『サンフランシスコ平和条約』と独立回復!日米安全保障条約や冷戦を解説
前回は、戦後の改革と新しい憲法について勉強したね。
日本は焼け野原から立ち上がり、民主主義の国として生まれ変わった。
でも、まだ日本は連合国の占領下(実務はGHQ=連合国軍総司令部)に置かれていた状態。
今回は、日本がどのようにして「独立(主権)」を取り戻し、世界の国々の仲間入りを果たしたのかを見ていこう。
目次
独立への道、ココがピンとこない!
独立への道、ココがピンとこない!
- 負けた国なのに、どうしてすぐに独立できたの?
- アメリカは「日本を弱くする」つもりじゃなかったの?
占領の初めは日本がもう戦争をしないように、軍国主義をなくしたり(非軍事化)、民主化を進めることが目的の中心だったよね?
なんでたった数年で「独立していいよ」って許してくれたの?
実は、世界の状況がガラリと変わったからなんだ。
アメリカは、新たな敵(ソ連など)と対立するようになり、「日本を弱くするより、味方にして強くしたほうが有利だ!」と考えを変えたんだよ。
世界のケンカと日本のチャンス 〜冷戦と朝鮮戦争〜
冷たい戦争(冷戦)の始まり
第二次世界大戦が終わると、今度は世界が2つのグループに分かれて対立し始めた。
- 西側(資本主義):アメリカを中心とするグループ。「自由」を大切にする。企業の活動を中心に経済が動く。
- 東側(社会主義・共産主義):ソ連(今のロシア)を中心とするグループ。国が計画的に経済を動かそうとする。
直接ミサイルを撃ち合う戦争はしなかったけれど、ずっと睨み合って緊張状態が続いたから、これを「冷戦(冷たい戦争)」と呼ぶんだ。
アメリカは日本の東にあるのに、なんで「西側」なの?
ヨーロッパを中心とした地図で見ているからだよ。
世界の中心をヨーロッパと考えると、西にあるアメリカやイギリスなどが「西側」、東にあるソ連などが「東側」になるんだ。
朝鮮戦争と代理戦争
1950年、日本のお隣の朝鮮半島で、北朝鮮が韓国に攻め込み、「朝鮮戦争」が始まった。
これは、ただの隣同士のケンカではなく、後ろに親分がついている「代理戦争(だいりせんそう)」だったんだ。
代理戦争ってなに?
たとえば、クラスのボスA君とボスB君がケンカをしているとしよう。
二人が直接殴り合うと大怪我をするから、手下のa君とb君を戦わせて、後ろから「いけー!武器を貸してやるぞ!」と応援しているようなもの。
韓国の後ろにはアメリカ(西側)が、北朝鮮の後ろにはソ連と中国(東側)がついていたんだ。
特需景気と自衛隊の誕生
アメリカ軍は、日本本土にある基地や、当時アメリカが施政権を持っていた沖縄の基地などを拠点にして出撃したよ。
そして、戦争に必要なものを大量に日本に注文したんだ。
- 武器やトラックの修理
- 兵士の服や毛布
- 土のう(砂を詰めた袋。陣地を作る時に積み上げて壁にする)
これによって日本の工場はフル稼働し、不景気が吹き飛ぶほど儲かった。
この「特別な需要(注文)」による景気を「特需景気」というよ。
また、アメリカ軍が朝鮮へ出動して日本からいなくなると、日本の守りが手薄になってしまった。
「もしこの隙に、日本国内で反乱が起きたり、ソ連が攻めてきたりしたらどうする?」とGHQは心配になったんだ。
そこでマッカーサーは、「日本の警察だけでは国を守れない」と考え、新しい組織を作らせた。
これが警察予備隊(のちに保安隊をへて自衛隊へ)の始まりだよ。
| 名前 | 特徴・役割 |
| 警察予備隊 (1950年8月) | 警察よりも強い武器を持つ部隊。 「国内の治安を守る」のが目的。 |
| 保安隊 (1952年) | 警察予備隊がパワーアップした組織。 |
| 自衛隊 (1954年) | 外国からの攻撃に備えて「国を守る」ための組織。 (実質的な軍隊のような力を持つ) |
憲法で「軍隊を持たない」と決めたのに大丈夫なの? と思うかもしれないね。
政府は「これは軍隊ではなく、自分たちの国を守るための最低限の実力組織だから、憲法違反ではない」と説明しているよ。

独立回復! 〜サンフランシスコ平和条約〜
アメリカは考えた。
「日本を早く独立させて、しっかりとした仲間にしないと、日本ごと東側(ソ連チーム)に取られてしまうかもしれない!」
占領下のままじゃダメなの?
