『五箇条の御誓文』と『廃藩置県』!明治時代の新しい国づくりと四民平等
前回は、江戸幕府が倒れ、明治維新が始まったことについて勉強したね。
ちょんまげを結った武士の時代が終わり、いよいよ新しい「明治時代」がスタートしたんだ。
でも、将軍がいなくなったからといって、すぐに新しい国ができるわけじゃないよね。
明治政府は、それまでの「江戸時代の常識」をぶっ壊して、まったく新しいルールを次々と作っていったんだ。
今回は、バラバラだった日本を一つにまとめた大改革や、身分制度がなくなったことによる社会の変化について見ていこう!

江戸から明治へ!新政府のスタート
1868年、新しい政府はまず「どんな国を作るのか」という目標を発表したよ。
新しい国の方針『五箇条の御誓文』
明治天皇が神様に誓うという形で発表されたのが、「五箇条の御誓文」だよ。
これには、主に「みんなで会議をして決めよう」「外国と仲良くしよう」といったことが書かれていたんだ。
つまり、「独り占めの政治はやめて、みんなで協力して、世界に負けない強い国を作ろう!」という宣言だったんだね。
五箇条の御誓文(分かりやすい訳)
- 広ク会議ヲ興(おこ)シ万機(ばんき)公論ニ決スベシ
(広く会議を開いて、すべての政治はみんなの話し合いで決めよう) - 上下(しょうか)心ヲ一(いつ)ニシテ盛ニ経綸(けいりん)ヲ行フベシ
(身分の高い人も低い人も、心を一つにして積極的に国を治めよう) - 官武一途(かんぶいっと)庶民ニ至ル迄各(おのおの)其(その)志ヲ遂ゲ人心ヲシテ倦(う)マザラシメン事ヲ要ス
(公家も武士も庶民も、みんなが自分の夢を叶えられるようにして、やる気を失わせないようにしよう) - 旧来ノ陋習(ろうしゅう)ヲ破リ天地ノ公道ニ基クベシ
(今までの悪い習慣はやめて、世界共通の正しいルールに従おう) - 智識(ちしき)ヲ世界ニ求メ大ニ皇基(こうき)ヲ振起(しんき)スベシ
(世界中から新しい知識を学んで、天皇中心の国の力を大いに伸ばそう)
ちなみに、この文案を考えたのは、木戸孝允(長州藩)や由利公正(越前藩)といった、新しい政府のリーダーたちだよ。天皇の言葉として発表することで、みんなを納得させようとしたんだね。
江戸が『東京』になり、年号が『明治』へ
そして、日本の首都(中心地)も変わったよ。
天皇が京都から江戸へ引っ越してきて、江戸を「東京」と改めたんだ。
年号も「明治」に変わり、心機一転のスタートを切ったんだね。
なぜ京都から東京へ引っ越したの?
1000年以上も天皇が住んでいた京都から、なぜわざわざ東京へ引っ越したのかな?
それは、「政治の中心地」と「天皇の住まい」を一緒にするためだよ。
江戸時代までは、「政治は江戸の将軍、天皇は京都」と場所が分かれていたよね。
でも、これからは「天皇が直接政治をする時代」だから、政治の機能が揃っている大都市・江戸に天皇が来たほうが便利だし、「天皇が日本のリーダーだ!」と国民にアピールしやすかったんだ。
「一世一元の制」の始まり
それまでは、良いことがあるようにと願いを込めたり、災害が起きたりするたびに、コロコロと年号を変えていたんだ。
でも、明治からは「天皇ひとりにつき、年号はひとつ(一世一元の制)」という新しいルールが決まったんだよ。
「これからは新しい天皇のもとで、新しい国を作るぞ!」という決意の表れだね。

