「やまなし(宮沢賢治)」全文とあらすじをイラストでわかりやすく
小学校6年生の国語で学習する宮沢賢治の「やまなし」について、あらすじと場面ごとの内容とポイントをイラストも使ってわかりやすく解説するよ。
クラムボンとは何か?宮沢賢治はどんな人物だったか?「やまなし」に込められた作者の思いや伝えたいこと、言葉の意味や全文も紹介しているよ。
「やまなし」ポイントまとめ
- 作者は明治時代の童話作家・詩人の「宮沢賢治(みやざわけんじ)」。
- 幻灯とは、スライドのこと。「やまなし」は作者の心の中で思いえがいている世界を表した作品。
- 比喩・擬態語・擬音語・作者の作った独特な言葉が使われている。
- 第一の場面(五月)では、「死」「死への悲しみやきょうふ」「自然のきびしさ」が描かれている。
- 第二の場面(十二月)では、「生」「自然のめぐみ」「喜びや期待、希望」が描かれている。
目次
宮沢賢治の人物像と思い
「やまなし」は宮沢賢治(みやざわ けんじ)さんが書いたお話だよ。
宮沢賢治さんは、小学五年生で学習した『注文の多い料理店』のほか、『銀河鉄道の夜』というお話や『雨ニモマケズ』という詩なども書いているよ。
宮沢賢治さんが、どんな人生を歩んだかということが、畑山博(はたやまひろし)さんによって『イーハトーブの夢』という伝記に次のようにまとめられているよ。
宮沢賢治さんの主な経験
- 津波や洪水、地震などの自然災害を何度も経験
- 農作物が取れず、農民たちが苦しむ様子を目の当たりにする
- 大切な妹トシの死
宮沢賢治さんの思いや考え方
- 人々が安心して田畑を耕せるように必死で考え、そのために一生をささげたい
- 病気で弱り、死ぬ直前であっても、一時間以上もていねいに農作業を教えた
- たがいにやさしい心を通い合わせてもらえるよう、人々にやさしさを育てるために、詩や童話を書く
- 苦しい農作業の中に、楽しさ、喜び、未来を見つける
- 暴れる自然に勝つためには、みんなで力を合わせなければならない。
- 人間が人間らしい生き方ができる社会が理想
- 人間も動物も植物もたがいに心が通い合うような世界が夢
宮沢賢治「やまなし」の登場人物
- 【かにの子どもら】
このお話の主人公の、お兄さんのかにと弟のかに。
五月にはとつぜん飛びこんできた「かわせみ」がこわくて居すくまり、十二月には川の中にふってきたやまなしのあとをおどるように追いかけたよ。 - 【魚】
川の中を、上から下へ行ったり来たりしているよ。
かわせみにつかまってしまうよ。 - 【かわせみ】
川をおよぐ魚を、とらえた鳥。コンパスのように黒くとがっていて、目が赤いと、かにたちは言っているよ。 - 【かにのお父さん】
かにの子どもらのお父さん。
子どもらに、かわせみのことや、やまなしのことを教えたよ。 - 【やまなし】
川に落ちてきた木の実。とてもいい匂いがするよ。
宮沢賢治「やまなし」あらすじ
「やまなし」のあらすじ・作者・登場人物を 確認しよう。
やまなし 作:宮沢賢治 絵:かすや昌宏
五月、谷川の底で、ニひきのかにの子どもらが話をしており、魚が上や下を行ったり来たりしています。
日光がさしこみ明るくなった谷川に、とつぜん、ぎらぎらする鉄砲だまのようで、コンパスのように黒くとがっているものが飛びこんできました。
そして、飛びこんできたものも魚も見えなくなりました。
かにの子どもらが居すくまっていると、かにのお父さんが「そいつはかわせみだよ。」と教えます。
かにの子どもらは「こわいよ、お父さん。」と言いました。
十二月、辺りはしんとして、月光がいっぱいの冷たい谷川の底で、かにの子どもらはねむらずにあわの大きさくらべをしています。
そのとき、「トブン。」と黒い丸い大きなものが落ちてきて、ずうっとしずんで、また上へ上りました。
「かわせみだ。」とこわがるかにの子どもらに、かにのお父さんは「あれはやまなしだ。」と教え、かにの親子はおどるように、流れるやまなしのあとを追いました。
やまなしは枝に引っかかり止まりました。
かにのお父さんは「いいにおいだろう。」と言い、かにの子どもは「おいしそうだね、お父さん。」と言いました。
宮沢賢治「やまなし」全文
小さな谷川の底を写した、二枚の青い幻灯です。
一 五月
