卑弥呼とはどんな人物か小学生向けにわかりやすく解説(完全版)
卑弥呼とはどんな人?何をした人?邪馬台国はどこにあったの?魏志倭人伝とは?卑弥呼について、イラストも使って小学生向けにわかりやすくカンタンな言葉でくわしく解説。漢字にはフリガナもあるので、子供だけで読むことができるよ。
このページでは、卑弥呼と邪馬台国について 教科書で説明されているような一般的な説と、おまけとして「卑弥呼と邪馬台国の本当の正体」について面白い説を紹介するよ。
目次【本記事の内容】
- 1.卑弥呼とは
- 2.魏志倭人伝とは
- 3.邪馬台国とは
- 4.卑弥呼とはどんな人物か
- 5.卑弥呼に関する色々な説
- 6.卑弥呼と邪馬台国の正体とは
卑弥呼とは
卑弥呼とは、3世紀ごろ(弥生時代)の日本にあった邪馬台国という国の女王だよ。
まずは卑弥呼についてキホン的なことを紹介するよ。
それぞれ、あとでくわしく解説していくので安心してね。
誕生:不明
没:248年ごろ(説によって240年~248年の間と考えられている)
中国の「魏志倭人伝」に登場する邪馬台国の女王。
魏へ使いを送り、魏の皇帝から「親魏倭王」の称号と金印、銅鏡などを授かる。
※背景に色がついている言葉は、タップ(クリック)すると言葉の意味が表示されるよ!
147〜189年
「昔の日本のことを中国では「倭」と呼んでいたよ。倭 」ではたくさんの国々が争っていたが、卑弥呼ひみこを女王とすることで争いがおさまった
238〜239年
卑弥呼が昔の中国にあった王朝(皇帝が治める国)の名前魏 へ使いを送り、「親魏倭王」の称号、金印、銅鏡を与えられる。
240年
魏の現在のソウルのあたり。このころ中国の植民地だった。帯方郡 から使者が来る。卑弥呼が魏の皇帝へお礼の書を送る。
243年
卑弥呼が魏に使者を送り、奴隷
245年
魏の皇帝から戦いの時に使用する旗軍旗 が贈られる。
247年
邪馬台国・このころ、邪馬台国と対立していた国の名前。狗奴国 との間で戦争が起こる。卑弥呼が魏の皇帝へ助けを求める。魏から軍旗と、狗奴国に対して「戦いをやめるように」という国書が送られる。
248年
卑弥呼が亡くなる。壹与が女王になる。壹与が魏へ奴隷や真珠を献上する。
266年
壹与が昔の中国にあった王朝の名前。西晋 へ使者を送る。
(歴史書で分かっている邪馬台国から中国への最後の使者)
※卑弥呼の後継者の壹与は、「壱与」や「壹與」という字を使うこともあるよ
どうして1700年以上も大昔の日本に卑弥呼がいたなんてことがわかるの?
そのころには日本にはまだ文字もなかったんだよね?
