『満州事変』と日中戦争!なぜ戦争は起きた?犬養毅や世界恐慌を解説
前回は、大正デモクラシーと新しい社会の動きについて勉強したね。
人々が少しずつ選挙や政治に参加し始め、「話し合いで政治を決めよう」という希望に満ちた時代だった。
しかし時代は、暗く悲しい「戦争の時代」へと突入してしまう。
今回は、日本がどのようにして戦争への道を歩み始めてしまったのか、その「きっかけ」と「流れ」を見ていこう。

目次
戦争への道、ココがピンとこない!
戦争への道、ココがピンとこない!
- なんで日本は中国と戦争したの?
- 自分の国だけで仲良く暮らせなかったの?
日本は自分の国だけで仲良く暮らしていけなかったの? なんでわざわざ中国まで行って戦争をしたんだろう?
実はね、当時の日本は、特に農村では、明日食べるものにも困る家が出るほど苦しかったんだ。
「日本の中だけじゃもう無理だ! 外に土地や資源を求めないと生きていけない!」と思い込んでしまったことが、すべての始まりだったんだよ。
世界恐慌と貧困 〜なぜ軍隊が期待されたの?〜
ジェットコースターのような景気
大正時代の初め、日本は第一次世界大戦のおかげで「大戦景気」になって、お金持ちが増えたよね。
でも、戦争が終わると外国からの注文がピタリと止まって、今度は一気に不景気になってしまったんだ。
さらに1929年、アメリカで株の大暴落が起きたのをきっかけに、世界中のお店や工場がつぶれる「世界恐慌」が発生したんだ。
その影響は日本にも直撃して、日本経済はどん底に落ちてしまったんだよ。
米騒動の時はお米が高かったのに、なんで不景気なの?
それが、今度はお米の値段が下がりすぎて困ったんだ
[大戦景気の時]
みんながお金を持っていたので、お米の値段が上がりすぎて買えずに困った(米騒動)。
[世界恐慌の時]
みんなが貧乏で物を買わなくなったので、お米や繭(絹の原料)の値段がガクンと下がってしまった。
農家の人は「一生懸命作っても、安すぎて売れない!」という状態になり、娘を身売り(働きに出す)しなければならないほど貧しくなってしまったんだ。
そんな時、政治家たちが話し合いで解決しようとしても、なかなかうまくいかない。
すると、人々はだんだんこう思うようになったんだ。
「口だけの政治家は頼りにならない! 軍隊が力ずくで外国の土地を取ってくれば、俺たちの生活も楽になるんじゃないか?」
苦しい生活から抜け出したい一心で、そう考える人も増えていったんだね。
満州事変と「満州国」の正体
1931年、日本の軍部はついに動き出すんだ。
目をつけたのは、中国の東北部にある「満州」という広い地域。
なぜ満州に日本の軍隊がいたの?
日露戦争のことを思い出してみて。
ロシアに勝った日本は、満州にある「南満州鉄道」という鉄道を使う権利と、その周りを警備する権利を手に入れたよね。
だから、そこには日本の軍隊(関東軍)が駐屯していたんだよ。
満州は資源が豊富で土地も広い。「ここを日本が自由に使えれば、日本の不景気も解決できる!」と軍部は考えたんだ。
柳条湖事件と満州国
1931年9月18日、南満州鉄道の線路が爆破される事件が起きたんだ(柳条湖事件)。
関東軍は「中国軍のしわざだ! 鉄道を守るために反撃する!」と主張して、一気に満州全体を占領してしまったよ。
でも実はこれ、後に調査が進んだ結果、日本軍が自分で爆破して、中国のせいにした自作自演(計画的な行動)だったと考えられているんだ。
そしてこの事件の翌年に、日本はそこに「満州国」という新しい国を作ったんだよ。
「満州国」ってどんな国?
日本が直接「ここは日本の領土だ!」と言うと、「そんなのは認められない!」と、世界中から文句を言われてしまうよね。
だから、清(昔の中国)の最後の皇帝だった溥儀という人をトップにして、「満州の人たちが作った新しい独立国ですよ」という形をとったんだ。
でも、実際の政治は日本の役人が取り仕切っていたよ。
つまり、「形は独立国だけど、中身は日本が操るあやつり人形のような国」だったんだ。

