飛鳥時代とはどんな時代かわかりやすく解説
飛鳥時代に活躍した人といえば、とっても有名な「聖徳太子」。
日本のお札の絵にも何度も使われているよね。
一度にたくさんのひとの話を聞けたとか、すごいエピソードも多いよね。
でも、聖徳太子がどんなことをしたか、それはなぜなのか?
実はピンと来ていないなんてこともあるんじゃないかな?
- 「蘇我氏」と「○○氏」とか、いきなり集団が出てくるけど一体何者??
- 蘇我氏ってどうしてえらくなったの??
- 聖徳太子って何者なのか、実はよくわからない・・
- 十七条の憲法とか、冠位十二階とか・・コレって大事なの??
- なんで隋にお使いを送ったりしなきゃいけなかったの??
- 聖徳太子ってスゴイと言われてるけど、何をしたの?何のためだったの?
このページでは、飛鳥時代の大和朝廷の仕組みや様子を、聖徳太子が何をしたのか、なぜそうしたかに注目しながら解説するよ!
蘇我氏とか、○○氏とか、一体なんの集団なの?
「氏」って何??
このころ豪族たちは、「同じご先祖様をもつ血縁関係(つまり、親戚みたいなものだね。)」で「氏」という集団を作っていたんだ。
これは、今でいう「苗字」みたいなイメージかな?
例えばこの飛鳥時代の教科書に登場する「蘇我氏」という一族。
聞いたことあるよね?
これは「蘇我」と名乗る「氏(一族)」のことなんだよ。
大和地方には蘇我氏・物部氏・中臣氏など有力な豪族がいたよ。
大王「能力のある豪族たちに、大和朝廷で働いてもらおう!」
弥生時代の終わりには、大和朝廷が日本の「九州から関東まで」を統一したよね。
大和朝廷ってなに?と思ったらココを読もう!
大和朝廷は、たくさんの「くに」をどんどん統一していった時、その統一することになった「くに」で、もともと栄えていた(その土地でエラい人だった)豪族たちにも「ちゃんと権力を残してあげていた」と説明したよね。
じゃあ「一体なにをしたのか」と言うと、それぞれの豪族たちに仕事を与えて、大王の下で働いてもらう仕組みを作ったんだ。
働いてもらう豪族たちには大王から「姓」をプレゼント
これらの「氏」グループは、大和政権に服属(部下になって、メンバーの一員になるようなイメージ)したんだ。
大和朝廷のトップだった大王は、そうやって部下になった豪族たちに「姓」をプレゼントしたんだ。
「姓」というのは、朝廷での「位」を表す称号のこと。
朝廷の中心になるような偉いポストの称号には「臣」とか「連」という姓があって、他にも「伴」とか「部」、地方の有力な豪族にも「君」という姓がプレゼントされたよ。
蘇我氏は、この姓のうち「臣」をプレゼントされた一族。
「臣」って、朝廷の中心になるくらいなんでしょ?
蘇我氏って偉かったんだなぁ。
- 「氏」とは、豪族一族が使っていた「苗字」みたいなイメージのもの!
- 大王は、有力な豪族一族に朝廷で働いてもらうことにした!
- 朝廷で働いてもらう豪族には、「姓」という色々な「役職」をそれぞれに与えた!
- 蘇我氏一族は、朝廷で中心になる「臣」という姓をもらった一族!
なんで蘇我氏はえらくなったの??
もちろん「蘇我氏」だけじゃなく、「物部氏」とか出世していた一族は他にもいたんだけど、「蘇我氏」の力がどんどん強くなっていったんだ。
蘇我氏だけなんで強くなっていったの?
蘇我氏は、自分の娘を天皇のお后様(お嫁さんのこと)にして、天皇の義父や祖父になるなどして力を得ていったよ。
強くなった蘇我氏は、仲が良くなかった物部氏のことは滅ぼしてしまうし、なんとしまいには天皇(この頃は大王から天皇と呼び名が変わっていた)のことまで暗殺してしまうという
蘇我氏の「やりたい放題」状態にまでなってしまったんだ。
て、天皇を暗殺・・・!!
- 蘇我氏は、娘を天皇のお嫁さんにして、どんどん出世した!