それは卑弥呼のことが中国の歴史書「魏志倭人伝」に書かれていたからだよ。
魏志倭人伝とは
「魏志倭人伝」といっても、そういう本があるわけではないんだ。
中国には歴史のことが書かれた24の歴史書があるんだけど、そのうちのひとつ「三国志」という歴史書の中の、「倭人(日本人のこと)」について書かれた部分のこと を「魏志倭人伝」と呼んでいるんだよ。
その魏志倭人伝に、「卑弥呼」のことや「卑弥呼が邪馬台国という国の女王だった」ということが書かれている んだよ。
魏志倭人伝に書かれていた内容
ちょっと難しい言葉が多いので、どんなことが書いてあるのか、このあとカンタンな言葉で説明するので安心してね。
倭人は帯方郡の東南の大海の中にある。
倭に行くには、朝鮮を海岸沿いに航行すると(一部略)対馬国に着く。
(一部略)船で10日、さらに陸路を1ヶ月行くと邪馬台国に着く。
倭の男は、大人も子供も顔や身体に刺青をしている。
女は髪を束ねてまげを作っている。稲や麻を栽培し、養蚕や織物をする。
以前は男王だったが、何年間も戦いが続いたので、共同で卑弥呼を女王にした。
卑弥呼は呪術が大変うまく、人々を信頼させた。千人の女奴隷を使い、1人の男子のみが飲食をささげ言葉を伝えた。宮殿・楼観を厳重に作り、常に兵が守っている。
景初3(239)年6月、卑弥呼は使者を帯方郡に派遣し、皇帝に謁見し朝貢することを求めた。
その年の12月、皇帝は卑弥呼に「今あなたを親魏倭王に任じ、金印紫綬を授け、銅鏡百枚などを与える」という手紙を送った。
卑弥呼が死ぬと、直径百歩ほどの大きな墓を作った。奴隷百人以上も一緒に埋められた。
その後、男王を立てたが戦いがおきたので、卑弥呼の一族の13歳の少女「壹与※」を王とし、ようやく国は収まった。
※「壱与」や「壹與」という字を使うこともあるよ
邪馬台国とは
卑弥呼は、「邪馬台国」の女王だったと魏志倭人伝には書かれているね。邪馬台国がどこにあったのかの手がかりも書かれているよ。
邪馬台国はどこにあるの?
魏志倭人伝は中国の歴史書だから、中国の植民地だった「帯方郡」というところから邪馬台国への行き方が書かれているんだ。
その行き方を確認することが、邪馬台国がどこにあったのかのカギになっているよ。
帯方郡というのは、今の韓国のソウルよりちょっと北あたりのところ。このころは中国の「魏」という国の植民地だったんだ。
この帯方郡から韓国沿いに海を渡って、対馬国やいくつかの日本の島を超えて、さらに陸路を進んだり、船に乗ったり・・・とても詳しい行き方が書いてあるよ。
最終的には、帯方郡から邪馬台国までは12000里ほどかかる、と書いてあるよ。
色々説はあるけど、これは大体840㎞くらいと考えられているんだ。
途中に登場する島の名前などは実際どこのことかが大体わかっているんだけど・・
だけど、ここから先の場所や道などは、どこの国の事を言っているのかとか、どっちの方向に進んだのかとか、どうやって行ったのかなどハッキリと分からないんだ。
なので結局、「邪馬台国は日本のどこにあったのか」は分からない んだ。
「邪馬台国が日本のどこにあったのか」については色々説があって、この「ハッキリしない」部分を「たぶんコレでしょ?」と当てはめていった結果、
①「九州にあった」という説、
②「大和地方にあった」という説、さらに
③「四国にあった」という説があるよ。
魏志倭人伝に帯方郡から邪馬台国までの道順や距離がかかれているけど、そもそも登場する場所がどこか分からないものがあるから、邪馬台国の場所もナゾのまま!
卑弥呼とはどんな人物か?
