『富国強兵』と『文明開化』!殖産興業や渋沢栄一・福沢諭吉を解説
前回は、北海道の開拓や琉球処分について勉強したね。
国の形が整ってきた明治時代の日本。
岩倉使節団が世界を見て痛感した「日本も早く強くならなきゃ!」という思い。
それを実現するために、政府は次々と新しい政策を打ち出し、人々の生活も見た目も中身も、一気に変わっていくことになるんだ。
今回は、明治時代のスローガン「富国強兵」「殖産興業」「文明開化」について見ていこう!
難しい言葉が並んでいるけれど、意味がわかればとっても面白いよ。

目次
明治時代の新しい国づくり、ココがピンとこない!
明治時代の改革、ココがピンとこない!
- 税金を「お米」から「現金(地租)」に変えると、なんで収入が安定するの?
- 工場を建てたのはわかるけど、なんで「糸(製糸場)」を作る工場がそんなに大事なの?
- 今まで武士が戦っていたのに、なんで農民も兵隊にならなきゃいけないの?
- なんで急に洋服を着たり、牛鍋を食べたりし始めたの?ただの流行り?
強い国を作るぞ!『富国強兵』の4つの柱
明治政府が掲げた一番の目標は、「富国強兵」だよ。
これは、「国を豊かにして(富国)、強い軍隊を持つ(強兵)」という意味なんだ。
そのために、大きく分けて4つの改革が行われたよ。
①税金の改革『地租改正』
これは前回も少し触れたけれど、国を豊かにするためには、安定した収入(お金)が必要だよね。
そこで1873年、税金を「お米」から「現金」に変える「地租改正」を行ったんだ。
具体的には、「土地の持ち主が、土地の値段の3%を現金で払う」というルールだよ。
これによって、お米が取れない年でも、政府には決まった金額の税金が入ってくるようになったんだよ。
でも、お米がとれないのに「現金で払え!」って言われても、農民は困っちゃうんじゃない?
その通り! 実際に「税金が高すぎる!」と農民たちが怒って、各地で大きな一揆(伊勢暴動など)が起きたんだ。
それに慌てた政府は、税率を少し下げてあげる(3%→2.5%)ことになったんだよ。
こういうワケだった!
- お米だと、不作(とれない年)のときは税金が減ってしまうし、お米の値段が変わると政府の収入も変わってしまう。
- 「土地の値段の3%を現金で払え」と決めれば、天候やお米の値段に関係なく、毎年決まった金額が入ってくるから安定するんだ!

②国民全員で国を守る『徴兵令』
強い軍隊を作るために、1873年に出されたのが「徴兵令」だよ。
これは、「満20歳になった男子は、兵士になりなさい」という命令なんだ。
えっ、武士だけじゃなくて、農民や町人も兵隊になるの? 全員なの?
基本的には国民全員だよ。武士だけの軍隊よりも、人数をたくさん集められるからね。
でも実は、「家の跡取り(長男)」や「病気の人」などは免除(行かなくていい)されたんだ。
だから、農家の次男や三男たちが主に兵隊にとられたんだよ。
兵隊になると、軍隊に入って鉄砲の撃ち方を習ったり、戦争に行かされたりする。
だから、働き盛りの若者が取られてしまう農家の人たちは、「働き手がいなくなる!」と猛反対したんだ。
さらに、徴兵令の命令書に「血税(けつぜい)」という難しい言葉が使われていたせいで、「えっ、血を絞り取られるの!?」と勘違いした人々が、一揆を起こす事件(血税一揆)まで起きたんだよ。
(一揆は鎮圧されて、徴兵制度は進められたよ)