- 力をつけた蘇我氏は、やりたい放題するようになった!
- 時には天皇を暗殺してしまうくらいヤバかった!
聖徳太子とは?
聖徳太子ってどんな人?
さあ、いよいよ聖徳太子の登場だよ。
イキナリだけど、「聖徳太子」という名前は、本当の名前ではないよ。
本当の名前は「厩戸皇子」というんだ。
厩戸(馬小屋こと)の前で生まれたから、なんて説があるよ。
皇子ということは、そう、天皇の子供なんだ。
本当は厩戸皇子なのに、なんで今は聖徳太子と呼ぶの?
それは厩戸皇子がたくさん素晴らしいことをしたので、亡くなった後に称号として付けられた呼び名なんだよ。
※最近の教科書では厩戸皇子(聖徳太子)と紹介されつつあるよ。そのうち厩戸皇子だけになる可能性もあるとのこと。
この頃になると、蘇我氏の一族の中では「蘇我馬子」という人が「大臣」という位にまで偉くなっていた。大臣は、朝廷の中心になる「臣」の中でもリーダー格。天皇のサポート役として政治を動かすくらい偉い人だよ。
そんな蘇我馬子と厩戸皇子は、実は親戚なんだ。
厩戸皇子のお母さんのお母さんが蘇我馬子の妹。
つまり、厩戸皇子にとって蘇我馬子は「大おじさん」だったんだね。
蘇我氏は娘を天皇のお嫁さんにしていたりしたからね。
厩戸皇子と蘇我馬子が親戚になるのは当然というところかな。
そしてこの時の天皇だった「推古天皇」は蘇我馬子の姪っ子で、聖徳太子の叔母さん。
親戚ばっかり。
蘇我馬子と聖徳太子の関係は?
そんな厩戸皇子こと「聖徳太子」と「蘇我馬子」なんだけど、2人とも「仏教賛成派」という点で気が合っていたとのことだよ。
余裕があったら読んでみよう!
この頃の仏教について
日本はこれまで「神様」を信じてきたんだけど、538年ごろ大陸から「仏教」が伝わってきたんだ。
仏教というのは、インドで「釈迦」という人が始めた宗教だよ。
仏教が伝わった時、「神様以外を信じるなんて!仏教反対!」という考え方の人と、「仏教も大切にしようよ」という考え方の人に分かれたんだ。
蘇我氏と物部氏がケンカした理由も「仏教を受け入れるかどうか」だった。
蘇我氏は仏教賛成派で、仏教を伝えた渡来人に色々力を貸してもらって、大和朝廷でも出世していったんだ。
物部氏は仏教反対で、そのことで蘇我氏と争って、負けて滅ぼされてしまったんだよ。(完全に血筋が終わったわけではないよ。
蘇我馬子は「大臣」として天皇の次に偉い重要なポストにいたし、聖徳太子は推古天皇の「摂政」をしていたよ。
摂政というのは、天皇がまだ子供だったり、女の人だった時に天皇に代わって政治をする役のことだよ。
物部氏も滅んでしまった朝廷では、蘇我氏のライバルはもういないようなものだったので、蘇我馬子と聖徳太子、そして推古天皇の3人が中心になって大和朝廷の政治を動かしている状態だったと言われているよ。
聖徳太子と蘇我馬子は、政治でもつながりがあったんだね。
- 蘇我氏の中では「蘇我馬子」が偉くなった
- 蘇我馬子の姪が推古天皇になった
- 蘇我馬子の「大おい(姪のこども)」の聖徳太子が摂政になった
- 聖徳太子は、天皇の子供。つまり皇子さまだった!
- 聖徳太子と蘇我馬子、推古天皇は親戚同士だった!
- 女性の推古天皇をサポートするために聖徳太子は摂政になった!
聖徳太子はスゴイと言われているけど、どんなことをしたの?
さて、大和朝廷の中心で政治を動かすポストにいた聖徳太子。
聖徳太子はどんな政治をしたのか解説していくよ!
中国に「対等」な日本作りを目指した!
