『鎖国』とは?理由と4つの窓口を解説!メリット・デメリットもわかりやすく

前回は、江戸幕府が人々を支配するために作った「身分制度」について勉強したね。
国内のルールをしっかり固めた江戸幕府だけど、今度は「海外」との付き合い方について大きな決断をするんだ。
それが、約200年以上も続くことになる鎖国さこくだよ。
どうして日本は海外とのドアを閉じてしまったのか?その理由と流れを、わかりやすく解説していくよ。

日本の江戸時代の鎖国の理由や仕組み、その影響を説明する図解インフォグラフィック

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目次

江戸幕府と外国の貿易

「江戸時代=鎖国(外国と付き合わない)」というイメージが強いかもしれないけれど、実は江戸幕府が始まったばかりの頃(徳川家康とくがわいえやすのころ)は、むしろ海外との貿易ぼうえきをどんどんやっていたんだよ。

江戸幕府が始まった頃は、戦国時代が終わったばかりで、いつまた戦いが起きるかわからない状態だよね。
だから、日本では手に入らない鉄砲の材料(火薬)を海外から輸入する必要があったんだ。

また、この頃はまだ日本では良い糸を作る技術がなくて、中国産の生糸きいとは、みんなが欲しがるものだったんだ。着物の材料として必要だからね。

逆に、当時の日本は、世界でもトップクラスの銀の産出国だったんだよ。
そして家康は、銀が採れる銀山を幕府の直接の持ち物にしていたんだ。だから、「銀ならたくさんあるぜ!銀を売って、かわりに糸や珍しい物を買ってこよう!」というわけ。

手に入れた珍しいものや貴重なものは、天皇や有力な大名にプレゼントして、「将軍様はすごい!」とブランド力もアップさせていったんだ。

海外との貿易を幕府がひとめすれば、幕府だけがお金持ちになれるし、強い武器も手に入って、他の大名よりも強くいられるから、貿易をさかんにしていたんだね。

朱印状とは?

貿易をするためには、船で外国まで行かないといけないよね。
でも、当時の海には、海賊かいぞくなどもいて、危険もたくさんあったんだ。

そこで家康は、日本の商人が安全に海外と貿易できるように、ある特別な許可証を発行したんだ。
それが朱印状しゅいんじょうだよ。

たろうたろう

朱印状ってどういう意味?

くまごろうくまごろう

しゅ(赤色)」いん(ハンコ)」が押されたじょう(手紙・許可証)」という意味だよ。

朱印状を持っていれば、「この船は日本の将軍が正式に認めた貿易船だよ」ということを証明できたんだ。まさに最強の「パスポート」だね。

この朱印状を持っている船は朱印船しゅいんせんと呼ばれたよ。
朱印状が発行されたことで、海を荒らしていた海賊と、幕府が認めた貿易船を区別することができるようになって、安全に取引ができるようになったんだよ。

日本町とは?

貿易がさかんになると、多くの日本人が東南アジアへ渡って、そのまま住み着くようになったよ。
そうしてできた日本人の町を日本町にほんまちというんだ。

タイのアユタヤなどでは、日本人は「強くて勇敢ゆうかんな戦士」として頼りにされていて、その国の王様を守る兵隊として活躍することもあったんだ。
世界中に「チャイナタウン(中華街)」があるように、昔は「ジャパンタウン」があったんだね。

日本の江戸時代の朱印貿易の仕組みを説明する図解インフォグラフィック

けれど、このあとに勉強する「鎖国」によって、日本町の人々は日本に帰ることが難しくなってしまったよ。

多くの人はそのまま現地の社会の中にとけこんでいって、日本町もしだいになくなっていったんだ。

江戸幕府とキリスト教

最初は外国と仲良く貿易していた幕府だけど、だんだん「あること」を心配し始めたんだ。
それが、貿易と一緒に日本に入ってきた「キリスト教」

貿易船に乗って、スペインやポルトガルの宣教師(キリスト教を広める人)が日本にやってきて、日本でキリスト教を広める活動を熱心にするようになったんだ。

そして、日本でもキリスト教を信じる人が増えていったんだよ。

スペインやポルトガルの狙いは?

たろうたろう

外国の人は、どうして日本でキリスト教を広めようとしたの?