③産業を育てる『殖産興業』
国を豊かにするためには、新しい産業を育てないといけないよね。
工場を建てたり、鉄道を通したりすることを「殖産興業」というよ。
政府は、お手本となる工場(官営工場)を各地に作った。
特に有名なのが、群馬県にある「富岡製糸場」だよ(1872年操業開始)。
「お手本」ってどういうこと?
それまで日本の生糸づくりは、手作業(座繰り)で少しずつ作っていたんだ。
だから政府が、「こうやって機械を使えば、高品質な糸が大量に作れるんだよ!」という見本を見せて、民間の人たちにも真似してもらおうとしたんだね。
そのために、フランス人の指導者ブリューナを招いて、最新の機械と技術を教わったんだ。
ここで作られた高品質な生糸は海外へ輸出され、日本が近代化するための大切なお金を稼いでくれたんだよ。
(2014年に世界遺産にも登録されたね!)
こういうワケだった!
- 当時、日本の「生糸(きいと)」は世界中で大人気だった。
- だから、良い生糸をたくさん作って海外へ売れば、外国のお金がたくさん稼げる!
- そのお金を使って、最新の武器や機械を買って、国を強くしようとしたんだ。

④学校へ行こう『学制』
強い国を作るには、国民みんなが賢くないといけない。
そこで1872年、「学制」という制度が作られ、「身分や男女に関係なく、すべての子供が小学校に通うこと」が決められたんだ。
今の義務教育と同じだね!じゃあ無料?
いや、実は最初は有料(授業料がかかる)だったんだ。しかも教科書代も自分持ち。
だから、「お金がかかるし、子供は畑仕事の手伝いをさせたいから学校なんて行かせない!」と反対する親も多かったんだよ。
でも、だんだんと「勉強して賢くなれば、良い仕事につけて出世できる(立身出世)」という考えが広まって、学校に通う子供が増えていったんだよ。

西洋の文化が入ってきた!『文明開化』
国の方針が変わると、人々の暮らしもガラリと変わったよ。
西洋(ヨーロッパやアメリカ)の文化が入ってきて、生活が便利になったり、見た目が変わったりすることを「文明開化」というんだ。
見た目の変化(ザン切り頭・洋服・ガス灯)
一番の変化はヘアスタイル!
ちょんまげを切って、適当に短く刈り上げた「ザン切り頭」にする人が増えたよ。
「ザン切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」なんていう歌も流行ったんだ。
また、着物の代わりに洋服を着たり、街にはレンガ造りの建物ができたりした。
夜には、ガスの炎で明るく照らすガス灯が灯って、街の風景は一変したんだ。
(ろうそくや行灯よりもずっと明るいし、まだ電気は普及していなかったからね)
交通も大きく変わったよ。1872年には、新橋(東京)と横浜の間に、日本で初めての鉄道が開通したんだ。
それまで東京から横浜までは歩いて半日かかったのが、汽車ならたったの53分!
まさに魔法の乗り物だったんだね。
食の変化(牛鍋)
食べ物も変わったよ。それまで日本人は、仏教の教えなどもあって「牛肉」を食べる習慣がほとんどなかったんだ。
でも、文明開化とともに牛肉と野菜を煮込んだ「牛鍋」(今のすき焼きのようなもの)が大流行!
「牛鍋を食わねば開化不進奴(文明開化してない遅れたやつ)」なんて言われるほどだったよ。
時間の変化(太陽暦)
カレンダーも変わったよ。
1873年から、それまでの「月の満ち欠けをもとにした暦(太陰太陽暦)」から、世界基準の「太陽暦」になったんだ。
なんで変えたの?
外国と貿易や付き合いをするのに、カレンダーがずれていたら不便だよね。
それに、それまでは「日の出から日の入りまで」を基準にしていたから、季節によって時間の長さが違っていたんだ。
1日を24時間に分けたり、1週間を7日にして日曜日を休みにしたりする習慣も、ここから始まったんだよ。