二ひきのかにの子どもらが、青白い水の底で話していました。
『クラムボンは 笑ったよ。』
『クラムボンはかぷかぷ笑ったよ。』
『クラムボンは はねて笑ったよ。』
『クラムボンは かぷかぷ笑ったよ。』
上の方や横の方は、青く暗く鋼のように見えます。そのなめらかな天井を、つぶつぶ暗い泡が流れて行きます。
『クラムボンは 笑っていたよ。』
『クラムボンは かぷかぷ笑ったよ。』
『それならなぜクラムボンは 笑ったの。』
『知らない。』
つぶつぶ泡が流れて行きます。かにの子どもらも、ぽつぽつぽつと、つづけて五、六つぶあわをはきました。それは、ゆれながら水銀のように光って、ななめに上の方へのぼって行きました。
つうと銀のいろの腹をひるがえして、一ぴきの魚が頭の上を過ぎて行きました。
『クラムボンは 死んだよ。』
『クラムボンは 殺されたよ。』
『クラムボンは 死んでしまったよ…。』
『殺されたよ。』
『それなら、なぜ殺された。』
兄さんのかには、その右側の四本の足の中の二本を、弟の平べったい頭にのせながら言いました。
『わからない。』
魚がまたつうともどって、下のほうへ行きました。
『クラムボンは 笑ったよ。』
『笑った。』
にわかにぱっと明るくなり、日光の黄金は夢のように水の中に降って来ました。
波から来る光の網が、底の白い岩の上で、美しくゆらゆらのびたりちぢんだりしました。あわや小さなごみからは、まっすぐなかげの棒が、ななめに水の中に並んで立ちました。
魚が、こんどはそこら中の黄金の光をまるっきりくちゃくちゃにして、おまけに自分は鉄色に変に底光りして、また上の方へのぼりました。
『お魚は、なぜああ行ったり来たりするの。』
弟のかにが、まぶしそうに目を動かしながらたずねました。
『何か悪いことをしてるんだよ。取ってるんだよ。』
『取ってるの。』
『うん。』
そのお魚が、また上から戻って来ました。今度はゆっくり落ちついて、ひれも尾も動かさず、ただ水にだけ流されながらお口を輪のように円くしてやって来ました。その影は、黒くしずかに底の光の網の上をすべりました。
『お魚は…。』
そのときです。にわかに天井に白い泡がたって、青光りのまるでぎらぎらす鉄砲だまようなものが、いきなり飛びこんで来ました。
兄さんのかには、はっきりとその青いものの先が、コンパスのように黒くとがっているのも見ました。と思ううちに、魚の白い腹がぎらっと光って一ぺんひるがえり、上の方へのぼったようでしたが、それっきりもう青いものも魚のかたちも見えず、光の黄金の網はゆらゆらゆれ、あわはつぶつぶ流れました。
二ひきはまるで声も出ず、居すくまってしまいました。
お父さんのかにが出て来ました。
『どうしたい。ぶるぶるふるえているじゃないか。』
『お父さん、いま、おかしなものが来たよ。』
『どんなもんだ。』
『青くてね、光るんだよ。はじが、こんなに黒くとがってるの。それが来たら、お魚が上へのぼって行ったよ。』
『そいつの目が赤かったかい。』
『わからない。』
『ふうん。しかし、そいつは鳥だよ。かわせみというんだ。大丈夫だ、安心しろ。おれたちは構わないんだから。』
『お父さん、お魚はどこへ行ったの。』
『魚かい。魚はこわい所へ行った』
『こわいよ、お父さん。』
『いい、いい、大丈夫だ。心配するな。そら、樺の花が流れて来た。ごらん、きれいだろう。』
あわといっしょに、白い樺の花びらが、天井をたくさんすべって来ました。
『こわいよ、お父さん。』弟のかにも言いました。
光の網はゆらゆら、のびたりちぢんだり、花びらの影はしずかに砂をすべりました。
二 十二月
かにの子どもらはもうよほど大きくなり、底の景色も夏から秋の間にすっかり変りました。
白いやわらかな丸石も転がってき、小さな錐の形の水晶のつぶや金雲母のかけらも、流れてきて止まりました。
その冷たい水の底まで、ラムネの瓶の月光がいっぱいにすき通り、天井では、波が青白い火を燃したり消したりしているよう。あたりはしんとして、ただ、いかにも遠くからというように、その波の音がひびいて来るだけです。
かにの子どもらは、あんまり月が明るく水がきれいなので、ねむらないで外に出て、しばらくだまってあわをはいて天井の方を見ていました。
『やっぱり僕のあわは大きいね。』
