「鎌倉幕府の政治のしくみ」をわかりやすく解説
源頼朝が征夷大将軍に任命されて、鎌倉幕府は朝廷とは別の「政府」として認められることになったね。
このページでは、鎌倉幕府ではどんな政治がおこなわれていたか、そして鎌倉幕府の特徴である「御恩と奉公」の関係とは何か?を解説していくよ!
征夷大将軍って?朝廷とは別の政府ってどういうこと?とピンとこなかったら鎌倉幕府(武家政権のはじまり)解説ページを読もう!
鎌倉幕府とは?
おさらいしよう!
鎌倉幕府は誰が・いつ・どうやって開いたの?
鎌倉幕府を開いたのは源頼朝だよ。
平氏を倒した頼朝は、朝廷から関東地方を任されるようになって、関東地方の武士と絆を深めていったよ。
さらに平氏を倒すためや、裏切り者として捕まえることになった源義経を追うために「侍所」を作ったり、全国に「守護・地頭」を置いたりして力を伸ばしていったよ。
そして1192年に朝廷から「征夷大将軍」に任命されて、鎌倉幕府は「政府」として人々から認められるほどになったよ。
- だれが開いたか…源頼朝が開いた
- どうやって開いた…
1. 朝廷から関東地方を任されるようになって関東地方の武士とのきずな深めた
2. 全国に守護・地頭を置いて、頼朝の力が及ぶようにし
3. 征夷大将軍に任命されて、「政府」として認められるようになった - いつか開いたか…征夷大将軍に任命された1192年が鎌倉幕府のスタートとして考えられている(ほかにも考え方はある)
鎌倉幕府はどこにあるの??
鎌倉幕府が開かれたのは、神奈川県鎌倉市だよ。
鎌倉にある鶴岡八幡宮は、源氏にとって縁のある神様なんだよね。
そうだね。他にも鎌倉に幕府を開いた理由があったね。
②鎌倉は海と山に囲まれている土地なので、敵に攻め込まれにくいから
③京都にある朝廷から離れているので、朝廷の力が影響しにくいから
ここまでのことは、詳しくは「武家政権の始まり」のページでも解説しているので、あまり自信のない時は復習してみよう!
では早速、鎌倉幕府ではどんな政治がおこなわれていたか解説するよ。
鎌倉幕府の政治の仕組み
鎌倉幕府は「朝廷とは別の政府」なんだから、鎌倉幕府オリジナルの「政治」をしていたということだよね。
現代の日本でも、政治を行うための仕組みって必要だよね。
例えば、法律やお金の使い方などを決める「国会」とか、社会の安全をまもる「警察」とか、法律を守らなかった人にどんな罰を与えるか決める「裁判所」とか。
鎌倉幕府が政治を行うためにも、同じような仕組みが作られたんだ。
では、鎌倉幕府はどんな仕組みで政治がおこなわれていたのか解説するよ。
幕府のトップはもちろん「将軍」
将軍は幕府の中で文句なしの№1。
リーダー的な存在だよ。
幕府といえば「将軍」という言葉は有名だけど、「将軍」の正式名称は「征夷大将軍」。
1192年に頼朝は朝廷から「征夷大将軍」に任命されたよね。
今までは「征夷大将軍」という言葉は、朝廷に逆らっていた「蝦夷」を「征討(言うことを聞かないものを攻めて倒すこと)」する軍の大将という意味だったんだ。
征夷大将軍には武士の中でもトップの人がなっていたので、「征夷大将軍になる」=武士の№1ということを意味するんだ。
武士の№1になった頼朝が開いた幕府だからこそ、人々にも「政府」として認められた、ということだね。
普通の人が「これからオリジナルの政府を作りまーす」と言っても、だれも相手にしないけど、この時代に力をもっていた武士のトップが言うなら、みんな認めるよね。
こうして、鎌倉幕府の時から「征夷大将軍=幕府のトップ」という意味を持つようになったんだよ。
幕府のナンバー2「執権」
執権という役職は、幕府の中で将軍の次に偉いんだ。
将軍のサポート役として、幕府の政治の実権を握っていたよ。(真の権力を持っていた、ということ)
一家の大黒柱はお父さんだけど、お金の管理とか、おうちのことを色々決めているのは実はお母さん、みたいなイメージかな(笑)
執事のように将軍のサポートをして、権力を持っていた、とイメージすると覚えやすいかな??