魏志倭人伝には、卑弥呼がどんな人物なのか、どんなことをしたのかも詳しく書かれているよ。
書いてあること①
卑弥呼がどんな人か
倭の国(日本のこと)は、「くに」同士で争って大変だった。そこで、共同で一人の女性を女王にした んだ。それが卑弥呼だね。
卑弥呼は、占いが上手で、それで人々を信頼させていたよ 。
1000人の奴隷を使っていたとも書かれているね。とても偉かったんだね。
1000人も奴隷がいたけれど、卑弥呼に近づくことができるのは1人の男の子だけだったと書かれているよ。
卑弥呼の食事のお世話をしたり、卑弥呼が占った結果などを伝える役割をしていたんだって。
卑弥呼の占いは、「卜術」というものだったと書かれているよ。
卜術というのは、亀の甲羅や骨などを焼いて、その割れ目の入り方で占いをする方法の占いなんだ。
争いばかりだったので、占いの上手な卑弥呼を女王にしたら争いが治まった。
こうしてできた小国連合が「邪馬台国」
書いてあること②
卑弥呼は何をしたかのか
景初3年※(239年)の6月に、卑弥呼は帯方郡にお使いをやって、魏の皇帝にプレゼントを贈ったよ。
※「景初」というのは、中国の元号。魏志倭人伝に書かれているので、中国の元号が使われているよ。
このころの中国は大国(まわりの国に比べて、文化や力が優れていること)で、周りの国は中国に「朝貢」をしていたんだ。
「朝貢」というのは、自分の国の特産物を持って皇帝に挨拶に来ること。
皇帝は、それに対してお返しの品をくれたり、「称号」をくれたり、金印をくれたりする。
そうすると、
「〇〇国のリーダーとして皇帝にも認められた!」
ということになるから、リーダーとしての地位のアピールになるわけだね。
それに、「自分のバックには大国の中国がついているんだぞ!」と、他の国やライバルが攻めにくくする目的もあるよ。
実際、このころ邪馬台国のすぐ近くにあった「狗奴国」というのは邪馬台国に反発していたし、中国の「呉」「蜀」(中国の三国時代にあった魏・呉・蜀のうちの2国)も怖い存在だったからね。
卑弥呼も、同じ年の12月に皇帝から「親魏倭王」という称号と、金印と組みひも、そして銅鏡を100枚受け取った と魏志倭人伝に記録が残っているんだよ。
「親魏倭王」ということは、「倭の王」つまり、「日本のリーダー」として魏の皇帝から認めてもらえたということだね!
ちなみに、「親魏倭王」の「親魏」の部分は、「魏にしたがう」というイミだよ。
つまり「魏にしたがう倭の国の女王」ということだね。
魏の皇帝にプレゼントを贈って、「親魏倭王」の称号と金印、お返しのプレゼントをもらった!
書いてあること③
卑弥呼が亡くなったあとどうなったのか
卑弥呼率いる邪馬台国は、近くのクニ「狗奴国」と争っていたんだ。
それを応援しようと、魏からは軍で使う旗などが送られてきたんだけど、それを持ってきたお使いの人々は卑弥呼が死んでしまったことを知るんだ。(すでに死んでしまっていたのかどうか、死因などはナゾ)
卑弥呼が死んでしまった後、また男性が王になったりもしたんだけど、また邪馬台国の中で争いが起きるようになってしまった。
そこで、「やっぱり女王のほうが、みんながまとまるよね?」ということで卑弥呼の一族の壹与という13歳の女の子が女王になった よ。
それからは、また邪馬台国の争いはおさまったとのこと。
邪馬台国と狗奴国が争って、そのころ卑弥呼は死んでしまう。死んだ後に男性が王になるとまた争いが起きて、卑弥呼の一族の壹与が女王になると争いはおさまった
魏志倭人伝のもっと詳しい内容を小学生でもわかりやすい言葉で解説しているページもあるので、良かったら読んでみてね。
卑弥呼に関するいろいろな説を紹介!
こんなふうに謎の多い卑弥呼だけれど、色々なヒントをもとにした面白い説があるよ。
ここでは、そのいくつかを紹介するね。
卑弥呼って何歳なの??
魏志倭人伝には、「卑弥呼は年がすでに長大だったけど、旦那さんはいない」と書いてあるよ。
長大というのは「大人になっている」という意味なんだ。
「長大」なんて漢字がつかわれていると
すっごく年をとっているのかなぁ・・?
