・水城・大野城・基肄城などを整備したよ。国防強化と中央集権化が重要になったんだ。

問5

近江大津宮への遷都について、最も適切なものを選びなさい。

ア:667年、中大兄皇子が政治の中心を近江へ移した。
イ:694年、持統天皇が唐の都へ移った。
ウ:710年、聖武天皇が平城京へ移った。
エ:794年、桓武天皇が藤原京へ移った。
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答え:ア
【解説】667年、中大兄皇子は政治の中心を近江大津宮へ移したよ。白村江の敗戦後の国防・交通・政治再編と結びつけて押さえよう。

問6

庚午年籍について、最も適切なものを選びなさい。

ア:672年に起きた皇位継承をめぐる内乱である。
イ:684年に定められた豪族の姓の制度である。
ウ:670年に作られた全国的な戸籍として知られる。
エ:701年に制定された刑罰と行政の法典である。
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答え:ウ
【解説】庚午年籍は、670年に作られた全国的な戸籍として知られるよ。読み方には教材による違いがあるため、テストでは学校の教材に合わせよう。

問7

近江令の扱いとして、最も適切なものを選びなさい。

ア:現存する完全な法典であり、内容がすべて詳しくわかっている。
イ:天智天皇の時代に編纂されたと伝えられるが、実態には不明な点がある。
ウ:藤原道長が平安時代に制定した貴族の法律である。
エ:唐が倭国を支配するために出した命令である。
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答え:イ
【解説】近江令は、天智天皇の時代に編纂されたと伝えられる令だよ。ただし現存する法典ではなく、内容や完成度には不明な点が多いので、慎重に扱おう。

問8

壬申の乱について、最も適切なものを選びなさい。

ア:天智天皇の死後、大友皇子と大海人皇子が争った皇位継承をめぐる内乱である。
イ:百済復興を支援するため、倭国が唐・新羅連合軍と戦った戦争である。
ウ:蘇我入鹿が山背大兄王を滅ぼした事件である。
エ:天武天皇が豪族を新しい姓で序列づけた制度である。
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答え:ア
【解説】壬申の乱は、672年に起きた皇位継承をめぐる内乱だよ。大友皇子と大海人皇子が争い、大海人皇子が勝利した。

問9

壬申の乱の結果として、最も適切なものを選びなさい。

ア:大友皇子が勝利し、唐の皇帝となった。
イ:蘇我入鹿が復活し、豪族支配が強まった。
ウ:大海人皇子が勝利し、天武天皇として即位した。
エ:持統天皇がただちに大宝律令を制定した。
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答え:ウ
【解説】壬申の乱では大海人皇子が勝利し、673年に天武天皇として即位したよ。その後、天皇中心の国家づくりが進められた。

問10

八色の姓について、最も適切なものを選びなさい。

ア:白村江の戦い後に置かれた防衛の兵士である。
イ:天武天皇が定めた、豪族を新しい姓で序列づける制度である。
ウ:670年に作られた全国的な戸籍である。
エ:近江大津宮の別名である。
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答え:イ
【解説】八色の姓は、684年に天武天皇が定めた制度だよ。豪族を天皇中心の新しい身分秩序に組み込む目的があった。

問11

天皇号・日本国号について、最も安全な理解を選びなさい。

ア:645年に乙巳の変が起きた瞬間、天皇号と日本国号が完全に正式決定した。
イ:白村江の戦いで敗れたため、倭国は唐の国号を使うようになった。
ウ:天武・持統朝ごろに、天皇中心の国家意識が強まり、天皇号や日本国号が用いられる方向へ進んだと考えられる。
エ:天皇号と日本国号は、江戸時代に初めて使われた。
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答え:ウ
【解説】天皇号や日本国号は、7世紀後半から8世紀初めにかけて用いられる方向へ進んだと考えられるよ。「この年に完全に決まった」と断定しすぎないことが大切だよ。

