江戸時代の『産業』と『交通』の発達!天下の台所・大阪と江戸のくらし
前回は、江戸幕府が海外とのドアを閉じた「鎖国」について勉強したね。
鎖国によって、外国との付き合いは制限されたけれど、そのかわり日本国内では、大きな戦争がない「平和な時代」が長く続くことになったんだ。
平和になると、人々はどうなるかな?
安心して農業や仕事に打ち込めるよね。
その結果、江戸時代の日本は、経済も産業も大きく発展して、人々の暮らしも豊かになっていったんだ。
今回は、そんな江戸時代の人々の暮らしと、産業の発展について見ていこう!

平和な世の中で農業と産業が発達
戦国時代が終わって平和になると、武士たちは戦いではなく「領地(国)を豊かにすること」に力を入れるようになったんだ。
そこで行われたのが「新田開発」だよ。
新田開発と新しい農具
海や湖を埋め立てたりして、新しい田んぼ(新田)をどんどん増やしていったんだ。
そのおかげで、江戸時代の初めから終わりまでの間に、日本の耕地面積(田畑の広さ)は約2倍近くにもなったんだよ。
さらに、農業を助ける「便利な道具」も発明されたよ。
これによって、農作業の効率(スピード)が劇的にアップしたんだ。
- 備中ぐわ
刃がフォークのように分かれているクワ。土を深く耕すことができるので、根っこがしっかり伸びて、作物がよく育つようになったんだ。 - 千歯こき
脱穀(稲からお米の粒を外す作業)をする道具。櫛(くし)のような歯の間に稲を通して引っ張るだけで、バリバリッとお米が取れるんだ。
それまでの道具よりも何倍も早く作業ができるから、「それまで仕事をしていた人の役目がなくなっちゃうくらい凄い」と言われるほどだったよ。
※江戸時代の半ばごろに広まったよ - 唐箕
ハンドルを回して風を起こし、お米とゴミ(もみがら)を風の力で選別するマシーンだよ。
お金で買う肥料「金肥」の登場
道具だけじゃなくて、肥料(植物のごはん)も進化したよ。
これまでは、自分たちの排泄物(下肥)や草などを肥料にしていたけれど、お金を出して買う肥料、その名も「金肥」が使われるようになったんだ。
代表的なのは、イワシを干した「干鰯」や、油を絞ったあとのカス(油粕)など。
栄養満点の金肥を使うことで、作物がもっとたくさんとれるようになったんだよ。
各地の特産物と商品作物
農業の技術が進むと、自分たちが食べるお米を作るだけじゃなくて、「売ってお金にするための作物」も作られるようになったんだ。
これを「商品作物」というよ。
売るための作物って、どんなもの?
代表的なのは、着物の材料になる「綿(わた)」や、明かりを灯す油の材料になる「菜種」などだね。
生活を豊かにするための材料が、高く売れるようになったんだ。
こうして、農民たちも作物を売って「お金(貨幣)」を手に入れるようになったんだ。
金肥を買うためにもお金が必要だしね。
江戸時代は、お金を使って物を売り買いする「貨幣経済」が全国に広まった時代でもあるんだよ。

