「ゲルマン人の大移動(ゲルマン民族大移動)」をわかりやすく解説
高校世界史で学習する「ゲルマン人の大移動」について、ゲルマン人とはどういう人々なのか、なぜ大移動したのか、それによってヨーロッパ世界はどう変化したのか、テストで必要になるポイントをわかりやすく解説するよ。
目次
まず、「ゲルマン人の大移動」とは一体なんのことか、全体像をざっくり説明するよ。
そうでないと、ひとつひとつが細かくて、頭がこんがらがってしまうからね。
ざっくりつかもう!「ゲルマン人の大移動」の流れ
1:ヨーロッパには「ケルト人」という先住民族がいた。
2:しかし「ローマ帝国」によって一部をのぞくケルト人は征服された。
3:バルト海沿岸にいた「ゲルマン人」も南からやってきて、いくつかの小さな部族に分かれてローマ帝国と接するように、それなりに上手くやっていた。
4:そこに、東のアジアから遊牧民の「フン人」がやってきて、ゲルマン人の部族のひとつである「東ゴート人」を征服してしまった。
5:東ゴート人が征服されたことで、「次は自分たちだ!」と恐怖を感じた「西ゴート人」は、逃げるようにローマ帝国の領域内に移動した。
6:他の部族のゲルマン人たちも、次々に逃げるように移動して、それぞれ移動した先で建国をした。←これが「ゲルマン人の大移動」!!
7:ローマ帝国とゲルマン人たちが協力して、フン人を倒した。
8:フン人に支配されていた東ゴート人も自由になり、イタリアに建国した。
つまり、ひとことでいうと
フン人がやってきて、逃げたゲルマン人たちがそれぞれ逃げた先で建国した!
ということだね。
この「ゲルマン人の大移動」でつかむべきポイントは、
- なぜゲルマン人たちが大移動したのか?
- それぞれの民族はどこへいったのか?(民族と行き先をセットで覚える)
- ゲルマン人の大移動と、ローマ帝国の関係
(ローマ帝国の領域内にゲルマン人が侵入したとか、ローマ帝国がゲルマン人と協力してフン人をやっつけたとか)
このことを意識しながら、詳しく見ていこうね。
ケルト人とは
ヨーロッパの地域で文字でかかれた記録がたくさん出るようになってくるのは、だいたい紀元前6世紀くらいからなんだけど、そのときにアルプス山脈より北からイベリア半島までのヨーロッパに住んでいたのはケルト人という人たちなんだ。
どんな文化や社会の人たちなのか、っていうと、宗教は自然崇拝の多神教(いろんな神様を信じること)で、ドルイドって神官が祭祀を取り仕切っていたんだ。
鉄製の武器を持つ鉄器文化だったんだよ。戦士たちは鉄の武器を持って、戦車に乗って戦っていたみたい。戦士階級が大きな力を持っていた民族だったよ。
それから、ギリシャやローマの地中海地域と交易を盛んに行っていたんだ。
ケルトの戦士は強いって有名だったから、ギリシャやローマに傭兵(ようへい・お金で雇われる兵士のこと)で雇われるなんてこともあったんだって。
だけど、紀元前1世紀にグレートブリテン島を除く大陸に住むケルト人は、ローマによって制服されたんだ。
征服した人の中で有名なのはローマの将軍ユリウス・カエサルだね。カエサルはガリア戦記って作品も残したんだ。詳しくはローマのところで話すね!
カエサルは凄い能力を持っている人なのに、「ハゲの女好き」というギャップもあってとても有名な人物。テストにもよく出るので、覚えておこう!
でも、ローマ帝国に「征服」されたとはいえ、全員がひどい扱いを受けたわけじゃないよ。
確かに戦いに負けて奴隷となった人々もいたけど、ローマの支配下に入って、文化に馴染んでいった人たちが大半だったんだ。
それからグレートブリテン島のケルト人は、島に来たローマ人が少なかったから、ローマ化がそれほど進まずに、ケルトの文化が色濃く残されたんだ。
ゲルマン人とは
ゲルマン人といえば、「金髪碧眼のイケメンや美女の民族」という印象だよね。
たしかに北のバルト海沿岸が発祥の地と言われているから、色素の薄い髪や瞳を持っているし、ローマ帝国の傭兵なんかをしていたから屈強(マッチョ)な人たちというイメージがあるかもしれないけど、それだけじゃないよ!
まず、ゲルマン人の話していた言葉はインド=ヨーロッパ語に属するんだ。民族的にも、現在のインドの人たちと近いんだよ。インドの人たちも顔の彫りが深いよね?