もちろん、「自分たちが信じるキリストを、ほかの国の人々にも信じてほしい、広めたい」という思い(信仰心しんこうしん)からだよね。

でも、スペインやポルトガルといった国には、「別の狙い」もあったと考えられているよ。
それは、「キリスト教を広めて仲間を増やして、その国への影響力を強める(植民地しょくみんちにする)」こと。
実際に、フィリピンなどの国々はそうやって支配されていたんだ。

キリスト教の教えでは、「神様の教えは絶対」だよね。
もし、「将軍様の命令よりも、神様の教え(外国の言うこと)を守ります」という日本人が増えたらどうなる?
日本が外国に乗っ取られてしまうかもしれないよね。
幕府はそれをおそれたんだ。

天草一揆(島原・天草一揆)とは

「日本が外国に乗っ取られてしまうかもしれない!?」と考えた幕府は、キリスト教を禁止して、信者を厳しく処罰するようになったんだよ。

でも、宣教師の活動によって、キリスト教を信じるようになっていた人にとったら、幕府に「キリスト教禁止!」と急に言われても納得ができないよね。

そしてとうとう、1637年に九州の島原(長崎県)や天草(熊本県)で、とても大きな反乱が起きたんだ。
これを天草一揆あまくさいっき島原・天草一揆しまばら・あまくさいっき)」というよ。
※昔の教科書では「島原の乱」と呼ばれていたけれど、今は一揆と呼ぶのが一般的だよ

日本の江戸時代の島原の乱について説明する図解インフォグラフィック

なぜ島原と天草が一緒に一揆をしたの?

長崎と熊本だから、離れているように思えるよね。でも、地図で見てみると、「島原半島(長崎)」のすぐ下が「天草(熊本)」なんだ。

海を挟んで、船ですぐ行けるくらい距離がとても近いんだよ。
だから、この2つの地域の人たちが協力して、一緒に一揆(反乱)を起こすことが出来たんだね。

なぜこの場所で起きたの?

この地域は、もともとキリスト教の信者(キリシタン)がとても多い場所だったんだ。
そこへ新しい殿様(松倉まつくら氏など)がやってきて、人々に「とんでもなく重い年貢(税金)」をかけたり、キリスト教を捨てるようにひどい拷問ごうもんをしたりしたんだ。
「もう生きていけない!」と追い詰められた人々が、立ち上がったんだね。

リーダー「天草四郎」って何者?

この反乱のシンボルになったのが、10代半ばの少年※といわれる、天草四郎あまくさしろうだよ。※16歳くらいだったという説が有力

天草四郎は「神の使い」だとか、「海の上を歩いた」なんていう不思議なうわさ(奇跡)が信じられていた、カリスマ的な少年だったんだ。

だから、苦しい生活の中で、みんなの心を一つにするための「希望の星」としてリーダーに選ばれたんだね。

なぜ幕府は苦戦したの?

幕府は、12万人もの大軍を送ったのに、一揆軍(数万人ほど※)を倒すのに4ヶ月もかかってしまったよ。※約37000人という説が有力

なぜなら、一揆軍の人々は「戦って死ねば天国(パライソ)へ行ける」と信じていたから、死ぬことを恐れずに必死に戦ったからなんだ。

この団結力だんけつりょくを見た幕府は、「やっぱりキリスト教は恐ろしい…完全に禁止しなければ」と決意を固めたんだよ。

絵踏みとは

「やっぱりキリスト教は恐ろしい」と思い知った幕府はどうする?

そう、「キリスト教の信者(キリシタン)をみんな見つけ出して、捕まえなきゃ!」と思うよね。

そこで、キリシタンを見つけ出すために行われたのが絵踏えふみ」だよ。
キリストやマリア様が描かれた絵(踏み絵)を、人々に踏ませるんだ。

信者にとっては神様の絵を踏むなんてできないよね。
踏めなかったり、嫌がったりした人を「キリシタンだ!」と判断して処罰しょばつしたんだ。

日本の江戸時代の絵踏みについて説明する図解インフォグラフィック

間違いやすいポイント!

テストで間違えやすいのが「踏み絵」と「絵踏み」の違い。

踏み絵=踏ませる「道具(絵)」のこと。
絵踏み=絵を踏む「行為」のこと。

「〇〇を行った」と聞かれたら「絵踏み」と答えようね!