『兄さん、わざと大きくはいてるんだい。僕だって、わざとならもっと大きくはけるよ。』
『はいてごらん。おや、たったそれきりだろう。いいかい、兄さんがはくから見ておいで。そら、ね、大きいだろう。』
『大きかないや、おんなじだい。』
『近くだから、自分のが大きく見えるんだよ。そんなら一緒にはいてみよう。いいかい、そら。』
『やっぱり僕のほう、大きいよ。』
『本当かい。じゃ、も一つはくよ。』
『だめだい、そんなにのびあがっては。』
また、お父さんのかにが出て来ました。
『もうねろねろ。遅いぞ、あしたイサドへ連れて行かんぞ。』
『お父さん、僕たちのあわ、どっち大きいの』
『それは兄さんのほうだろう』
『そうじゃないよ、僕のほう、大きいんだよ』
弟のかには泣きそうになりました。
そのとき、トブン。
黒い丸い大きなものが、天井から落ちてずうっとしずんで、また上へのぼって行きました。きらきらっと黄金のぶちが光りました。
『かわせみだ』
子供らのかには、首をすくめて言いました。
お父さんのかには、遠めがねのような両方の目をあらんかぎりのばして、よくよく見てから言いました。
『そうじゃない、あれはやまなしだ。流れて行くぞ。ついて行ってみよう。ああ、いい匂いだな。』
なるほど、そこらの月あかりの水の中は、やまなしのいい匂いでいっぱいでした。
三びきは、ぼかぼか流れて行くやまなしのあとを追いました。
その横歩きと、底の黒い三つの影法師が、合せて六つ、踊るようにして、やまなしの円い影を追いました。
間もなく、水はサラサラ鳴り、天井の波はいよいよ青いほのおをあげ、やまなしは横になって木の枝にひっかかって止まり、その上には、月光の虹がもかもか集まりました。
『どうだ、やっぱりやまなしだよ、よく熟している。いい匂いだろう。』
『おいしそうだね、お父さん』
『待て待て。もう二日ばかり待つとね、こいつは下へ沈んでくる。それから、ひとりでにおいしいお酒ができるから。さあ、もう帰って寝よう。おいで』
親子のかには三びき、自分らの穴に帰って行きます。
波はいよいよ青白いほのおをゆらゆらとあげました。それはまた、金剛石の粉をはいているようでした。
私の幻灯は、これでおしまいであります。
宮沢賢治「やまなし」内容とポイント
「やまなし」の場面分けごとに、内容とポイントを確認しよう。
「幻灯」とは
「やまなし」は、「小さな谷川の底を写した、二枚の青い幻灯です。」から始まり、「これで私の幻灯はおしまいであります。」という言葉でしめくくられているよ。
つまり、二枚の青い幻灯として、一つは五月、もう一つは十二月という二つの場面が書かれているんだ。
幻灯ってなんだろう?
幻灯とは、写真のフィルムに光を当てて拡大し、1コマずつ場面を変えながら、スクリーンに映してみせるもののことだよ。仕組みはちがうけれど、今でいう映画や動画のイメージかな。
「私の幻灯」とあるから、このスクリーンは、宮沢賢治さんの心の中にあるんだ。つまり、「やまなし」は 作者の心の中で思いえがいている世界を表した作品ということだね。
五月と十二月の二つの場面を比べながら、作者がこの作品にどんな思いをこめたのかを考えてみよう。
「イーハトーブの夢」に書かれている、作者の生き方や考え方もヒントにするといいよ。
「やまなし」で使われている表現の工夫について
また、「やまなし」は、比喩や擬音語、擬態語などの表現の工夫がされていたり、作者が作った独特な言葉が使われたりしているのも特ちょうだよ。
いろいろな表現や言葉を発見したり、味わったりしてみよう。
比喩(
あるものを別のものにたとえて、表現すること。
例:ひまわりのような笑顔(直喩)
※~のような(ように)が使われている
ひまわりの笑顔(隠喩)
※~のような(ように)が使われていない
擬音語(ぎおんご)
音や声を表す言葉。
例:ワンワン、ガタガタ、ポツポツ
擬態語(ぎたいご)
人や物の様子や状態、気持ちを表す言葉。
例:ニコニコ、キラキラ
本文 | 表現の工夫 |
---|---|
クラムボン | 作者が作った独特な言葉が使われたりしている |
かぷかぷ笑った | 作者が作った独特な言葉が使われたりしている 擬音語 |
青く暗く鋼 のように見えます | 比喩(直喩) |
