『太平洋戦争』の始まりと真珠湾攻撃!日独伊三国同盟や石油問題を解説
前回は、満州事変と日中戦争について勉強したね。
日本が国際連盟を脱退して、中国との泥沼の戦争へ突き進んでいったことを解説したよ。
今回は、いよいよ「太平洋戦争」のお話。
日本がなぜ、世界最強の国・アメリカを相手に、引き返せない戦いを始めてしまったのか。
その「原因」と「広がり」を見ていこう。

太平洋戦争、ココがピンとこない!
太平洋戦争、ココがピンとこない!
- なんでアメリカみたいな強い国と戦争したの?
- 日本には勝てる作戦があったの?
アメリカが強そうなのは誰が見てもわかるよね。なんで日本は、わざわざ負けそうな相手に喧嘩を売ったんだろう?
実はね、日本も「アメリカと戦って勝ちたい!」と思っていたわけではないんだ。
でも、戦争に必要な「石油」を止められてしまって、「このままだと日本は干からびてしまう! 戦うしかない!」と、追い詰められて決断してしまったんだよ。
世界は「第二次世界大戦」へ
日本が中国と戦っている(日中戦争)ころ、遠いヨーロッパでも大きな戦争が始まっていたよ。
ドイツの進撃と日独伊三国同盟
1939年、ドイツが隣の国ポーランドを攻撃したんだ。
ドイツを率いていたヒトラーは、「ドイツ人のための広い領土が必要だ!」と考えて、周りの国を次々と支配しようとしたんだよ。
これに対して、ポーランドを助ける約束をしていたイギリスやフランスがドイツに宣戦布告して、第二次世界大戦が始まったんだ。
ドイツはとても強くて、フランスを降伏させ、ヨーロッパのほとんどを支配する勢いだったよ。
それを見た日本はこう考えたんだ。
「ドイツと手を組めば、日本も強くなれるかもしれない!」
そして1940年、日本はドイツ、そしてドイツと同じような考え方(ファシズム)を持っていたイタリアと手を組み、「日独伊三国同盟」を結んだよ。
ファシズムというのは、国を一つにまとめるために、強いリーダーや軍隊の言うことを最優先させて、反対意見をあまり認めない考え方のこと。
学校のクラスにたとえると、「先生やリーダーの言うことが絶対で、話し合いができなくなる」ような状態に近いよ。
日本もファシズムだったということ?
ドイツと手を組もうとしたとは言っても、日本はドイツ(ナチス)とまったく同じ考え方(ファシズム)だったわけではないよ。
国の形や考え方はちがっていたけれど、戦争が長引く中で「軍隊の意見がとても強くなる」という点が似ていたんだ。
歴史では、「ファシズム=悪」と単純に決めつけるのではなくて、「なぜそうした考えが広がったのか」「その結果、何が起きたのか」を考えることが大切だよ。
あれ?でも日本はイギリスと仲が良かったんじゃないの?
日英同盟はもう終わっていたんだ。
日露戦争の時は「日英同盟」で協力したけれど、第一次世界大戦の後に解消されていたんだよ。
さらにこの三国同盟を結んだことで、ドイツと敵対していたイギリスやアメリカとの仲は、決定的に悪くなってしまったんだ。
どうして日英同盟は解消されていたの?
日英同盟は、ロシアに対抗するために結ばれた同盟だったんだ。
だから、日露戦争と第一次世界大戦が終わって、同盟の役目が終わったんだよ。
さらに、日本とイギリスが手を組むと、太平洋やアジアで不利になると考えたアメリカが、「日英同盟を続けないでほしい」と強く求めたんだ。
イギリスがアメリカを優先した結果、日英同盟は解消されたんだ。
ペリーと結んだ「日米和親条約」はどうなったの?
戦争が始まる2年前に、アメリカから「絶交(条約の破棄)」されていたんだ。
ペリーが来た時の「日米和親条約(仲良くしよう)」は、その後「貿易の条約(ビジネスパートナー)」に進化して続いていたんだ(条約が進化したのではなく、別の条約を結んでいたということだよ)。
でも、日本が中国との戦争を止めなかったので、アメリカは1939年に「もう日本とは約束できない! 条約を終わりにする!」と通告してきたんだよ。
条約(約束)がなくなったからこそ、アメリカは自由に「石油を売らない!」と決めることができたんだね。
- 1854年:日米和親条約(ペリーと「はじめまして!」)
- その後:貿易の条約でつながっていた(ビジネスパートナー)
- 1939年:アメリカ「もう契約は打ち切るね」(条約の破棄)
- 1940年:無条約状態になる → 石油を売ってくれなくなる
- 1941年:戦争へ
コラム:命のビザ・杉原千畝(すぎはらちうね)
※ここで一度、同じ時代に起きていた別の出来事も紹介するよ。
そんな暗い時代でも、人間の良心を貫いた人がいたよ。
ナチス・ドイツは、ユダヤ人というだけで捕まえて殺してしまうという恐ろしいことをしていた。
日本の外交官だった杉原千畝は、逃げてきたユダヤ人を救うために、国の命令に背いて日本を通るためのビザ(許可証)を発給し続けたんだ。
彼のおかげで、6000人もの命が救われたと言われているよ。

