古代文明(四大文明)川や文字など特徴一覧をわかりやすく解説

中学歴史で学習する「古代文明(四大文明)」について、それぞれの文明がおこるもとになった河川の名前や、それぞれの文明で使われていた文字など、テストで必要となる重要なポイントをわかりやすく解説するよ。

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目次

この単元では何を学習するの?
今よりも5000年以上前の古代に、この地球上ですごい技術や知識をもった文明が4つあったんだ。

どんな文明があって、どうしてその文明ができたのかなどを学習する単元なんだね。

「文明」とは?大きな川と文明の関係

まず、そもそも「文明」とは何だろう?

ぼくたち人間が生きていく上で一番大切なことは「衣食住」だよね。
とくに「食べること」は生きていくためには絶対に欠かせないよね。

人類がこの地球上に生まれてから、はじめは「獲物をつかまえて食べる」という生活をしていたんだ。
これを「狩猟生活」と呼ぶよ。
この「狩猟生活」をする時代が何万年も続いていたよ。

でも、それだけだと獲物がいなくなれば食べるものがなくなってしまって、人間は生きていけないよね。

そこで、昔の人は「農耕や牧畜」など、一つの場所に住んで、安定して食べるものを確保できる方法を考えたんだ。
その方法の1つが灌漑(かんがい)

お米や麦を育てるには水が必要になるよね。しかも大量に。
そのためには「大きな川の水」が必要になるよね。
「灌漑」とは、川から水路を使って田んぼまで水を引いてくることをいうんだ。

水路を作るには、大きな工事が必要になってくるね。
そして、工事をするためには税金を集めるための決まり(法律)を作ったり、水路の設計図も必要になってきて文字が必要になってくるね。

また、大地を削って水路を掘り進めたり、いっぺんにたくさん収穫するためには鉄や青銅器(銅や錫(すず)などの合金で作られた道具のこと、十円玉が良い例)を使った農具が必要になったりするね。

そしてあたりまえだけれど、灌漑に成功してたくさん食べ物が穫れるようになったら、そこには人が集まるようになるね。
人が集まると、そこに「都市」ができてくるよね。

このように、「文明」とは今説明した3つがある状態を言うんだ。

つまり、「金属でできた道具」があったり(金属器)、「文字」があったり、そして大勢の人々が集まる「都市」がある社会の状態のことを「文明」というんだよ。

今から5000年以上前の古代に、こうやって生まれた文明があったんだ。

それがこれから学習するメソポタミア文明エジプト文明インダス文明中国文明だよ。

中学校の社会ではこの4つの代表的な文明を「四大文明」と呼ぶよ。

文明には川がセットでついてくる?

さっき説明したように、農耕や牧畜にはたくさんの水が必要になるので、大きな川の近くで行われるんだ。
さらに、大きな川のまわりの土地は栄養がたっぷりなことが多いので、農耕をするのにぴったりなんだ。
だから、文明は必ず「大きな川の近く」でおこるんだよ。

メソポタミア文明はチグリス川とユーフラテス川に挟まれた地域でおこったよ。
エジプト文明がおこったのはナイル川流域
インダス文明はインダス川流域
中国文明は黄河や長江のほとりでおこっているよ。

四大文明の共通点

このように、四大文明はそれぞれ川の近くで発達したという点がまず共通点になるね。

四大文明には、ほかにも共通点があるんだよ。
ひとつは、文明がおこる場所の「緯度」

四大文明の起こった場所の地図の画像

地図を見るとわかるように、ほとんどの文明が同じ「緯度上」でおこっているね。
文明がおこった場所は、どれも北緯20~40度の場所になっているよ。
どうして緯度が関係してくるかというと、北緯20~40は比較的温暖な気候だからなんだ。
もし大きな川があっても、とても寒さや暑さが厳しい地域では、作物を育てるのも大変になってしまうよね。

つぎに、「文字」が使われること。
さっきも説明したように、農耕をするには、天気のことを気にしたり、作物を効率的に育てる方法なんかを、おたがい情報共有したりする必要があるよね。
情報を伝えるために、「文字」が作られるんだ。
とはいえ、それぞれの文明はおたがい遠く離れた場所でおこっているよね。
だから、それぞれがオリジナルの文字を作って使っていたので、文明ごとに文字は違うよ。

そして最後は「金属器」が作られること。
やはり説明したように、たくさんの人々が暮らすのだから、効率的に作物を育てる必要があるよね。そのために、農業に役立つ道具などが作られたよ。

食糧が安定すると次に起こることは?