問12

飛鳥浄御原令について、最も適切なものを選びなさい。

ア:689年に施行された令で、大宝律令へ向かう重要な段階となった。
イ:663年に唐・新羅連合軍が倭国に出した命令である。
ウ:672年に大友皇子と大海人皇子が争った内乱である。
エ:694年に造られた都城の名前である。
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答え:ア
【解説】飛鳥浄御原令は、689年に施行された令だよ。天武天皇の時代に編纂が進められ、持統天皇の時代に施行されたとされる。大宝律令へ向かう重要な段階だよ。

問13

庚寅年籍について、最も適切なものを選びなさい。

ア:684年に定められた豪族の序列制度である。
イ:690年に作られた戸籍である。
ウ:667年に遷都した宮の名前である。
エ:663年に起きた対外戦争である。
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答え:イ
【解説】庚寅年籍は、690年に作られた戸籍だよ。読み方には資料によるゆれがあるため、年号と内容を優先して押さえよう。

問14

藤原京について、最も適切なものを選びなさい。

ア:645年に蘇我入鹿が倒された宮である。
イ:663年に倭国が敗れた朝鮮半島の戦場である。
ウ:694年に持統天皇が遷都した本格的な都城である。
エ:701年に制定された律令の名前である。
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答え:ウ
【解説】藤原京は、694年に持統天皇が遷都した本格的な都城だよ。律令国家づくりの中で、都そのものも計画的に整えられていったことを押さえよう。

問15

大宝律令について、最も適切なものを選びなさい。

ア:645年に中大兄皇子が蘇我入鹿を倒した政変である。
イ:670年に作られた全国的な戸籍である。
ウ:684年に定められた豪族の姓の制度である。
エ:701年に制定され、律令国家のしくみを本格的に整えた律令である。
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答え:エ
【解説】大宝律令は、701年に制定された律令だよ。中央官制、地方制度、税制、刑罰など、律令国家のしくみが本格的に整えられた。

問16

律令国家への流れとして、最も適切なものを選びなさい。

ア:大宝律令 → 白村江の戦い → 壬申の乱 → 大化改新 → 藤原京
イ:白村江の戦い → 平安京遷都 → 鎌倉幕府 → 八色の姓 → 庚午年籍
ウ:大化改新 → 白村江の戦い → 天智天皇の改革 → 壬申の乱 → 天武・持統朝の制度整備 → 大宝律令
エ:壬申の乱 → 江戸幕府 → 藤原京 → 大宝律令 → 乙巳の変
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答え:ウ
【解説】律令国家は一気に完成したのではなく、大化改新、白村江の戦い、天智天皇の改革、壬申の乱、天武・持統朝の制度整備を経て、大宝律令へとつながったよ。

問17

律令国家の形成について、最も適切な理解を選びなさい。

ア:645年の乙巳の変によって、律令国家のしくみがすべて完成した。
イ:律令国家は、外からの危機と国内の政治改革を背景に、段階的に整えられた。
ウ:律令国家は、豪族がそれぞれ独立して支配する体制を強めるために作られた。
エ:律令国家は、寺院だけが国を治めるための制度だった。
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答え:イ
【解説】律令国家は、白村江の敗戦による外からの危機と、大化改新以後の国内改革を背景に、天智・天武・持統朝を経て段階的に整えられていったよ。

問18

戸籍が律令国家づくりで重要だった理由として、最も適切なものを選びなさい。

ア:戸籍によって、人々を把握し、税や労役、兵役を管理する基礎を作ることができたから。
イ:戸籍によって、唐・新羅の国名をすべて記録できたから。
ウ:戸籍によって、寺院の建築様式だけを定めることができたから。
エ:戸籍によって、豪族が中央政府から完全に独立できたから。
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答え:ア
【解説】律令国家では、国家が人民を把握することが重要だったよ。戸籍は、税・労役・兵役などを管理する基礎になったんだ。

記述問題

問1

律令国家とはどのような国家体制か、「律」「令」という語を使って説明しなさい。
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解答例:律令国家とは、刑罰のきまりである律と、政治や行政のしくみを定めた令にもとづいて、天皇を中心に全国を支配する国家体制である。
【解説】「律=刑罰」「令=政治・行政」「天皇中心」「全国支配」という要素を入れられるとよいよ。