なんて思ってしまうけど、この頃の「長大」とは「30〜40歳くらい」のことをいうと考えられているよ。
さて、魏志倭人伝に「卑弥呼は年がすでに長大(30〜40歳)」とあるけど、これが「どのタイミングのことを書いているのか」はハッキリしないよね。
つまり、「すでに長大」というのが
①卑弥呼が邪馬台国の女王になった時
②卑弥呼が魏に使いを送った時
など、いくつかパターンが考えられるんだ。
もし①の時にすでに長大(30〜40歳)だったのなら、卑弥呼が邪馬台国の女王になったのが189年までの間だとすると、卑弥呼が亡くなった248年ごろには最高99歳くらいになっていた可能性もあるんだ。
②の場合なら、卑弥呼が魏に使いを送ったのは239年だから、そのころ30〜40歳だったと考えると、卑弥呼が亡くなった248年ごろには最高で49歳だったということになるね。
※だけどこの場合、「189年までに卑弥呼が女王になる」というのは計算が合わなくなってしまうけどね。
卑弥呼のお墓はどこにあるの?
魏志倭人伝には、卑弥呼のお墓の大きさが書かれているね。
「直径100歩」ほど、というのはどの位の大きさかというと、「魏」での1歩は約144㎝なんだ※。
だから、100歩というのは144mということになるよ。
※魏での1歩は「約30cmくらい」という説もあるよ。その場合は100歩は30mくらいになるね。
実は、卑弥呼が亡くなった3世紀の中頃に作られたと考えられている古墳の中で、この魏志倭人伝に書かれているような大きさにちょうど合うものがあるんだ。
それが奈良県の桜井市にある「箸墓古墳」。
箸墓古墳は、孝霊天皇の皇女である倭迹迹日百襲姫命のお墓なんだ。
す、すごい名前だね・・
舌を噛みそうになるよ
そして「日本書紀」には、倭迹迹日百襲姫命は神様からのお告げを伝えたり、予知する力があったと書かれているよ。
お告げや予知能力があったなんて、卑弥呼のイメージとピッタリ合うね。
お墓の大きさも同じだし、持っていた力も同じなので、箸墓古墳が卑弥呼のお墓なのではないかと考える説があるんだよ。
このことから、このあとに説明する
「卑弥呼は大和朝廷の姫皇子」だったのではないかと考える人もいるよ。
ちなみに、九州地方にある古墳の中には3世紀半ばに作られた直径144m位の大きさの古墳は今のところ見つかっていないんだ。
このことから、邪馬台国は大和地方にあったという説が正しいと考える意見もあるよ。
卑弥呼と邪馬台国の本当の正体とは?
ここからはおまけ。卑弥呼と邪馬台国の正体についての面白い説を紹介するので、興味があったら読んでみてね!
魏志倭人伝の内容はカンペキなのか?
さて、魏志倭人伝には「邪馬台国」に「卑弥呼」という女王がいた、と書いてあるんだけど、これって完璧な情報かな??
日本に漢字が伝わったのは4世紀から5世紀ころで、それ以前の日本には固有(オリジナルというイメージ)の文字はなかったので、すべて言葉で伝えるやりとりだったんだ。
だから日本にはこの頃のことを記録した歴史書はなくて、中国の歴史書に書いてある日本の様子を手掛かりにするしかないんだよね。
これって、例えるなら「君は日記を書いていないけど、君の隣の家の子が君の様子を記録してくれていて、その記録をもとに100年後の君の子孫が「君がどんな人だったか」を研究する」ようなもの。
しかも、その隣の家の子は外国人で、君とは話す言葉が違う。そして君は、その子には全部言葉で伝えただけ(写真もなければ、メモなんかもない!)。
そんなの、正確に伝わるのは至難(すごく難しいこと)のワザだよね・・
しかも魏志倭人伝の内容は「また聞き」だった!?
説明したように、ただでさえ正確に伝えるのは難しいのに、それに加えて実は魏志倭人伝は「また聞き」で書かれたものなんだ。
また聞きって??