十分な量の食べ物を作ることができて、蓄えることができるようになると、人口が増えていくよ。そして、その中から「集団のリーダー」が現れるようになるんだ。
たくさんの人々が一緒に効率的に作物を育てていかなくてはいけないから、みんなをまとめあげるリーダーが必要になるというわけだね。

そしてそのリーダーの中でも、最も力があるものは「」になって、まわりを従えて大きな権力を持つようになるよ。
こうして、「国」ができるというわけだね。

こうして一つ一つの国がおこると、今度は国同士でに争うことも増えてくるよ。
こうなると、鉄器や青銅器などの金属器は、「農耕のため」だけではなくて、戦争の武器としても使われるようになるよ。
文字も、争いを防ぐためや罰則を与えるために法律を作ったり、国同士で商売をするために使われたりするようにもなるよ。

さらに食生活が安定すると、人々ができることが増えて、いろいろな職業が生まれて、同時に色々な「身分」を生み出すことにもなるよ。

四大文明も、それぞれが発展するにあたって、 それぞれオリジナルの特徴を持つようになったよ。
それでは、それぞれの文明の特徴を見ていこう。

メソポタミア文明とは

人類史上最も古い文明

メソポタミア文明は、チグリス川とユーフラテス川の流域のメソポタミアという地方に成立した、人類最古と考えられている文明。

現在のイラクの一部にあたるよ。
メソポタミアはギリシャ語で「川の間」という意味なんだ。
チグリス川とユーフラテス川の間でおこった文明だから、「川の間」という名前がつけられたんだね。

なんと今から9000年前には最初の農耕・牧畜が始まり、「灌漑」も行われていたんだ。

この地方に住んでいた人たちを「シュメール人」というんだけれど、紀元前3100年頃、このシュメール人が粘土板に「くさび形の文字」をきざみはじめたんだ。

楔形文字の画像

それが人類で最も古い文字だとされているよ。
この文字を「くさび形文字」と言うよ。

なんだか不思議な名前の文字だね。
「くさび(楔)」とは、堅い木材や金属で作られたV字形や三角形の道具のことで、異なる2つの材料を固定するときに今でも使われているよ。

楔の画像

シュメール人が書いたこの文字がくさびに似ていたため、このように呼ばれているんだ。
「くさびで書かれた」というわけではないので注意が必要だね。

メソポタミア文明の「くさび文字」はほとんど、家畜や物の数をかぞえたり、穀物の量をはかったり、土地の面積を計算した記録として使われたよ。

現代ともつながっている文明

メソポタミアでは六十進法(ろくじゅっしんほう)が発明されたよ。
1時間は60分だよね。これがまさに六十進法なんだ。

農耕には天気を予想するために暦が必要だよね。
メソポタミアでは、「月の満ち欠け」をもとにして作られた太陰暦(たいいんれき)が発達したんだ。
新月を含む日を1日として、「月の満ち欠けで1か月を定める暦」ということだよ。

なぜ、月の満ち欠けで定める暦なのに、「太陰暦」というのだろう?

