『日本国憲法』の誕生と戦後の改革!GHQのマッカーサーや墨塗り教科書を解説
前回は、空襲と戦争の被害について勉強したね。
1945年8月15日、長く苦しい戦争が終わり、日本は焼け野原からの再出発をすることになった。
今回は、日本という国がその仕組みをガラリと変えて、「民主主義の国」へと変わっていく様子を見ていこう。
戦後の改革、ココがピンとこない!
戦後の改革、ココがピンとこない!
- 戦争に負けたあと、日本はどうなっちゃったの?
- なんでアメリカ人が日本のルールを変えたの?
昨日まで敵だったアメリカが、日本の憲法や法律を変えたってこと? 日本人が自分で決めたんじゃないの?
そこがポイントだね。日本は無条件降伏したため、占領した国々の方針に従う必要があったんだ。
彼らの目的は、「日本が二度と戦争をしない国に作り変えること」。そのために、大急ぎで日本の仕組みを改造したんだよ。
ただし、日本政府もただ従うだけでなく、話し合いに参加して改革が進められたんだ。
GHQとマッカーサー 〜日本を変える指令〜
戦争が終わるとすぐに、アメリカを中心とした連合国軍が日本を占領して、東京に本部を置いて日本の政治を指導・監督したよ。
GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)
この組織のことを略して「GHQ」と呼ぶよ。
※「GHQ」は、「総司令部」という意味のGeneral Headquartersの頭文字
「連合国軍」とは、アメリカ、イギリス、ソ連、中国など、日本やドイツと戦った国々のチームのこと。
ただ、実際に日本を占領して命令を出していたのは、ほとんどアメリカだったんだ。
そのトップ(最高司令官)としてやってきたのが、アメリカ人の軍人、マッカーサー。
サングラスとコーンパイプ(トウモロコシの芯で作ったタバコを吸う道具)がトレードマークで、当時の日本人にとっては「一番偉い人」のような存在だったよ。
選挙の仕組みが変わった!
GHQは、日本政府に対して次々と「指令(命令)」を出したんだ。
一番大きな変化は「選挙」だよ。
GHQの指導によって選挙法が改正され、「満20歳以上のすべての男女」に選挙権が与えられたんだ。
これにより、日本の歴史上初めて、女性も選挙に参加できるようになったんだよ(1946年の選挙で、初めて女性の国会議員が誕生した)。
なんでGHQは女性にも選挙権を与えたの?
「国民みんなで政治に参加する国(民主主義)」に変えるためだよ。
戦前は、政治に参加できる人が限られていたよね。それに、「男は外で戦い、女は家を守る」という考え方が強かった。
そこで、男女を問わず多くの人が選挙に参加できるようにして、「一部の人だけが勝手に国を動かす」しくみを変えようとしたんだ。
国民みんなが政治に参加するようにすれば、一部の軍人が勝手に戦争を始めるような国(軍国主義)には戻らないだろう、と考えたんだね。
経済や土地の改革
政治だけでなく、経済の仕組みも大きく変えられたよ。
- 財閥解体(ざいばつかいたい):戦争に協力した大きすぎる会社グループ(財閥)を解散させて、競争できるようにした。
- 農地改革(のうちかいかく):地主が持っていた土地を買い上げて、実際に耕している小作人に安く売り渡した。これで多くの農家が自分の畑を持てるようになった。
GHQは日本を助けてくれる「救世主」だったの?
日本を「戦争をしない国」にするために改革を進めたんだ。
農地改革などで生活が良くなった面もあり、「自由が増えた」と感じた人もいたよ。
一方で、GHQは占領している立場なので、日本がもう二度と戦争を起こさないように、軍の力や国のしくみを大きく変える必要があると考えていた。
つまり、日本の人々のためになる面と、占領する側としてのねらいの両方があった、と考えると分かりやすいよ。

日本国憲法の誕生 〜3つの大事な約束〜
GHQは、「明治憲法(大日本帝国憲法)のままでは、また戦争を起こすかもしれない」と考え、憲法を作り直すように指示したよ。
明治憲法では「天皇が軍隊を動かす最高権力者(統帥権)」だったから、軍部が「天皇陛下の命令だ!」と言って暴走しやすかったんだ。
そこで、新しく作られたのが、今も私たちが守っている「日本国憲法」だよ。
日本国憲法の三大原則(さんだいげんそく)
新しい憲法には、とても大切な3つの柱がある。これはテストに必ず出るから覚えよう!
- ①国民主権:国の政治を決める一番の力(主権)は、天皇ではなく「国民」にある。(天皇は「国の象徴(シンボル)」となった)
- ②基本的人権の尊重:人間は生まれながらにして、自由に、人間らしく生きる権利を持っている。
- ③平和主義:戦争をしないことを決め、戦うための軍隊は持たないと定めた。
この憲法は、1946年11月3日に国民に知らせ(公布)、1947年5月3日からスタート(施行)したよ。
だから今は、11月3日が「文化の日」、5月3日が「憲法記念日」になっているんだね。
コラム:天皇の人間宣言
それまで天皇は「現人神(あらひとがみ=この世に現れた神様)」と教えられていた。
しかし、戦後すぐに昭和天皇自らが「私は神ではなく、人間である」と宣言したんだ(人間宣言)。
これにより、天皇中心の国から、国民中心の国へと変わることがはっきりと示されたんだよ。

