「飛鳥時代のはじまりと仏教受容」テスト対策練習問題と過去問まとめ

高校日本史で学習する、「飛鳥時代のはじまりと仏教受容」のテストでよく出る問題をまとめているよ。

この単元では、6世紀の東アジア情勢加耶諸国の消滅大伴氏の後退蘇我氏と物部氏の対立仏教受容隋の中国統一、そして推古朝の改革へつながる流れを理解することが大切だよ。

特に、562年の加耶諸国の新羅併合587年の蘇我馬子による物部守屋滅亡589年の隋の中国統一593年の推古天皇即位を、時系列で押さえておこう。

まずは解説を確認してからチャレンジする場合は、「飛鳥時代のはじまりと仏教受容」解説ページをチェックしよう。

目次

「飛鳥時代のはじまりと仏教受容」テスト対策練習問題

重要語句の問題

次の文の( )に入る重要語句を答えなさい。

問1

おおまかに6世紀末から7世紀末ごろまで、奈良県の飛鳥地方を中心に政治が行われた時代を( )という。

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答え:飛鳥時代
【解説】飛鳥時代は、ヤマト政権が天皇を中心とする国家へ変わろうとしていった時代だよ。

問2

6世紀の朝鮮半島北部を中心に勢力を持ち、南へ勢力を広げようとした国を( )という。

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答え:高句麗
【解説】高句麗は朝鮮半島北部を中心に勢力を持った国だよ。百済や新羅との関係もあわせて押さえよう。

問3

朝鮮半島南西部にあり、ヤマト政権と関係が深かった国を( )という。

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答え:百済
【解説】百済はヤマト政権と関係が深く、仏教や大陸文化の伝来とも関係する重要な国だよ。

問4

朝鮮半島南東部にあり、562年に加耶諸国を併合した国を( )という。

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答え:新羅
【解説】新羅はしだいに勢力を強め、562年に加耶諸国を併合したよ。このことがヤマト政権にも影響を与えたんだ。

問5

朝鮮半島南部にあった小国群で、鉄資源や交易を通じてヤマト政権と関係した地域を( )という。

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答え:加耶諸国
【解説】加耶諸国は、朝鮮半島南部にあった小国群だよ。ヤマト政権にとって、鉄や交易、朝鮮半島との関係で重要な地域だったんだ。

問6

562年、加耶諸国は( )に併合された。

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答え:新羅
【解説】562年に加耶諸国が新羅に併合されたことで、ヤマト政権は朝鮮半島南部での影響力を後退させたと考えられるよ。

問7

軍事や外交の面で力を持っていたが、朝鮮半島政策の失敗をきっかけに後退した有力豪族を( )という。

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答え:大伴氏
【解説】大伴氏は、軍事や外交で力を持った豪族だったよ。加耶をめぐる政策の失敗が、大伴氏の後退につながったと整理しよう。

問8

大伴氏の有力者で、朝鮮半島政策の失敗をきっかけに政権の中心から退いた人物を( )という。

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答え:大伴金村
【解説】大伴金村は「おおとものかなむら」と読むよ。加耶をめぐる外交・軍事政策と結びつけて覚えよう。

問9

軍事や伝統的な祭祀と関係が深く、仏教受容に反対した豪族を( )という。

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答え:物部氏
【解説】物部氏は、伝統的な神々への信仰や祭祀を重んじた豪族として整理されるよ。

問10

渡来人や財政、新しい文化と関係が深く、仏教受容を進めた豪族を( )という。

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答え:蘇我氏
【解説】蘇我氏は、仏教や大陸文化の受容を進めた豪族として重要だよ。物部氏との対立とセットで押さえよう。

問11

587年に物部守屋を滅ぼし、推古天皇のもとで政治を支えた蘇我氏の有力者を( )という。

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答え:蘇我馬子
【解説】蘇我馬子は、物部守屋を滅ぼして蘇我氏の力を強めた人物だよ。推古朝の政治にも深く関わるよ。

問12

587年に蘇我馬子によって滅ぼされた物部氏の有力者を( )という。

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答え:物部守屋
【解説】物部守屋は、仏教受容に反対した物部氏の有力者だよ。587年、蘇我馬子に滅ぼされたことを押さえよう。