「太陰」とは「太陽」に対して使われる言葉なんだ。
「月の満ち欠け」をもとにしているので、「太陽」に対して「太陰」というんだね。
メソポタミアの太陰暦の方が、このあと説明するエジプトの太陽暦よりも先にできたんだよ。

昨日の太陽と今日の太陽の違いなんて、見てもわからないよね。
それに比べて、月はその「形」や「見える時間」が毎日変わっていくので、違いがよく分かるよね。
だから、月の満ち欠けをもとに、「その日が1ヶ月のうちのいつなのか」を知ることができるんだよ。

たとえば、「三日月が見えたら○○しようね!!」なんていうように、月の変化をもとに人々の間で約束を交わしたりもできたんだ。また、1週間を七曜とする七曜制(7日を単位として生活するサイクルにする暦法のこと。7日目をお休みする日にしようと考えられた)もメソポタミアでは早くから使われていたよ。

そしてメソポタミアでは神殿を中心に都市国家が作られていったよ。
「ハンムラビ法典」のような法律もできたんだ。

なんとメソポタミアでは約5000年以上も前に法律に基づいた国がすでに成立していたんだね。

メソポタミア文明 まとめ

  • 人類史上最古の文明
  • チグリス川とユーフラテス川の流域のメソポタミアという地方に成立した
  • くさび形文字を使っていた
  • 現代でも使われている六十進法や、太陰暦が発達していた
  • 神殿を中心とした都市国家
  • ハンムラビ法典という法律があった

エジプト文明とは

ナイル川は神?悪魔?

紀元前3000年頃、ナイル川は毎年夏になると氾濫(はんらん)していたよ。

氾濫というのは川が溢れて土砂が川岸に積もること。
でもエジプトの人々にとってそれは悪いことではなかったんだ。
なぜなら、氾濫することによって上流から栄養のある土が流れてきたから。そしてその上で農耕や牧畜が行われたんだ。
もともと栄養のある土だから、肥料が全くいらないんだよ。

とはいえ、気象衛星などが無かった当時では、「いつナイル川が氾濫するのか」なんて、だれにも分からないよね。
だから、エジプト人は「どれぐらいの時期に川が氾濫するのか?」ということを予想して、準備をすることを考えたんだよ。

たとえば、氾濫が起こる時期がわかれば、その時期までに収穫をしてしまって、いったんその場所から避難するんだ。
そして氾濫が起こった後にもう一度その場所に戻ってきて、種を蒔くということができるようになるというわけ。

エジプト人の大発見

ではどのように氾濫の時期を予想したのかな?

エジプトの人々はなんと星の動きを使ったんだよ。
キーワードは「シリウス」という星。

シリウスは冬の大三角形のなかの星の1つだよね。つまり、冬でないと見えない星だね。
ところが、なんとエジプト人はシリウスが夏至の頃、日の出とともに東の空に見えることを発見したんだ。

そして、この時期が来るとナイル川の氾濫が起こることもつきとめたんだよ。

さらに、これがだいたい「365日ごとに繰り返される」なんてことまでつきとめたよ。
このように、天体観測から生まれたのが太陽暦という暦なんだ。

現代でも日常的に使っている太陽暦(一年を365日で考える)や太陰暦(7日=一週間ごとの生活サイクル)が、5000年以上前のエジプト文明やメソポタミア文明から生まれていただなんて、おどろきだよね。

エジプト文明もメソポタミア文明も、間違いなく現代の人々の生活とつながっているんだね。

さて、せっかく観測をしたら、その結果を記録しておかないとだよね。
そこで、観測した結果を記録するための手段として象形文字(ヒエログリフ)も発明されたんだ。

象形文字の画像

さらに象形文字は法律を作ったり商売の契約を結ぶためにも使われ、文明の発達に大きな役割を果たしていたと考えられているよ。

また、水が引いた後の農地を再び人々に平等に分けるために「測量術(そくりょうじゅつ)」や「幾何学(きかがく)」も発達したよ。
氾濫を予測することで、エジプト人は氾濫とともに生活を営み、毎年栄養たっぷりの大地で農耕や牧畜を行い、豊かな生活ができるようになったんだ。

「エジプトは、ナイルのたまもの」という有名な言葉があるんだ。
「エジプト文明が栄えたのは、ナイル川のおかげ」っていう意味だよね。
ナイル川があったから、そもそも文明がおこったし、ナイル川の氾濫を予想しようとしたことで、太陽暦や測量術、幾何学が発達したのだから。