変わる学校と暮らし 〜墨塗り教科書と給食〜
国が変われば、学校の教育もガラリと変わるよ。
「お国のために命を捨てなさい」という教育から、「一人ひとりの個性を大切にしよう」という教育へ変わったんだ。
墨塗り(すみぬり)教科書
戦争が終わった直後、新しい教科書を作る時間がなかったんだ。
[そこで、先生たちは生徒にこう言ったよ。
「教科書のこのページは間違っているから、墨(インク)で真っ黒に塗りつぶしなさい」
昨日まで「正しい」と教えられていたことが、今日は「間違い」になって黒く塗りつぶされたんだね。
子供たちは「大人の言うことは、すぐに変わるんだな…」と、とても戸惑ったと言われているよ。
義務教育の延長と『あたらしい憲法のはなし』
その後、「教育基本法」という法律ができて、学校の仕組みが変わったんだ。
| 昔(戦前) | 今(戦後) | |
| 義務教育 | 小学校6年間 | 小・中学校9年間 |
| 教科書 | 国が作ったものだけ(国定教科書) | いろいろな会社が作ったもの(検定教科書) |
また、学校では『あたらしい憲法のはなし』という教科書が配られたよ。
そこには、「戦争放棄(もう戦争はしない)」ということや、「民主主義(みんなで話し合って決める)」という新しい日本のルールが、わかりやすい言葉で書かれていたんだ。
学校給食の始まりとララ物資
戦後の日本は食料が不足していて、子供たちの栄養状態が悪かったんだ。
そこで始まったのが「学校給食」だよ。
最初は、アメリカなどの民間団体(ララという民間の支援団体の集まり)から贈られた物資(ララ物資)が使われたよ。
コッペパンと、脱脂粉乳(スキムミルク)というミルクが中心だったけれど、お腹を空かせた子供たちにとっては、命をつなぐ大切な食事だったんだ。
アメリカは怒っていたはずなのに、なんで給食をくれたの?
「飢えた子供たちを救いたい」という善意と、「日本をアメリカの味方にする」という作戦があったんだ。
もちろん、純粋に子供たちをかわいそうに思って寄付してくれたアメリカ人もたくさんいたよ。
同時に、アメリカ政府としては「お腹を空かせたままにしておくと、不満がたまって反乱を起こすかもしれない。パンを与えて、アメリカを好きになってもらおう」という狙いもあったんだ。

敗戦と新しい日本の出発まとめ
『戦後の改革』年表まとめ
| 1945年 | GHQ(最高司令官マッカーサー)が日本の占領統治を始める 選挙法が改正され、女性に選挙権が認められる |
| 1946年 1月1日 | 昭和天皇が人間宣言を行う |
| 1946年 11月3日 | 日本国憲法が公布される(文化の日) |
| 1947年 5月3日 | 日本国憲法が施行される(憲法記念日) 教育基本法が制定される |
6年生はここを押さえればOK!「戦後の改革」まとめ
※赤いキーワードは必ず覚えよう!
- GHQ:連合国軍最高司令官総司令部のこと。マッカーサーが日本の民主化を進めた。
- 日本国憲法:大日本帝国憲法にかわって作られた。国民主権・基本的人権の尊重・平和主義が三大原則。
- 選挙権の拡大:満20歳以上のすべての男女に選挙権が与えられた。
- 財閥解体・農地改革:経済や土地の仕組みも、みんなが平等になるように変えられた。
こうして日本は、軍国主義を捨てて「平和な民主主義の国」としての第一歩を踏み出した。
でも、この時はまだGHQの占領下にあり、本当の意味での「独立した国」ではなかったんだ。
次回は、日本が世界の国々と仲直りをして、独立を取り戻す「サンフランシスコ平和条約」について見ていこう!
運営者情報
檜垣 由美子(ゆみねこ)
詳しいプロフィールを見る
青山学院大学教育学科卒業。TOEIC795点。2児の母。2019年の長女の高校受験時、訳あって塾には行かずに自宅学習のみで挑戦することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。志望校の特待生クラストップ10位内で合格を果たす。 ※サイト全体の運営実績についてはこちらにまとめています。