この頃の中国は、「随」という朝廷によって統一されていたよ。
随は大帝国だったし、朝鮮を攻撃したりしていた。
日本はずっと中国の皇帝にプレゼント(貢ぎもの)を送ったりしていたんだけど、これは「日本は中国に仕えていますよー」(中国が親分で日本が子分みたいなイメージ!)と言っているようなものなんだ。
随と比べるとまだまだ小さな国の日本。
実際、日本から随へ600年に初めてお使い(遣隋使)を出した時なんか、「日本なんて、ちゃんとした国とは認めないよ」と相手にされないで返されちゃったこともあるんだ。
これは朝廷にとって、とっても恥ずかしいことだよね。
だって朝廷のもとで働く他の豪族たちに「中国に相手にされないなんて、朝廷は大したことないなー」
なんて思われてしまうかもしれないからね。
そこで聖徳太子は「日本だって、中国に対等な国として認めてもらうぞ!」と頑張ったんだ。
一人前の国になるため、「ルール」を作った!
「ちゃんとした国」かどうか判断される時に、「ちゃんとしたルールがあるかどうか」は大事なポイントだったんだ。
キチンとしたルールもないような国では、一人前の国としては認められないということだね。
日本はそれまで、「なんとなくコレはしちゃダメでしょ」というのはあっても、ちゃんと文章でハッキリとさせたルールはなかったからね。
そこで聖徳太子は、仏教や儒教、中国の論語などの考え方を取り入れて「憲法」を作ったよ。
この憲法にはルールが全部で17条あるので、「十七条の憲法」と呼ばれているよ。
憲法とはいっても、今の憲法のように「国民と国の関係」を決めたものではなく、当時の豪族や朝廷ではたらく役人たちに対してマナーや注意を守ってもらうためのイメージだよ。
「十七条の憲法」のことを、小学生にもわかりやすい言葉で解説しているページもあるので、ぜひチェックしてみてね!
17条すべてのきまりも紹介しているよ。
「天皇中心の政治」も目指した聖徳太子
十七条の憲法の内容には、「天皇の命令はちゃんと聞きなさい」とか、「ケンカしないで仲良くしなさい」とか、「豪族が勝手に民から税をとったりしてはいけません」なんてものもあるんだ。
ルールを決めたのは、「中国にちゃんとした国と認めてもらうため」はモチロンだけど、「力をつけた豪族たちが好き勝手しないように」させるためでもあった んだよ。
たしかに・・
蘇我氏が天皇を暗殺してしまったりしていたもんね。
聖徳太子は「天皇を中心とした政治」ができるように、豪族たちの力を押さえるためにも十七条の憲法を作ったんだね。
新しい「位」制度を作った!
「位」というのは、「どれくらい偉いのか」をあらわす基準だよ。
これまで、朝廷での位は、大王がそれぞれの「氏」に与えた「姓」で決まっていたよね。
「姓」は、一度与えられると、その一族はずっとその位で朝廷で働くことができてしまっていたんだ。
ということは、あまり能力がなくても、有力な一族の人なら自動的に偉い位になれてしまうよね。
それって朝廷としては困るよね。
それに、決まった一族がずっと権力を持ち続けてしまうのも困るよね。
そこで聖徳太子は、「冠位十二階」という「位の仕組み」を作って、その人自身の「能力で」位がもらえるようにしたんだ。
冠位十二階では、天皇に仕える人の位を12段階に色分けしたよ。
色で分かれていればひと目でどのくらい偉いか分かるからね。
「冠」で「位」が12段階に分かれているから
「冠位十二階」というんだね。
この冠位十二階を作った理由をまとめると
①中国へ使いを送るとき、その人が日本ではどのくらい偉い人か中国にも伝わるし、「ちゃんとした制度がある=日本は進んでいる国だ」と認めてもらえるから。
お使いの人の位や身元がハッキリしていれば、相手にしてもらいやすいよね。
②もともとの身分に関係なく、優秀な人がどんどん偉い位につけるようにすれば、朝廷もより良いものになるから
③朝廷での地位を表す称号の「姓」は、「世襲制(親から子ども、さらに孫へ、と代々自分の子孫に受け継がせていくこと)では一度力を持った一族がずっと力や権力を持ち続けてしまうけど、冠位十二階制度なら「その人自身」に与えられる地位なので、引き継ぐことは出来ない。なので特定の(決まった)一族が力を持ちすぎることがなくて安心。
この制度も、「一人前の国」を目指すためと、「天皇中心の政治」をするために考えられたんだね。
ちなみに、聖徳太子や蘇我馬子は冠位を「与える側」だったので、冠位を授かることはなかったんだ。
結局、蘇我氏は冠位十二階が出来ても、「そんな制度は関係ナシに偉い」ままで、このあと天皇と同じくらい朝廷で力をもつことになってしまうんだ。
遣隋使を送って、
とうとう中国と国交を結ぶことに成功!
