社会6

豊臣秀吉の安土桃山時代を小学生から大人まで「わかりやすく」漫画でくわしく解説!

yumineko
yumineko
安土桃山時代のうち、豊臣秀吉の活躍について、かんたんな言葉と漫画で小学生にもわかりやすく解説するよ!
前回のおさらい

全国統一にむけて安土城を築いた信長は、自由な商売ができるようにしたり、関所をなくしたりして新しい考え方の政治をしたね。
キリスト教を保護して、協会や学校を作ることを許可もしたよ。
けれど、いよいよ全国統一も目の前という時に、家臣の明智光秀に裏切られて本能寺で自害してしまったよ。

 

yumineko
yumineko
織田信長の政治・キリスト教の保護・本能寺の変についてピンとこなかったら、まずはココを読もう!
織田信長の安土桃山時代を小学生から大人まで「わかりやすく」漫画でくわしく解説!【後編】 信長がどうやって全国統一を目指していったのか、おさらいしたい場合はココを読もう! https://kyoukasy...
安土桃山時代(豊臣秀吉編)
yumineko
yumineko
このページでは、
信長の死後、豊臣秀吉が「全国統一にむけてどう活躍したか」、「どんな政治をしていたのか?」「なぜ亡くなってしまったのか」というポイントをおさえながら詳しく解説するよ!

6年生が豊臣秀吉の全国統一で
つまづきがちなのはココ!

秀吉の統一、ココがピンとこない!
  • 信長の死後、どうして豊臣秀吉が統一できたの?
  • どうして大阪に城を築いたの?
  • 徳川家康とくがわいえやすは何をしていたの?
  • 太閤検地たいこうけんちとか、刀狩かたながとか、どういうことか詳しくわからない・・なんのためにそんなことをしたの??
  • どうして豊臣秀吉は亡くなってしまったの?

それでは、早速解説していくよ!


秀吉はどうやって全国を統一したの?

教科書の説明

信長の死後、信長の有力な武将ぶしょうだった豊臣秀吉が、明智光秀を倒した。
大阪城を築いて、信長の政治を引きついで勢力を広げていった。
秀吉は信長の死後8年で全国の大名を従え、全国を統一した。

「信長の有力な武将ぶしょう」って?

豊臣秀吉は、信長が戦国大名をしていた尾張国おわりこくの農民の子どもなんだ。

たろう
たろう
えっ
農民の子どもが、全国統一までしてしまったなんて・・
まるでシンデレラストーリーだね。

秀吉はとても機転きてんがきく人だった!※

※「機転がきく」というのは、「とても良く気が付く」ということだよ。

たろう
たろう
秀吉の「ぞうりの話」なんかが有名だよね。

秀吉の「ぞうり」のエピソードとは?

ある寒い雪の日に、信長が外に出ようと「ぞうり」をこうとすると、秀吉が信長の足元に持っていたぞうりをサッと差し出したよ。

そのぞうりがあたたかかったことに驚いた信長。

なんと秀吉は、信長の足が冷たくならないように、ぞうりをふところ(胸のところ)に入れてあたためておいたんだ。

秀吉の「気がきくところ」や「ひらめき」、「行動力」をすっかり気に入った信長は、どんどん秀吉に重要な役割を任せていったよ。

短い期間で城を築いたり、皆んなが「とても無理だ!」とあきらめてしまうことも次々に挑戦して成功させていく秀吉に、「さすが秀吉!」と信長はますます感心して、秀吉を出世させていったんだ。

そして秀吉は「農民の子供」から「武将」にまで大出世していったんだ。

秀吉の大活躍により武将に出世したことを表すイラスト

どうやって明智光秀あけちみつひでを倒したの?

本能寺ほんのうじの変の時の秀吉は何をしていた?

本能寺の変が起きた時、信長は全国統一にむけて中国地方の毛利輝元もうりてるもとを攻めようとしていたんだ。

なので秀吉は、信長の命令で毛利輝元の手下である清水宗治しみずむねはるが守っていた備中高松城びっちゅうたかまつじょう(現在の岡山市)を包囲ほういしていたよ。

ちなみに、この清水宗治との戦いが難航なんこう(難しくてうまくいかないこと)していたので、秀吉が信長にヘルプを求めたんだ。※
それで、信長は秀吉のところへ駆けつけるために本能寺に泊まっていたんだよ。
※信長が自分から助けにいったという説もあるよ。また、本能寺に泊まっていた理由は他にも「朝廷と話し合いをするため」というのもあるよ。

本能寺の変のときの秀吉と信長、光秀の位置関係

は、はやく戻らなくては!