ゲルマン人たちは、ローマ人の勢力拡大なんかのいろいろな理由でライン川やドナウ川の辺りでローマ帝国と接するようになっていったんだ。
ゲルマン人はいろいろな部族に別れていたんだ。主に牧畜や狩猟、農耕をしていたみたいだね。ただ、農耕っていっても定住して農耕をしていたわけじゃなくて、土地がやせたら別の土地へ移動する、そんな形の農業をしていたんだって。
移動するときは部族全員、家財道具一式もってお引越し、だったんだよ。
ゲルマン人は、ローマ帝国とは確かに戦争もたくさんしていたけど、傭兵や役人、農奴として、ローマ社会に溶け込んで生活している人も多かったんだ。
ゲルマン人は男の人が戦士として、女の人や子供、老人を守るって社会だったみたい。だから戦士=成人した男の人は貴族も平民も全員、「民会(国のことを決める最高機関。現在の国会みたいなイメージ)」のメンバーなんだ。
大事なことは民会で決めていたんだよ。民会は全会一致(全員が賛成しないとダメ)が原則だったんだって。フン人の侵攻とゲルマン人の大移動
フン人の侵攻とゲルマン人の大移動
そんなゲルマン人の領土にいきなり攻め込んできたのが「フン人」。
名前が印象的だよね。けっこうみんなすぐ覚えちゃうんじゃないかな?笑
「フン人」がやってきた!→東ゴート人を征服
「フン人」は、アジア系の遊牧民族なんだ。
4世紀後半、ヴォルガ川(今のロシアの西側を流れる川)の東側の地域に住んでいたといわれるフン人が西に向けて移動を開始したんだ。
それから、フン人は黒海沿岸に住んでいたゲルマン人の一派である東ゴート人を征服したよ。
西ゴート人「次は俺たちだ!逃げるぜ!」
東ゴート人の西方地域に住んでいた西ゴート人は、「次は俺たちが征服されるんじゃないか・・!?」と不安になるよね。
実際、フン人からのプレッシャーがかなりあったようで、376年、西ゴート人はドナウ川を超えて、安住の地を求めてローマ領内に侵入するんだ。
ゲルマン人全員「みんなで逃げるぜ!!」
西ゴート人の移動をきっかけに、5世紀に入った辺りから他のゲルマン人の部族もローマ帝国領内に侵入するようになるんだ。
これが世にいうゲルマン人の大移動(ゲルマン民族の大移動)だね。
だれがどこに逃げたかを覚えよう!
ゲルマン人といっても、住んでいる場所によって、いろいろな民族に分かれていたよね。
テストでは、「どの民族が」「どこへ逃げて」「何という国を建国したか」が聞かれるので、しっかり覚えよう。
そのうちの1つの民族、「ヴァンダル人」は、凍ったライン川を超えて、現在のフランスを通り、スペインを経て、北アフリカ、現在のチュニジアのカルタゴ辺りに建国するよ。
すごい遠くまで自分の国を作るために旅をしたんだね。
「ブルグント人」は現在のフランスやスイスにまたがる地域の「ブルゴーニュ地方」(当時のガリア中西部)に国を作るんだ。
「ブルグント」はフランス語だと「ブルゴーニュ」になるんだよ。ブルグント人が建国した地域だから現在でも「ブルゴーニュ」と呼ばれているんだね。
「フランク人」は今のフランス北部(当時のガリア北部)に自分たちの国を作ったんだ。
フランク人も現在の地名である「フランス」の名前の由来になっているね。これも結構わかりやすいかな??
「アングル人」、「サクソン人」、「ジュート人」は、海を越えて移動して現在のイギリス(当時のブリタニア)にいくつかの小国家を建てるんだ。
七王国(ヘプターキー)って呼ばれているよ。
今のアメリカ人やイギリス人を指すアングロサクソン人、って言葉を聞いたことがある人もいるかもしれないね。アングロサクソン人のルーツはゲルマン人の中のアングル人、サクソン人に由来しているんだ。
ゲルマン民族の移動のきっかけになった「西ゴート人」はというと、現在のイタリア、フランス南部(当時のガリア南部だよ)を経て、スペイン(当時のヒスパニア)に建国するんだ。
一説によると、今のスペイン王家にもこの西ゴート人の王家の血が流れているんだって。
フン人たちはその後どうなったの?
