『八幡製鉄所』と日本の産業革命!足尾銅山鉱毒事件と田中正造を解説
前回は、日露戦争と、日本が世界の大国になったことについて勉強したね。
戦争に勝つためには、強い軍隊だけじゃなくて、それを支える「産業(ものづくり)」の力が必要だ。
明治時代の後半、日本は「糸を作る国」から「鉄を作る国」へと大きく成長していったんだ。
でも、その急激な発展の裏側で、自然や人々が犠牲になる悲しい事件も起きていた。
今回は、日本の産業革命の「光」と「影」について見ていこう!
産業の発展、ココがピンとこない!
産業の発展、ココがピンとこない!
- なんで最初は「糸(軽工業)」で、あとから「鉄(重工業)」なの?
- 田中正造って誰?なにをした人なの?
- 「公害」って、昔からあったの?
世界一の生糸生産国へ!『軽工業』の発展
明治時代の初め、日本が力を入れていたのは、糸や布を作る「繊維工業(せんいこうぎょう)」などの「軽工業」だったんだ。
製糸工場で働く女性たち
特に、カイコの繭(まゆ)から生糸を作る「製糸業(せいしぎょう)」や、綿花から綿糸を作る「紡績業(ぼうせきぎょう)」が盛んになったよ。
群馬県の富岡製糸場のような工場で、多くの女性たちが働いていたんだ。
彼女たちの頑張りによって、明治時代の終わりごろ(1909年)には、日本はついに中国を抜いて「生糸の輸出量で世界第一位」になったんだよ!
この生糸を海外へ売って稼いだお金が、日本の近代化を支えたんだね。
知ってる?「あゝ野麦峠」
当時の工場で働く女性たちの多くは、貧しい農村から出稼ぎに来ていた若い女の子たちだったんだ。
岐阜県の飛騨(ひだ)から長野県の工場まで、雪深い「野麦峠(のむぎとうげ)」を命がけで越えて働きに行った。
長時間労働や厳しい環境の中で、病気になって亡くなる人もいたという悲しい実話が、映画や小説にもなっているよ。
※くわしく知りたい人は、大人と一緒に調べてみよう。
なぜ最初は「糸」だったかというと、糸や布を作る軽工業は、少ないお金と道具でも始めやすかったからなんだ。
こうして稼いだお金を使って、次はもっとお金のかかる「鉄(重工業)」へとステップアップしていったんだよ。

鉄の国へ!『重工業』の発展と八幡製鉄所
日清戦争のあと、日本は「もっと強い国になりたい! 鉄や機械も自分で作りたい!」と考えるようになった。
そこで力を入れたのが、鉄鋼や造船などの「重工業(じゅうこうぎょう)」だよ。
日清戦争の賠償金で作った巨大工場
1901年、福岡県に「八幡製鉄所」という巨大な工場が作られた。
これを作るためのお金は、日清戦争で清(中国)から得た賠償金が使われたんだよ。
なんで福岡県なの?
近くに石炭がとれる「筑豊炭田(ちくほうたんでん)」があって、燃料に困らなかったからだよ。
それに、鉄の材料(鉄鉱石)は中国から輸入していたから、大陸に近い場所が便利だったんだね。
八幡製鉄所ができたことで、日本は鉄を大量に作れるようになり、軍艦や大砲、機械などを国内で生産できるようになったんだ。
(2015年に世界遺産にも登録されたね!)

発展の裏側で…日本初の公害『足尾銅山鉱毒事件』
産業が発展して国が豊かになる一方で、とても深刻な問題が起きていた。
それが、日本初の公害と言われる「足尾銅山鉱毒事件」だよ。
川の魚が死に、田畑が枯れた
栃木県にある足尾銅山は、日本一の銅の産出量を誇る鉱山だった。
でも、銅を掘るときに出る「毒(からだにたまる金属)を含んだ水」を、そのまま渡良瀬川に流してしまっていたんだ。
その結果、川の魚は死に、毒水が流れ込んだ田んぼの稲は枯れてしまった。
さらに、毒が入った水を飲んだり、魚を食べたりした人々や動物の体に毒がたまり、手足がしびれたり、骨が痛くなったりする病気にも苦しめられたんだ。
命がけで天皇に直訴した『田中正造』
「このままでは村が全滅してしまう!」
苦しむ農民たちのために立ち上がったのが、地元の議員だった田中正造だよ。
彼は国会で何度も「鉱山を止めてくれ!」と訴えたけれど、政府は聞く耳を持たなかった。
なぜなら、銅は軍艦や電線を作るのに必要で、「国を強くするために欠かせない」と考えられていたからなんだ。
そこで田中正造は、議員を辞めて、明治天皇に直接手紙を渡して訴える(直訴)という、命がけの行動に出たんだ。
当時は、天皇に直接うったえることは、法律的にも社会の空気的にもとても重い罪になるおそれがあったんだ。
それでも彼は、「自分の命と引き換えにしても、人々を救いたい」と行動したんだね。
田中正造と村の「その後」
直訴の結果、田中正造はどうなったと思う?
実は政府は、田中正造を厳しく罰するのではなく、「個人の行動」として取り合わず、話を大きくしないようにしたんだ。
(処罰すると、世の中の注目が集まって騒ぎが大きくなると考えたからだね)
直訴自体は失敗に終わったけれど、このニュースは新聞で大きく取り上げられ、世の中の人々が公害問題に関心を持つきっかけになったんだよ。
しかし、悲しいことに問題はすぐには解決しなかった。
政府は、毒水を溜めるための池(遊水地)を作るという理由で、被害の中心地だった「谷中村」を強制的に廃村(村をなくすこと)にしてしまったんだ。
田中正造は最後まで村に住み込んで抵抗を続けたけれど、亡くなる時は財産をすべて使い果たし、袋一つしか持っていなかったと言われているよ。
田中正造の言葉
「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」
(本当の文明というのは、自然を壊したり、人を犠牲にしたりしないものだ)
この言葉は、環境問題(SDGs)に取り組む今の私たちにとっても、大切なメッセージだね。

『八幡製鉄所』と日本の産業革命まとめ
6年生はここを押さえればOK!「産業の発展と公害」まとめ
※赤いキーワードは必ず覚えよう!
- 最初は繊維工業などの軽工業が発展した
→生糸の輸出量が世界一になった(明治の終わりごろ) - 日清戦争後、重工業が発展した
→賠償金で福岡県に八幡製鉄所を作った(1901年) - 発展の裏で、公害問題が起きた
→足尾銅山鉱毒事件 - 田中正造が農民のために戦い、天皇に直訴しようとした
国の発展のためには産業が必要だけど、そのために自然や人々の暮らしを犠牲にしてもいいのかな?
あなたなら、「国の発展」と「人々のくらし」、どちらをどう守りたいと思うかな?
産業が発展して、都市にはたくさんの人が集まるようになった。
それと同時に、「私たちにも権利を!」という国民の声も大きくなっていったんだ。
次回は、大正時代の明るいニュースと、権利を求める運動「大正デモクラシー」について解説するよ!
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檜垣 由美子(ゆみねこ)
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青山学院大学教育学科卒業。TOEIC795点。2児の母。2019年の長女の高校受験時、訳あって塾には行かずに自宅学習のみで挑戦することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。志望校の特待生クラストップ10位内で合格を果たす。 ※サイト全体の運営実績についてはこちらにまとめています。