バラバラだった日本を一つに!『廃藩置県』
新政府ができたとはいえ、日本国内はまだ「藩(はん)」ごとに分かれていて、それぞれの「大名(殿様)」が自分の領地を治めていたんだ。
これでは、政府の命令が全国に行き渡らないし、税金も政府に入ってこないよね。
そこで行われたのが、日本を一つにまとめるための大改革だよ。
版籍奉還と廃藩置県とは?
まず1869年、土地(版)と人々(籍)を天皇に返させた「版籍奉還」が行われた。
言葉の意味
「版(はん)」=版図、つまり「土地」のこと。
「籍(せき)」=戸籍、つまりそこに住む「人々」のこと。
「奉還(ほうかん)」=(天皇へ)お返しすること。
つまり、「土地も国民も、すべて天皇のものですよ」とはっきりさせたんだね。
でも、これだけでは大名がそのまま「知藩事(ちはんじ)」という役職に名前を変えて残ったので、実質的にはあまり変わらなかったんだ。
(知藩事は、今の「県知事」のようなものだけど、元の大名がそのまま自分の領地を治めていたんだよ)
そこで1871年、政府は思い切った命令を出した。
それが「廃藩置県」だよ。
「全国のすべての藩(はん)を廃止して、代わりに県(けん)を置く!」
「大名は全員クビ(東京へ移住)! 代わりに政府が選んだ役人(県令・知事)を送る!」
クビになった大名はどうなった?
廃藩置県でクビになった大名たちは、全員東京へ住むように命令された。
「かわいそう!」と思うかもしれないけれど、実は政府からたっぷりとお金(給料)をもらって、華族(かぞく)という高い身分として優雅に暮らすことができたんだ。
だから、大きな反乱も起きなかったんだね。
なぜ藩をなくしたの?
大名たちは怒って反乱を起こさなかったの?
実はこの時、政府は「御親兵(ごしんぺい)」という強力な軍隊(薩摩・長州・土佐の兵士たち)を用意して、「逆らったらやっつけるぞ」という威圧感を与えていたんだ。
それに、多くの藩は借金で困っていたから、「借金は政府が肩代わりするよ」と言われて、意外とすんなり受け入れた藩も多かったそうだよ。
こうして日本は、バラバラだった藩の集まりから、一つの政府が全国を治める統一国家になったんだ。
税金も「お米」から「お金」へ!
新しい国を作るには、安定したお金(収入)が必要だよね。
そこで1873年からは、税金を「お米(年貢)」ではなく、土地の値段に応じた「現金」で納めさせる「地租改正」も始まったんだ。
これで政府の収入が安定して、新しい国づくりが進められるようになったんだよ。
言葉の意味:地租改正
「地租(ちそ)」=土地にかかる税金のこと。
「改正(かいせい)」=新しく改めること。
つまり、「土地の持ち主が、土地の値段の3%を現金で払う」という新しい税金のルールだよ。

身分がなくなった!『四民平等』と新しい社会
国の仕組みが変わると同時に、人々の身分も大きく変わったよ。
江戸時代の「武士・百姓・町人」という厳しい身分制度が廃止され、国民はすべて平等だという「四民平等」の方針が打ち出されたんだ。
「四民」って誰のこと?
「四民平等」というけれど、江戸時代の身分は「士・農・工・商」の4つだったよね。
この4つの民(すべての人々)が平等になる、という意味で「四民平等」という言葉が使われたんだ。
武士・百姓・町人の区別がなくなる
人々は新しく3つのグループに分けられたよ。
- 華族(かぞく):元公家や元大名など。とてもお金持ちで、政治家などになる人が多かったよ。
- 士族(しぞく):元武士。役人や警察官になる人もいたけれど、商売に慣れていなくて失敗する人も多かったよ(士族の商法)。
- 平民(へいみん):元百姓や元町人。自由に職業を選べるようになったよ。
名字の使用や職業の自由
そして、平民にも今まで認められていなかった権利が与えられたんだ。
- 名字(みょうじ)を公の場で名乗っていい
(それまでは、武士だけの特権だったんだよ) - 好きな職業についてもいい
- 住む場所や結婚相手も自由に選んでいい
逆に、士族(元武士)は特権を失ってしまった。
刀を持つことを禁止されたり(廃刀令)、ちょんまげを切らされたり(散髪脱刀令)、給料(お米)ももらえなくなったりして、生活に困る人もたくさん出たんだ。
この不満が、あとで大きな反乱(西南戦争)につながっていくことになるんだよ。
なぜ刀を取り上げたの?(廃刀令)
武士の魂である「刀」を取り上げたのは、「武士だけの特権をなくして、みんな平等にするため」と、「個人の復讐や喧嘩を防ぐため」だよ。
散髪脱刀令(さんぱつだっとうれい)は、「ちょんまげを切って、刀を持たなくてもいいよ(自由にしていいよ)」という命令だったけれど、
のちに出された廃刀令(はいとうれい)は、「刀を持ち歩くのを禁止する」という厳しい命令だったんだ。
これに加えて、政府からもらっていた給料も打ち切られたため、士族たちは「誇り」も「お金」も奪われて、怒りを爆発させることになったんだよ。