問13

百済から仏教が伝えられたことを( )という。

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答え:仏教公伝
【解説】仏教公伝には538年説と552年説があるよ。定期テストでは、学校で使っている教科書や授業プリントの年号を確認しよう。

問14

589年に南朝の陳を滅ぼして中国を統一した王朝を( )という。

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答え:隋
【解説】隋の中国統一によって、東アジアの国際環境は大きく変化したよ。ヤマト政権が国のしくみを整えようとする背景として重要だよ。

問15

593年に即位し、聖徳太子や蘇我馬子とともに政治を進めた天皇を( )という。

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答え:推古天皇
【解説】推古天皇は、593年に即位した天皇だよ。女性天皇としても重要で、聖徳太子・蘇我馬子とセットで押さえよう。

問16

推古天皇を支え、冠位十二階・憲法十七条・遣隋使派遣などに関わった人物を( )という。

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答え:聖徳太子(厩戸王)
【解説】聖徳太子は厩戸王とも呼ばれるよ。推古天皇を支え、国のしくみを整える改革に関わった人物として重要だよ。

問17

603年に定められ、個人の能力や功績を評価しようとした制度を( )という。

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答え:冠位十二階
【解説】冠位十二階は、氏族単位ではなく個人に位を与え、能力や功績を評価しようとした制度だよ。

問18

604年に定められた、役人の心構えを示したものを( )という。

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答え:憲法十七条
【解説】憲法十七条は、現在の憲法とは性格が異なり、役人の心構えを示したものとして押さえよう。

問19

隋へ派遣された使節を( )という。特に607年の小野妹子の派遣が重要である。

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答え:遣隋使
【解説】遣隋使は、隋の制度や文化を学ぶために派遣された使節だよ。607年の小野妹子の派遣が特に重要だよ。

東アジア情勢と加耶諸国の問題

問1

6世紀の朝鮮半島情勢として、最も適切なものを選びなさい。

ア:朝鮮半島には新羅だけが存在し、他の国はなかった。
イ:高句麗・百済・新羅が勢力を争い、南部には加耶諸国があった。
ウ:高句麗・百済・新羅はすべて日本列島の中にあった。
エ:加耶諸国は中国大陸北部にあった大帝国だった。

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答え:イ
【解説】6世紀の朝鮮半島では、高句麗・百済・新羅が勢力を争い、南部には加耶諸国があったよ。位置関係も図で確認しておこう。

問2

ヤマト政権が加耶諸国との関係を重視した理由として、最も適切なものを選びなさい。

ア:加耶諸国が、ヤマト政権の都そのものだったから。
イ:加耶諸国が、隋の首都として中国を統一したから。
ウ:加耶諸国が、鉄資源や交易、大陸文化とのつながりの面で重要だったから。
エ:加耶諸国が、冠位十二階を定めたから。

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答え:ウ
【解説】加耶諸国は、鉄資源や交易を通じてヤマト政権と関係が深かったとされるよ。朝鮮半島南部との関係は、ヤマト政権にとって重要だったんだ。

問3

562年に加耶諸国が新羅に併合されたことが、ヤマト政権に与えた影響として、最も適切なものを選びなさい。

ア:ヤマト政権はただちに隋を支配した。
イ:蘇我氏と物部氏の対立が完全に終わった。
ウ:大伴氏がさらに大きな力を持つようになった。
エ:ヤマト政権は朝鮮半島南部での影響力を後退させた。

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答え:エ
【解説】加耶諸国の消滅は、ヤマト政権にとって朝鮮半島南部での足がかりを失う出来事だったと考えられるよ。

問4

加耶の消滅を説明するときの注意点として、最も適切なものを選びなさい。

ア:ヤマト政権が加耶を完全に直接支配していたと単純に言い切らず、関係を重視していた地域として慎重に説明する。
イ:加耶は日本列島の奈良盆地にあったと説明する。
ウ:加耶は589年に隋によって滅ぼされたと説明する。
エ:加耶は仏教受容に反対した豪族の名前だと説明する。

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答え:ア
【解説】加耶とヤマト政権の関係は、単純な直接支配として説明しすぎないことが大切だよ。「朝鮮半島南部との関係を重視していた」と押さえると安全だよ。

