『関東大震災』と科学の発展!野口英世・北里柴三郎・後藤新平を解説
前回は、大正デモクラシーと人々の権利について勉強したね。
国民が政治に参加するようになり、社会が大きく変わろうとしていた大正時代。
この頃、日本人は政治だけでなく、科学や学問の世界でも大活躍していたんだ。
でもその一方で、首都・東京を襲うとてつもない大災害も待ち受けていた。
今回は、世界に誇る日本人科学者たちと、関東大震災からの復興について見ていこう!

科学と震災、ココがピンとこない!
科学と震災、ココがピンとこない!
- なんで急に日本人が世界で活躍し始めたの?
- 関東大震災って、今の東京とどう関係があるの?
明治時代から西洋の進んだ学問を一生懸命学んできた成果が、この頃になって花開いたんだ。
そして関東大震災からの復興は、今の東京の街並みの「土台(基礎)」を作った重要な出来事なんだよ。
世界を救った日本人科学者たち
明治から大正にかけて、医学や科学の分野で世界的な発見をした日本人たちが次々と現れたよ。
(今のお札の顔になっている人も多いね!)
細菌学の父・北里柴三郎
北里柴三郎は、ドイツに留学してコッホという有名な先生のもとで学び、恐ろしい病気である「破傷風(はしょうふう)」の原因となる菌を純粋に育てることに成功したんだ。
破傷風ってどんな病気? 菌を増やしてどうするの?
破傷風は、傷口から入った菌が毒(どく)を出して、全身の筋肉が激しくけいれんして死んでしまうこともある恐ろしい病気だよ。
菌だけを取り出せたおかげで、その菌が出す毒を消す成分(血清)を作ることができたんだ。
これを注射して病気を治す「血清療法(けっせいりょうほう)」を作り上げて、多くの人の命を救ったんだよ。
日本に帰ってからは、伝染病研究所を作ったり、今の慶應義塾大学医学部の設立に深く関わったりして、「近代日本医学の父」と呼ばれているよ。
(2024年からの新千円札の顔だね!)

黄熱病と戦った野口英世
野口英世は、貧しい農家に生まれ、子供の頃に左手に大火傷(やけど)を負うというハンデを乗り越えて医者になった努力家だよ。
アメリカに渡って研究を続け、毒蛇の毒や梅毒(ばいどく)の研究などで世界的に注目される研究者になった。
最後はアフリカで「黄熱病(おうねつびょう)」の調査・研究を続ける中で、野口英世自身もその病気にかかって亡くなってしまったけれど、その情熱は世界中の科学者に尊敬されているんだ。
(千円札の顔として有名だったね)
(※黄熱病は、蚊に刺されることでウイルスが移り、高い熱が出て内臓がやられてしまう怖い病気だよ)

赤痢菌を発見した志賀潔
志賀潔は、北里柴三郎の弟子で、当時日本で大流行していた「赤痢(せきり)」(激しい下痢になる病気)の原因となる菌(赤痢菌)を発見した人だよ。
赤痢の原因菌の仲間は、学名でシゲラ(Shigella)と呼ばれ、志賀潔の名前にちなんでいるんだ。
世界と日本の架け橋・新渡戸稲造
科学だけでなく、国際社会で活躍した日本人もいたよ。
「武士道」を世界に紹介した国際人
新渡戸稲造は、「太平洋の架け橋になりたい(日本と世界をつなぐ人になりたい)」という夢を持って、英語で『武士道(Bushido)』という本を書いたんだ。
どんなことが書いてあるの?
当時、海外では日本のことがよく知られておらず、日本人の考え方や道徳観が誤解されることがあったんだ。そこで新渡戸稲造は、『武士道』を通して日本の価値観を英語で説明したんだよ。
この本は海外でも広く読まれて、「日本人はどんな考え方をしているのか?」を世界に伝えるのに大いに役立ったよ。
その語学力と人柄が認められて、国際連盟の事務次長(ナンバー2)という重要な役職も務めたんだよ。
(前の五千円札の人だね!)

帝都壊滅!『関東大震災』の衝撃
日本人が世界で活躍する一方で、国内ではとんでもない大災害が起きた。
1923年9月1日のお昼ごろ、関東地方をマグニチュード7.9(推定)の巨大地震が襲ったんだ。
これが「関東大震災」だよ。
お昼時に起きた地震と火災旋風
ちょうどお昼ごはんの支度をしている時間帯だったため、倒れた家屋から火が出て、東京や横浜の街は猛烈な炎に包まれた。
強風にあおられて発生した「火災旋風(炎の竜巻)」が人々を襲い、死者・行方不明者は10万人以上にもなったんだ。
デマの拡散と悲劇
混乱の中で、「井戸に毒が入れられた」などの嘘の情報(デマ)が広まり、それを信じた人々によって、何の罪もない朝鮮人や中国人が殺害されるという悲しい事件も起きた。
災害の時は、正しい情報を見極めることの大切さを教えてくれる教訓だね。
ラジオ放送の始まり
震災をきっかけに、正しい情報を早く伝える手段の大切さも意識されるようになり、1925年にラジオ放送が始まったんだ。

復興のリーダー・後藤新平の都市計画
壊滅した東京をどうやって立て直すか。
復興のリーダーに選ばれたのが、後藤新平だよ。
彼は医者出身の政治家で、「ただ元に戻すだけじゃダメだ。地震や火事に強い、新しい近代都市を作るんだ!」と壮大な計画を立てた。
燃えない街づくりと広い道路
彼は、火事が燃え広がるのを防ぐために、幅の広い道路(昭和通りなど)を作った。
当時は「こんなに広い道路、車も走ってないのに無駄だ!」と批判されたけれど、後の時代に車が増えたことで、この道路の価値がはっきり分かるようになったんだ。
命を守る「防災公園」
また、人々が避難できるように、隅田公園や浜町公園などの大きな公園(防災公園)も整備した。
今の東京の街づくりには、この時の復興計画の考え方がいかされているんだよ。
科学の発展と関東大震災まとめ
6年生はここを押さえればOK!「科学と震災」まとめ
※赤いキーワードは必ず覚えよう!
- 世界で活躍した科学者たち
→野口英世(黄熱病の研究)
→北里柴三郎(破傷風の血清療法) - 世界と日本の架け橋
→新渡戸稲造(国際連盟の事務次長、『武士道』) - 1923年、関東大震災が発生
→東京・横浜が壊滅的な被害を受けた - 復興のリーダー後藤新平が、災害に強い都市計画を進めた
科学が進歩し、災害からも立ち上がった日本。
しかし、世界では深刻な不景気が広がり、日本もその渦に巻き込まれていくことになる。
次回は、世界恐慌と軍部の台頭、そして太平洋戦争へと突き進む「戦争の時代と人々の暮らし」について解説するよ!
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檜垣 由美子(ゆみねこ)
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青山学院大学教育学科卒業。TOEIC795点。2児の母。2019年の長女の高校受験時、訳あって塾には行かずに自宅学習のみで挑戦することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。志望校の特待生クラストップ10位内で合格を果たす。 ※サイト全体の運営実績についてはこちらにまとめています。


