『東京大空襲』と戦時下の暮らし!学童疎開や勤労動員をイラストで解説

前回は、太平洋戦争の始まりについて勉強したね。
資源を求めてアメリカとの戦争に踏み切った日本。最初は勢いがあったけれど、資源の差は大きく、だんだんと追い詰められていったんだ。

今回は、戦争が長引く中で、日本に住む人々の暮らしがどう変わってしまったのか。
そして、日本全土を襲った恐ろしい「空襲」について見ていこう。

戦時下の暮らし、ココがピンとこない!

戦時下の暮らし、ココがピンとこない!

  • 爆弾が落ちてくるなら、なんで逃げなかったの?
  • 食べ物がないなら、お店で買えばよかったんじゃない?
たろうたろう

戦争中でも、お金を出せば好きなものを買えたり、危なくなったら自由に逃げたりできなかったの?

くまごろうくまごろう

それができなかったんだ。政府が「国家総動員法」で、戦争のために人や物、お金の使い方まで強く統制(コントロール)していたからね。
「ぜいたくは敵だ!」と言われ、食べ物は基本は配給で、切符がないと買えないことが多かった。
また、危険でもすぐ自由に引っ越したり逃げたりできる雰囲気ではなかったんだよ。

「欲しがりません勝つまでは」〜消えた自由と物資〜

戦争が長引くと、日本国内からはあらゆるものが消えていった。
兵士として男の人たちが戦場へ行き、物を作るための材料も燃料も、すべて戦争に使われてしまったからだね。

配給制と切符

お米や砂糖、マッチや服などは、お店で自由には買えなくなり、配給制はいきゅうせいになった。
町内会を通じて配られる「切符(配給の券)」とお金がないと、何も交換してもらえなかったんだ。

しかも、戦争の終わり頃になると、その配給さえも遅れたり、量が減ったりした。
お米の代わりに、サツマイモや、水でうすめた小麦粉のお団子汁(すいとん)を食べて、みんな空腹をしのいでいたんだよ。

たろうたろう

国民はお金を持っていなかったの?

くまごろうくまごろう

お金は持っていたけど、買うものがなかったんだ。

お給料は出ていたけれど、お店に品物がないから使えない。
どうしても欲しい時は、「闇市(やみいち)」という隠れたお店で、とんでもなく高い値段(ふつうより何倍も高い値段)で買うしかなかったんだよ。

金属の供出(きょうしゅつ)

武器を作るための鉄や銅も足りなくなった。
そこで政府は、家庭にある鍋や釜、お寺の鐘、公園の銅像などを強制的に集めたんだ。
これを金属類回収令きんぞくるいかいしゅうれい(供出)」というよ。

学校の二宮金次郎の銅像も、この時になくなってしまったものが多いと言われているよ。

子供たちも戦場へ 〜学童疎開と勤労動員〜

戦争の影響は、大人だけでなく、小学生や中学生にも及んだんだ。

学童疎開(がくどうそかい)

1944年ごろになると、アメリカ軍の飛行機が日本の空へやってくるようになった。
都会に住んでいると爆撃されて危険なので、小学生の子供たちを親元から離して、田舎のお寺や旅館へ移り住ませたんだ。
これを学童疎開がくどうそかいというよ。

くまごろうくまごろう

お父さんやお母さんと離れ離れになって、寂しくて泣く子も多かった。
しかも、田舎でも食料は不足していたから、いつもお腹を空かせていたんだ。

勤労動員(きんろうどういん)

中学生や女学生になると、もう学校で勉強することはできなくなった。
「お国のために働け」と命令され、軍需工場(武器を作る工場)で働かされたり、農家を手伝ったりしたんだ。
これを勤労動員きんろうどういんというよ。

一応お給料は出たけれど、とても安かったし、ほとんどは「貯金しなさい」と強制されて自由には使えなかったんだ。

「竹やり」と「最新兵器」

女性たちは、敵が上陸してきた時のために「竹やり」で戦う訓練をさせられたり、火を消すためのバケツリレーの練習をさせられたりした。
当時の日本は、最新の武器を持つアメリカに対して、精神力で立ち向かおうとしていたんだね。

アメリカ軍の何がすごかったの?