大伴氏・蘇我氏・物部氏の問題

問1

大伴氏が後退した理由として、最も適切なものを選びなさい。

ア:大伴氏が冠位十二階を定めたため。
イ:朝鮮半島政策の失敗が、軍事や外交を担った大伴氏の責任問題になったため。
ウ:大伴氏が隋を滅ぼしたため。
エ:大伴氏が加耶諸国を新羅から奪い返したため。

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答え:イ
【解説】大伴氏は軍事や外交で力を持った豪族だったため、加耶をめぐる朝鮮半島政策の失敗が後退につながったと整理しよう。

問2

大伴氏の後退後、ヤマト政権内で台頭した豪族の組み合わせとして、最も適切なものを選びなさい。

ア:藤原氏と平氏
イ:源氏と北条氏
ウ:蘇我氏と物部氏
エ:足利氏と徳川氏

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答え:ウ
【解説】大伴氏が後退したあと、ヤマト政権内で力を強めたのが蘇我氏と物部氏だよ。仏教受容をめぐる対立とセットで押さえよう。

問3

物部氏の立場として、最も適切なものを選びなさい。

ア:渡来人との関係が深く、仏教受容を積極的に進めた。
イ:隋へ遣隋使として派遣された。
ウ:加耶諸国を統一した。
エ:伝統的な祭祀を重んじ、仏教受容に反対した。

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答え:エ
【解説】物部氏は、伝統的な神々への信仰や祭祀を重んじた豪族として整理されるよ。仏教受容に反対した点が重要だよ。

問4

蘇我氏の立場として、最も適切なものを選びなさい。

ア:渡来人との関係が深く、仏教受容を進めた。
イ:伝統的な祭祀を重んじ、仏教受容に反対した。
ウ:562年に加耶諸国を併合した。
エ:589年に中国を統一した。

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答え:ア
【解説】蘇我氏は、渡来人や財政、新しい文化と関係が深く、仏教受容を進めた豪族として重要だよ。

問5

蘇我氏と物部氏の対立の説明として、最も適切なものを選びなさい。

ア:新羅と百済のどちらを日本列島に移すかをめぐって争った。
イ:仏教を受け入れるかどうかをめぐり、ヤマト政権の進む方向が争点になった。
ウ:冠位十二階を制定する年を603年にするか604年にするかで争った。
エ:遣隋使を朝鮮半島へ送るか中国へ送るかで争った。

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答え:イ
【解説】蘇我氏と物部氏の対立は、単なる宗教の好き嫌いではなく、仏教という新しい文化を受け入れるかどうかをめぐる政治的な対立でもあったよ。

問6

587年の出来事として、最も適切なものを選びなさい。

ア:隋が南朝の陳を滅ぼして中国を統一した。
イ:推古天皇が即位した。
ウ:蘇我馬子が物部守屋を滅ぼした。
エ:遣隋使が派遣された。

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答え:ウ
【解説】587年、蘇我馬子が物部守屋を滅ぼしたよ。この結果、蘇我氏が強い影響力を持ち、仏教受容が進む方向になったんだ。

仏教受容と隋の中国統一の問題

問1

仏教公伝の説明として、最も適切なものを選びなさい。

ア:隋から冠位十二階が伝えられたことで、603年説と604年説がある。
イ:新羅から加耶諸国が伝えられたことで、562年説と589年説がある。
ウ:高句麗から遣隋使が派遣されたことで、607年説だけがある。
エ:百済から仏教が伝えられたことで、538年説と552年説がある。

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答え:エ
【解説】仏教公伝は、百済から仏教が伝えられたことを指すよ。538年説と552年説があるため、教科書の扱いを確認しよう。

問2

仏教受容が大きな問題になった理由として、最も適切なものを選びなさい。

ア:仏教は宗教だけでなく、寺院建築・仏像・漢字文化・大陸の制度などとも関係していたから。
イ:仏教を受け入れると、朝鮮半島の国々がすべてなくなるから。
ウ:仏教は鉄資源だけを輸入するための技術だったから。
エ:仏教は大伴氏だけが使える軍事制度だったから。

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答え:ア
【解説】仏教は、宗教であると同時に、大陸の先進文化や制度を取り入れるきっかけでもあったよ。だから政治・外交・文化とも関係する大問題だったんだ。

