小学校の歴史でならう弥生時代について、どんな時代なのか?縄文時代とのちがいは?なぜ弥生土器というのか?どうして米作りがはじまったことが大切なのか?
弥生時代のまとめを、漫画も使ってわかりやすく解説します。
縄文時代についてよく分からなかったらココを読もう!

弥生時代になると、人々はお米を作るようになって、また生活が変わるんだ。

その結果人々の暮らしは「どうなったか」を解説するよ。
目次【本記事の内容】
弥生時代
ココがピンとこない!
- 弥生時代になったら急に米を作りはじめたけど、なんで?
- 米を作りはじめたことって重要なの?
- 「弥生」ってなに?なんで弥生時代というの?
ではひとつずつ解説していくよ!
弥生時代のギモン
「なんでお米を作り始めたの?」
縄文時代の人々が「困っていた」こと
縄文時代の人々の食材はなんだったかな?






つまり、「自然」の中にあるものだよね。
ということは、「どのくらい食べられるか」は、自然次第(つまり、人間の力で変えることは難しいということ) だったんだ。
例えば、きびしい寒さがつづいてしまうと、自然にとれる木の実なんかも少ないし、動物や魚の数もへってしまうよね。
そうすると、あっという間に人々も食べる物がなくなって、こまってしまう生活だったんだ。



そんな中、神アイテム
「米」がやってくる!
そんなふうに困りきっていた縄文時代の人々のところへ、中国・朝鮮から「渡来人」がやってきたんだ。



(海を)渡って来た人のことだよ
大陸(ここでは、中国や朝鮮のこと)では、すでにお米を作っていたので、渡来人たちは「お米を育てる知識と技術」を持っていたんだ。


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だから米作りが時代の区切りになっている んだね。
- 縄文時代の食べ物は自然にとれるものなので、安定して食べられなかった!
- 大陸から渡来人がやってきて、お米の作り方を教えてくれた!
- お米なら自分たちで育てられるから、食生活が安定した(弥生時代スタート)!
弥生時代のギモン
米作りが始まったことって、そんなに重要?
お米がたくさんとれるように、チームで作ろう!
「安定して食べ物が手に入る!」と人々はよろこんで米作りに力を入れるようになった。
お腹いっぱい食べるには、できるだけたくさんお米がとれたほうがいいよね。
そのためには、「1人」とか「家族だけ」で米作りをするより、たくさんの人が集まって一緒に作ったほうが作業も効率的 (効率がいいこと)だね。
だって、みんなで協力すれば大きな水田が作れるし、水田が大きければ大きいほど、お米もたくさんとれるよね。
だから、米作りをはじめた弥生時代の人々は、集まって「むら」というグループを作って米作りを始めた んだ。
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チームをまとめるリーダーが必要だよね!
ちょっとここで「身近なこと」で想像してみよう。
たとえば学校でも、「チームで協力して活動する」ときってあるよね。
部活とか、委員会とか・・。
そのとき、「部長」とか「委員長」なんて「リーダー」を決めるよね?
だって、みんなをまとめたり指示してくれる人が必要になるからね。
昔の人もおんなじ。「みんなで協力して米作りをしよう!」となった結果、
みんなをまとめたり指示してくれる「リーダー(指導者)」が現れた んだ。
リーダーなんだから偉いんだ!(貧富の差)
そして「リーダー」というからには、
「おれはリーダーだぞ!」と、「えばる人」も出てくる。


「おれはリーダーだからちょっと米を多めにもらうぞ」とか、
「みんなより綺麗な服を着なきゃ!」とか考えるようになって、
とうとう「偉い」とか「貧富の差」というものが出来てしまった んだ。



- チームプレイでお米作りをするようになった
- チームをまとめる「リーダー」があらわれた
- リーダーが偉くなって、「貧富の差」が生まれた
- 貧富の差が出来るキッカケになった米作りって重要!!
弥生時代の疑問
ところで、なぜ「弥生時代」というの?
「縄文時代」は「縄文土器」を使っていた時代のことだったよね。
弥生時代もおなじ。
「弥生土器」を使っていた時代だから「弥生時代」という んだよ。
※最近は弥生土器を使っていたかどうかよりも「米作りが中心になった頃」を「弥生時代」とする考え方もあるよ。
では弥生土器はなんで「弥生土器」というのか?
それは、東京にある「弥生町」というところの貝塚で発見された土器だからなんだ。
- このころ使っていた土器が「弥生町」の貝塚で発見された!
- 弥生町で発見されたから、「弥生土器」と呼ぼう!
- 弥生土器を使っていた時代だから、「弥生時代」と呼ぼう!
6年生はここを押さえればOK!
まとめ
- 始まりは紀元前500年ほど
- 中国や朝鮮から米作りが伝わったことで、暮らしが安定した
- 米作りを伝えた人々を「渡来人」と呼ぶ
- 「むら」を作り、みんなで協力して暮らすようになった
- 米作りをまとめる指導者が現れた
- 貧富の差や上下関係が生まれた
- 弥生土器を使っていた



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