江戸時代の『町人文化』と『新しい学問』歌舞伎・浮世絵・解体新書を解説
前回は、平和な世の中で「産業」や「交通」が発達したことについて勉強したね。
農業や商業が発達して、人々の生活が豊かになると、次は何が起こると思う?
お腹がいっぱいで、お金や時間に余裕ができると……人は「遊びたい!」「知りたい!」と思うようになるよね。
そうして生まれたのが、町人(庶民)たちが主役の「新しい文化」と「新しい学問」なんだ。
今回は、世界に誇る「浮世絵」や、日本地図を作った「伊能忠敬」など、テストによく出るすごい人たちがたくさん登場するよ!

江戸時代の文化の特徴は「町人が主役」!
今までの時代の文化(室町時代の東山文化など)は、将軍や貴族、武士といった「身分の高い人」が中心だったよね。
でも、江戸時代の文化は違うんだ。
経済力をつけた「町人(一般庶民)」が、作り手にも、使い手(楽しむ側)にもなったことが最大の特徴だよ。
上方(大阪・京都)の『元禄文化』と江戸の『化政文化』
江戸時代の文化は、大きく2つの時期に分けられるよ。
場所と時期が違うから、整理して覚えよう。
※上方(かみがた)とは?
当時は天皇が住んでいる京都のほうが、将軍のいる江戸よりも地理的に「上」と考えられていたんだ。
だから、京都や大阪方面のことを「上方(かみがた)」と呼んだんだよ。
2つの町人文化
- 元禄文化(江戸時代の前半~真ん中ごろ)
場所:上方(大阪・京都)
特徴:お金持ちの商人が中心の、豪華で人間味のある文化。
代表:近松門左衛門、松尾芭蕉など - 化政文化(江戸時代の後半~終わりごろ)
場所:江戸
特徴:一般庶民も楽しんだ、面白おかしい、風刺(皮肉)が効いた文化。
代表:葛飾北斎、歌川広重など
見る・読む・描く!庶民が楽しんだ文化
では、具体的にどんな文化が流行ったのか見てみよう。
『歌舞伎』と『人形浄瑠璃』
今でいう「ミュージカル」や「映画」のように大人気だったのが、「歌舞伎」と「人形浄瑠璃」だよ。
- 歌舞伎:派手な衣装とメイクをした役者が、歌や踊りを交えて演じるお芝居。
- 人形浄瑠璃:三味線の音色と語りに合わせて、人形を操るお芝居。
この脚本(ストーリー)をたくさん書いたのが、近松門左衛門だよ。
義理と人情に悩む人々の姿を描いて、みんなの共感を呼んだんだ。
現代でも、「あの脚本家の映画は、いつも大ヒットになる」というように、有名な脚本家がいたりするよね。
近松門左衛門は、江戸時代の天才脚本家だったんだね。

『浮世絵』のスターたち(葛飾北斎・歌川広重)
江戸時代のアートといえば「浮世絵」。
これは、木版画(木のハンコを重ねて刷る)で作られた絵のことだよ。
手書きの絵じゃなくて、ハンコなの?
そう! 木を彫って作った版(ハンコのようなもの)に色を塗って、紙に重ねて刷るんだ。
版画だから、同じ絵を「大量生産」できたんだよ。
だから値段も安くて、今の「ポスター」や「ブロマイド」のような感覚で、庶民が気軽に買って楽しめたんだ。
特に、色ごとに違う版木を作って何度も重ね刷りをする「錦絵」(多色刷り)の技術が生まれると、その鮮やかさから、さらに人気が爆発したんだよ。
特に有名なのが、化政文化のこの2人だね。
- 葛飾北斎:「富嶽三十六景」で、様々な場所から見た富士山をダイナミックに描いたよ。
2024年に発行された日本の千円札の裏面のデザインにも使われているね。 - 歌川広重:「東海道五十三次」で、旅の風景を描いたよ。これを見てみんな「旅行に行きたいな~」と憧れたんだ。
(※喜多川歌麿の「美人画」も有名だね!)