世界からの孤立 〜国際連盟からの脱退〜
中国からすると、満州を無理やり占領されてしまったようなものだよね。
そこで、「日本が勝手に攻めてきて、土地を奪った!」と、国際連盟に訴えたんだ。
国際連盟ってなに?どうしてそこに訴えたの?
国際連盟とリットン調査団
国際連盟は、「世界の国々が集まって、戦争ではなく話し合いで問題を解決する場所」なんだ。
第一次世界大戦の反省から、「平和のために、話し合いをしよう」という目的で作られたんだ。日本も中国も加盟していたよ。
※国際連盟は、今の『国連』ができる前にあった、世界の話し合いの場所だよ。
中国の訴えをうけて、国際連盟はイギリス人のリットンさんを団長とするチーム(リットン調査団)を派遣して、調査させたんだ。
リットン調査団は、
「日本が満州でやったことは正しかったのか?」
「満州国は本当に独立した国なのか?」
を調べたよ。
調査の結果、柳条湖事件は日本軍の自作自演だった可能性が高いこと、鉄道を守るために満州全部を占領するのはやりすぎだということ、そして「満州国」とはいっても、中身は日本の言うとおりに動く国だということから、「満州国は認められない。日本軍は満州から引くように。」となったんだ。
世界の多くの国がこれに賛成して、日本はほとんど味方を得られなかったんだ。
松岡洋右の退席
これに対して日本は激怒した。
「日本は満州の平和のためにやっているのに、なんでわかってくれないんだ!」という思い込みがあったんだ。
不景気をなんとかするために満州が必要だったしね。
1933年、日本の代表だった松岡洋右は、「もういい、こんな場所にはいられない!」と会議場から退席して、国際連盟を脱退してしまったよ。
松岡洋右は軍人ではないんだけれど、このあと説明する軍部と同じく、「つよい態度で日本を守ろう」と考える外交官だったんだ。
この時も、国際連盟を脱退しないで話し合いすることもできたんだけれど、当時の日本は「外国に負けるな」という空気が強くて、引き返すのがとても難しい状況だったんだよ。
日本は話し合いの場から去り、世界の中で孤立してしまった。
これで、日本が間違ったことをしても、止めてくれる仲間がいなくなってしまったんだ。
たとえるなら、国際連盟は「先生が見ている話し合いの教室」なんだ。
日本はそこから「もういい!」と出て行ってしまったんだよ。
教室にいれば、注意されたりみんなから止めてもらえたりしたけれど、外に出てしまったら、もう誰も止めてくれなくなってしまうよね。

国内の恐怖 〜五・一五事件と二・二六事件〜
一方、日本国内でも「話し合いの政治」が壊されようとしていた。
大正デモクラシーで「護憲運動」が盛り上がったはずなのに、なぜ軍人の力が強くなったんだろう?
犬養毅と五・一五事件
満州事変は、満州にいた日本の軍隊(関東軍)が、政府の考えとはちがう形で行動を広げていった結果、起きた戦争だったんだ。
当時の首相、犬養毅は、「戦争を広げないで、中国と話し合いで解決したい」と考えたよ。
そこで、犬養首相は、軍隊が政府の方針より先に動きすぎないように、軍の予算を減らそうとしたり、国会の決定を大切にする政治を進めたりして、軍の動きをおさえようとしたんだ。
これに対して、軍部は「せっかく満州を取ったのに邪魔するな」「話し合いなんて弱腰だ」「政治家では国を守れない!」と考えて、政治家への反発が強まったよ。
そしてとうとう、1932年5月15日、海軍の将校たちが首相官邸を襲撃したんだ(五・一五事件)。
犬養首相は「話せばわかる」と説得しようとしたんだけれど、彼らは「問答無用(話しても無駄だ)!」と言って、犬養首相を暗殺してしまったよ。

二・二六事件と「貧しさ」への怒り
さらに1936年2月26日、今度は陸軍の若い将校たちが大規模な反乱を起こし、大臣たちを殺害して東京の中心部を占拠した(二・二六事件)。
どうして軍人は自分たちのリーダー(政府)を襲ったの?
貧しい国民を救うために「悪い政治家」を倒そうとしたんだ。
若い軍人たちの多くは農村の出身だった。
故郷では家族が飢えて苦しんでいるのに、都会の政治家やお金持ちは贅沢をしている。
「今の腐った政治を力ずくで変えないと、日本は良くならない!」と、間違った正義感で暴走してしまったんだ。
反乱を起こした軍人たちは後に処刑されたけれど、この事件は政治家たちに強烈な恐怖を植え付けたよ。
「軍隊に逆らうのは怖い」という空気が広がり、誰も軍隊の暴走を止められなくなってしまったんだ。