追い詰められる日本 〜石油が止められた!〜
日本は、中国との戦争を有利に進めるために、南にある「フランス領インドシナ(今のベトナムなど)」に軍隊を進めたよ。
なんでインドシナがフランスの領土になっているの?
当時は、アジアのほとんどの国が、ヨーロッパの国々の植民地(支配された土地)になっていたんだ。
フランスがドイツに負けた隙をついて、日本は「今のうちに!」とそこへ入り込んだんだよ。
これを見たアメリカは、「日本はアジア全体を支配するつもりか!」と警戒を強めたんだ。
ABCD包囲網と石油輸出禁止
アメリカによる日本への制裁は少しずつ強くなっていって、最後に一番きびしい制裁が行われたんだ。
それが、「石油の輸出禁止」だよ。
当時の日本は、石油のほとんどをアメリカから買っていたから、これは大ピンチ!
石油がなければ、飛行機も戦車も動かせないし、工場の機械も止まってしまうよね。
アメリカは、日本を怒らせようとしたの?
アメリカは、日本と戦争をしようとして制裁を強めたのではないよ。
アメリカが石油を売らなくした本当の目的は、
日本に戦争をやめさせて、話し合いに戻ってもらうことだったんだ。
でも日本は、「引き返すくらいなら戦おう」と考えて、
太平洋戦争へ進んでしまったんだ。
さらに、日本に警戒した4つの国が協力して、日本への経済的なしめつけを強めたよ。
これを当時の日本は、それぞれの頭文字をとって「ABCD包囲網」と呼んだんだ。
- A(アメリカ):石油や鉄くずを売らない。
- B(イギリス)・D(オランダ):それぞれの植民地から日本へ資源(ゴムや錫、インドネシアの石油など)が入らないように協力した。
- C(中国):中国との戦争が続き、日本は長期戦で消耗した
ABCD包囲網の「ABCD」ってなに?
ABCD包囲網の「A・B・C・D」は、国の名前の頭文字だよ。
日本に資源が入りにくくなる方向で動いた国々を、アルファベットでまとめた呼び方なんだ。
- A = America(アメリカ)
- B = Britain(イギリス)
- C = China(中国)
- D = Dutch(オランダ)
これらの国が、日本に対して「石油や資源を売らない・通さない」という行動をとったため、
日本から見ると、ぐるっと包囲されたように見えたことから「ABCD包囲網」と呼ばれたんだよ。
ABCD包囲網は、4つの国が相談して行ったの?
ABCD包囲網は、4つの国が秘密で示し合わせて作った作戦ではないよ。
日本の戦争拡大を止めたいという思いから、
それぞれの国が同じ方向の行動をとった結果、起こったことなんだ。
日本から見ると「包囲された」ように見えたことから、「包囲網」と呼ばれているよ。
東条英機の決断
この時の日本の首相は、陸軍出身の東条英機だよ。
彼は「カミソリ東条」というあだ名がつくほど頭が切れて、規律に厳しい軍人だったんだ。
日本に残された道は2つだった。
- ①引き返す:中国から軍隊を引き上げるなど、アメリカの求める条件をのむ。(そうすれば石油を売ってもらえるかも)
- ②戦う:石油が出る南の方(東南アジア)へ攻め込み、力ずくで資源を確保する。
東条英機たちは、①を選べなかった。
「これまでの戦争で多くの日本人が犠牲になったのに、いまさら引き返せない!」と考えたんだね。
そして、「このまま石油が尽きて負ける(座して死ぬ)くらいなら、イチかバチか戦おう!」と、開戦を決意してしまったんだ。