トップに「将軍」、その次に「執権」がいることがわかったね。
鎌倉幕府の政治の仕組みでは、将軍と執権の下には「中央機関」と「地方機関」のそれぞれの役職がいるんだ。
幕府の中心 中央機関
中央機関というのは、鎌倉幕府の「中心となる仕組み」のこと。
全部で3つあるんだ。
※機関というのは、ある目的を達成するために作る組織のことだよ。
鎌倉時代の国会 「政所」
これは「政治の仕事」を行うところ。
現代の「国会」のイメージ。
どんな政治を行うか話し合って決めたり、何にどのくらいお金を使うかなどを決めたりするところだね。
鎌倉時代の警察 「侍所」
現代の「警察」のイメージ。
将軍の為に戦ってくれる武士を管理したり、どうやって戦うか考えたり、悪い人を取り締まったりするところだよ。
ケンカを解決 「問注所」
現代の「裁判所」のイメージ。
争いが起きた時に、どちらが悪いか判断したり、どんな罰が必要か考えたりするところだよ。
※現代の裁判所では、裁判官や裁判員が話し合って罪や罰が決められるけれど、鎌倉幕府の問注所は、裁判をするための手続きができるだけで、罪や罰は「源頼朝」が決めていたという違いがあるので注意してね。
この「政所」・「侍所」・「問注所」が鎌倉幕府の中心になる仕組みだよ。
地方の政治を管理 地方機関
鎌倉幕府がある鎌倉での政治は、中央機関があればもう安心。
でも、地方はどうだろう?
鎌倉から離れた場所のことも、ちゃんと管理する仕組みが必要だよね。
そこで必要になるのが「地方機関」だね。
つまり、「地方のことを管理するための組織」のこと。
ここでいう「地方」とは、朝廷がある「京都」のことや、源頼朝が全国に置いた「守護・地頭」のいる国々のことだよ。
ちょっとまって。
そもそも、「守護・地頭」って何かピンとこないんだけど・・
各地の警察 「守護」
この頃の日本全国に一人ずつ置かれたのが「守護」。
守護の仕事は、その国の悪い人を捕まえたり、将軍に逆らった人を捕まえたりすること。
他にも、その国にいる御家人(ごけにん・将軍の為に働く武士)を京都や鎌倉幕府まで行って、警備するように命令したりするのが仕事だよ。
「悪から守って警護する」から守護というんだね。
現代のイメージで言うと、日本の警察のおおもとって、内閣にある「警察庁」なんだ。そして、全国の都道府県には、それぞれに「警察本部」というのがあるんだよ。
幕府の中央機関の「侍所」が「警察庁」で、
地方機関の「守護」が「警察本部」という感じ。
税金を集める 地頭
地頭というのは、全国にある「公領」や「荘園」を管理する仕事のことだよ。
「荘園」は学習したことあるけど、「公領」って??
荘園は、平安時代に藤原氏が栄えた話で学習したよね。
「貴族などが持っていた土地」のことを荘園と呼ぶんだったね。
公領というのは、「公(おおやけ)」の「領地(りょうち)」という字が使われているように、「国の土地」ということ。
「公園」も、「国が管理している遊び場」のことだよね。
この時代の「国の土地」というのは、つまり「朝廷(または幕府)が管理している土地」のことになるよ。
荘園と公領を「管理する」というのはどういうことかというと、その土地の「年貢」を取り立てたり、その土地の政治を行ったり、その土地の安全を守る警察の役割のようなものをしていたよ。
※年貢というのは、税金のようなもの。その土地でとれたお米とかを税として納めなくてはいけないんだ。
朝廷の見張り番 六波羅探題
六波羅探題は、ヒトコトでいうと「京都と朝廷を見張る仕事」。
見張るためには、できるだけ朝廷に近いほうがいいよね。
そこで、京都の「六波羅」というところに作られたから、「六波羅探題」というんだ。
「見張る」って、なにを見張るの?