その後フン人はアッティラ王のときに最盛期を迎えるよ。ものすごい勢いで大帝国を築いたアッティラ王はみずからを「大王」と称したんだ。
対立関係にあったローマ人のキリスト教徒からは「神の災い」や「大進撃」って呼ばれていたよ。すごく恐られていたのが分かるね。
でも、アッティラ王自身は、豪華な祝宴の中で質素な食器を使っていたり、自分を殺そうとした敵国の使節の一団を罰することなく帰国させたりといった、心が広い一面もあったんだって。
そんな破竹の勢いでローマ帝国を進軍してきたアッティラ王率いるフン人だけど、451年にカタラウヌムという場所でおこなわれた西ゴート人と西ローマ帝国の連合軍との戦いに敗北してしまうんだ。
その数年後にアッティラ王も亡くなってしまって、フン人の勢いは急激に衰えていってしまうんだよ。
フン人の勢いが衰えたことで、フン人の支配から逃れることができた「東ゴート人」は、476年に西ローマ帝国が滅ぶと、テオドリックという王様に率いられてイタリアに建国するよ。
テオドリックは、ローマ市内の建物を修復したり、港を整備したり、経済政策に力を入れたよ。宗教的なことも穏やかに解決しようとする人で、テオドリック王の治めていた時代は、比較的安定していたんだ。
こうして、西ローマ帝国の支配していた地域は、これまでに話したようなゲルマン人の国家に分れていったんだよ。
ゲルマン民族の移動先まとめ
民族 | 逃げた先と建国名 | 建国名 |
---|---|---|
ヴァンダル人 | 北アフリカ | ヴァンダル王国 |
ブルグント人 | ブルゴーニュ地方(ガリア中西部) | ブルグント王国 |
フランク人 | フランス北部(ガリア北部) | フランク王国 |
アングル人 サクソン人 ジュート人 | イギリス(ブルタニア) | アングロ=サクソン七王国 (ヘプターキー) |
西ゴート人 | イベリア半島(ヒスパニア) | 西ゴート王国 |
東ゴート人 | イタリア | 東ゴート王国 |
西ローマ帝国は滅亡してしまったけどその後も、イタリア、現在のフランス(当時のガリアだよ)、現在のスペイン(当時のヒスパニアだよ)には西ローマ帝国に住んでいたローマ系(ラテン系)住民が大半を占めていたんだ。
ローマ系(ラテン系)住民とゲルマン人が混血して、現在のイタリア人、フランス人、スペイン人につながっていくんだよ。
当時のローマで話されていたラテン語も、イタリア語・フランス語・スペイン語に繋がっていくから、この4つの言語では綴りが結構似ている単語が多いんだ。発音はちょっと違うけどね。
例えば歴史は、ラテン語ではhistoria(ヒストリア)って言うんだけど、イタリア語では、storia(ストーリア)、フランス語ではhistoire(ヒストワール)、スペイン語ではhistoria(イストリア)って言うんだよ。
図書館はラテン語では、bibliotheca(ビブリオテーカ)、イタリア語ではbiblioteca(ビブリョテーカ)フランス語ではbibliotheque(ビブリオテック)、スペイン語ではbibliotheca(ビブリオテカ)って言うんだ。
1500年以上も前の事が現在の地名や言語につながっているなんて、なんだか興味深いよね。ゲルマン民族の大移動 まとめ
ゲルマン民族の大移動まとめ
ゲルマン民族の大移動 まとめ
・ヨーロッパにはケルト人という人たちがもともと住んでいたが、ローマ帝国によって一部をのぞき支配された。
・ゲルマン人はローマ帝国と接するドナウ、ライン川の辺りに住んでいた。
・ゲルマン人の社会では、大事なことは成人男性が参加する民会で決めていた。
・フン人が、ゲルマン人の一派である東ゴート人を征服し、西ゴート人が移動を始めたことから、ゲルマン人の大移動が始まった。
ヴァンダル人は北アフリカへ、ブルグント人はブルゴーニュ地方へ、フランク人はフランスへ、アングル人・サクソン人・ジュート人はイギリスへ、西ゴート人はイベリア半島へ移動した。
・フン人はアッティラ王のとき、最盛期を迎えて、ヨーロッパに進出した。
フン人は西ゴート人と西ローマ帝国の連合軍に敗れて勢力が衰えた
フン人の支配から脱した東ゴート人がイタリアへ移動した
ここまで学習できたら、「ゲルマン民族の移動」についてのテスト対策練習問題のページに挑戦しよう!
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ゆみねこ
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青山学院大学教育学科卒業。TOEIC795点。2児の母。2019年の長女の高校受験時、訳あって塾には行かずに自宅学習のみで挑戦することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。志望校の特待生クラストップ10位内で合格を果たす。