つぶつぶ暗い泡が流れて行きます | 作者が作った独特な言葉が使われたりしている 擬音語 |
かにの子どもらも、ぽつぽつぽつと、つづけて五、六つぶあわをはきました | 擬音語 |
水銀のように光って | 比喩(直喩) |
日光の黄金 は夢 のように水の中に降って来ました | 比喩(直喩) |
ゆらゆらのびたりちぢんだりしました | 擬態語 |
くちゃくちゃにして | 擬態語 |
お口を輪のように円くして | 比喩(直喩) |
青光りのまるでぎらぎらする鉄砲だまようなもの | 比喩(直喩) 擬態語 |
コンパスのように黒くとがっている | 比喩(直喩) |
ぎらっと光って | 擬態語 |
黄金 の網はゆらゆらゆれ、あわはつぶつぶ流れました | 作者が作った独特な言葉が使われたりしている 擬態語 擬音語 |
ぶるぶるふるえているじゃないか | 擬態語 |
ラムネの瓶の月光 | 比喩(隠喩) |
イサド | 作者が作った独特な言葉が使われたりしている |
トブン | 作者が作った独特な言葉が使われたりしている 擬音語 |
きらきらっと黄金 のぶちが光りました | 擬態語 |
遠めがねのような両方の目 | 比喩(直喩) |
ぼかぼか流れて行くやまなし | 作者が作った独特な言葉が使われたりしている 擬態語 |
水はサラサラ鳴り | 擬態語 |
月光の虹 がもかもか集まりました | 作者が作った独特な言葉が使われたりしている 擬態語 |
青白いほのおをゆらゆらとあげました | 擬態語 |
金剛石 の粉をはいているよう | 比喩(直喩) |
「やまなし」第一の場面 五月
【場所】小さな谷川の底
【時間】五月、昼
【登場人物】かにの子どもら、かにのお父さん
【内容】かにの子どもらは、クラムボンの話をしたり、魚の様子を見たりしていたよ。
とつぜん、かわせみが飛びこんできて、かにの子どもらは 居すくまってしまったよ。
かにの子どもらが クラムボンの話をしている
青白い水の底で、二ひきのかにの子どもらが話をしていたよ。
一ぴきは兄さんのかにで、もう一ぴきは 弟のかにだね。
どんな話かというと、クラムボンの話だね。
クラムボンは、
- かぷかぷ笑う
- はねて笑う
- なぜ笑ったかはわかない
- 殺された
- なぜ殺されたかはわからない
というものだね。
クラムボンって何のことなのか、さっぱりわからないよ。
実はクラムボンは、作者が作った言葉で、意味はよく分からないよ。みんなの先生やお家の人にも 正解はわからないから、「わからないな」「むずかしいな」と思っても、心配しないでね。
正解はわからないけれど、いろいろな人がクラムボンとは何かを想像して、「あわ」や「小さな虫」、「かに」「かにのお母さん」などのいろいろな考えが出ているよ。「亡くなった妹のトシ」ではないかと考えている人もいるよ。みんなも、よかったら 自由に想像してみよう。
谷川の様子は、上の方や横の方は、青く暗く鋼のようで、なめらかな天井を、つぶつぶ暗いあわが流れていたよ。
谷川の底という、川の一番深いところにいるから、底から見上げた上や横の川は、青くて暗く見えているんだね。
「天井」とは、川の表面のことだね。
実際には天井があるわけれはないけれど、底から見た川の表面は、天井があるように見えているんだね。
そんな谷川の底には、かにの子どもらのほかに、魚もいたよ。
魚は、銀の色の腹をひるがえしたりして、上のほうへ上ったり、また下のほうへもどってきたりしていたよ。
かわせみが飛びこんでくる
その後、にわかにぱっと明るくなったよ。
なぜかというと、日光の黄金は、夢のように水の中に降ってきたからだね。
つまり、太陽の明るくてまぶしい光が、川の中にもたっぷりとさしこんできたんだね。
このときの谷川の底は明るくて、温かいイメージがあるね。
すると、魚に変化が現れたよ。
魚は、まず 日光の黄金の光を、まるっきりくちゃくちゃにして、自分は、鉄色に変に底光りして、また上のへ上ったよ。
「くちゃくちゃに」ということは、魚が速いスピードで泳いで、日光にてらされているところにかげができたということじゃないかな。
かにの弟は「お魚は、なぜああ行ったり来たりするの。」と聞いたよ。
「さっきからお魚は何しているのかな。ふしぎだな。」と思ったんだね。