日本人の心が離れてしまうのを恐れたんだ。
いつまでも占領していると、日本人がアメリカを嫌いになって、「ソ連のほうがいいや」となってしまうかもしれない。
「独立」というご褒美を与えて、日本をしっかりと西側チームに引き入れておきたかったんだね。
サンフランシスコ平和条約
1951年、アメリカのサンフランシスコで会議が開かれた。
日本の代表である首相、吉田茂が出席し、48カ国との間で「サンフランシスコ平和条約」を結んだんだ。

会議には51か国が参加していたんだ。署名しない国もあった結果、48カ国との間で結んだよ。
この会議(対日講和会議)は、日本との戦争状態を終わらせ、占領を終結させるための講和会議だったよ。
各国もそれぞれの事情やねらいがあって参加したんだ。
世界中の国々が、日本のためにわざわざ集まってくれたんだね。
それだけ、日本という国がこれからどうなるかが、世界の平和にとって重要だと考えられていたんだね。
これにより、日本は翌年(1952年)から、GHQの支配を離れて独立を回復(主権を取り戻す)することができたんだよ。
| 占領下(GHQ支配) | 独立回復(主権回復) | |
| 政治 | GHQの許可がないと法律や予算を決められない | 日本人が自分たちだけで自由に決められる |
| 外国との関係 | 勝手に外国と条約を結んだりできない | 世界中の国と対等に付き合える |
アジア諸国とソ連の不在
しかし、この会議には参加しない国もいたんだ。
- ソ連など(東側):「アメリカ中心の条約なんて認めない!」と反対して、サインしなかった。
- 中国や韓国など(近隣諸国):会議に招待されなかった。
(中国は「どっちの政府が代表か(台湾か大陸か)」で揉めていたし、韓国などは複雑な事情があったからだよ)
参加しなかった国とはどうなったの?
あとで個別に約束を結ぶことになったけれど、問題も残ったんだ。
参加しなかった国々とは、後で別々に条約を結んで戦争を終わらせたんだよ(日ソ共同宣言や日中共同声明など)。
でも、みんなで集まって一気に決めたわけじゃないから、「領土はどこまでか」「賠償金(おわびのお金)はどうするか」といった話し合いが曖昧なままになってしまった部分もある。
これが、今の北方領土問題や竹島の問題などが長引いている原因の一つとも言われているんだ。
独立の「条件」? 〜日米安全保障条約〜
独立できて「バンザイ!」と言いたいところだけれど、実はもう一つ、とても大事な条約が結ばれていた。
それが「日米安全保障条約」だ。
日本は憲法で「軍隊を持たない」と決めたよね。
「じゃあ、もしソ連が攻めてきたらどうするの?」という問題がある。
そこで、吉田茂はアメリカとこんな約束をしたんだ。
- アメリカ:「日本を敵から守ってあげるよ」
- 日本:「ありがとう。その代わり、アメリカ軍の基地を日本に置いてもいいよ」
こうして、独立した後もアメリカ軍の基地が日本に残ることになった。
日米の条約、これまでにも何度か登場していて、ごっちゃになりそうだよ!
日米和親条約や日米修好通商条約と混乱しないように、表にまとめたので一度整理してね。
| 年代 | 条約の名前 | 内容 |
| 1854年 | 日米和親条約 | ペリーと結んだ。「はじめまして、薪と水をください」 |
| 1858年 | 日米修好通商条約 | ハリスと結んだ。「貿易をしましょう」(不平等条約) |
| 1951年 | 日米安全保障条約 | 吉田茂が結んだ。「日本を守る代わりに、基地を置かせてね」 |

世界への復帰 〜国連加盟とソ連〜
独立はしたけれど、日本はまだ世界のリーダーたちが集まる「国際連合(国連)」に入れてもらえなかった。
国連に入れないとどうなるの?
