「大化の改新」とは?中心人物などを簡単にわかりやすく解説まとめ
飛鳥時代に活躍した聖徳太子。
聖徳太子が亡くなってしまったあと、朝廷はどうなってしまったのか?
このページでは、「大化の改新」が起きた原因と、その後どう日本が変わっていったかを解説するよ!
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問題文を読んで大化の改新についての用語を答えよう!
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聞き流すだけでも、大化の改新の重要用語がどんどん頭に入ってくるよ。
大化の改新を簡単に説明すると?
「天皇中心の国づくり」をするために、朝廷で力を持ちすぎてやりたい放題だった蘇我氏を、皇太子の中大兄皇子と有力豪族の中臣鎌足が協力して倒して、改革をおこした。
「大化の改新」まとめ
※赤いキーワードは必ず覚えよう!
- 聖徳太子亡き後、蘇我氏がますますやりたい放題になった
- 645年に、中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を暗殺した(乙巳の変)
- 日本最初の年号(大化)を定めた
- 天皇を中心とした新しい国づくりがおこなわれた(大化の改新)
大化の改新で変わったこと
- 土地と民を、豪族のものから国のものにした(公地公民)
- 戸籍が作られた
- 民は国へ税を支払わなくてはならなくなった(租・調・庸)
- 民には田が分け与えられた(班田収授の法)
- 国をさらに「郡」「里」に分けた(国郡里制)
- 地方は、朝廷から送られた役人が支配した
「大化の改新」ココがピンとこない!
- 蘇我氏が倒されちゃうけど、蘇我氏って悪者なの?
- 蘇我氏を倒した中大兄皇子とか、中臣鎌足って何者?
なんでその2人が倒すの? - なんで「大化の改新」っていうの?
大化って?? - 大化の改新で何が変わったの??
目次
「大化の改新」のポイント「蘇我氏は何をしたか」
蘇我氏って、なんで倒されちゃったんだろう?
それはズバリ、「蘇我氏がますます やりたい放題したから!!」。
蘇我氏が何をして、大化の改新で倒されることになってしまったのかを順番に説明していくよ。
聖徳太子の作戦も、蘇我氏にはイミなし
飛鳥時代にどんどん力をつけた蘇我氏。
でも聖徳太子は天皇を中心とした国にしたいと考えていたよね。
それで「十七条の憲法」や「冠位十二階」を定めたりしたんだよね。
でも、蘇我馬子は「ワシは冠位十二階の対象外。とにかく偉い!」とふんぞり返ったままで、その力を抑えることはできないままだったよね。
聖徳太子が亡くなってしまうと、もう誰も止められない状態に
それで、聖徳太子が病気で622年に亡くなってしまうと、ますます蘇我氏はやりたい放題。
このころの蘇我氏のメンバーは、蘇我馬子の息子の「蘇我蝦夷」とまたその息子の「蘇我入鹿」だよ。
この蘇我蝦夷と蘇我入鹿、これからも力を持ち続けるには「天皇」ができるだけ蘇我氏の血筋で、自分たちの思い通りに動いてくれる人になることが必要 だと考えたんだ。
蘇我入鹿「よし、邪魔な皇子を殺してしまおう!」
これからも力を持ち続けるには「天皇」ができるだけ蘇我氏の血が入っていて、自分たちの思い通りに動いてくれる人になることが必要なんだよね。
逆にいえば、「そうじゃない人は邪魔だなぁ」と考えたんだ。
この時、蘇我氏にとって邪魔になってしまった皇子が
聖徳太子の息子だった「山背大兄王」なんだ。
聖徳太子も、もともと天皇の息子だったんだから、その息子も皇子(天皇になる資格がある人)だよね。
それで、山背大兄王は蘇我入鹿に殺されてしまったんだ。
ひどい!やりたい放題だね。
蘇我氏が倒された理由
- 聖徳太子の作戦では蘇我氏の力が抑えられなかった
- 聖徳太子が亡くなると、ますますやりたい放題
- とうとう皇子まで殺してしまった!!→蘇我氏ヤバすぎるだろ!
大化の改新の中心人物「中大兄皇子」と「中臣鎌足」について
蘇我氏を倒したのは、「中大兄皇子」と「中臣鎌足」なんだけれど、どうしてこの2人が立ち上がったのかな?