兄さんのかには、「何か悪いことをしてるんだよ。取ってるんだよ。」と言ったよ。
「取ってる」とは、きっと「エサとなる虫や小さな魚を取っている」ということじゃないかな。
エサを取るということは、他の生き物の命をうばうことだから、兄さんのかには「悪いこと」と言ったのかもしれないね。
今度は、魚がひれも尾も動かさず、ただ水にだけ流されながら、お口を輪のように円くしてやって来たよ。
魚のかげは黒く静かに 底の光のあみの上をすべったよ。
そのとき、何かがいきなり飛びこんできたよ。
それは、「青光りのまるでぎらぎらする 鉄砲だまのようなもの」で「コンパスのように黒くとがって」いたね。
と思ったら、魚の白い腹がぎらっと光って一ぺんひるがえり、上の方へ上ったきり、青い物も魚も見えなくなったね。
「鉄砲玉」「コンパス」のようなものということは、何かするどくてとがっていて、すばやいものが 魚をつかまえてしまったんだね。
「と思ったら」とあるから、いっしゅんのできごとだったことがわかるね。
ニひきはまるで声も出ず、居すくまっていたね。
なぜかというと、とつぜん 鉄砲だまのようなものが飛びこんできたから、こわくてこわくて動くことも話すこともできず、きょうふでかたまってしまったんだね。
「一体なにがおこったんだろう」「またとびこんできたらどうしよう」「ぼくたちのところにも来たらどうしよう」「お魚はだいじょうぶかな」という 気持ちだったんじゃないかな。
するとお父さんのかにが出てきたよ。
かにの子どもらが 今起きたできごとを話すと、お父さんのかには「そいつの目が赤かったかい。」と聞いたね。
そして「そいつは鳥だよ。かわせみというんだ。」と言ったね。
飛びこんできたものは「かわせみ」という鳥だったんだ。
かわせみが するどいくちばしで、川の中を泳いでいた魚をつかまえたんだね。
どちらかのかにが「お父さん、お魚はどこへ行ったの。」と聞くと、お父さんは「魚はこわい所へ行った。」と言ったよ。
魚がかわせみにつかまえられたということは、かわせみに食べられて死んでしまうということだよね。
だから、お父さんは 魚が命をうばわれる=こわい所 と言ったんじゃないかな。
明るかった谷川に、とつぜんやってきたというところが、命をうばうかわせみのこわさを 強調している感じがするね。
兄さんのかにが「こわいよ、お父さん。」と言ったね。
さっきまで自分たちのすぐそばにいた魚が、とつぜん命をうばわれてしまったことを なんとなく感じ取っていたんじゃないかな。
お父さんは「大丈夫だ。」「かばの花が流れてきた。」などと言ったよ。
きれいなかばの花に目もむけることで 子どもらを安心させたいと考えたんだね。
弟のかにも「こわいよ、お父さん。」と言ったね。
お父さんがかばの花に目を向けさせようとしたけれど、それだけではきょうふや不安が消えないほど、こわい気持ちでいっぱいになっていたんだね。
お父さんがいったとおり、かわせみと魚がいなくなった谷川の底には、あわといっしょに白いかばの花びらが、天井をたくさんすべってきたよ。
光のあみはゆらゆら、のびたり縮んだり、花びらのかげは静かに砂をすべったよ。
魚がかわせみにつかまえられて食べられてしまうという、かにの子どもらにとってとてもこわいできごとが起きたけれど、谷川は変わらず、日光がふりそそぐ、明るい様子だったんだね。
「やまなし」第二の場面 十二月
【時間】十二月、夜
【場所】小さな谷川の底
【登場人物】かにの子どもら・かにのお父さん
【内容】かにの子どもらは、あわくらべをしていたよ。とつぜん、やまなしが降ってきて、かにの親子は おどるように追いかけたよ。
かにの子どもらがあわくらべをしている
十二月の谷川の様子は、
- 白いやわらかな丸石も転がって、小さなきりの形の水晶のつぶや金雲母のかけらも、流れてきて
- 冷たい水の底まで、ラムネのびんの月光がいっぱいにすき通り
- 天井では、波が青白い火を燃やしたり消したりしているよう
- 辺りはしんとして、ただ、いかにも遠くからというように、波の音がひびいてくるだけ
などと えがかれているね。
月光とあるから、この場面は夜だね。
「水晶のつぶ」や「金雲母のかけら」は、とても美しいイメージがあるよね。