太平洋戦争の始まり 〜真珠湾攻撃〜
1941年(昭和16年)12月8日、日本軍はついに攻撃を開始した。
※ハワイ(アメリカ)では時差の関係で12月7日の出来事として記録されるよ。
なぜ2箇所を同時に攻めたの?
日本軍は、驚くべき作戦を実行したんだ。
- ①マレー半島(イギリス領)への上陸
ここを攻めた目的は「資源」だよ。ゴムや錫(すず)がたくさんとれるし、イギリスの重要な拠点(シンガポール)があったからだ。 - ②ハワイ真珠湾(アメリカ領)への攻撃
ここにはアメリカの強力な艦隊(船の軍隊)がいた。日本が資源を取りに行っている間に邪魔されないよう、「先にアメリカの戦力を叩き潰す」ために奇襲攻撃をしたんだ。
この攻撃により、日本はアメリカ・イギリスとの戦争状態に入った。
戦いの舞台が広い太平洋全体になったから、これを「太平洋戦争」というよ。
「リメンバー・パールハーバー」
日本国内は「やった!大勝利だ!」とお祭り騒ぎになった。
しかし、アメリカ国民は激怒したんだ。
なぜなら、本来は攻撃の直前に通告するつもりだったけれど、連絡や手続きが遅れて、結果として攻撃の後に届いてしまったんだ。
そのためアメリカでは「卑怯な騙し討ちだ!」と受け取られてしまって、「リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」を合言葉に、国全体が「打倒日本!」で団結してしまったんだよ。

アジアの人々と日本の支配
日本は、ものすごい勢いで東南アジア(フィリピン、インドネシア、シンガポールなど)を占領していったよ。
そもそも、なんでそこにアメリカやイギリスがいたの?
実は江戸時代のころから、欧米の支配はアジアまで進んでいたんだ。
ヨーロッパの国々は、大昔(大航海時代)から世界中に船を出して、香辛料や資源を求めてアジアの国々を植民地にしていたんだ。
当時、アジアで独立を保っていたのは、日本とタイくらいだったんだよ。
「大東亜共栄圏」の建前と本音
日本は「大東亜共栄圏」というスローガンを掲げたよ。
これは、「欧米の支配からアジアを解放して、アジア人だけで栄える豊かな地域を作ろう」という考え方。
最初、アジアの人々の中には「日本が白人を追い払ってくれた!」と歓迎する人たちもいたよ。
でも、すぐにその期待は裏切られることになるんだ。
- 資源の持ち出し:日本の目的は石油やゴムなどの資源だったので、それらを日本へ持ち帰った。
- 日本のやり方の押しつけ:日本語や日本式のルール・行事を広めようとした。(※地域によって程度はちがうよ)
- 過酷な労働:鉄道の建設などのために、多くの現地の人々を無理やり働かせた。
結果として、アジアの人々の生活は苦しくなって、日本に対する抵抗運動(抗日運動)が各地で広まっていったんだよ。
「解放」と言いながら、実際は新しい「支配者」になってしまったんだね。

コラム:「アジアを守るための戦争」って本当?
この時、日本は「欧米の支配からアジアを解放しよう」と説明したんだ。
だから地域によっては、最初は「助けてくれるかも」と期待する人もいたよ。
ただ、戦争の目的には石油やゴムなどの資源を手に入れることも強く関わっていた。
そして占領地では、資源を優先して運んだり、厳しいルールや労働を求めたりして、生活が苦しくなる人が増えた地域も多かったんだ。
だから歴史では、「言っていたこと(建前)」と「起きたこと(結果)」を分けて考えるのが大切だよ。
太平洋戦争の始まりまとめ
『太平洋戦争の始まり』年表まとめ
| 1939年 | ドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が始まる |
| 1940年 | 日独伊三国同盟を結ぶ |
| 1941年 | アメリカなどがABCD包囲網で日本への輸出を禁止する 首相が東条英機になる |
| 1941年 12月8日 | マレー半島上陸・真珠湾攻撃 太平洋戦争が始まる |
| 1942年 | 日本が東南アジア各地を占領する |
6年生はここを押さえればOK!「太平洋戦争の始まり」まとめ
※赤いキーワードは必ず覚えよう!
- 日独伊三国同盟:日本・ドイツ・イタリアの3国が結んだ軍事同盟。
- 太平洋戦争:1941年12月8日、マレー半島上陸と真珠湾攻撃によって始まった、日本と連合国(アメリカ・イギリスなど)との戦争。
- ABCD包囲網:日本に対して石油などの資源を売らないようにした経済的な包囲。
- 大東亜共栄圏:日本が掲げた「アジアで協力しよう」というスローガンだが、実態は日本の支配だった。
こうして始まった太平洋戦争。
最初は日本が勝っているように見えたけれど、資源が豊富で工業力のあるアメリカとの差は、時間が経つにつれてはっきりしてくるんだ。
次回は、戦況が悪化する中での「人々の暮らし」と、空襲や原爆による「戦争の被害」について詳しく解説するよ。
戦争が私たちの日常をどう変えてしまったのか、一緒に考えよう。
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檜垣 由美子(ゆみねこ)
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青山学院大学教育学科卒業。TOEIC795点。2児の母。2019年の長女の高校受験時、訳あって塾には行かずに自宅学習のみで挑戦することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。志望校の特待生クラストップ10位内で合格を果たす。 ※サイト全体の運営実績についてはこちらにまとめています。


