『大正デモクラシー』と普通選挙法!治安維持法や平塚らいてうを解説
前回は、産業の発展と公害問題について勉強したね。
日本がものづくり大国へと成長する中で、人々の生活も大きく変わっていった。
そして時代は「大正(たいしょう)」へ。
この時代は、都市での生活がオシャレで便利になり、人々が「私たちにも権利を!」と声を上げ始めた、エネルギーあふれる時代だったんだ。
今回は、民主主義が広がりはじめた「大正デモクラシー」と、新しい社会の動きについて見ていこう!
目次
大正デモクラシー、ココがピンとこない!
大正デモクラシー、ココがピンとこない!
- そもそも「デモクラシー」ってどういう意味?
- なんで急にみんなが政治に口を出し始めたの?
- 「普通選挙」ってなにが普通なの?
「デモクラシー」とは、英語で「民主主義(みんしゅしゅぎ)」のこと。
つまり、「一部の偉い人だけでなく、国民みんなの意見で政治を決めよう!」という考え方のことだよ。
吉野作造の「民本主義」
この考え方を広めたのが、東京帝国大学(今の東大)の先生だった吉野作造だよ。
彼はヨーロッパに留学して、現地の政治を観察し、その経験が日本にも広めたいという考えにつながったんだ。
民主主義と民本主義、言葉が違うけど同じ意味なの?
いい質問だね! 実は少し違うんだ。
当時の日本の憲法では「主権(一番偉い人)は天皇」と決まっていたから、「主権は国民(民主主義)」と言うと、「天皇をないがしろにするのか!」と批判されてしまう。
そこで吉野作造は、「主権は天皇だけど、政治の目的は国民(民)を本位(中心)にすることだよ」という、うまい言い方(民本主義)を考え出したんだね。

モダンな生活へ!都市と大衆文化
大正時代になると、都市(都会)を中心に、人々の暮らしがとても近代的でオシャレになったよ。
新聞や雑誌、ラジオなどが広まり、多くの人々が同じ情報を楽しむ「大衆文化(たいしゅうぶんか)」が生まれたんだ。
ガス・水道・電気の普及と洋風住宅
家の中にはガス・水道・電気が引かれ、夜でも電灯のおかげで明るく過ごせるようになった。
また、畳の部屋だけでなく、椅子やテーブルを使う洋風の生活も広まっていったんだ。
デパート、私鉄、ラジオ放送
街にはデパート(百貨店)が建ち並び、休日に家族で買い物をするのが楽しみになった。
郊外(街の外側)から都心へ通うために、私鉄やバス、路面電車も発達していったよ。
1925年にはラジオ放送も始まり、ニュースや音楽が瞬時に家庭に届くようになったんだ。
(今のテレビやスマホの先駆けだね!)
第一次世界大戦と「成金」
この頃、世界では「第一次世界大戦」(1914年~1918年)という大きな戦争が起きていた。
日本も参加したの?
日英同盟を結んでいたから参加はしたけど、主な戦場は遠いヨーロッパだったから、日本も中国(青島)などで戦ったけれど、国内は戦場にならなかったんだ。
それどころか、戦争で物不足になったヨーロッパの国々に、日本から武器や物資を売りまくって大儲けしたんだよ(大戦景気)。
こうして急にお金持ちになった人々のことを「成金(なりきん)」と呼んだよ。
(暗いからといって、お札を燃やして明かりにする風刺画が有名だね)
将棋の「歩」が敵陣に入って成ると『と金』になって、金と同じ動きができるように、「普通の人が急に金持ちに成った」という意味だね。
成金になったのは、主に「船で物を運ぶ会社(船成金)」や「鉄や銅を作る工場」の人たち。
ヨーロッパで戦争が起きて、向こうの船が足りなくなったり、武器や鉄が足りなくなったりしたから、日本の船を貸したり、鉄を輸出したりした人たちが、とんでもない大金持ちになったんだね。