特に「レーダー」と「物量(ものの多さ)」が違ったよ。
アメリカ軍はレーダーを使って、見えない敵を遠くから見つけて攻撃できた。
日本軍は目で見て探すしかなかったから、夜の戦いなどは圧倒的に不利だったんだ。
さらに、アメリカは飛行機や船を次々に作れる工業力があったけれど、日本は材料も燃料も尽きていたんだ。

太平洋戦争における日本の戦時中の暮らしを説明する小学生向けの四コマイラスト

空から降る炎 〜本土空襲と東京大空襲〜

1944年、太平洋にあるサイパン島などがアメリカ軍に占領された。
これは、日本にとって「王手(もうすぐ負ける)」をかけられたのと同じくらい大変なことだったんだ。

なぜサイパン島が重要なの?

アメリカから日本まではとても遠いので、爆撃機(爆弾を落とす飛行機)が飛んでくるには、燃料が足りなかったんだ。
でも、日本に近いサイパン島を基地にすれば、燃料満タンで日本へ飛んできて、爆弾を落として帰ることができる。

ここから、「B29」と呼ばれるアメリカの巨大な爆撃機が、毎日のように日本へやってくるようになったんだ。
(B29は「ボーイング」という会社の「モデル29」という意味。空の要塞と呼ばれるくらい大きくて丈夫な飛行機だよ)

日本を守るための航空機は、上手なパイロットが戦死してしまったり、燃料がなかったりして、もうほとんど残っていなかった。
だからB29は、日本の空を自由に飛び回ることができたんだ。

東京大空襲(1945年3月10日)

アメリカ軍は、最初は軍需工場を狙っていたけれど、途中から作戦を変更した。
「日本の都市を焼き払って、日本人の戦う気をなくさせよう」と考え、一般の人々が住む町に、大量の焼夷弾しょういだんを落とすようになったんだ。

一般の人を攻撃していいルールなの?

本来、戦争でも「武器を持って戦っている人」と「一般の人」を区別して、一般の人をねらわないようにする、という考え方が大切なんだ。

でも第二次世界大戦では、「早く戦争を終わらせるため」などの理由で、その考え方が守られず、町全体が巻きこまれる爆撃が行われてしまったんだよ。

焼夷弾は、火が広がりやすい日本の家屋に合わせて作られた、火事が起きやすい種類の爆弾だよ。
1945年3月10日の真夜中、東京の空を埋め尽くすほどのB29が襲来し、東京の下町(人口が多い地域)に雨のように焼夷弾を降らせた。
これが東京大空襲とうきょうだいくうしゅうだよ。

町は猛烈な炎に包まれ、逃げ場を失った人々が川に飛び込んだりして、たった一晩で約10万人もの尊い命が失われたと言われているよ。

空襲は東京だけでなく、大阪、名古屋、神戸、そして地方の都市へと広がり、日本中の町が焼け野原になっていったんだ。

太平洋戦争における本土空襲と東京大空襲を説明する小学生向けの四コマイラスト

戦争の終わりへ 〜沖縄戦と原爆〜

日本はボロボロになっていたけれど、それでも戦争を止められなかった。
指導者たちが「無条件降伏(負けを全面的に認めること)」をすると、天皇制がなくなってしまうのではないかと恐れたり、「最後にもう一度だけ勝って、少しでも良い条件で戦争を終わらせたい」と考えたりしたからなんだ。

沖縄戦(1945年4月〜)

アメリカ軍がついに沖縄県に上陸した。
沖縄は、日本本土へ攻め込むための足がかりとして狙われたんだ。

一般の人々(お年寄りや子供も含む)を巻き込んだ激しい地上戦が行われ、県民の4人に1人とも言われるほど、多くの命が失われたんだ。

コラム:ひめゆり学徒隊

沖縄には、「ひめゆり学徒隊」と呼ばれる10代の女学生たちがいた。
彼女たちは「看護師のお手伝い」として戦場に動員され、暗いガマ(洞窟)の中で、傷ついた兵士の手当てをしたんだ。
しかし、激しい攻撃の中で解散命令が出され、多くの少女たちが命を落としてしまったんだよ。