『俳句』の松尾芭蕉と「奥の細道」
五・七・五のリズムで自然や心情を詠む「俳句」を芸術に高めたのが、松尾芭蕉だよ。
東北地方などを旅して、その道中で詠んだ俳句をまとめた紀行文(旅ブログのようなもの)『奥の細道』が有名だね。
化政文化のころには、小林一茶などが、もっと親しみやすい俳句を作って庶民に広まったよ。

教育の広がり!『寺子屋』と『藩校』
文化を楽しむためには、文字が読めたり、計算ができたりしないといけないよね。
実は江戸時代、日本の識字率(文字が読める人の割合)は世界トップクラスだったと言われているんだ。
それを支えたのが、子供たちのための学校だよ。
- 寺子屋:町人や農民の子供たちが通う塾。「読み・書き・そろばん」を習ったよ。
- 藩校:武士の子供たちが通う学校。儒学(孔子の教え)や武術を学んだよ。

世界へ目を向けた『新しい学問』の芽生え
江戸時代の終わりごろになると、「もっと世界のことを知りたい!」「日本のことを正しく知りたい!」という新しい学問が生まれてきたんだ。
これが、次の明治時代へとつながる大きな力になっていくよ。
『蘭学』と杉田玄白の「解体新書」
鎖国中でも、オランダとは貿易をしていたよね(4つの窓口)。
だから、オランダ語を通じて西洋(ヨーロッパ)の進んだ文化や医学を学ぶ「蘭学」が盛んになったんだ。
どうして「蘭(らん)」の学問なの?
オランダを漢字で書くと「阿蘭陀」と書くんだ。
その「蘭」の字をとって、オランダの学問=「蘭学」と呼んだんだよ。
お医者さんの杉田玄白や前野良沢たちは、オランダの医学書(ターヘル・アナトミア)を手に入れた。
そして、実際に死刑になった人の体の解剖を見学して、「オランダの本に書いてある図と、本物の人間の内臓がまったく同じだ! 正確ですごい!」ビックリしたんだ。
そこで彼らは、苦労してオランダ語を日本語に翻訳して、『解体新書』という本を出版したんだ。
これがきっかけで、西洋の科学への関心が高まったんだよ。

『国学』と本居宣長の「古事記伝」
一方で、「外国(中国やインド)の影響を受ける前の、日本本来の考え方や心ってなんだろう?」と研究する「国学」も生まれたよ。
国学の「国」は、日本のこと?
その通り! それまでは「学問」といえば中国の教え(儒学)を学ぶのが当たり前だったんだ。
それに対して、「わが国(日本)独自の歴史や文学を学ぼう!」としたから「国学」なんだよ。
本居宣長は、日本で一番古い歴史書である『古事記』を35年もかけて研究して、『古事記伝』を書いたんだ。
「日本ってすごい国なんだ」というこの考え方は、のちに「天皇を大切にしよう」という動きにつながっていくよ。

伊能忠敬と正確な日本地図
千葉県の商人だった伊能忠敬は、50歳前後から天文学(星の動きなど)を勉強し始めたんだ。
そして、「地球の大きさを知りたい」という情熱から、自分の足で日本全国を歩いて測量したんだよ。
彼が作った「大日本沿海輿地全図」は、現在の地図と重ねてもほとんどズレがないくらい正確なものだったんだ。
(完成したのは彼が亡くなったあとだったけれど、本当にすごい執念だよね!)

江戸時代の『町人文化』と『新しい学問』まとめ
6年生はここを押さえればOK!「江戸の文化と学問」まとめ
※赤いキーワードは必ず覚えよう!
- 上方(大阪・京都)中心の元禄文化
→近松門左衛門(人形浄瑠璃)、松尾芭蕉(俳句・奥の細道) - 江戸中心の化政文化
→歌舞伎や浮世絵が庶民に流行
→小林一茶(俳句) - 浮世絵のスター(多色刷りの錦絵)
→葛飾北斎(富嶽三十六景)、歌川広重(東海道五十三次) - 教育
→庶民は寺子屋、武士は藩校で学んだ - 新しい学問
→杉田玄白・前野良沢らが『解体新書』を出版(蘭学)
→本居宣長が『古事記伝』を完成(国学)
→伊能忠敬が正確な日本地図を作った
こうして文化が花開いた江戸時代だけど、後半になると少しずつ幕府の力が弱まり、人々の不満が高まってくるんだ。
次回は、「揺らぐ幕府と人々の抵抗(一揆や打ちこわし)」について解説するよ!
運営者情報
檜垣 由美子(ゆみねこ)
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青山学院大学教育学科卒業。TOEIC795点。2児の母。2019年の長女の高校受験時、訳あって塾には行かずに自宅学習のみで挑戦することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。志望校の特待生クラストップ10位内で合格を果たす。