言葉のとおり、エジプト文明はナイル川があったからこそ栄えた文明だと考えられているんだね。

エジプト王とは

このようにしてエジプトの人たちは豊かな生活を手に入れ、そして集団の中から王が現れるようになったよ。
ナイル川流域に起こった色々な国はやがて一つの国になって、1人の王(エジプト王=ファラオというよ)が大きな力を持つ国になるんだ。
みんなもよく知っているピラミッドはエジプトの王のお墓だね。
お墓からも、当時のエジプト王の力がどれだけすごかったかがわかるね。

エジプト文明 まとめ

  • ナイル川流域でおこった文明
  • 太陽暦・測量術・幾何学が発達した
  • 象形文字(ヒエログリフ)を使用していた
  • 王が大きな力を持っていた
  • ピラミッドが作られていた

オリエント文明とは

これまで学習してきた「メソポタミア文明とエジプト文明」は「オリエント文明」とも呼ばれるよ。

「オリエント」とは、「太陽が昇る」という意味の言葉。
太陽が昇るのは東だよね。
ではなぜメソポタミア文明とエジプト文明がそう呼ばれるのかというと、
これはヨーロッパから見た言葉だからなんだ。

ヨーロッパから見て、メソポタミア文明もエジプト文明も、東方の地域でおこった文明なので、オリエント文明と呼ばれるんだよ。

インダス文明とは

インダス文明とは、紀元前2300年にインダス川流域(現在のパキスタンに属する地域)で起こった文明だよ。
インダス川を利用した潅漑農業と、水牛、羊、象などの牧畜が盛んだったんだ。

鉄器は見つかっていないけれど、青銅器は使っていたことがわかっているよ。
遺跡も多く残っていて、そのほとんどが世界遺産に登録されているんだ。

インダス文明最大級の都市遺跡「モヘンジョ=ダロ」

モヘンジョ=ダロ(モヘンジョダロ)は、インダス文明で栄えた都市で、なんと一番栄えていたときには3万人もの人々がそこで生活をしていた大都市だと考えられているんだ。

街の道がきちんと東西南北に並んでいて、しっかりと計画された都市計画があったようだよ。人々が住む家は焼煉瓦(やきれんが)造りで、水洗トイレや下水道や井戸、さらには浴場(今で言うスーパー銭湯)、学校や公会堂まであったんだって。

現代から3500年以上も前にあった都市とは思えないような技術をもっていたと考えられているんだ。

モヘンジョダロは多くの謎につつまれていて、実は「モヘンジョダロ」という名前は、「死者の丘」という意味なんだ。

どうしてこんな怖い名前が付けられてしまったかというと、街の井戸の近くや道端には不自然な人骨が50体近く発見されていて、その人骨の一部からは通常で考えられる50倍以上の放射能が検出されたんだって。

周りの壁にも、異常な熱を浴びた形跡がのこっていて、まるで「街を一瞬で焼き尽くす何かがあったのでは」と思えるような状態。

今でもモヘンジョダロで一体何があったのかは、謎のままなんだ。

インダス文字

インダス文明でももちろん文字が使われていたよ。

遺跡から出土した印章(はんこ)には、インダス文明で使われていた象形文字(インダス文字)が記されているよ。

インダス文字や動物が刻まれた印章の画像

インダス文字も未だに解読がされていないんだ。
なぜなら、見つかった文字はどれも上の画像の印章にあるような「人の名前」を記していると思われるくらいの短いものばかりで、文法や単語として読み取ることができないからなんだ。

インダス文明は多くの謎につつまれているんだね。

インダス文明 まとめ

  • インダス川流域でおこった文明
  • 綿密な都市計画がされていた遺跡都市モヘンジョダロが発見されている
  • 象形文字であるインダス文字が使われていた

中国文明とは

中国では、紀元前6000年ごろに黄河流域と長江の流域で農耕がはじまったよ。
ただ、この時代にはまだ文字がなかったよ(だから最古の文明としてはカウントされないんだね)。