魏志倭人伝を書いたのは魏の「陳寿」という人なんだけど、陳寿は「倭に行った人」から「倭がどんな様子だったか」を聞いて、それを魏志倭人伝にまとめたんだよ。
ということは、もしかしたらそこでも誤解とか伝達ミスがあったかもしれないよね。
「卑弥呼」や「邪馬台国」は、音に漢字を当てはめただけ
話は戻って、倭の人々が使っていたのは日本語だよね。それを聞いた魏の人は、その「音」をそのまま聞こえた発音で漢字に置き換えることになるよね。
昔の日本だって、アメリカの言葉(アルファベット)を聞こえた発音どおりにカタカナに置き換えるでしょ。
ということは、そもそも日本人が話した言葉の発音を正確に聞き取れていたかどうかも分からないんだ。
卑弥呼という名前になっているけど、本当は「ひめみこ」とか「ひめこ」とか、ちょっと違った可能性だって考えられる。
邪馬台国も、本当は「やまと国」だったかもしれない。
・・・!
「やまと」と「ひめみこ」・・・
そう、もし本当は「やまと」だったとしたら、大和朝廷の「やまと」とツジツマが合うよね。
天皇の子供のことは「皇子」というんだけど、女性だから「姫皇子」だったとしたら、これもツジツマが合うんだ。
そういえば、「卑弥呼のお墓かもしれない」と考えられている「箸墓古墳」は、大和朝廷の姫皇子である倭迹迹日百襲姫命のお墓だったよね。
こう考えると、さらにピッタリ当てはまるね。
確かに・・・!
でも、漢字が全然違うよ??
説明したように、卑弥呼も邪馬台国も、日本人の発音に漢字をあてただけの可能性があるんだ。
ちなみに、このころの中国では「中華思想」といって、中国では、「中国が1番すぐれた国だ!」という考え方があったんだ。
だから、「中国以外の他の国のことを表すときには、あまり良くない意味の漢字を使う」 ということが多かったんだよ。
卑弥呼の「卑」は「いやしい」という意味だね。実際、中国では「身分の低い人」とか、「下品な人」を表す時に使う字なんだ。
邪馬台国の「邪」も良いイメージではないよね。
つまり、卑弥呼と邪馬台国に使われている漢字は、中国の人々の考えだけでつけられている可能性が大きい と思うんだ。
ということはやっぱり本当は「やまと」と「ひめみこ」だったのかもしれないね。
もしも「やまと」と「ひめみこ」が本当だったとしたら、大和地方に邪馬台国があった説が有力になるね。
大和朝廷がいつ頃出来たのかの資料はなくて、これも今でもナゾになっているんだけど、実は邪馬台国が大和朝廷のことで、卑弥呼は女性の天皇だったのかもしれないね。
たしかに、大和朝廷も「クニ」がいくつか集まってできたんだよね。
古墳時代の学習ページでは「大和朝廷」がいつ出来たかはナゾになっていたけど、邪馬台国がスタートだったと考えるとしっくりくるね!