本能寺ほんのうじの変で信長が亡くなってしまったことを知った秀吉は大ショック。

くまごろう
くまごろう
本能寺の変の翌日に知ったんだって。

「すぐに光秀を殺して、信長様のかたきを取らなくては!」

光秀を倒しにいくには、まずは清水宗治との戦いを終わらせなくてはいけないよね。
そこで秀吉は、信長が亡くなったことを隠したまま、清水宗治を説得せっとくしたよ。

くまごろう
くまごろう
だって、信長が亡くなったことがバレたら、敵が強気になってますます戦いが長引いてしまうかもしれないからね。
清水宗治
清水宗治
自分の命と引き換えに、城の皆が助かるなら

と、清水宗治は自害したよ。

こうして、秀吉はあっというまに清水宗治との戦を終わらせたんだ。
そして姫路城(このころ秀吉のものだったよ)で準備をして、すぐに光秀のもとへ向かったよ。

くまごろう
くまごろう
このときの秀吉の駆けつけ方がハンパないんだ。
なんと、重い甲冑かっちゅうを着て、大雨の中、大軍たいぐんとうげを越したりしながら10日間で230Kmを移動したんだよ。
驚異きょういの大移動だったので、中国大返ちゅうごくおおがえし」と呼ばれるほど有名なんだ。
中国大返しの進路のイラスト

秀吉「信長様のかたき!!」

明智光秀
明智光秀
秀吉は清水宗治との戦いに行っているし、しばらく安心でしょ

とすっかり油断ゆだんしていた光秀。

秀吉があっというまに清水宗治との戦いを終わらせて自分を倒しにきたので、明智光秀はびっくりしたよ。
この時の戦いを山崎の戦いというよ。(高校で習うよ)

明智光秀
明智光秀
ヤバイ!!勝てっこない!
よし、坂本城※に逃げ帰ろう!

※滋賀県大津市にあった、明智光秀の住んでいたお城のことだよ。
けれど結局逃げる途中、光秀は農民に殺されてしまったよ。

たろう
たろう
えっ
なんで農民が?
くまごろう
くまごろう
このころ、「武者狩むしゃがり」というものがあったんだ。
「戦いに負けて逃げている武士には何をしてもいい」というのがこの頃の常識だったんだ。だから、戦に負けた武士を見つけた農民は集団でおそって、身ぐるみをはぐ(着ているものや、お金などをうばい取ること)んだよ。
たろう
たろう
・・・恐ろしい時代だね。
こういうワケだった!
  • 秀吉は農民の子どもだったけれど、信長に才能を認められて武将にまでなった
  • 信長のかたきを取るために、戦を早く終わらせて駆けつけた
  • 信長のかたきである明智光秀を破った

徳川家康とくがわいえやすは何をしていたの?

本能寺の変の時、では徳川家康は何をしていたのかというと、
信長のすすめでさかい(現在の大阪)へ見学に行っていたんだ。

家康も本能寺の変の知らせを受けて「光秀を倒さなくては!」と思ったけんだけど、いくさの準備なんてしていなかったから、そのまますぐ光秀のところに行くわけにはいかないし、まずは準備をしようとしたんだ。

そうこうしているうちに、秀吉が光秀を倒してしまったんだよ。

本能寺の変のときの秀吉と家康の位置関係を表すイラスト
徳川家康
徳川家康
しまった、先を越された!!

光秀を倒すのは先を越されてしまったけれど、家康は「信長のあとをつぐこと」を秀吉にゆずることに納得したわけではなかったよ。それで、秀吉と家康は戦ったりもしたんだけど、これは高校で習うことになるよ。

こういうワケだった!
  • 家康も光秀を倒そうと思ったけど、すぐには行けなかった
  • 秀吉に先を越されてしまった!!

どうして大阪に城を築いたの?

秀吉が大阪城を築いたのは、石山本願寺いしやまほんがんじ跡地あとちなんだ。

たろう
たろう
石山本願寺って、信長がおさえた「一向宗いっこうしゅう」の本山ほんざん(メインになる寺のこと)だったね。

攻められにくく、交通が便利!

この場所は、琵琶湖びわこ水源すいげんとする淀川よどがわが大阪湾にそそぐところなんだ。
カタチ的に、攻めるのがむずかしいところなんだよ。

さらに、交通でも便利なところなんだ。
淀川をさかのぼれば京都にいけるし、瀬戸内海せとないかいをつうじて中国や四国、九州にも行ける。
交通の要所なんだね。

こういうワケだった!
  • もともとは一向宗の石山本願寺があったところだった!
  • 攻められにくく、交通の便が良いところだったから!

太閤検地たいこうけんちって?