こういうワケだった!
- ただの流行りというだけじゃないんだ。
- 「日本人は西洋人と同じような暮らしをしている、進んだ国の人々ですよ」とアピールすることで、外国に認めさせようとしたんだ。
- そうすれば、あの悔しい「不平等条約」を直してもらえるかもしれない、と考えたんだね(欧化政策)。
新しい時代を支えた人物たち
この激動の時代に活躍した、3人の重要人物を紹介するよ。
『学問のすすめ』の福沢諭吉
福沢諭吉は、アメリカやヨーロッパへ行って進んだ文化を学び、それを日本に広めた思想家(先生)で、ベストセラー本『学問のすすめ』を書いた人だよ。
有名な「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という言葉で、「人間は生まれつきみんな平等だ」と説いたんだ。
でも、続けて「だけど、賢い人と愚かな人との差はつく。それは勉強するかしないかの違いだ」と説いて、新しい時代の生き方(学問の大切さ)を教えたんだよ。(慶應義塾大学を作った人としても有名だね)
『日本資本主義の父』渋沢栄一
渋沢栄一は、もともと幕府の家来で、明治政府の役人もしていたけれど、「商売の力で国を豊かにしたい!」と実業家に転身した人だよ。
日本で初めての銀行を作ったり、500以上の会社を作ったりして、日本の経済を大きく発展させたんだ。
「みんなでお金を出し合って会社を作る(株式会社)」という仕組みを広めたんだよ。
(2024年からの新1万円札の顔だね!)
郵便制度を作った前島密
前島密は、国が運営する「郵便」の仕組みを作った人だよ。
それまでの「飛脚」は民間がバラバラにやっていたから、値段が高かったり、届くのが遅かったりしたんだ。
でも郵便は、全国に役所(郵便局)を作ってリレー形式で運ぶようにしたから、「切手」を貼れば、全国どこでも同じ安い値段で、早く確実に手紙を送れるようになったんだ。
これで誰でも気軽に手紙が出せるようになったんだよ。

外国から先生を呼んだ『お雇い外国人』
日本が早く近代化するために、政府は高い給料を払って、欧米からたくさんの先生を招いたんだ。
彼らのことを「お雇い外国人」というよ。
- モース(アメリカ):動物学者。
ある日、列車の窓から「大森貝塚」を発見して、日本で初めての発掘調査をしたんだ。当時、世界で一番新しい科学の考え方だったダーウィンの「進化論(生物は進化する)」を日本に紹介するために招かれたんだよ。 - クラーク博士(アメリカ):札幌農学校で教えた。「少年よ、大志を抱け」の人だね。
- コンドル(イギリス):鹿鳴館などを設計した建築家。

「富国強兵」「殖産興業」「文明開化」まとめ
『富国強兵と文明開化』年表まとめ
| 1871年 | 廃藩置県を行う 郵便制度が始まる 岩倉使節団が出発する |
| 1872年 | 学制が始まる 群馬県に富岡製糸場ができる(操業開始) 新橋・横浜間に鉄道が開通する 『学問のすすめ』が出版される |
| 1873年 | 徴兵令が出される 地租改正が始まる 太陽暦が採用される |
6年生はここを押さえればOK!「富国強兵と文明開化」まとめ
※赤いキーワードは必ず覚えよう!
- スローガンは富国強兵(国を豊かに、兵を強く)
- 殖産興業で産業を育てた
→群馬県に富岡製糸場(官営工場)を作った(1872年) - 文明開化で暮らしが変わった
→ザン切り頭、洋服、牛鍋(すき焼き)、ガス灯、
→新橋・横浜間に鉄道開通(1872年)
→太陽暦の採用(1873年) - 活躍した人物
→福沢諭吉(学問のすすめ)
→渋沢栄一(日本資本主義の父)
→前島密(郵便) - 外国人教師(お雇い外国人)を招いた
国が強くなっていく一方で、政府のやり方に不満を持つ人たちも増えていったんだ。
「俺たちの意見も聞け!」という怒りは、やがて大きな運動へと発展していくよ。
次回は、板垣退助たちが活躍する「士族の反乱と自由民権運動」について解説するよ!
運営者情報
檜垣 由美子(ゆみねこ)
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青山学院大学教育学科卒業。TOEIC795点。2児の母。2019年の長女の高校受験時、訳あって塾には行かずに自宅学習のみで挑戦することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。志望校の特待生クラストップ10位内で合格を果たす。