権利を求める運動①『護憲運動』と『米騒動』
生活が豊かになる一方で、「政治ももっと良くしたい!」という国民の声が高まっていった。
「憲法を守れ!」と立ち上がった人々
当時、薩摩や長州出身の一部の人たちが政治を独占していた(藩閥政治)。
明治維新の時、薩摩と長州が活躍したよね。だから「明治維新で国を作ったのは俺たちだ!」と、仲間内(閥)だけで政治を動かしていたんだね。
※「閥(ばつ)」=仲間のグループ。
藩閥政治のズルいところ
彼らは、こんな風に「自分たちに都合の良い政治」をしていたんだ。
- 大臣は仲間内でたらい回し:「俺が総理大臣を辞めたら、次は君がやってね」と、国民の意見を聞かずに勝手にリーダーを決めていた。
- 議会を無視する:国民が選んだ議会が「その予算はおかしい!」と反対しても、「うるさい!俺たちが決めるんだ!」と無視したり、無理やり議会を解散させたりした。
これに対して、「いい加減にしろ! 憲法に基づいた正しい政治をしろ!」と立ち上がったのが、尾崎行雄や犬養毅たちだ。
彼らは、どんなに権力者に脅されてもひるまなかった。
「憲法には『議会の承認が必要というのが原則』と書いてある! 勝手に決めるな!」
と、憲法のルールを盾にして、堂々と政府を攻撃したんだ。
その姿はまさにヒーロー!
彼らは「憲政(憲法に基づいた政治)の神様」と呼ばれて、国民から熱狂的に応援されたんだ。
彼らの呼びかけで、数万人の人々が国会を取り囲んで「内閣辞めろ!」と叫ぶ大騒ぎ(デモ)になり、ついに内閣を辞めさせることに成功したんだ。
これを「第一次護憲運動」というよ。

言葉の意味:護憲運動
「護(ご)」=まもる(擁護)。
「憲(けん)」=憲法。
つまり、「憲法を守って、国民のための政治をしろ!」という運動のことだよ。
富山県のお母さんたちが起こした「米騒動」
1918年、戦争の影響などで物価が上がり、お米の値段が急激に高くなってしまった。
生活に困った富山県の漁村の女性たちが、「お米を地元の外へ運び出さないで!」と船に積み込むのを止めようとしたんだ。
これが「米騒動」の始まりだよ。
なぜ女性たちは怒ったの?
当時の富山県では、こんな争いが起きていたんだ。
- 米屋の言い分
「地元で安く売るより、大阪や東京、そして戦争中の軍隊が高く買ってくれるから、そっちに売りたい!商売なんだから当たり前だろ!」 - 女性たちの言い分
「地元の米が全部どこかへ行っちゃったら、私たちが食べる分がなくなる! 子供がお腹を空かせているのに、米を運び出すな!」
生きるか死ぬかの問題だったからこそ、お母さんたちは必死で船の積み出しを止めたんだね。
このニュースが新聞で報道されると、「私達も苦しいんだ!」と共感した人々によって、あっという間に全国に暴動が広がったんだ。

平民宰相・原敬の登場
この騒ぎの責任を取って、当時の内閣(寺内正毅内閣)は辞任に追い込まれた。
現代でも、国民の生活が苦しくなって不満がたまると、「今の内閣はやめろー!」という声が出てきたりするよね。
代わりに総理大臣になったのが、原敬だよ。
原敬は「華族(貴族)」の位を持っていなかったので、「平民宰相(平民の総理大臣)」と呼ばれて国民に大人気だった。
それまでの総理大臣はみんな、「元公家」や「明治維新で活躍して華族になった元武士」ばかりだったから、これは画期的なことだったんだ。
そして、日本で初めて本格的な政党内閣(選挙で選ばれた政党が中心となる内閣)を作ったんだよ。

政党内閣ってなにがすごいの?
| 今まで(藩閥政治) | 政党内閣 |
| 薩摩や長州の出身者が、仲間内で大臣を決めていた。 (国民の意見は無視されがち) | 選挙で一番多く議席を取った「政党のリーダー」が総理大臣になる。 (国民の意見が政治に反映されやすい!) |
権利を求める運動②『普通選挙』と『女性・部落解放』
ついに実現!25歳以上の男子全員に選挙権
憲法ができた時の選挙権の条件を覚えているかな?
「直接国税15円以上(大金持ちだけ)」だったよね。
「税金をたくさん払っている人しか選挙できないのはおかしい!」
そんな声に押されて、1925年、ついに「普通選挙法」が成立したんだ。
これによって、「満25歳以上のすべての男子」が、税金の額に関係なく選挙で投票できるようになったよ。
(有権者の数は、いままでの約4倍に増えたんだ!)
「普通」というのは、お金持ちかどうか(税金の額)で差をつけないという意味(女性はまだダメだけど)だよ。
でも、選挙権があるのは男性だけなんだね…。

