『屯田兵』による北海道開拓と『琉球処分』!アイヌと沖縄の歴史を解説

前回は、岩倉使節団が世界を見て回り、日本の近代化を決意したことについて勉強したね。
世界を見てきたリーダーたちが、もう一つ「急がなきゃヤバイ!」と感じたことがあったんだ。

それは、「ここからここまでが日本ですよ!」という「国境」をハッキリさせること

今回は、北の「北海道」と、南の「沖縄」が、どのようにして今の日本の形(領土)になっていったのかを見ていこう。
そこには、その土地に住んでいた人々の、複雑な歴史があったんだ。

北海道開拓と琉球処分について説明する図解インフォグラフィック

日本の「形」を決めろ!北と南の大問題

なぜ国境をハッキリさせる必要があったの?

江戸時代までの日本は、「北海道(当時は蝦夷地)」や「沖縄(当時は琉球)」との関係が少し曖昧あいまいだったんだ。
「日本の勢力範囲だけど、完全に日本の一部というわけではない」という感じだった。

でも、明治時代になると、世界中の強い国々(欧米列強おうべいれっきょう)がアジアへ進出してきた。
特に北からは、巨大な国「ロシア」が迫ってきていたんだ。

くまごろうくまごろう

もし、「ここは誰の土地でもないのかな?」なんて思われたら、ロシアや他の国に取られてしまうかもしれない。
だから政府は、「北も南も、正式に日本の領土です!」と世界に宣言せんげんする必要があったんだよ。

明治時代の国づくりについて説明する4コマ漫画

北の大地へ!『北海道』の開拓と屯田兵

蝦夷地から「北海道」へ

まず政府は、1869年に北の「蝦夷地(えぞち)」という呼び名を、北海道ほっかいどうと改めた。
そして、北海道を開拓(森を切り開いて畑や町にすること)するための役所、開拓使かいたくしを置いたんだ。

開拓使と、北を守る兵士『屯田兵』

でも、北海道は冬になれば雪に閉ざされる厳しい土地。
そこで、開拓と警備けいび(ロシアへのそなえ)を同時に行うために送られたのが屯田兵とんでんへいだよ。

言葉の意味:屯田兵

「屯(とん)」=兵隊が駐在ちゅうざいすること。
「田(でん)」=田畑を耕すこと。
つまり、「普段は農業をして、いざという時は兵士として戦う人たち」のことだよ。

たろうたろう

どんな人たちが屯田兵になったの?

くまごろうくまごろう

主に、明治維新で仕事や給料を失った「失業した士族(元武士)」たちだよ。
彼らは家族を連れて北海道へうつみ、寒さや熊の恐怖きょうふと戦いながら、必死に土地を切り開いていったんだ。

北海道の開拓と屯田兵について説明する4コマ漫画

「少年よ、大志を抱け」クラーク博士と新しい農業

開拓使は、アメリカから進んだ農業の技術を取り入れようとした。
そこで招かれたのが、クラーク博士だよ。

彼は「札幌農学校(今の北海道大学)」で、西洋の農業技術やキリスト教の精神せいしんを教えた。
彼が教え子たちに残した少年よ、大志を抱けボーイズ・ビー・アンビシャス(少年たちよ、大きな夢を持て)」という言葉は、今でもとても有名だね。

先住民族『アイヌ』の人々の暮らしと変化

政府による開拓が進む一方で、もともとそこに住んでいた「アイヌ民族」の人々は、大きな苦しみを味わうことになったんだ。

奪われた土地と文化(同化政策)

アイヌの人々は、自然を神様としてうやまい、りやりょうをして暮らしていたよね。
しかし明治政府は、次のような政策(同化政策)を行ったんだ。

※言葉の意味
「同化(どうか)」=性質の違うものを、自分たちと同じにさせること。
つまり、「アイヌ語や独自の文化を捨てて、日本人と同じになりなさい」強制きょうせいしたんだ。

  • 土地を奪う:アイヌの人々が狩りをしていた場所を取り上げ、農地にしてしまった。
  • 文化の禁止伝統的でんとうてきな耳飾りや入れ墨を禁止し、日本語を使うように強制した。
  • 名前の変更:アイヌ語の名前ではなく、日本風の名前(名字)を名乗るように求めて、戸籍に登録した。

「日本人になりなさい」と無理やり押し付けられたことで、アイヌ独自の言葉や文化は失われそうになり、差別や貧困ひんこんに苦しむことになってしまったんだ。

1899年には「北海道旧土人保護法」という法律ができたけれど、これはアイヌの人々を「旧土人」と呼んで差別したり、無理やり農業をさせたりする内容で、本当の意味で人々を守るものではなかったと言われているよ。

アイヌの人々のくらしと、その変化について説明する4コマ漫画

アイヌ文化を守る「ウポポイ」

この歴史を反省し、現在はアイヌ文化を守り伝える活動が行われているよ。
2020年に北海道にできた「ウポポイ(民族共生きょうせい象徴しょうちょう空間)」では、アイヌ古式舞踊こしきぶようを見たり、伝統楽器(ムックリ)を演奏したりして、アイヌ文化の素晴らしさを体験することができるんだ。