処罰の内容はとても厳しくて、牢屋ろうやに入れられたり、処刑しょけい(殺されてしまうこと)されたりしたんだよ。

鎖国とは

キリシタンを見つけ出して捕まえても、またどんどん新しい信者が増えていったら意味がないよね。

だから、幕府はキリスト教を広めるスペインやポルトガルとの付き合いをやめることにしたんだ。

そして日本人の海外への行き来も禁止して、外国との付き合いを厳しく制限せいげんする体制を整えたよ。

この体制を鎖国さこくというよ。
(※「鎖国」という言葉は、あとから作られた言葉だよ)

鎖国を完成させたのは、3代将軍の徳川家光とくがわいえみつ
1639年にポルトガル船の来航らいこうを禁止して、1641年にオランダの人々を出島に移したことで、鎖国の体制が完成したとされるよ。

鎖国をなぜしたのか?理由

鎖国をした理由

  • キリスト教の禁止(日本の独立を守る)
    スペインやポルトガルに支配されないようにするため。
  • 幕府の力を守るため
    もし、どこかの大名が勝手に外国と貿易をして、強力な武器やたくさんのお金を手に入れたら、幕府を倒そうとするかもしれないよね。だから、貿易を幕府だけのものにしたかったんだ。

『4つの窓口』貿易を認められた国

鎖国とはいっても、世界のすべての国とのドアを完全に閉じてしまったわけではないんだ。
「キリスト教を広めない」などの条件を守れる相手とは、場所を限定して付き合いを続けていたよ。

その場所とは、「長崎」「対馬」「薩摩」「松前」の4つ
これを「4つの窓口」と呼んだりするよ。

オランダ(場所:長崎の出島)

ヨーロッパの国の中で、唯一貿易を許されたのがオランダだよ。
場所は、長崎県にある出島でじまという人工の島に限られたよ。

なぜオランダはOKだったの?

オランダもキリスト教の国だけれど、スペインやポルトガル(カトリック)とは違う、「プロテスタント」という新しいグループだったんだ。

スペインやポルトガルが「宗教を広めること」をとても重視じゅうししていたのに対して、オランダ(プロテスタント)は「宗教を広めることよりも、現実的な商売(貿易)を自由にやりたい」という考え方が強かったんだ。

だからオランダは、幕府にこう言ったんだ。
「私たちは、布教ふきょう(宗教を広めること)はしません。ただ商売(貿易)がしたいだけです!」
このビジネスライクな姿勢が、幕府に安心されたんだね。

オランダ風説書(ふうせつがき)とは?

幕府はオランダ船が来るたびに、「オランダ風説書ふうせつがきというレポートを提出させたんだ。
これには、海外で起きた事件や新しいニュースが書かれていたよ。

鎖国をしていても、幕府だけはこっそりこのレポートを読んで、「世界はいまどうなっているのか?」という最新情報を独り占めできたんだ。これは幕府にとって大きなメリットだったんだよ。

中国(場所:長崎の唐人屋敷など)

お隣の大国、中国(当時は「しん」という国)とも貿易は続いていたよ。
中国の人々は、最初は長崎の町の中に住んでいたけれど、後からは密貿易を防ぐために唐人屋敷とうじんやしきというエリアに集められたんだ。

密貿易(みつぼうえき)とは?

幕府の許可なく、こっそりと貿易をすることだよ。
正規の貿易には「税金」がかかるし、ルールも厳しいよね。だから、海の上などでこっそりと日本の商人と待ち合わせをして、品物を売買する「抜け道」のような商売があったんだ。

幕府はこれを防ぐために、中国の人々を「唐人屋敷」という場所に集めて管理したんだね。

朝鮮(場所:対馬)

お隣の国、朝鮮とは、対馬つしま(長崎県)」という島を通して付き合いがあったよ。

対馬は、九州と朝鮮半島のちょうど真ん中にある島だから、昔から朝鮮とのやり取りが得意だったんだ。

朝鮮通信使(ちょうせんつうしんし)

主に将軍が代わるたびに、朝鮮からはお祝いの使節団である朝鮮通信使ちょうせんつうしんしが日本へやってきたんだ。
数百人の大行列で、江戸までパレードのように進んだんだよ。