教科書の説明

秀吉は全国に家来を派遣はけんして、村ごとに検地けんちを行った。
田畑の面積を測り、土地の良し悪しを記録し、収穫量しゅうかくりょう耕作こうさくしている人々の名前も記録した。これにより、耕作する人々は、耕作する権利を認められる一方で、決められた年貢を納める義務を負うことになった。

どんなことをするの?

検地の「検」は、「検査」の検だね。
地は、そのまま土地のこと。
つまり、土地を検査するということだね。

どのくらい米がれるのか、だれがたがやしているのかを検査する!

何を検査するのかというと、土地の大きさを「ものさし」で測って、その土地でどのくらいのお米が取れるのかをチェックするんだ。

たろう
たろう
今まではチェックしていなかったの?
くまごろう
くまごろう
それまでは、差出さしだしといって、土地の持ち主の「自己申告じこしんこく(自分で答えること)」だったんだよ。
だから、ごまかそうと思えばごまかせてしまうよね。

「ものさし」や「ます」も統一した!

さらに、これまでは土地の大きさを測るのも「場所によって測り方がバラバラ」だったんだ。
そこで秀吉は全国共通の「ものさし」を作ったんだ。
できたお米を測るための「ます」も統一したよ。

これで、きちんと公平に田畑の大きさや獲れるお米の量を測ることが出来たんだ。

検査した結果は、「検地帳」に記録したよ。
検地帳には、その土地を耕した人の名前も記録されたよ。

なぜ「太閤検地たいこうけんち」というの?

太閤たいこうというのは、「もと大臣」という意味なんだ。
秀吉は1585年に関白になったんだけど、養子の秀次ひでつぐに関白の座をゆずっていたので、太閤と呼ばれていたんだ。
だから、「秀吉(太閤)が行なった検地」ということで「太閤検地」と呼ぶんだよ。

なんのために検地を行なったの?

きちんと年貢を集めるため

今までのように「自己申告じこしんこく」だと、本当よりも少ないお米の量を年貢でおさめようとする人も出てくるよね。

そうならないよう、きちんと決まった量のお米が年貢として集まるようにしたんだ。

さらに、秀吉が考えたのは「農民が農業に集中して、一揆いっきなどを起こさないようにする」こと。
検地をして「耕す人が誰か」を記録したら、その「耕す人」は百姓として登録されたということになるんだ。

たろう
たろう
土地がハッキリ自分のものになったということは、嬉しいことではないの??
くまごろう
くまごろう
土地が自分のものと認められるのはいいことだけれど、その代わりその土地にふさわしい「年貢」をおさめる義務も背負うことになるんだよ。

この「年貢をおさめる義務」を百姓が背負うことで、みんなお米作りに集中しなきゃいけなくなったんだ。一揆なんかしている余裕がなくなった んだよ。

一揆いっきってなんだっけ?

おなじ目的のために一致団結して抵抗運動ていこううんどうをすることだったね。
「デモ」のイメージかな。

この時代の人々は、重い年貢に反対するために、村の人々で団結して領主りょうしゅに抵抗することが起こっていたよね。

こういうワケだった!
  • 検地をしてハッキリさせれば、税をきちんと取ることができるから!
  • 年貢の義務を負わせれば、一揆を起こさないようにさせられるから!

刀狩かたながりって?

教科書の説明

秀吉は、村に住む人々を百姓身分ひゃくしょうみぶんとして、一揆いっきを起こさないように刀狩令かたながりれいを出して刀や鉄砲てっぽうなどの武器をとりあげた。

どんなことをするの?

刀狩かたながりというのは、「刀を取り上げること」という意味だよ。

秀吉は、「刀狩令かたながりれい」を出して、農民が刀などの武器を持つことを禁止したんだ。

くまごろう
くまごろう
刀狩令によって、刀などを持つことが出来るのは武士だけになったよ。

なんのために刀狩をしたの?

これの最大の目的は
「農民に一揆いっきを起こさせないため」だね。

信長が一向一揆いっこういっきなどに大変な思いをしていたのを知っている秀吉は、

豊臣秀吉
豊臣秀吉
一揆を起こさせないために、武器を取り上げればいいじゃん!

と考えたんだね。

身分がハッキリと分かれるようになった

刀狩にはもうひとつ狙いがあったよ。

「刀などを持つことが出来るのは武士だけ」というように、身分みぶん」と「出来ること」をハッキリとさせることなんだ。

検地によって、「米を年貢としておさめる義務をもつ」人々もハッキリしたよね。
この人々を「百姓ひゃくしょう」と呼んだよね。

こうして武士・町人ちょうにん百姓ひゃくしょうという身分がハッキリしたよ。

百姓とは

百姓は、米を耕す人々のことだけではなくて、漁業ぎょぎょう林業りんぎょうを仕事とする人々も百姓と呼ばれたよ。

こういうワケだった!
  • 武器を取り上げれば、一揆を起こさなくなるから!
  • 武器を持つことが出来るのは武士だけにして、身分の違いをハッキリさせた

どうして秀吉は亡くなってしまったの?