問3

589年の隋の中国統一について、最も適切なものを選びなさい。

ア:隋が加耶諸国を新羅から独立させ、ヤマト政権に与えた。
イ:隋が南朝の陳を滅ぼして中国を統一し、東アジアの国際環境が大きく変化した。
ウ:隋が物部守屋を滅ぼし、蘇我馬子を即位させた。
エ:隋が奈良盆地に都を置き、飛鳥時代を始めた。

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答え:イ
【解説】589年、隋は南朝の陳を滅ぼして中国を統一したよ。これにより東アジアの国際環境が大きく変化し、ヤマト政権も国のしくみを整える必要を強く意識するようになったんだ。

問4

隋の中国統一がヤマト政権に与えた影響として、最も適切なものを選びなさい。

ア:ヤマト政権はすぐに中国大陸を支配するようになった。
イ:朝鮮半島との関係が完全になくなった。
ウ:豪族同士の政治がそのままでよいと考えられるようになった。
エ:強大な中国王朝や朝鮮半島の国々に対応するため、制度を整え、国としてまとまる必要が高まった。

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答え:エ
【解説】隋という大きな統一王朝が現れたことで、ヤマト政権は東アジアの国際関係に対応するため、より整った国家体制をつくる必要に迫られたんだ。

推古朝の改革へつながる流れの問題

問1

次の出来事を年代の古い順に並べたものとして、最も適切なものを選びなさい。

ア:推古天皇即位 → 隋の中国統一 → 加耶諸国の新羅併合 → 蘇我馬子が物部守屋を滅ぼす
イ:加耶諸国の新羅併合 → 蘇我馬子が物部守屋を滅ぼす → 隋の中国統一 → 推古天皇即位
ウ:隋の中国統一 → 加耶諸国の新羅併合 → 推古天皇即位 → 蘇我馬子が物部守屋を滅ぼす
エ:蘇我馬子が物部守屋を滅ぼす → 推古天皇即位 → 加耶諸国の新羅併合 → 隋の中国統一

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答え:イ
【解説】562年に加耶諸国が新羅に併合、587年に蘇我馬子が物部守屋を滅ぼし、589年に隋が中国を統一、593年に推古天皇が即位するよ。

問2

推古天皇の時代につながる流れとして、最も適切なものを選びなさい。

ア:加耶諸国が中国を統一したため、ヤマト政権は政治をやめた。
イ:物部氏が蘇我氏を滅ぼしたことで、仏教受容が完全に禁止された。
ウ:朝鮮半島情勢の変化や仏教受容をめぐる対立、隋の中国統一を背景に、国のしくみを整える必要が高まった。
エ:大伴氏が推古天皇として即位し、遣隋使を廃止した。

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答え:ウ
【解説】推古朝の改革は、突然始まったのではなく、6世紀の東アジア情勢や豪族同士の対立を背景に必要になったものとして理解しよう。

問3

593年に推古天皇が即位した後の改革として、組み合わせが正しいものを選びなさい。

ア:607年 加耶併合、604年 物部守屋滅亡、603年 隋の統一
イ:562年 冠位十二階、587年 憲法十七条、589年 遣隋使
ウ:538年 隋の統一、552年 推古天皇即位、562年 遣隋使
エ:603年 冠位十二階、604年 憲法十七条、607年 遣隋使

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答え:エ
【解説】推古朝の改革では、603年の冠位十二階、604年の憲法十七条、607年の遣隋使を時系列で押さえよう。

問4

この単元全体の流れとして、最も適切なものを選びなさい。

ア:加耶の消滅で朝鮮半島での影響力が後退し、大伴氏が後退、蘇我氏と物部氏が台頭し、仏教をめぐる対立を経て、推古朝の改革へつながった。
イ:隋の中国統一によって加耶諸国が成立し、物部氏が仏教を広め、蘇我氏がそれに反対した。
ウ:高句麗が推古天皇を即位させたことで、ヤマト政権は朝鮮半島を直接支配した。
エ:冠位十二階が定められたため、大伴氏が加耶諸国を併合した。

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答え:ア
【解説】この単元は、「東アジア情勢 → 加耶の消滅 → 大伴氏の後退 → 蘇我氏・物部氏の台頭 → 仏教受容をめぐる対立 → 推古朝の改革へ」という流れで理解しよう。