日本のメリット:「外国からわざわざお祝いに来るなんて、将軍様はやっぱり偉いんだ!」と、国民に権威けんいを見せつけられる。
朝鮮のメリット:隣の国である日本と仲良くしておくことで、戦争を避けて平和に過ごせる。

琉球王国(場所:薩摩)

今の沖縄県には、当時は琉球王国りゅうきゅうおうこくという別の国があったんだ。
九州の薩摩さつま(今の鹿児島県)が、この琉球王国を従わせていたんだよ。

琉球王国は、中国とも仲が良かったので、薩摩藩は琉球王国を通して、中国の珍しい品物を手に入れたりしていたんだ。

アイヌ民族(場所:松前)

今の北海道にあたる「蝦夷地えぞち」には、独自どくじの言葉や文化を持つ先住民族、アイヌ民族の人々が暮らしていたよ。
北海道の南側にあった松前まつまえ藩」の殿様(松前氏まつまえし)が、アイヌの人々との交易の窓口になっていたんだ。

アイヌの人々は、昆布やサケ、毛皮などを松前藩に売り、代わりにお米や鉄製品などを手に入れる「交換(交易)」を行っていたよ。
でも、松前藩はだんだんと、アイヌの人々に不利なルールを押し付けるようになったんだ。

たとえば、「お米を少ししか渡さないのに、サケをたくさん出せ」といったような、とても不平等な交換を無理やりさせたんだよ。

なぜ不平等な交換をしたの?

実は、松前藩がある北海道は寒くて、武士の給料である「お米」がとれなかったんだ。
だから松前藩は、アイヌの人々との貿易で利益を出して、それでお米を買うしかなかった。自分たちが生き残るために、アイヌの人々を利用しようとしたんだね。

これに怒ったアイヌの人々が、指導者のシャクシャインを中心に戦いを起こしたんだ(シャクシャインの戦い)。

けれど、松前藩に鎮圧ちんあつされてしまい、その結果、アイヌの人々はより厳しく松前藩に支配されるようになってしまったんだよ。

鎖国のメリットとデメリット

こうして200年以上も続いた「鎖国」だけど、日本にとって良かったのかな?それとも悪かったのかな?
メリット(良かったこと)とデメリット(悪かったこと)を見てみよう。

鎖国のメリット平和な時代が続いた
外国との戦争に巻き込まれることもなく、国内も幕府の支配で安定したよ。

日本独自の文化が育った
海外の影響を受けなかったので、歌舞伎(かぶき)や浮世絵(うきよえ)など、日本オリジナルの面白い文化が発展したよ。
鎖国のデメリット世界の進歩から取り残された
この間、ヨーロッパでは科学技術がものすごく発達していた(産業革命など)。日本はその情報をあまり知ることができず、後で開国したときにその差にビックリすることになるんだ。

『鎖国』とは?理由と4つの窓口 まとめ

1612年幕府がキリスト教を禁止する
1616年外国船が来航できる場所を、長崎と長崎県の平戸に限定する
1624年スペイン船の来航を禁止する
1635年日本人が海外へ渡航することを禁止する
日本人が海外から帰国することを禁止する
1637年島原・天草一揆が起きる
1639年ポルトガル船の来航を禁止する
1641年長崎県の平戸にあったオランダ商館を出島に移す

6年生はここを押さえればOK!「鎖国」まとめ

※赤いキーワードは必ず覚えよう!

  • 最初は朱印状しゅいんじょうを使って貿易(朱印船貿易)をしていた
  • キリスト教を禁止し、反乱(島原しまばら天草一揆あまくさいっき)も起きた
  • キリシタンを見つけるために絵踏えふをさせた
  • 徳川家光とくがわいえみつが1639年にポルトガル船を追放ついほう1641年にオランダ人を出島に移して鎖国が完成
  • 4つの窓口を通して交流は続いていた
    ①長崎(オランダ・中国)
    ②対馬(朝鮮)
    ③薩摩(琉球王国)
    ④松前(アイヌ民族)

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檜垣 由美子(ゆみねこ)
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青山学院大学教育学科卒業。TOEIC795点。2児の母。2019年の長女の高校受験時、訳あって塾には行かずに自宅学習のみで挑戦することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。志望校の特待生クラストップ10位内で合格を果たす。 ※サイト全体の運営実績についてはこちらにまとめています。

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