順番に見てみよう。
中大兄皇子「次は俺があぶないよね・・やられる前にやるしかない!」
蘇我氏にとっては、同じ舒明天皇の息子でも蘇我氏と血がつながっている古人大兄皇子に次の天皇になってもらった方が都合がいいよね。
そうなると、中大兄皇子が「邪魔だなぁ・・」となってしまうよね。
山背大兄王が蘇我入鹿に殺されてしまって、「次は自分が狙われるんじゃないか?」と思ったのが、この時の天皇だった舒明天皇の息子の「中大兄皇子」だ。
蘇我氏を許せない男「中臣鎌足」
いっぽう、蘇我氏のあまりのやりたい放題に、他の豪族たちも「ふざけるな!」という状態。
中でも、有力な豪族だった中臣氏の中臣鎌足は、もともと政治について勉強をしていた人で、「このまま蘇我氏を好き放題にさせるもんか!」と立ち上がった。
中大兄皇子&中臣鎌足「よし!一緒に蘇我氏を倒そう!」
そこで、中臣鎌足は同じく「打倒蘇我氏!」と燃えていた中大兄皇子と協力することにしたというワケ。
テスト注意報!
★大化の改新で中心となった2人の「後の名前」は何かを答える問題が期末テストに出た学校があるよ!
中大兄皇子は668年に天皇に即位して、「天智天皇」になったよ。
中臣鎌足は大化の改新でも活躍したし、中大兄皇子のためにとてもよく働いてくれたので、「藤原」という「氏」を新しくもらって、「藤原鎌足」と名乗るようになるよ。
なのでこの問題の答えは、「天智天皇」と「藤原鎌足」だね。
中大兄皇子と中臣鎌足が倒した理由はこういうワケだった!
- 次に蘇我氏に命を狙われると思ったのは中大兄皇子だったから
- 政治の勉強をしていた中臣鎌足は、蘇我氏のやりたい放題さが許せなかったから
- 「打倒蘇我氏」同士で、中大兄皇子と中臣鎌足が協力することになった
なぜ大化の改新というの?
蘇我氏が倒されてしまった理由はわかったけれど、どうしてこれを「大化の改新」というのだろう?
簡単に説明すると
- 蘇我氏を倒して、新しい政治を始めた→「改新」
- 年号を使うようになって、最初の年号が大化になったから→「大化の改新」
順番に見ていこう。
中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我氏をやっつける
645年の6月12日、朝廷で大切な行事があって、蘇我入鹿も出席していた。
そこで中大兄皇子と中臣鎌足は入鹿に突然襲いかかって、やっつけることに成功。
そのことを知ったお父さんの蝦夷も、「もう蘇我氏がこれからもやっていくのは無理だ」と諦めて、自殺をしてしまった。
この事件の名前は実は「乙巳の変」
ちなみに、この暗殺事件のことは「乙巳の変」と呼ぶんだ。
実は「蘇我入鹿暗殺事件」=「大化の改新」ではないんだよ。
この暗殺事件をキッカケに、色々政治の革命が行われたから、「大化の改新」につながったということだよ。
新しい政府が誕生し、日本オリジナルの元号を定めた
みごと蘇我氏をやっつけた中大兄皇子と中臣鎌足は、新しい政府を作ったよ。
目指したのはやっぱり「天皇中心の国づくり」。
「昭和」とか「平成」のような「元号※」が、この時初めて定められたんだ。
日本初の元号は「大化」になった。 なので、この時の新しい国づくりのことを「大化の改新」と言うよ。
※この頃はまだ元号と言わず、年号と言っていたよ。年号と元号は同じ意味。明治時代から天皇の一代にひとつの年号を定めることになって、この頃から「元号」と呼ぶようになったんだ。
この大化の改新をキッカケに、「日本」という国号と、「天皇」という称号が使われるようになったという説もあるよ。
※他のタイミングだったという説もあるので、参考にだけしてね。
余裕があったら読もう!なぜ元号を作ったのか?
中国は紀元前から元号を使っていた。
中国はこのころアジアで一番の大国だったので、他の国に貢ぎ物をさせるような立場だった。
そんな中国の元号を、他の国も使わされたりしていたんだ。
でも、聖徳太子のころから日本は「日本も中国と対等になってやる!」という考えで中国の元号を使わなかった。
そしてとうとう、大化の改新で日本独自の「元号」を作ったんだ。
つまり、日本は中国の手下なんかではなく、ひとつの独立した「国」であるというアピールでもあったんだね。
なんで大化の改新っていうの?こういうワケだった!
- 蘇我氏を倒して新しい政府を作った!→「改新」
- 新しい政府では、日本オリジナルの元号を使うことにした
- 最初の元号を「大化」にした
- 「大化」に「改新」されたから、「大化の改新」!
大化の改新で、何がどう変わったの?