一人前の国として認められないんだ。
国連は、世界の平和を守るための巨大な組織。
ここに入っていないと、「まだ問題のある国」「仲間として信用されていない国」と思われてしまうんだ。
当時、世界の約80カ国が加盟していたよ。
国連に入るためには、主要メンバー全員のOK(※)が必要なんだけれど、ソ連が「日本とはまだ仲直りしてない(日露戦争ではなく、第二次世界大戦のことだよ)からダメだ!」と反対して、拒否権を使って進まなかったんだ。
※安保理の勧告(常任理事国の拒否権がカギ)と、総会の承認が必要だよ
鳩山一郎と日ソ共同宣言
「ソ連と仲直りしないと、世界へ戻れない」
そう考えた首相の鳩山一郎は、ソ連(モスクワ)へ向かい、粘り強く交渉をした。
ソ連側も、「日本と仲良くしておけば、アメリカとの関係で有利になるかも」というメリットがあったので、話し合いに応じたんだ。
そして1956年、「日ソ共同宣言」を出して、ソ連との国交(国同士の付き合い)を回復させたんだ。
「平和条約」は、領土の問題なども全部解決して「完全に仲直り!」という一番しっかりした約束。
「共同宣言」は、「とりあえず戦争状態はやめて、お付き合いを再開しましょう」という宣言だよ。
北方領土の問題が解決しなかったから、平和条約までは結べなかったんだね。
この時、「平和条約を結んだら、北海道の北にある歯舞(はぼまい)群島と色丹(しこたん)島を返すよ」と約束されたけれど、まだ平和条約は結ばれておらず、北方領土問題として残っているんだ。
(残りの国後島と択捉島については、意見が食い違ったままなんだよ)
国際連合への加盟
ソ連が反対を取り下げたことで、1956年、ついに日本は国際連合への加盟が認められた。日本は国連の80番目の加盟国になったよ。
これにより、日本は名実ともに国際社会の一員として復帰することができたんだ。

領土の返還
また、この頃から、アメリカに「統治(コントロール)」されていた領土も少しずつ返還され始めた。
「占領」は外国の軍が入って、政治にも強い影響を与える状態、「統治」はの地域の行政を外国が直接行う状態(当時の沖縄など)だよ。
沖縄や奄美群島、小笠原諸島などは、日本の法律が通じない「外国」のようになっていたんだ。
1953年12月25日には鹿児島県の奄美群島(あまみぐんとう)が日本に復帰したよ。
独立回復と国際社会への復帰まとめ
『独立と復帰』年表まとめ
| 1950年 | 朝鮮戦争が始まる(警察予備隊ができる) |
| 1951年 | サンフランシスコ平和条約を結ぶ(吉田茂) 日米安全保障条約を結ぶ |
| 1953年 12月25日 | 奄美群島が日本に復帰する |
| 1956年 | 日ソ共同宣言(鳩山一郎) 国際連合に加盟する |
6年生はここを押さえればOK!「独立回復」まとめ
※赤いキーワードは必ず覚えよう!
- サンフランシスコ平和条約:1951年、日本が独立を回復するために結んだ条約。
- 日米安全保障条約:平和条約と同じ日に結ばれた。アメリカ軍が日本に残ることを決めた。
- 日ソ共同宣言:ソ連との国交を回復した宣言。これにより国際連合への加盟が実現した。
- 朝鮮戦争と特需景気:隣国の戦争がきっかけで、日本の経済が回復し、自衛隊の前身が作られた。
こうして日本は、世界の一員として戻ってくることができた。
戦争の傷跡から立ち直った日本は、ここから世界中が驚くようなスピードで経済成長をしていくことになるよ。
次回は、テレビや冷蔵庫が家にやってきた!「高度経済成長」と、その裏で起きた問題について解説するよ!
運営者情報
檜垣 由美子(ゆみねこ)
詳しいプロフィールを見る
青山学院大学教育学科卒業。TOEIC795点。2児の母。2019年の長女の高校受験時、訳あって塾には行かずに自宅学習のみで挑戦することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。志望校の特待生クラストップ10位内で合格を果たす。 ※サイト全体の運営実績についてはこちらにまとめています。