教科書の説明

国内の統一をげた秀吉は、中国のみん征服せいふくしようと2度にわたって朝鮮へ大群たいぐんを送った。しかし朝鮮の人々の激しい抵抗や、中国からの援軍えんぐんに秀吉軍は行きまり、秀吉は病死し、朝鮮から引き上げた。

中国にも進出しんしゅつだ!!

日本全国を統一した秀吉は、いずれはみん(中国)も征服したいと考えていたんだ。

たろう
たろう
それまでは「日本にくらべて大国の中国」というイメージだったのに、秀吉は度胸どきょうがあるね・・

まずは朝鮮だな・・

中国へ攻めるためには、まずは朝鮮の国王をしたがわせようと秀吉は考えたんだ。

1度目の出兵

そしてとうとう1592年に、なんと16万の大軍を朝鮮へ向かわせたんだ。

朝鮮側は準備もできていなかったので、日本軍はあっというまに朝鮮の首都の漢城ハンソン(現在のソウル)を占領せんりょうしたよ。

でも、日がつうちに朝鮮側の反抗も激しくなり、さらに明からの軍が朝鮮の応援で駆けつけたんだ。
結局、日本軍は明と和平交渉わへいこうしょう(話合いをして戦いをやめること)したよ。

くまごろう
くまごろう
だけどこの和平交渉、秀吉の納得のいくものではなかったので、秀吉はすぐまた朝鮮へ出兵を命じるんだ。
2度目の出兵

1597年に、また12万の兵を朝鮮へ送ったよ。

今度は朝鮮側も準備ができていたので、日本軍vs朝鮮軍・明軍で激しい戦いになったんだ。

秀吉が病死してしまう

そんな中、なんと秀吉は病気で亡くなってしまったよ。

あわてた日本軍は、秀吉が亡くなったことをかくして朝鮮と明と和平交渉わへいこうしょうしようとしたよ。
だけど、バレてしまって日本はちをかけられてしまうんだ。

くまごろう
くまごろう
この朝鮮への出兵しゅっぺいが失敗したことをきっかけに、豊臣氏の力が弱まってしまったんだ・・

 

こういうワケだった!
  • 秀吉はもともと中国を征服したいと考えていた
  • 中国へのあしがかりに、まずは朝鮮へ大軍を送った
  • 出兵中に秀吉がなくなり、日本は追い討ちをかけられてしまった
  • この失敗により、豊臣氏の力は衰えてしまった

6年生はココを抑えればOK!
まとめ

年表をチェック!

1582年 本能寺の変が起こる(信長が亡くなる)
1582年 太閤検地が行われる(1598年まで)
1583年 秀吉が大阪城の築城を開始する
1586年 秀吉が太政大臣になり、「豊臣」の姓を受ける
1588年 刀狩令が出される。
1592年 朝鮮への出兵(1回目)
1597年 朝鮮への出兵(2回目)
1598年 秀吉が亡くなる。朝鮮から日本軍が引き上げる。

豊臣秀吉の統一まとめ

※赤いキーワードは必ず覚えよう!

  • 豊臣秀吉は、尾張国の農民の子どもだった
  • 秀吉は、信長の死後すぐに明智光秀を倒した
  • 秀吉は拠点とするために大阪城を築いた
  • 秀吉は信長の政治を引きついで全国統一をした
  • 秀吉は検地を行なって、決められた年貢を納めることを義務とした
  • 秀吉は刀狩令を出して百姓が武器を持たないようにした
  • 秀吉は中国(を征服しようと、2度にわたって大軍を送った。
  • 秀吉が病気で亡くなると、軍は朝鮮から引き上げた。
yumineko
yumineko
次は江戸時代(徳川家康)について解説するよ!
ABOUT ME
yumineko
2児の母。2019年の長女の高校受験時、訳あって塾には行かずに自宅学習のみで挑戦することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。 志望校にトップ10位内で合格を果たす。 勉強をみるにあたって感じたのは、教科書の説明には子供には分かりづらい部分が多く、子供にイメージしやすく噛み砕いて説明するのがとても有効だということ。 同じように教科書の内容が分かりづらいと感じている子供たちの ヒントになれば、との思いで「教科書を分かりやすく通訳するサイト」創設。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。