南の王国はどうなった?『琉球処分』と沖縄県

次は、南の島「沖縄」について見ていこう。

日本と中国、どっちの国?(琉球王国の立場)

江戸時代、ここには琉球王国りゅうきゅうおうこくという国があったね。
薩摩藩(日本)に従っていたけれど、同時に中国(清)にも使いを送っているという、「両方の国にぞくしている」ような状態だったんだ。

軍隊の力で「沖縄県」へ

明治政府は、ここを「完全に日本の領土だ」とするために、強引ごういん手段しゅだんに出た。

1872年、まず「琉球王国」を廃止して「琉球藩(りゅうきゅうはん)」とした。
(この頃、本土ではすでに「廃藩置県」で藩はなくなっていたけれど、いきなり県にすると反発はんぱつが大きいから、一時的に「藩」にして王様を藩王はんおうにしたんだね)

そして1879年、軍隊や警察を送り込んで、琉球のお城(首里城しゅりじょう)をわたさせ、無理やり沖縄県おきなわけんを設置したんだ。

この一連いちれんの出来事を琉球処分りゅうきゅうしょぶんというよ。

琉球処分と沖縄県のはじまりについて説明する4コマ漫画

琉球の人々の苦しみ

琉球の王様(尚泰しょうたい)は東京へ連れて行かれ、王国は消滅しょうめつしてしまった。
(尚泰はその後、華族として東京で暮らすことになったよ。沖縄に戻って反乱を起こさないようにするためだね)

また、アイヌの人々と同じように、日本風の言葉や文化を強制されたため、独自どくじの文化を守ることが難しくなってしまったんだ。

くまごろうくまごろう

実は、中国(清)は「琉球は中国とも仲が良かったのに、勝手に日本にするな!」とカンカンに怒ったんだ。この対立も、のちの日清戦争につながる原因の一つになったと言われているよ。

【考えてみよう】歴史の光と影

アイヌや沖縄の人々の歴史を知って、「当時の日本政府はひどいことをしたな」と悲しくなった子もいるかもしれないね。

でも、当時は世界中で「強い国が弱い国を支配するのは当たり前」という時代だったんだ。
明治政府の人たちは、「日本が北海道や沖縄をしっかり支配しておかないと、ロシアやアメリカなどの強い国に奪われてしまうかもしれない」という強い恐怖感を持っていた。
だから、国を守るために必死で「日本という国」をまとめようとした結果、強引なやり方になってしまった面もあるんだ。

歴史には、必ず「光(国が強くなったこと)」と「影(文化を奪われた人々の悲しみ)」の両方がある。
大切なのは、過去の人をめることではなくて、「この歴史を知った私たちが、今をどう生きるか」を考えることだね。

今では、アイヌや沖縄の文化の素晴らしさが見直されているよ。
みんなも、お互いの文化をリスペクト(尊敬)して、認め合うことの大切さを忘れずにいてほしいな。

『屯田兵』による北海道開拓と『琉球処分』まとめ

『広がる日本』年表まとめ

1869年蝦夷地を北海道ほっかいどうと改め、開拓使かいたくしを置く
1874年屯田兵とんでんへいの制度ができる
1876年札幌農学校が開校(クラーク博士が教頭に)
1879年琉球処分りゅうきゅうしょぶん沖縄県おきなわけんを置く
1899年北海道旧土人保護法ができる
(アイヌの人々への同化政策の集大成となった法律)

6年生はここを押さえればOK!「北海道と沖縄」まとめ

※赤いキーワードは必ず覚えよう!

  • 北海道の開拓
    ・蝦夷地を北海道と改め、役所として開拓使かいたくしを置いた
    屯田兵とんでんへい(兵士兼農民)が開拓と警備を行った
    ・先住民族のアイヌの人々は土地や文化を奪われた
  • 沖縄県の設置
    琉球王国りゅうきゅうおうこくを廃止して、沖縄県おきなわけんを置いた(琉球処分りゅうきゅうしょぶん

こうして日本の形(領土)が整った明治時代。
次に政府が目指したのは、外国に負けない「強い国」を作ることだったんだ。

次回は、明治時代のスローガン「富国強兵と文明開化」について解説するよ!
ちょんまげを切って、洋服を着て……人々の暮らしはどう変わったのかな?

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「ゆみねこの教科書」を運営しているゆみねこの教科書教育メディア合同会社代表の檜垣由美子のプロフィール写真

檜垣 由美子(ゆみねこ)
詳しいプロフィールを見る

青山学院大学教育学科卒業。TOEIC795点。2児の母。2019年の長女の高校受験時、訳あって塾には行かずに自宅学習のみで挑戦することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。志望校の特待生クラストップ10位内で合格を果たす。 ※サイト全体の運営実績についてはこちらにまとめています。

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