もともとは「京都守護」という名前の役職があって、京都にいる御家人をまとめて京都を警備して守ったり、裁判をおこなったり、朝廷と幕府で連絡し合うのをサポートしたりする仕事だったんだ。
でも、1221年に後鳥羽上皇が、鎌倉幕府を倒そうとして戦を起こしたことがあったんだ。
※このことは、「鎌倉幕府のその後」で学習するよ。この乱がきっかけで作られた役職だから、「六波羅探題」は初めからあったわけではないよ。
結局、後鳥羽上皇は戦に負けたんだけど、「また朝廷が乱をおこしたりしないように見張っておこう」ということになったんだよ。
「探題」というのは、もともとは仏教の言葉で、仏教の教えについてみんなで議論するのに、何を話し合うかの「お題」を考えたり、話し合いの結論が正しいかどうかを判断したりする役の人のことなんだ。
つまり、①朝廷の動きを探って、正しいかどうかを判断する役の「探題」が、
②朝廷を見張るのにピッタリな場所である「六波羅」にあるから
「六波羅探題」というんだね。
将軍と御家人を結びつける「御恩と奉公」
鎌倉幕府の政治の仕組みでも登場する「御家人」。
次は、鎌倉幕府の特徴である「将軍と御家人」の関係について解説するよ。
朝廷では、重要な役職として働いたりする人たちは「貴族」だったよね。
鎌倉幕府では、「守護」や「地頭」のような重要な役職として働く人たちは「武士」だというのが大きなチガイ。
頼朝は、関東で活躍するうちに地元の武士と絆を深めたと勉強したよね。
この武士たちは、頼朝が幕府の将軍になると「将軍の家来」として幕府で働いたんだ。
こうやって将軍の家来になった武士を「御家人」と呼ぶよ。
御家人は、戦で命を懸けて戦ったり、守護や地頭などの役職について将軍のために働いたりしたよ。
これを「奉公(ほうこう)」というんだ。
「ご奉仕する」という言葉があるよね。「奉」には「身をささげる」という意味があるよ。
奉公の「公」は、国とか天皇とか、「ご主人」という意味があるんだ。
つまり、「奉公」は「ご主人の為に身をささげる」ということだね。
では将軍はそれに対してどうするの??
というと、自分の為に命懸けで戦ったり働いてくれたりする御家人に、ちゃんと「お返し」をするんだよ。
このお返しというのがズバリ「土地」や「地位」。
戦や仕事で頑張った御家人に、将軍は土地をあげたり、守護や地頭などの地位の有る仕事を与えたりしたんだよ。
ちなみに「土地をもらった」とカンタンにいうけど、これってとても重要なんだ。
「将軍から土地をもらった」ということは、この時代の武士のトップから土地をもらったということ。
キミがもし悪い人で、誰かから力ずくで土地を奪おうとするとして、そんな土地に手をだすかな??
・・・そんなことしたら、将軍まで敵にまわすことになるよね(怖)
そうだよね。
だから、「将軍から土地を与えられる」というのは、「誰からも手出しされない」という安心もセットだったということ。
これを「御恩」というんだ。
「恩恵を受ける」という言葉は聞いたことあるかな?
「恩恵」は、「めぐみ」といういみがあるんだ。「○○をおめぐみください!」っていうよね。
つまり、将軍が御家人に「恵みを与える」から、「御恩」と呼ぶんだね。
この「御恩」と「奉公」という関係のおかげで、将軍と御家人(武士)のつながりはますます強くなるんだ。
幕府の仕組みを支えるためには、とても重要な関係だったんだよ。
6年生はココを押さえればOK!
まとめ
・鎌倉幕府が開かれたのは神奈川県鎌倉市
・鎌倉幕府を開いたのは源頼朝
・鎌倉幕府が開かれたのは1192年
・鎌倉幕府のトップは「将軍」
・政治の実権を握る将軍の次に偉いのは「執権」
・中央機関には、「政所」「侍所」「問注所」がある
・地方機関には、「守護」「地頭」「六波羅探題」がある
・将軍の家来になった武士を「御家人」と呼ぶ
・御家人が将軍の為に戦ったり働いたりすることを「奉公」という
・将軍が御家人に土地や仕事を与えることを「御恩」という
・「御恩と奉公」の関係は、将軍と御家人を結びつけ、幕府を支えている
次は鎌倉幕府のその後を解説するよ!
このページで学習したことを理解できたかチェックできる鎌倉幕府前半についてのテスト予想問題ページもあるので、力試ししてみよう!
運営者情報
ゆみねこ
詳しいプロフィールを見る
青山学院大学教育学科卒業。TOEIC795点。2児の母。2019年の長女の高校受験時、訳あって塾には行かずに自宅学習のみで挑戦することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。志望校の特待生クラストップ10位内で合格を果たす。
-
-
本当に分かりやすかったです。
-
-
分かりやすい‼️
-
めっちゃ助かる
-
わかりやすい!
-
面白く、わかりやすくて、ありがたいです。鎌倉幕府の、続きが気になります。
-
めっちゃわかりやすかった。
社会苦手なんですけど、このサイトのおかげですっごく助かりました!ありがとうございます!