大和朝廷のことが良く分からなかったら、解説ページがあるので読んでみてね。
※他にも、「日(ひ)を司る巫女(みこ)」の「ひみこ」だったという考え方もあるよ。
太陽を司る日本で重要な神様に「天照大神」がいて、実は卑弥呼=天照大神だったのでは、という説もあるよ。
卑弥呼と邪馬台国については色んな説があるよ。
まだまだ謎に包まれているんだ。君たちが大人になるころには、本当のことがわかるようになるかもしれないね。
今回のお話も、説のひとつに過ぎないけれど、「おもしろいなぁ」と卑弥呼や邪馬台国のことに興味をもつきっかけになれば嬉しいな。
運営者情報
ゆみねこ
詳しいプロフィールを見る
青山学院大学教育学科卒業。TOEIC795点。2児の母。2019年の長女の高校受験時、訳あって塾には行かずに自宅学習のみで挑戦することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。志望校の特待生クラストップ10位内で合格を果たす。
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小学校の発表でないようを使わせてもらいます -
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わかりやすいですね!ありがとうございます
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このサイトのおかげで卑弥呼についてよくわかりました
他の人も見てみたいです -
卑弥呼はほんとにいたの
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とても面白くてわかりやすかったです。勉強になりました❕
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歴史年代のヒントアイデアに面白い -
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これを学校の宿題の宝物にしてもよろしいでしょうか。
宿題に出来なくてもコツコツ頑張ります。
もっと作ってこのサイトにあげてほしいです。
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今卑弥呼について調べ学習をしていてと参考になりました。
ありがとうございます。 -
中学2年生ですが、恥ずかしながら日本史が大の苦手でして、、、魏志倭人伝とか良くわかってなかったんですけどそんな自分でもスラスラ読めるくらい分かりやすい&見やすいのでびっくりしちゃいました(笑)すごく参考になって宿題が楽しかったです!ありがとうございましたそれと、これからも頑張ってください
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卑弥呼が好きだから嬉しい
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私はちょうど卑弥呼のことについて知りたかったのでわかりやすかったです。
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私は他に藤原兼家の妻 道綱母の事について知りたいです。
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SUGOI
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すごくわかりやすいです。
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とても分かりやすく書かれていて読みやすかったです!!卑弥呼の謎をいろいろと知れました。ありがとうございます!自分学習に使わせていただきます。
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ちょうど、ノートで卑弥呼についてまとめていたので参考になりました!ありがとうございます!!
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とても分かりやすくて勉強になりました。
ありがとうございます!! -
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学校の新聞で使わせていただきます‼️
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すごく役立ちました。
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図やイラスト、年表などがあったからわかりやすかった!
他の人も出して欲しいな。 -
クリックすると意味が表示される技術もすごいし、とっても分かりやすい!!
自主学習で参考にさせてもらいます♪ -
卑弥呼のことについて詳しく分かったので良かったです。
ありがとうございます。
ほかのの人物のもお願いします。
例,紫式部 中大兄皇子など
何でもいいのでお願いします。 -
とても分かりやすい内容でした♪ たろうとくまごろうの会話文も面白く、楽しく学ぶことができたと思います。色々な単語(ト術など)についての説明もあったので、?と思うところも全然ないです!
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すっごくわかりやすかったです!歴史の宿題の役に立ちました!ありがとうございます!
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すごくわかりやすいです!
学校の歴史の宿題の役に立ちました!
ありがとうございます‼︎ -
「邪馬台国の女王卑弥呼」のところが、耶馬台国になってます!ほかはなかったと思います。いつも歴史の勉強の時見てます!これからも頑張ってください!
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学校の自学で書かせていただきました。
分かりやすくて最高です!-
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学校のはっぴょうでつかわせてもらいます
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さらに深く知りたくなりました!
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卑弥呼の謎面白いです✨
卑弥呼がいないと言う説もあるし面白いですよね☺️
小学生の頃に卑弥呼習った時に面白いなーって感じてました✨
すごい面白かったです!
そして読みやすかったです!✨ -
卑弥呼についてよくわかりましたありがとうございます。
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いろんなサイトの中で一番わかりわすかったです。
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有難うございました♡♡ -
説明が分かりやすくてうれしいです!
卑弥呼と邪馬台国についていっぱい知れてうれしい! -
わかりやすく情報を大事にまとめてあるから、スライドづくりにつかわせてもらいます。
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やば
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卑弥呼様について調べられてうれしいです!
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잘 알았어.
감사합니다
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말해줘서 고마워.
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卑弥呼って、名前を聞いたら「あっすごい人だよね」となるけどしっかり知ってみると本当にすごい!
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宿題の参考にします!
ありがとうございます -
中学生の私でもとてもわかりやすかったです。
授業で発表があるので、いろいろなサイトを見てみたのですが1番理解しやすかったです。
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図などがあってわかりやすいです。
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