「ラムネのびんの月光」とは、ラムネのびんのように、青くすきとおった美しい月光ということだね。
「波が青白い火を燃やしたり消したり」ということは、波が月光に照らされて青白くおだやかにゆれているということじゃないかな。
波のことを「青白い火」に たとえたんだね。
「辺りはしんとして」「いかにも遠くから」という言葉から、五月のように魚は近くにおらず、みんな寝ていて、とても静かな様子がわかるね。
かにの子どもらは、ねむらないで外に出ていたよ。
なぜかというと、あんまり月が明るく水がきれいだからだね。
そして、どちらが大きなあわをはくかをくらべていたよ。
兄さんのかには「やっぱりぼくのほう、大きいよ。」と言ったり、弟のかには「だめだい、そんなにのび上がっては。」「ぼくのほう、大きいんだよ。」と泣きそうになったりしていたよ。
つまり、どららも「自分のあわの方が大きい!」とゆずらず、けんかになっていたんだね。
そこへお父さんのかにが出てきて、「もうねろねろ。おそいぞ。あしたイサドへ連れて行かんぞ。」と言ったよ。
イサドは、作者が想像して作った町の名前だよ。
イサドのくわしいことは書いていないけれど、「ねないとイサドへ連れて行かない」ということは、きっと とても楽しい町、行きたくなるような み力的な町ということが 想像できるね。
やまなしが降ってくる
そのとき、「トブン」と黒い丸い大きなものが、ずうっとしずんで、また上へ上っていったよ。それから、きらきらっと黄金のぶちが光ったよ。
子どもらは、「かわせみだ。」と首をすくめていったよ。
五月の場面のように、とつぜん天井からふってきたから、かわせみだと思ったんだね。
「首をすくめて」という行動から、おびえていることがわかるね。
「たいへんだ、かわせみが来た!」「こうげきされたらどうしよう」という気持ちだったんじゃないかな。
けれどもお父さんのかには「あれはやまなしだ。」「ついていってみよう。」と提案したよ。
「やまなし」とは、日本に昔からあるなしの一種で、3cmくらいの小さな果物。宮沢賢治の出身の岩手県によくあった「イワテヤマナシ」のことだと考えられているよ。酸っぱさやしぶさがあって、人が食べることはできないけれど、とてもいい香りがするよ。
やまなしがふってきたことで、水の中は、やまなしのいいにおいでいっぱいだったね。
ただ、落ちてきただけで香りが広がるなんて、とても香りが豊かなくだものであることが想像できるね。
「トブン」という音はなんだかゆったりした感じがするね。
それに、「丸い」という特ちょうは、やわらかいイメージがあるね。
しずんで、また上に上ったのは、かわせみと同じ動きだけれど、すばやかったかわせみに対し、「ずうっと」と上へ上っていくやまなしは、おやだやかでやさしい感じがするよね。
三びきは、ぼかぼか流れるやまなしの後を追いかけていったよ。
「ぼかぼか」という表現も、やまなしのゆったりした感じが伝わってくるね。
どんなふうに追いかけたかというと、「三びきの横歩きと、底の三つのかげ法師が 合わせて六つ、おどるようにして」追いかけたんだね。
「おどるように」とあるから、三びきは、とてもわくわくしていることがわかるね。
「やまなしはどこへ行くのかな?」「やまなしについていくのは楽しいな」「いいにおいでうっとりするな」という気持ちだったんじゃないかな。
それに、やまなしの登場により、かにの子どもらのけんかも自然とおさまったね。
まもなく、やまなしは木の枝に引っかかって止まり、その上には、月光のにじがもかもか集まったよ。
「月光のにじ」とは、美しい月の光がにじのようにキラキラとやまなしの上に集まって、やまなしをてらしているということだね。
「もかもか」はなんだかやわらかくてやさしいイメージがあるね。
かにのお父さんは、「どうだ、やっぱりやまなしだよ。よく熟している。いいにおいだろう。」と言ったよ。
「熟している」とは、やまなしの実がちょうどよい食べごろに成長した状態ということだね。
「いいにおいで幸せだな」「やまなしが降ってくるなんてラッキーだ」「子どもらにしょうかいできてうれしい」という気持ちだったんじゃないかな。
かにの子どもは、「おいしそうだね、お父さん。」と言ったよ。
「食べるのが楽しみだな」「早く食べたいな」とわくわくしたうれしい気持ちになっていることがわかるね。