物流の大動脈!『五街道』と海の道
たくさんの作物が作られるようになると、それを運ぶための「道」が必要になるよね。
そこで整備されたのが「五街道」と「海の道(航路)」だよ。
江戸へと続く「五街道」と箱根の関所
幕府は、江戸(今の東京)にある「日本橋」をスタート地点にして、全国へ伸びる5つの大きな道路を整備したんだ。
これを「五街道」というよ。
五街道の名前
一番有名なのは、江戸と京都を海側で結ぶ「東海道」だね。
そのほかにも、山側の「中山道」、そして「甲州街道」「日光街道」「奥州街道」があるよ。
どうしてこんな大きな道を作ったのかというと、大名たちが「参勤交代」で江戸へ通うためでもあったんだ。
道には「宿場町(ホテルやレストランがある町)」ができて、人の行き来でとても賑わったよ。
関所(せきしょ)の役割
街道の重要な場所には「関所」が置かれたよ。
特に有名なのが「箱根の関所」だね。
関所は、今で言うと「空港のセキュリティチェック」みたいな場所。
特に「入り鉄砲に出女(いりでっぽう に でおんな)」といって、
「江戸に武器(鉄砲)が入ってくること」と、「人質として江戸に住まわせている大名の奥さん(女)が逃げ出すこと」を厳しく見張っていたんだ。
大阪と江戸を結ぶ『廻船』と『北前船』
重い荷物や、大量の荷物を運ぶには、陸の道よりも「船」のほうが便利だよね。
そこで、船で荷物を運ぶ「海の道」も発達したんだ。
- 菱垣廻船:大阪から江戸へ、木綿や油、醤油など、日用品を山積みにして運んだ船。船の横に菱形の柵があったからこう呼ばれたよ。
- 樽廻船:大阪から江戸へ、お酒の入った「樽」を専門に運ぶ船。菱垣廻船よりスピードが速かったので、のちにこちらが主流になったよ。
- 北前船:日本海側を通って、北海道(蝦夷地)と大阪を結んだ船。北海道の昆布やニシン(肥料になる魚)を運んだり、各地で商売をしたりして大活躍したよ。
巨大都市の誕生!「将軍の江戸」と「天下の台所・大阪」
産業や交通が発達したことで、日本には世界的にも珍しい「巨大な都市」が誕生したんだ。
人口100万人の大都市・江戸のリサイクル社会
将軍がいる「江戸」は、政治の中心地。
武士や町人がたくさん集まって住んでいて、その人口はなんと100万人を超えていたと言われているよ。
これは当時のロンドンやパリよりも多くて、世界でも最大級の人口を誇る大都市だったんだ!
そんなに人がいて、ゴミとかはどうしていたの?
実は江戸は、究極の「リサイクル都市」だったんだ。
着物はボロボロになるまで何度も仕立て直して使うし、割れたお茶碗を直す仕事や、道に落ちた紙クズを拾う仕事もあった。
さらに、下肥(うんちやおしっこ)でさえも、農家の人が「肥料」として買い取ってくれたんだよ。
だから江戸の町は、人が多いわりにとても清潔だったと言われているよ。
全国の物が集まる大阪の「蔵屋敷」
一方、「大阪」は商業の中心地として栄えたよ。
日本中の特産物やお米が一度大阪に集められて、そこから全国へ売られていったので、「天下の台所」と呼ばれたんだ。
大阪には、全国の藩(大名)が自分たちの領地でとれたお米や特産物を保管・販売するための倉庫兼オフィス、「蔵屋敷」がたくさん立ち並んでいたんだよ。
3つの都市(三都)の役割
- 江戸(将軍のお膝元)=政治の中心
- 大阪(天下の台所)=経済・商業の中心
- 京都=文化・伝統の中心(天皇が住んでいる)

江戸っ子の楽しみ!庶民のくらしと文化
平和で豊かになると、人々は「楽しむこと」にお金や時間を使うようになるよね。
江戸時代の庶民は、どんな暮らしをしていたのかな?
一生に一度は行きたい『伊勢参り』
江戸時代の人々にとって、最大の夢であり娯楽だったのが「伊勢参り」だよ。
三重県にある「伊勢神宮」へお参りに行く旅行のことだね。
お参りって、そんなに楽しいの?
当時は、自由に旅行をすることが難しかったんだけど、「お参り」だけは許されていたんだ。
だから、お参りというのは建前で、実際は美味しいものを食べたり、観光したりする「大旅行」だったんだよ。今のディズニーランドに行くような感覚かな!
1日3食へ!江戸の食文化と「飛脚」などのサービス
実は、日本人が「1日3食」食べるようになったのは、江戸時代からと言われているんだ。
菜種油の普及で、夜も明かりを灯して活動できるようになったことや、産業が発達して人々の活動量が増えたからだね。
忙しい江戸っ子のために、すぐに食べられる「天ぷら」「すし」「そば」などの屋台(ファストフード)も大人気だったよ。
また、遠くへ手紙や荷物を走って届ける「飛脚」という宅配便のようなサービスも発達して、人々の生活はどんどん便利になっていったんだ。

江戸時代の『産業』と『交通』の発達まとめ
6年生はここを押さえればOK!「江戸の産業と暮らし」まとめ
※赤いキーワードは必ず覚えよう!
- 平和な時代になり、農業や産業が発達した
- 新しい農具(備中ぐわ・千歯こき)で効率アップ
- お金で買う肥料「金肥(干鰯など)」で生産量がアップ
- お金になる商品作物(綿・菜種など)が作られた
- 陸の道五街道(東海道など)と、関所(箱根など)が整備された
- 海の道では、菱垣廻船・樽廻船や、日本海側の北前船が活躍した
- 大阪は蔵屋敷が立ち並び、「天下の台所」と呼ばれた
こうして経済が豊かになったことで、町人たちが主役の「新しい文化」が花開くことになるよ。
次は、歌舞伎や浮世絵などの「江戸時代の文化と学問」について解説するよ!
運営者情報
檜垣 由美子(ゆみねこ)
詳しいプロフィールを見る
青山学院大学教育学科卒業。TOEIC795点。2児の母。2019年の長女の高校受験時、訳あって塾には行かずに自宅学習のみで挑戦することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。志望校の特待生クラストップ10位内で合格を果たす。