そして607年、聖徳太子はそのころ中国を統一していた随に小野妹子をお使いに出したんだ。
「隋」に「派遣」する「お使い」だから、遣隋使と呼ぶよ。
今回は「日本には「十七条の憲法」と「冠位十二階」もあるし、ちゃんとした国ですよー」とアピールすることで、とうとう中国と国交(国同士が色々やり取りをすること)を結ぶことができたんだ。
でもどうしてそこまでして
中国と国交を結びたかったの??
中国に遣隋使を送って、大国(そのころ、周りの国に比べて力を持っている進んだ国のこと)である中国の政治の仕組みや文化を参考にしたかったからだよ。
余裕があったら読もう!
小野妹子もハラハラ?
中国の皇帝を怒らせてしまった聖徳太子
この時の随の皇帝は「煬帝」というとても怖い人だったんだけど、実は聖徳太子はこの人を怒らせてしまったという話が有名。
聖徳太子は「中国と対等にならなきゃ!」と焦ってしまったのか、手紙に「日が出るところの天子が、日が沈むところの天子に手紙をさしあげます」と書いてしまったんだ。
日本が「日が出る」に対して、中国のことは「日が沈む」だなんて、なんとなく聖徳太子に馬鹿にされているような気がした煬帝はカンカン。
でも、この時、随は朝鮮と戦争をする予定だったので、「ここで日本まで敵にしてはまずい」と考えて、国交を結ぶことにしたと言われているよ。
- 聖徳太子が「十七条の憲法」というルールを作った
- 聖徳太子が「冠位十二階」という新しい位制度を作った
- 聖徳太子が遣隋使を送り、中国と国交を結ぶのに成功した
- 聖徳太子は特定の豪族が力を持ちすぎないようにして、天皇が中心の政治づくりを目指した。
聖徳太子は日本に仏教をひろめた!
四天王寺を建てる
日本に仏教が伝わったのは538年の時。
日本にはもう神さま(神道)がいたので、「他の神さまを信じるなんて!」と反対する人もいたんだ。それが物部氏の一族。
だけど蘇我氏は「仏教も取り入れるべき!」と賛成した。
蘇我氏が仏教を受け入れようとした理由は、「渡来人」の力を借りたりするのに、彼らの宗教である仏教を受け入れておけば良い印象だと考えたと言われているよ。
「仏教OK」か「NG」かで、物部氏と蘇我氏は大喧嘩したんだ。
聖徳太子は蘇我氏の血筋なので、蘇我馬子と一緒に「仏教を受け入れる」派だったよ。
そして、とうとう物部氏と蘇我氏で戦うということになった時、聖徳太子は仏教の「四天王(仏さまを守る4人の神さま)」に「戦いに勝てますように。勝てたら、お礼にお寺を立てます」と誓ったんだ。
そして聖徳太子たちは物部氏に勝利。
誓いどおり、聖徳太子は摂津国(今の大阪府天王寺区)に四天王寺を建てたよ。
法隆寺を建てる
聖徳太子のお父さんだった用明天皇は病気で亡くなってしまったんだけど、その用明天皇のために607年、奈良県に法隆寺を建てたよ。
法隆寺のご本尊(そのお寺で大切にされている仏様)は「薬師如来」だよ。薬師如来は、薬の師(せんせい)というくらいだから、病気を治してくれる仏様なんだ。
法隆寺は、世界で一番古い「木で作られた建物(木造建築物)」だよ。
世界遺産に登録されているんだ。
聖徳太子は、仏教を信仰することで、人々が戦ったりしないで平和に過ごし、病気や災害に悩まされない世の中になるように願っていたよ。そのためにも、お寺を積極的に建てて仏教を広めようとしたんだ。
- 聖徳太子が四天王寺を建てた
- 聖徳太子は人々が幸せになるように仏教を広めようとした
- 聖徳太子が法隆寺を建てた
- 十七条の憲法は「豪族が力を持ちすぎないため」に作ったルールだった!