原爆投下と終戦

そして8月、アメリカは2つの原子爆弾を投下した。
広島と長崎が選ばれたのは、軍隊の拠点や工場があったことや、当日の天気が関係していたと言われているよ。

同じころ、北からはソ連(今のロシアなど)も攻め込んできた。
日本はソ連と「お互いに攻めないでおこう(日ソ中立条約)」と約束していたんだ。
ソ連は1945年4月に「この条約はもう続けない」と通告した上で、アメリカやイギリスとの約束(ヤルタ会談)も背景に、8月に参戦した。
日本側はこれを「約束を破られた」と受け止め、大きな衝撃になったんだ。

これ以上戦うことはできないと判断した日本は、ついにポツダム宣言を受け入れ、1945年8月15日、長く苦しい戦争が終わったんだ。

太平洋戦争における沖縄戦と原子爆弾を説明する小学生向けの四コマイラスト

コラム:ポツダム宣言ってなに?

アメリカ・イギリス・中国(のちにソ連も参加)が日本に出した、「降伏しなさい」という勧告だよ。
内容は主に2つ。

  • ①無条件降伏(むじょうけんこうふく):言い訳や条件をつけずに「負けました」と認めること。
  • ②民主化:軍国主義をなくして、国民の自由と権利を認める平和な国にすること。

こういうワケだった!

  • 物がなくなる:戦争にすべて使われたため、配給制になり、金属も回収された。
  • 子供たちの生活:学童疎開で親と離れ、中学生は工場で働かされた。
  • 本土空襲:サイパン島などが奪われ、B29が直接日本の町を燃やしに来た。
  • 戦争の被害:東京大空襲では一晩で約10万人が犠牲になった。

戦時下の暮らしと空襲まとめ

『戦争末期と人々の被害』年表まとめ

1944年学童疎開が始まる
B29による日本本土への空襲が本格化する
1945年
3月10日
東京大空襲(一夜にして約10万人が犠牲に)
1945年
4月
アメリカ軍が沖縄本島に上陸(沖縄戦
1945年
8月6日
広島に原子爆弾が投下される
1945年
8月9日
長崎に原子爆弾が投下される
ソ連が満州などに攻め込む(日ソ中立条約の破棄)
1945年
8月15日
終戦(ポツダム宣言を受け入れ、無条件降伏

6年生はここを押さえればOK!「戦時下の暮らし」まとめ

※赤いキーワードは必ず覚えよう!

  • 学童疎開:空襲の危険を避けるため、小学生が集団で田舎へ移り住んだこと。
  • 勤労動員:中学生や女学生が、勉強をやめて工場などで働かされたこと。
  • 東京大空襲:1945年3月10日、B29による焼夷弾爆撃で、東京が焼け野原になった出来事。
  • 配給制:生活に必要なものが不足し、切符がないと買えなくなった仕組み。

3回にわたって、戦争の歴史を見てきたね。
なぜ戦争が起きたのか、そしてどんな悲しい結果になったのか。
この歴史を知ることは、二度と同じ過ちを繰り返さないための、第一歩なんだよ。

戦争については、いろいろな見方があるよ。だからこそ、起きた事実と、その時の人々の気持ちを分けて学んでいこうね。

次回からは、焼け野原になった日本が、どのように立ち上がり、新しい国を作っていったのか。「戦後の復興」について見ていこう!

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「ゆみねこの教科書」を運営しているゆみねこの教科書教育メディア合同会社代表の檜垣由美子のプロフィール写真

檜垣 由美子(ゆみねこ)
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青山学院大学教育学科卒業。TOEIC795点。2児の母。2019年の長女の高校受験時、訳あって塾には行かずに自宅学習のみで挑戦することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。志望校の特待生クラストップ10位内で合格を果たす。 ※サイト全体の運営実績についてはこちらにまとめています。

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