差別のない世の中へ?『解放令』の光と影
1871年には、「解放令」という大切な命令が出されたよ。
これは、江戸時代に厳しく差別されていた身分の呼び名を廃止して、「これからは身分も職業も平民と同じだよ」と宣言したものなんだ。
差別された身分の人々の呼び方について
この記事では、当時使われていた差別的な呼び方をそのまま使うことはしません。それらの言葉は、今も人々を深く傷つけるからです。ここでは『差別された身分の人々』という表現で説明を進めます。
なぜ解放令が出たの?
「四民平等」と言いながら、差別された身分が残っていたらおかしいよね。
それに、近代的な国として外国に認めてもらうためにも、「日本には身分差別なんてありませんよ」とアピールする必要があったんだ。
呼び名はなくなったけれど…
制度の上では差別はなくなった。
でも、実際にはどうだっただろう?
残念ながら、人々の心の中にある差別意識はすぐには消えなかったんだ。
結婚や就職で断られたり、お祭りへの参加を拒否されたりといった差別は残り続けた。
さらに、今まで税金を免除されていた土地に税金がかかるようになったり、独占していた仕事(死んだ牛馬の処理など)を他の人がやるようになったりして、かえって生活が苦しくなってしまう人もいたんだ。
税金免除のワケと、その後
江戸時代、差別されていた人々は、農民のように田んぼを持っていなかったので、お米の税金(年貢)を免除されていたんだ。
その代わり、死んだ牛や馬の処理などの嫌がられる仕事や、役人の手伝いなどをさせられていた。
解放令によって「平民」と同じになったということは、「これからは税金を払いなさい」ということ。
でも、独占していた仕事は他の人に奪われたりして収入は減ったのに、税金だけは増えてしまったため、かえって生活が苦しくなる人が多かったんだ。
「法律で平等になったから終わり」ではなくて、本当に差別をなくすためには、私たち一人一人の意識が変わっていく必要があるということを教えてくれているね。

『五箇条の御誓文』と『廃藩置県』明治時代の新しい国づくりと四民平等まとめ
『新しい国づくり』年表まとめ
| 1868年 | 五箇条の御誓文が出される 江戸を東京と改め、年号が明治になる |
| 1869年 | 版籍奉還 (土地と人々を天皇に返す) |
| 1871年 | 廃藩置県 (藩をなくして県を置く) 解放令が出される |
| 1873年 | 地租改正が始まる (税金を現金で納める) |
6年生はここを押さえればOK!「新しい国づくり」まとめ
※赤いキーワードは必ず覚えよう!
- 1868年、五箇条の御誓文が出され、新しい国の方針が決まる
- 1869年、土地と人々を天皇に返す版籍奉還が行われる
- 1871年、廃藩置県で藩をなくし、県を置いた
→全国を政府が直接治めるようになった - 身分制度を廃止し、四民平等とした
→平民も名字を名乗れるようになった - 1871年、解放令で差別されていた身分の呼び名を廃止したが、差別は残った
- 1873年、地租改正で税金をお米から現金に変えた
国内の改革を進める一方で、明治政府のトップたちは「ある目的」のために、世界一周の大旅行に出発するんだ。
次回は、岩倉具視や津田梅子が参加した「岩倉使節団と世界への挑戦」について解説するよ!
ちょんまげを切って、世界を見た彼らはどうなったのかな?
運営者情報
檜垣 由美子(ゆみねこ)
詳しいプロフィールを見る
青山学院大学教育学科卒業。TOEIC795点。2児の母。2019年の長女の高校受験時、訳あって塾には行かずに自宅学習のみで挑戦することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。志望校の特待生クラストップ10位内で合格を果たす。