かにのお父さんは「もう二日ばかり待つとね、こいつは下へしずんでくる。それから、ひとりでにおいしいお酒ができるから。」と言ったよ。
「ひとりでにおいしいお酒ができる」とは、やまなしがさらにやわらかくなったり、しぶみがやわらいだりして、自然とおいしいごちそうになっていくということだね。
食べられるために生まれてきたやまなしは、かにたちのごちそうになることで、一生を終えてしまうけれど、それはかにの命をつなぐものとして、役に立つんだね。
その後、かにの親子は自分らの穴に帰っていったよ。
谷川の底の様子は、「波は、いよいよ青白いほのおをゆらゆらと上げ」「金剛石の粉をはいているよう」だったよ。
「金剛石」は とう明で美しく光るダイヤモンドのことだね。
とつぜんやまなしがふってくるというできごとがあっても、谷川はいつもと変わらず、美しくおだやかに かがやき続けているんだね。
最後は、「私の幻灯は、これでおしまいであります。」という作者の言葉でしめくくられているよ。
言いたかったことを伝えきることができたという感じがするね。
宮沢賢治「やまなし」作者が伝えたいこと
では、作者が二枚の幻灯をとおして伝えたかったことはどんなことだろう?
この作品の題名「やまなし」は、二つ目の十二月の場面にしか出てこなかったけれど、どうして作者は「やまなし」という題名をつけたのかな?
「やまなし」のことを書きたかったなら二つ目の十二月の場面だけでもよかったんじゃないかな?
作者の思いを考えるためにも、二つの場面を整理して、比べてみよう。
五月 | 十二月 | |
川や水の様子 | 日光の黄金 明るく ➔明るく生き生きした世界 | 月光 冷たい 辺りはしんとして ➔冷たく静かな世界 |
上からきたもの | かわせみ ➔生きるために命をうばうもの | やまなし ➔他者のために命をささげるもの |
かにの子どもらの様子 | 声も出ず、居すくまってしまいました 「こわいよ、お父さん。」 ➔きょうふ、不安 | おどるように 「おいしそうだね、お父さん。」 ➔喜び、幸せ |
色 | ・青 ・青白い ・黄金 ・白 ・黒 ・銀 ・鉄色 ・赤 ➔かわせみが登場する場面では「黒」「銀」「鉄」「赤」などの罪や死、血や激しさをイメージする色が多い =不安やきょうふ、不気味 ➔魚は、銀➔鉄➔黒へとだんだんと黒に近づく=死へ近づいていくイメージ | ・青 ・青白い ・黄金 ・白 ・黒 ・にじ ➔谷川の美しさをイメージする色が多い =平和、おだやか |
比喩、擬態語や擬音語 | ・かぷかぷ ・くちゃくちゃ ・ぎらぎら ・ぎらっと ・青く暗く鋼のよう ・鉄砲だまのようなもの ・コンパスのように ➔不気味、きょうふ、するどさ、こうげき | ・トブン ・ぼかぼか ・サラサラ ・もかもか ・ゆらゆら ➔やさしい、おだやか、ゆったり、平和 ・おどるように ➔わくわく、幸せ |
<五月>
明るい谷川にとつぜんやってきたかわせみの登場は、魚の死をもたらし、かにの子どもらをこわがらせたよ。
五月の場面では、不気味さやこわさを表す表現や色が使われているね。
きっとかわせみは「生き生きとした世界に とつぜんおそいかかる命をうばうおそろしさ」を 表しているんじゃないかな。
一方で、魚の死はかわせみが生きていくために必要な命でもあるよね。
きっと作者は、生きていくためには命をうばい、うばわれることがあることは、自然の厳しさでもあり、現実でもあることも表したかったんじゃないかな。
そして、かにの子どもらがこわがる様子から、死への悲しみやきょうふも読み取ることができるね。
五月の場面を簡単にまとめると、「死」「死への悲しみやきょうふ」「自然のきびしさ」だね!
<十二月>
冷たく、静かな谷川にふってきたやまなしの登場により、かにたちは幸せな気持ちになり、子どもらのけんかも自然とおさまったね。
十二月の場面では、平和やおだやかさをイメージするような色や表現が使われているよ。
つまり、やまなしは「他のものが生きるためにもたらされる自然のめぐみや命のつながり」であり、「相手を喜ばせたり、幸せな気持ちにさせたりするもの」なんだね。
十二月の場面を簡単にまとめると、「生」「自然のめぐみ」「喜びや期待、希望」だね!