大化の改新は、それまでの国の政治がガラリと変わった、いわば「改革」。
それでは、今までの政治とくらべて、何がどう変わったのか確認していこう。
土地と民を国のものにした(公地公民)
今までは、各地に栄えた豪族がいて、その土地の人々(民)や土地は、その豪族が支配していたよね。
その土地と民を、すべて「国のもの」にしたんだ。
こうして、豪族がまた力をつけすぎることのないようにしたんだね。
「公地公民(こうちこうみん)」とは、「土地も人民も、公のもの」という意味だね。つまり、土地も民も、国のものだよ、ということを表す言葉だよ。
「誰がどの土地を持っているか」管理しなきゃ!(戸籍が作られる)
まず、「戸籍(こせき)」を作ったよ。
戸籍というのは、「誰がどこに住んでいるのか」をあらわすもの。
その戸籍をもとにして、それぞれにお米を耕すための田んぼを分け与えたんだ。
そしてその田んぼで採れたお米の何割かを「税」として国に納めさせたんだよ。
これで「民」も「土地」も国が支配することになるね。
でも、朝廷って飛鳥(今の奈良県)にあるのに、九州とか関東の方まで全部面倒みれるの?
さすがにそれは無理があるので、地方は朝廷から送られた「役人」が管理していたよ。
大化の改新でなにが変わったの?こういうワケだった!
- もう豪族が力を持ちすぎることがないようにしよう!
- 土地と民は「国のもの」!
- 誰がどの土地を持っているか管理しなきゃ!
- 民に土地を与えて、「戸籍」も作った!
- 戸籍をもとにして、民から「税」をとることにした!
大化の改新は何時代?語呂合わせは?
大化の改新は「645年」というイメージが大きくて、「何時代?」と聞かれるとピンとこないかもしれないね。
大化の改新は、「飛鳥時代」に起きたことだよ。
「645年」の覚え方については、「蘇我蝦夷」と「蘇我入鹿」をやっつけたことを「朝廷にとって悪い虫を退治した」と例えて「虫殺し」=「645ろし」=645年という覚え方があるよ。
「大化の改新」まとめ
この時代の流れをざっくり言うと?
聖徳太子もいなくなってしまって、ストッパーがなくなった蘇我氏はやりたい放題。天皇中心の政治ができなくなる?
↓
そんなことは許さないと、中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我氏を倒す
↓
もう豪族が力をつけすぎないように、民や土地はすべて国が管理することにする。
↓
日本も独自の元号を作って、「独立した国」を意識
↓
色々なことが政治の上で新しくなったので、これらの改革をこの時の元号にちなんで「大化の改新」と呼ぶ
年号をチェック!
- 622年 聖徳太子がなくなる
- 645年 大化の改新がおこる
「大化の改新」まとめ
※赤いキーワードは必ず覚えよう!
- 聖徳太子亡き後、蘇我氏がますますやりたい放題になった
- 645年に、中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を暗殺した(乙巳の変)
- 日本最初の年号(大化)を定めた
- 天皇を中心とした新しい国づくりがおこなわれた(大化の改新)
大化の改新で変わったこと
- 土地と民を、豪族のものから国のものにした(公地公民)
- 戸籍が作られた
- 民は国へ税を支払わなくてはならなくなった(租・調・庸)
- 民には田が分け与えられた(班田収授の法)
- 国をさらに「郡」「里」に分けた(国郡里制)
- 地方は、朝廷から送られた役人が支配した
運営者情報
ゆみねこ
詳しいプロフィールを見る
青山学院大学教育学科卒業。TOEIC795点。2児の母。2019年の長女の高校受験時、訳あって塾には行かずに自宅学習のみで挑戦することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。志望校の特待生クラストップ10位内で合格を果たす。
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同じくです
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わかりやすかったです❕
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このサイトが一番わかりやすかったです❕
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夏休み中の娘の自主学習で、私が説明しながらノート作りをしていましたが、私自体あまり理解してなかったので、こちらのサイトを参考にさせて頂きました。
とてもわかりやすくて、楽しく勉強できました!
ありがとうございます♪ -
すごくわかりやすかった
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OMOSIROI
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わかりやすいイラストが良かったです!
授業の予習に使わせていただきました! -
とってもわかりやすく、文も具体的で読みやすかったです小6
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とても分かりやすかった!
キャラクターも可愛い!!!! -
わかりやすいーーーーーーーーーーーーーーーーーー
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もう少し絵が多くても良いかと
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おおーよく分かりました
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分かりやすかったです!ありがとうございます
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いつもありがとうございます!
中間テストに使えそうです(≧∇≦)/
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ありがとう〜〜〜〜!!!!!
感謝しかない・・・ -
暗記が苦手です
どうしたらいいですか? -
めっちゃわかりやすかった!!
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面白いです。ありがとうございます。
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めっちゃわかりやすかったです!!!
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あ
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めっちゃよかった
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すごい
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めっちゃ分かりやすかった!!
歴史少し苦手だけどお陰で
覚えられました!!
by小6
前よりも、もっとわかりやすくなってます!
しかも絵が面白い!私には欠かせないサイトです!!
作ってくださって、ありがとうございます!