秦の始皇帝とは?「古代中国の統一」とシルクロードを解説
中学歴史で学習する「古代中国の統一」について、「秦の始皇帝」とはなにか、万里の長城はなぜ作られたのか、漢はどうやって成立したのかなど、国々が争っていた中国が統一されて、周辺国とのつながりができるまでの流れをわかりやすく解説するよ。
「古代中国の統一」の問題に挑戦できるドリルページもあるよ!
何度も解いて、用語をしっかりマスターしよう。
目次
秦の中国統一
古代中国の文明によって生まれた国「殷」がほろび、その後おこった「周」も力が紀元前8世紀になって衰えると、中国では力をつけた各国が争う「春秋戦国時代」に突入したよね。
そんな春秋戦国時代も終わりの頃になると最初200もあった国が7つまで絞られたよ。
韓(かん)魏(ぎ)趙(ちょう)斉(せい)燕(えん)楚(そ)秦(しん)の七つの国だね。
その中の「秦(しん)」の王である政(せい)は、紀元前230年頃から他の6国の攻略に乗り出し、紀元前221年までに最後の斉を滅ぼして中国を一つにしたんだ。 そして政は自身のために新しい称号を作って「始皇帝(しこうてい)」と名乗るようになったよ。
秦は全国に郡県制(ぐんけんせい)を採用して中央集権化(ちゅうおうしゅうけんか)を進めたよ。
郡県制は、全国を郡と県に分けて、皇帝が支配する制度。
中央集権化とは、今の日本のように、大切なことは政府が決めて、地方が政府から言われたことに従っていくというイメージ。
そして春秋戦国時代は各国でバラバラだった文字やお金の単位、重さや長さなどを統一するなど、次々と統一策を行ったよ。 さらに、北から秦を狙っていた遊牧民族である匈奴(きょうど)に対抗するために万里の長城を築いたり、東方の朝鮮や南方の越(えつ)などに対する征服を行ったりしたよ。
万里の長城の長さは、2012年の中国公式の発表によると21196.18km。
なんと2万km超え。
日本の北海道から沖縄までの長さが約3000kmだから、そう考えると恐ろしい長さだよね。
しかし厳しい政治姿勢や孔子の教えをはじめとした儒教を禁止したため、国内で不満が高まっていったよ。
そんな中、始皇帝は紀元前210年に亡くなってしまうんだ。
その後は一族がそのまま王となるはずだったんだけれど、直後から農民の反乱が起こり始めたり、各地の豪族も反乱を起こしたりして、秦の統治はわずか15年後の紀元207年に終わりを告げることとなったんだ。
空前の大帝国「漢」の成立
秦の統治が終わってしまって、中国はまた国々が争う春秋戦国時代のように逆戻りしてしまうかと思われたところに、素早く国内を統一したのが劉邦(りゅうほう)だよ。 彼は漢を成立させて皇帝の座に着いたよ。
そして漢は中央アジアから朝鮮半島をほとんど支配するほどの大きな国となったんだ。
ヨーロッパとの交流の始まり
紀元前114年頃に漢の将軍が今の中央アジアに進出し、人が立ち入らなかったこの地域を自分の土地にしたことがシルクロードの始まり。
漢はシルクロードを使ってインドや西洋の文化をたくさん取り入れたんだ。
漢の将軍だった張騫(ちょうけん)は、この地域の向こう側にある未知の土地を探検して、貿易をする相手や同盟を結べる国を探すよう命じられたんだ。
この探検で得た情報は、当時の中国の人々の関心を呼んで、ヨーロッパへ繋がる道が整備されていったんだ。
漢の絹は、ローマ・エジプト・ギリシアで大人気だったよ。
その他、漢からは茶・染料・香水・磁器などが、西洋からは馬・ラクダ・蜂蜜・ワイン・金などが輸出されて、大きな利益を生んだんだ。 特に紙や火薬の普及は、漢に大きな富をもたらしただけでなく、さまざまな地域の歴史を大きく変えることになったんだよ。
漢と周辺国のつながり
そして漢の時代には「紙」が発明されて、日本との交流が書物に書かれるようになったんだ。
日本が初めて世界の歴史に登場したんだよ。
日本と漢のつながりを示す物も発見されているよ。
それが江戸時代に北九州で見つかった金印。
この金印は、漢の皇帝から日本に贈られたものと考えられているよ。
なぜ漢はこのように周辺の国に金印を贈っていたのかというと、金印を与えることで、周辺国を「漢の臣下」とみなして、より漢の権力や地位を確実なものにする狙いがあったんだよ。
このように、すでにこの時代から漢からは漢字の伝来も含め、日本が大きな影響を受けていたということがわかるんだ。
漢の滅亡後の中国
3世紀の初めに漢が滅ぶと、中国には魏・呉・蜀という三国が分立して、三国時代へと突入するよ。
魏は、日本の邪馬台国の学習でも登場したね。卑弥呼が使いを送った国だったね。
さらに5世紀には南朝と北朝に分かれた国々が争いを繰り返したりして、中国の社会は不安が続いたんだ。
そんな中、中国の人々のあいだで「修行をしてこの世の苦しみから救われよう」という考えの仏教が広まったんだよ。
仏教もまた、日本に伝わって大きな影響を与えたよね。
古代中国の統一まとめ
古代中国の統一 まとめ
- 紀元前3世紀に秦の始皇帝が初めて中国を統一した
- 秦の始皇帝は、遊牧民族の侵入を防ぐために万里の長城を築いた
- 始皇帝は、中央集権体制を実現し、文字や貨幣・長さ・容積・重さをはかる基準を統一した
- 秦の後、領土を中央アジアまで広げた大帝国「漢」が中国を支配した
- 漢は周辺の国王に印を与えて臣下とみなした
- 西アジアや地中海地域と中国を結ぶシルクロードが開かれた
- 漢の歴史書に日本が記されるようになる
- 3世紀のはじめに漢がほろび、魏・呉・蜀の三国が分立した。
- 5世紀には南朝と北朝に分かれた国が争いを繰り返した
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ゆみねこ
詳しいプロフィールを見る
青山学院大学教育学科卒業。TOEIC795点。2児の母。2019年の長女の高校受験時、訳あって塾には行かずに自宅学習のみで挑戦することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。志望校の特待生クラストップ10位内で合格を果たす。