問2

白村江の戦いが、倭国の国づくりに与えた影響を説明しなさい。
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解答例:663年の白村江の戦いで倭国は唐・新羅連合軍に敗れた。この敗戦によって、唐や新羅の侵攻への危機感が高まり、防人・烽・水城などによる国防強化が進められた。また、国を守るために国内を中央でまとめる必要が強く意識され、中央集権化が進むきっかけとなった。
【解説】「白村江の敗戦」「国防強化」「中央集権化」をつなげて説明しよう。

問3

天智天皇の改革について、近江大津宮・庚午年籍・近江令にふれて説明しなさい。
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解答例:白村江の敗戦後、中大兄皇子は667年に近江大津宮へ遷都し、668年に天智天皇として即位した。天智天皇の時代には、670年に庚午年籍が作られ、国家が人々を把握する基礎が整えられた。また、近江令が編纂されたと伝えられるが、現存せず、内容や完成度には不明な点がある。これらは戸籍や法にもとづく支配を進める動きだった。
【解説】近江令は「完成した」と断定せず、「編纂されたと伝えられる」「不明な点がある」と慎重に書くとよいよ。

問4

壬申の乱について、対立した人物と結果を説明しなさい。
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解答例:壬申の乱は、672年に天智天皇の死後の皇位継承をめぐって起きた内乱である。天智天皇の子である大友皇子と、天智天皇の弟である大海人皇子が争い、大海人皇子が勝利した。その後、大海人皇子は天武天皇として即位した。
【解説】「672年」「大友皇子」「大海人皇子」「大海人皇子の勝利」「天武天皇として即位」を入れよう。

問5

天武天皇の政治について、八色の姓にふれて説明しなさい。
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解答例:壬申の乱に勝利して即位した天武天皇は、強い権力を背景に天皇中心の国家づくりを進めた。684年には八色の姓を定め、豪族を新しい姓によって序列づけ、天皇を中心とする身分秩序の中に組み込もうとした。
【解説】八色の姓は、豪族を天皇中心の序列に組み込む制度として説明しよう。

問6

天皇号・日本国号について、注意すべき点を説明しなさい。
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解答例:天皇号や日本国号は、7世紀後半から8世紀初めにかけて用いられる方向へ進んだと考えられる。ただし、「特定の年に完全に正式決定した」と断定しすぎるのは避けるべきである。高校日本史では、天武・持統朝ごろに天皇中心の国家意識が強まっていったと整理するとよい。
【解説】この問題では、断定しすぎない表現が大切だよ。「天武・持統朝ごろ」「国家意識の高まり」と書けるとよいね。

問7

持統天皇の時代に進んだ律令国家づくりについて説明しなさい。
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解答例:持統天皇の時代には、689年に飛鳥浄御原令が施行され、690年に庚寅年籍が作られた。また、694年には藤原京へ遷都し、本格的な都城が整えられた。これらは、法・戸籍・都城を整えることで、律令国家のしくみを本格的に整えていく動きだった。
【解説】「飛鳥浄御原令」「庚寅年籍」「藤原京」をセットで押さえよう。

問8

大化改新から大宝律令までの流れを説明しなさい。
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解答例:645年の乙巳の変と大化改新によって、天皇中心の中央集権国家をめざす方向が示された。その後、663年の白村江の戦いで倭国が敗れると、国防強化と中央集権化の必要性がさらに高まった。天智天皇の時代には庚午年籍や近江令の編纂伝承があり、壬申の乱後の天武天皇の時代には八色の姓や律令編纂が進められた。持統天皇の時代には飛鳥浄御原令、庚寅年籍、藤原京への遷都が行われ、701年の大宝律令によって律令国家のしくみが本格的に整えられた。
【解説】この単元の大きな流れを問う問題だよ。「一気に完成」ではなく、「段階的に整えられた」と書くことが大切だよ。

ドリルでさらに練習しよう

ここまで確認できたら、「律令国家への道」のドリルにも挑戦して、用語と流れをしっかり定着させよう!

運営者情報

青山学院大学教育学科卒業。TOEIC795点。2児の母。2019年の長女の高校受験時、訳あって塾には行かずに自宅学習のみで挑戦することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。志望校の特待生クラストップ10位内で合格を果たす。 ※サイト全体の運営実績についてはこちらにまとめています。

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