当時の女性の立場って?
当時は、「女性は結婚して家に入り、良い妻・良い母になること(良妻賢母)」が理想とされていたんだ。
「政治は男の仕事」と考えられていて、当時は法律で、女性が政治の集会に参加することが強く制限されていたんだよ(※のちに一部認められる)。
いつから立場が弱くなったの?
平安時代など大昔は、女性も比較的強かったと言われているよ。
でも、江戸時代に武士の「家」を継ぐことが何より大事にされ、明治時代になってその考え方が法律(民法)で全国に広まったことで、「家の主人は男、女は従うもの」という考えが定着してしまったんだね。
女性や差別された人々の立ち上がり
選挙権が認められなかった女性たちも黙ってはいなかった。
平塚らいてうたちは、「青鞜(せいとう)」という雑誌を作り、女性の権利を訴えたんだ。
彼女は裕福な家の娘だったけれど、「女性は家で男性に従うもの」という当時の常識に疑問を持って、文学の力で戦ったんだよ。
平塚らいてうの言葉
「元始、女性は太陽であった」
大昔、女性は太陽のように輝く存在だった。今こそその輝きを取り戻そう!という意味なんだ。
日本の神話に出てくる太陽の神様「天照大神」は女性だよね。
大昔、女性は太陽のように自ら輝く存在だった。今は男性に頼らないと生きられない「月」のようになってしまったけれど、今こそ太陽の輝きを取り戻そう!と、うったえたんだよ。
また、厳しい差別に苦しんでいた人々も立ち上がった。
江戸時代の身分制度による差別がまだ残っていて、就職や結婚で辛い思いをしていた人々(渋染一揆などの子孫)だね。
1922年、奈良県出身の若いリーダー・西光万吉らが京都で「全国水平社」を結成し、差別のない社会を目指して運動を始めたんだ。
(京都などの関西地方には、差別された人々が多く住んでいて、運動の中心地になったんだよ)
水平社宣言の言葉
「人の世に熱あれ、人間に光あれ」
(冷たい差別の世の中に、人間らしい温かさと光を!)
西光万吉は、差別に苦しんでいた人々の一人なんだ。
「自分たちが差別されるのは、自分たちが悪いからじゃない。人間はみんな生まれながらに尊いんだ」という強い信念を持っていたんだよ。
自由の裏側で…『治安維持法』の恐怖
普通選挙法で国民の権利が広がる一方で、政府は「自由になりすぎて、国の考えに反対する人が増えたら困るな」と心配した。
そこで、普通選挙法と同じ年(1925年)に作られたのが「治安維持法」だよ。
誰を取り締まったの?
これは、「国の仕組み(天皇中心の政治)を変えようとしたり、私有財産を否定(共産主義など)したりする人を取り締まる法律」なんだ。
私有財産を否定ってどういうこと?
ロシアなどで広まっていた社会主義や共産主義という考え方のことだよ。
「財産や儲けが一部の人に偏らないよう、社会全体で分け方を変えよう!」という考え方だから、天皇や政府、お金持ちにとっては一番怖い敵だったんだ。
平塚らいてうのような女性運動家は(天皇を倒そうとはしていないから)すぐには捕まらなかったけれど、政府に反対する共産主義の人たちは次々と逮捕された。
そして、だんだんと「戦争反対」を唱える人なども捕まるようになり、言論の自由がなくなっていったんだ。
まとめ
『大正デモクラシー』年表まとめ
| 1912年 | 第一次護憲運動が起こる(1913年ごろまで) |
| 1914年 | 第一次世界大戦が始まる(~1918年) |
| 1918年 | 富山県で米騒動が起きる 原敬が内閣総理大臣になり、政党内閣を作る |
| 1922年 | 全国水平社が結成される |
| 1923年 | 関東大震災が発生する |
| 1925年 | 普通選挙法が成立 (満25歳以上の男子全員に選挙権) 治安維持法が成立 |
6年生はここを押さえればOK!「大正デモクラシー」まとめ
※赤いキーワードは必ず覚えよう!
- 大正時代に広まった、民主主義を求める動きを大正デモクラシーという
(吉野作造が民本主義を唱えた) - 米騒動をきっかけに、原敬が初の本格的な政党内閣を作った
- 1925年、普通選挙法が成立
→満25歳以上の男子全員に選挙権が与えられた(税金の制限なし) - 同時に、社会運動を取り締まる治安維持法も作られた
- 女性の権利(平塚らいてう)や、被差別部落の解放(全国水平社)を求める運動も起きた
自由を求める運動が盛り上がった大正時代。
しかし、その先には再び戦争の足音が近づいていた。
次回は、世界恐慌と軍部の台頭、そして太平洋戦争へと突き進む「戦争の時代と人々の暮らし」について解説するよ!
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檜垣 由美子(ゆみねこ)
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青山学院大学教育学科卒業。TOEIC795点。2児の母。2019年の長女の高校受験時、訳あって塾には行かずに自宅学習のみで挑戦することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。志望校の特待生クラストップ10位内で合格を果たす。 ※サイト全体の運営実績についてはこちらにまとめています。