記述問題

問1

加耶諸国の消滅が、ヤマト政権に与えた影響を説明しなさい。

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解答例:加耶諸国は、朝鮮半島南部にあり、鉄資源や交易を通じてヤマト政権と関係が深かった。562年に加耶諸国が新羅に併合されると、ヤマト政権は朝鮮半島南部での足がかりを失い、朝鮮半島での影響力を後退させることになった。
【解説】「加耶=朝鮮半島南部」「鉄・交易」「562年に新羅へ併合」「ヤマト政権の影響力後退」を入れられるとよいよ。

問2

大伴氏が後退した理由を、朝鮮半島政策と結びつけて説明しなさい。

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解答例:大伴氏は、軍事や外交の面で力を持っていた豪族だった。しかし、加耶をめぐる朝鮮半島政策がうまくいかなくなると、その失敗が大伴氏の責任問題となった。その結果、大伴金村は政権の中心から退き、大伴氏は後退した。
【解説】大伴氏は「軍事・外交」と結びつけると説明しやすいよ。加耶政策の失敗が、勢力交代につながった点が大切だよ。

問3

蘇我氏と物部氏が仏教をめぐって対立した理由を説明しなさい。

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解答例:物部氏は、伝統的な神々への信仰や祭祀を重んじ、外国から伝わった仏教を受け入れることに反対した。一方、蘇我氏は渡来人との関係が深く、仏教や大陸の新しい文化・制度を取り入れることを重視した。そのため、仏教を受け入れるかどうかをめぐって両者は対立した。
【解説】「物部氏=伝統的祭祀」「蘇我氏=仏教・渡来人・新文化」を対比して書けるとよいよ。

問4

仏教受容が、単なる宗教問題ではなかった理由を説明しなさい。

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解答例:仏教は、宗教であるだけでなく、寺院建築、仏像づくり、経典を読むための漢字文化、僧侶の知識、大陸の制度や思想などと結びついていた。そのため、仏教を受け入れることは、大陸の先進文化や制度を取り入れ、ヤマト政権の国づくりに活かすかどうかという政治・文化・外交上の問題でもあった。
【解説】仏教受容は、「宗教」だけでなく「大陸文化の受け入れ」と考えると、蘇我氏と物部氏の対立の意味がわかりやすくなるよ。

問5

隋の中国統一が、ヤマト政権に与えた影響を説明しなさい。

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解答例:589年、隋が南朝の陳を滅ぼして中国を統一すると、東アジアの国際環境が大きく変化した。ヤマト政権は、強大な中国王朝や朝鮮半島の国々に対応するため、豪族同士が力を分け合う政治のままではなく、制度を整え、国としてまとまる必要を強く意識するようになった。
【解説】「589年」「隋の中国統一」「東アジアの国際環境」「国のしくみを整える必要」を入れるとよいよ。

問6

6世紀後半の国内外の変化が、推古朝の改革へどのようにつながったかを説明しなさい。

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解答例:6世紀後半には、加耶諸国の消滅によってヤマト政権の朝鮮半島での影響力が後退し、朝鮮半島政策を担った大伴氏が後退した。その後、蘇我氏と物部氏が台頭し、仏教受容をめぐって対立したが、587年に蘇我馬子が物部守屋を滅ぼし、仏教を積極的に受け入れる方向が強まった。さらに589年に隋が中国を統一したことで、ヤマト政権は東アジアの国際環境に対応するため、国のしくみを整える必要に迫られた。こうした流れが、推古天皇・聖徳太子の改革へつながった。
【解説】少し長い記述問題では、「加耶の消滅→大伴氏後退→蘇我氏・物部氏の対立→蘇我氏勝利→隋の統一→推古朝の改革」という順番で書くと整理しやすいよ。

ドリルでさらに練習しよう

ここまで確認できたら、「飛鳥時代のはじまりと仏教受容」のドリルにも挑戦して、用語と流れをしっかり定着させよう!

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運営者情報

青山学院大学教育学科卒業。TOEIC795点。2児の母。2019年の長女の高校受験時、訳あって塾には行かずに自宅学習のみで挑戦することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。志望校の特待生クラストップ10位内で合格を果たす。 ※サイト全体の運営実績についてはこちらにまとめています。

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