日中戦争の始まり
国内の邪魔者がいなくなった軍部は、さらに大陸へと進んでいく。
1937年7月7日、北京郊外の盧溝橋で、演習中の日本軍に向けて何者かが発砲したとされる事件が起きたんだ。
原因がはっきりしないまま疑い合って、戦いは拡大して、日本と中国との全面的な戦争、日中戦争が始まったんだよ。
泥沼化と国家総動員法
日本の指導部の多くは、「日本軍は強いし、中国はバラバラだから、すぐに勝てる」と考えていたよ。
日本の「指導部」とは、国の進み方を決めていた中心人物たちの集まりのこと。具体的には、政府のトップ、陸軍・海軍のえらい人、外交や戦争の方針を決める人たち。
その中でも当時は特に「軍隊のえらい人」が強い発言力を持っていたよ。
どうして「中国はバラバラ」と考えていたかというと、それまで中国は長い間内戦や争いが続いていたからなんだ。
「中国は、一つの国としてまとまっていない」と思っていたんだね。
日清戦争で勝った経験からも、油断していたよ。
しかし、日本の考えとは違って、実際は中国の人々は「外国に攻められた」ことから、それまで仲の悪かったグループ同士も団結して、本気で激しく抵抗したんだ。
戦いは上海や南京、奥地のほうまで広がり、いつ終わるかわからない泥沼の戦争になっていったよ。
「すぐに勝てるだろう」と思っていた戦争が長引いてしまったことで、日本はお金はもちろん、兵士が足りなくなったり、武器や食料が足りなくなるなど、とても困ってしまったんだ。
そこで、政府は1938年に「国家総動員法」という法律を作ったよ。
これは、国会の決定だけでなく、政府が強い権限で人や物を動かせるようにした法律。
軍部の言いなりの政府によって、国民の生活すべてが戦争のために捧げられるようになったんだ。

こういうワケだった!
- 不景気で苦しい:世界恐慌で貧しくなり、「満州に行けばなんとかなる」と思い込む人が増えた。
- 満州事変:軍部が勝手に鉄道を爆破し、満州国を作った。
- 国際連盟脱退:世界から「ダメ」と言われて反発し、孤立してしまった。
- 軍部の暴走:首相(犬養毅)などを暗殺し、誰も軍隊を止められなくなった。
もし、日本が国際連盟を脱退しなかったら、この先の戦争は止めることができたのかな?
それには、「戦争を完全に止められた」と言いきることはできないよ。
でも、話し合いの場に残っていれば、戦争が広がるのを防ぐチャンスはあったはずなんだ。
国際連盟からの脱退は、日本が戦争へ進む大きな分かれ道になったんだね。
満州事変と日中戦争まとめ
『満州事変と日中戦争』年表まとめ
| 1929年 | 世界恐慌が始まる(日本も大不況に) |
| 1931年 | 満州事変(柳条湖事件) |
| 1932年 | 五・一五事件(犬養毅が暗殺される) 満州国ができる |
| 1933年 | 国際連盟を脱退 |
| 1936年 | 二・二六事件 |
| 1937年 | 日中戦争が始まる(盧溝橋事件) |
| 1938年 | 国家総動員法が制定される |
6年生はここを押さえればOK!「満州事変と日中戦争」まとめ
※赤いキーワードは必ず覚えよう!
- 満州事変:日本の関東軍が南満州鉄道を爆破し(柳条湖事件)、政府の意向を超えて満州を占領した出来事。
- 国際連盟の脱退:満州国を認められなかった日本は、話し合いの場から去り、世界で孤立した。
- 日中戦争:盧溝橋での事件をきっかけに始まった、日本と中国の長い戦争。
- 犬養毅(いぬかいつよし):五・一五事件で暗殺された首相。「話せばわかる」という言葉が有名。
日中戦争が長引く中、日本は戦争に必要な「石油」などの資源が足りなくなっていった。
追い詰められた日本が次に選んだ相手は、なんと世界最強の国、アメリカだったんだ。
次回は、いよいよ「太平洋戦争の始まり」について解説するよ。
なぜ無謀な戦いに挑んでしまったのか? 続きを見ていこう!
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檜垣 由美子(ゆみねこ)
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青山学院大学教育学科卒業。TOEIC795点。2児の母。2019年の長女の高校受験時、訳あって塾には行かずに自宅学習のみで挑戦することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。志望校の特待生クラストップ10位内で合格を果たす。 ※サイト全体の運営実績についてはこちらにまとめています。