中国4000年の歴史」

「四大文明」の中で唯一、中国文明だけが4000年以上にわたってほぼ同じ地域で同じ文明を保ってきたよ。これが「中国4000年」の意味なんだ。

それでは、中国文明に発展した王朝を順番に見ていこう。

殷王朝

教科書にも出てくるのが(いん)という王朝。紀元前1600年頃に成立したといわれていて、この王朝については実在したことが証明されているんだ。
なぜなら、「史記」という中国の歴史書に載っている殷王朝の王様の名前が書かれた文字がたくさん発見されたから。

そこに書かれた文字のことを甲骨文字(こうこつもじ)と言うよ。                                                         

甲骨文字の画像

甲骨文字は、占いに使った亀の甲羅や獣の骨の上に小刀で刻みつけられた文字なんだ。 殷王朝では宗教と政治は一つとして政治が行われていたんだ。青銅器も主に儀式で使われていたよ。

甲骨文字、なんとなく親近感がないかな?
そう、甲骨文字は現代でも使っている漢字のもとになった文字なんだ。

周王朝

紀元前1100年頃、殷王朝が滅亡して、周(しゅう)という国が成立したよ。
周は、後に日本でも採用された封建制度(ほうけんせいど)で地方を支配したんだ。

封建制度とは、王が家来に対して土地を与え、その地域を治めることを認めてあげる代わりに、王に対して兵役(戦争の時に手伝う)や税金を納めることを約束する関係のことを言うよ。

日本の場合だったら、鎌倉幕府の幕府と御家人の関係「御恩と奉公」がまさに封建制度だね。

この時代に鉄器が多く使われるようになり、武器として使われたり農具として使われたりしていたよ。

長く続く春秋・戦国時代

周が衰えると中国は分裂してしまって、200もの国々が国の存亡をかけて戦いを繰り広げる時代を迎えたよ。
これを春秋・戦国(しゅんじゅう・せんごく)時代と言います。

この戦乱の時代には、「人はどのようにして生きればよいか」とか、「理想の政治のあり方や理想の王のあり方」などを考える人たちが現れたんだ。

これらの人たちを諸子百家(しょしひゃっか)と言うよ。

そしてその中に、後に朝鮮や日本にも大きな影響を与えた孔子(こうし)がいたんだ。

孔子の画像

孔子や弟子の孟子(もうし)などが説いた教えのことを儒学(じゅがく)と言うよ。

あの聖徳太子が、十七条の憲法を作るときに参考にした学問だね。

孔子が言ったとされる言葉は弟子たちによって「論語」という書物にまとめられたよ。

その中でも有名な一文があるよ。
「古くからの伝えを大切にして、新しい知識を得て行くことができれば、人に教える師となることができるだろう」
そう、「温故知新」だね。

このように孔子の教えは熟語としても数多く日本にも伝えられているよ。
そして論語は昔の日本人の行動に大きな影響を与えたんだ。

しかしこのように学問が盛んになっていく一方で、中国での戦乱は出口が見えないまま、550年ぐらい続いたんだ。まさにキングダムの時代だね。

中国文明 まとめ

  • 黄河流域・長江流域で文明がおこった
  • 最初の王朝は殷
  • 漢字のもととなった甲骨文字が使われていた
  • 孔子による儒教が説かれ、日本にも影響を与えた

古代文明(四大文明)まとめ

文明文字文明の特徴文明がおこった時期
メソポタミア文明チグリス川
ユーフラテス川
くさび形文字法典(ハンムラビ法典)
六十進法
太陰暦
農業
紀元前3500年頃
エジプト文明ナイル川ヒエログリフ(神聖文字)ピラミッド
王(ファラオ)制度
ミイラ
紀元前3000年頃
インダス文明インダス川
ガンジス川
未解読の象形文字(インダス文字)都市計画
下水道
商業社会
紀元前2600年頃〜紀元前1900年
中国文明黄河(黄河文明)
長江
甲骨文字王による封建制度
儒教
紀元前1600年頃〜

運営者情報

青山学院大学教育学科卒業。TOEIC795点。2児の母。2019年の長女の高校受験時、訳あって塾には行かずに自宅学習のみで挑戦することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。志望校の特待生クラストップ10位内で合格を果たす。

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  1. II より:

    とても分かりやすくて、参考になりました。ありがとうございました。