『イーハトーブの夢』で書かれた作者の思いをふり返ると、
かにの命のために役立つというやまなしの役割は、人々が安心して田畑を耕せるように必死で考え、そのために一生をささげたいと考えたり、病気で死ぬ直前でもていねいに教えたりした、「人のために役に立ちたい、人のために尽くしたい」という作者の思いと重なるところがあるよね。
作者はきっと、相手につくし、命のつながりや喜びを与える「やまなし」を強調したくて、この作品に「やまなし」という題名をつけたんじゃないかな。
それに、作者は自然災害や農作物の不作を何度も経験しているからこそ、自然の厳しさも知っているし、逆に自然のめぐみや豊さもよくわかっていると考えられるよね。
そして、苦しい農作業の中に、楽しさ、喜び、未来を見つけることを大切にしたり、たがいに心が通い合うような世界を理想としていたりしたよね。
きっと作者はこの作品に
- 五月の場面で自然の厳しさや現実をえがき、十二月の場面で、自然のめぐみをえがくことで、命はおたがいにめぐっていくものだという自然を受け入れよう
- そんな命のめぐり合いの中でも、死への悲しみや不安ではなく、命のつながりや自然のめぐみに感謝することに目を向けよう
- 自然が持つ厳しさなどの苦しい現実や大変なことがあっても、その中に喜びや希望を見つけて生きていこう
- たがいに心が通い合うような世界を作っていくためにも、やまなしのようにまわりに幸せを与えるような、人のためにつくすような生き方を大事にしよう
という思いを こめたんじゃないかな。
宮沢賢治「やまなし」新出漢字
宮沢賢治「やまなし」言葉の意味調べ
言葉 | 意味 |
---|---|
幻灯 | スライドのこと。 |
クラムボン | 宮沢賢治が考えた独自の言葉。意味ははっきりとしない。 |
鋼(はがね) | 鍛えられた鉄のこと。 |
水銀 | 金属の種類のひとつ。銀のように白くて光沢がある。 |
ひるがえす | 反対の面が出るように、さっとひっくり返すこと。 |
にわかに | 急に。突然に。 |
円く | 丸く。 |
居すくまる | おそろしさや、寒さで、その場に座ったまま動けなくなること。 |
かわせみ | 水辺にいる小さな鳥。あざやかな水色の体と、長いくちばしが特ちょう。 |
樺(かば) | |
よほど | かなり。ずいぶん。 |
丸石 | 丸い形をした石のこと。 |
錐(きり) | 小さな穴を開けるための大工道具。刃の形が、するどくとがっている。 |
水晶 | 石英(せきえい)という鉱物が六角柱の状態に結晶したもの。 |
金雲母 | 「雲母(うんも)」とは、鉱物の種類のひとつ。その中でも、黄色を含む褐色(黒っぽい濃い茶色)のものを金雲母という。 |
それきり | それが最後であるこ。 |
のび上がる | つま先で立ったりして、からだを高くすること。 |
イサド | 宮沢賢治が想像して作った町の名前 |
首をすくめる | おどろいたりして、思わず首をちぢめるようす。 |
遠眼鏡 | 遠くを見るための筒状のメガネ。望遠鏡。 |
あらんかぎり | あるだけすべて・持っているだけすべて。 |
影法師 | 光が当たって、地面などにうつる影のこと。 |
金剛石 | ダイヤモンドのこと。 |
宮沢賢治「やまなし」テスト対策ポイントまとめ
「やまなし」ポイントまとめ
- 作者は明治時代の童話作家・詩人の「宮沢賢治(みやざわけんじ)」。
- 幻灯とは、スライドのこと。「やまなし」は 作者の心の中で思いえがいている世界を表した作品。
- 比喩・擬態語・擬音語・作者の作った独特な言葉が使われている。
- 第一の場面(五月)では、「死」「死への悲しみやきょうふ」「自然のきびしさ」が描かれている。
- 第二の場面(十二月)では、「生」「自然のめぐみ」「喜びや期待、希望」が描かれている。
運営者情報
ゆみねこ
詳しいプロフィールを見る
青山学院大学教育学科卒業。TOEIC795点。2児の母。2019年の長女の高校受験時、訳あって塾には行かずに自宅学習のみで挑戦することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。志望校の特待生クラストップ10位内で合格を果たす。