- 冠位十二階は、「能力があれば出世できる」システムにして、決まった豪族ばかりが偉くなりすぎないようにするためだった!
- 隋にお使いを送ったのは、進んでいる文化や政治のシステムを勉強したかったから!
6年生はココを押さえればOK!
まとめ
・大和朝廷の大王は有力な豪族に姓を与えて、臣下として働いてもらった
↓
・豪族の中でも蘇我氏が力をつけていく
↓
・聖徳太子誕生。
聖徳太子と蘇我馬子と推古天皇が中心になって政治を行う。
↓
・聖徳太子は天皇中心の国づくり、中国にも対抗できるような独立した国づくりを目指す
↓
・聖徳太子が十七条の憲法・冠位十二階を定める (蘇我氏の力は抑えられないまま)
↓
・聖徳太子が隋へ遣隋使を派遣。中国と国交を結ぶのに成功
↓
・仏教を広めるために四天王寺・法隆寺を建てる
年表をチェック!
538年 大陸から仏教が伝わる
574年 聖徳太子が生まれる
同じころ、蘇我氏の力が強くなる
593年 聖徳太子が推古天皇の摂政になる
603年 聖徳太子が冠位十二階を作る
604年 聖徳太子が十七条の憲法を作る
607年 聖徳太子が遣隋使を送る
同じ年、聖徳太子が法隆寺を建てる
622年 聖徳太子がなくなる
※赤いキーワードは必ず覚えよう!
・蘇我氏が権力を強めた
・聖徳太子が十七条の憲法を定めた
・聖徳太子が冠位十二階の仕組みを作った
・聖徳太子が中国(隋)へ遣隋使を送った
・聖徳太子は仏教を広めようとして、法隆寺を建てた
力を持ったままの蘇我氏の存在は大和朝廷にその後どう影響していくかな?次は大化の改新について解説するよ!
運営者情報
ゆみねこ
詳しいプロフィールを見る
青山学院大学教育学科卒業。TOEIC795点。2児の母。2019年の長女の高校受験時、訳あって塾には行かずに自宅学習のみで挑戦することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。志望校の特待生クラストップ10位内で合格を果たす。
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わかりやすい
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すげぇヨォ…….
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文章のまん中ぐらい、「中国に対等な日本作りを目指した!」の七行ほど下、「遣隋使」のふりがなが「けんとうし」となっている箇所があります。可能であれば修正をお願いします。
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すごく分かりやすくまとめていていいですね!分からない時いつも見てます!
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五年生の子供が予習に使っています。
歴史漫画よりも分かりやすいです。
いつもありがとうございます♪
とても助けになってます!! -
自主学習に参考にさせてもらってます♪
とてもわかりやすく、テストでも、「あっここやったところだ!」となりました。
小6なので、敬語の使い方がおかしかったらすみません -
こんにちは。いつも利用させていただいてます
発達障害があり 勉強は苦手ですが
ゆみねこさんのは
わかりやすく 知る事が楽しいと 毎回楽しみにしています。飛鳥時代はPDFが見つからないんですが
ありますでしょうか? -
とっても内容がまとめられていて分かりやすかったです。!!
これから社会頑張ろうと思います!! -
とってもわかりやすいです!こんなにわかりやすく、そして可愛いイラスト付きで、、、
まとめてくださり、ありがとうございます! -
イラスト可愛くてわかりやすかったです!授業で使いました(^^)
-
さささんさん
ありがとうございます!
ちょうどテストだったので助かりました~☺️
これを読んでテストがんばります!
本当にありがとうございます! -
ありがとうございます!
ちょうどテストだったので助かりました~☺️
これを読んでテストがんばります!
本当にありがとうございます! -
とても面白いです。今授業で江戸時代をやっているので、早く読みたいです。
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マジでわかりやすかったです!
期末テストいい点取れました!!! -
冬休みの自学に苦戦していたので、参考にさせていただきました!
ありがとうございます -
とても分かりやすかったです!
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