「国風文化(平安時代)」をわかりやすく解説
平安時代に生まれた国風文化ってどんな文化なのか?どうして生まれたのか?それによって何が変わったのか?
このページでは、平安時代に生まれた文化「国風文化」について解説するよ!
平安時代ってどんな時代か分からなかったら、まずココを読もう!
国風文化ってなに?
「日本っぽい」とか「フランスっぽい」とか伝えたいときって、なんて言う?
うーん・・
あっ「日本風」とか「フランス風」?
そうだね。
つまり、「国風」というのは「(自分たちの国)風」、つまり自分たちの国っぽいということだね。
自分たちの国は「日本」だから、つまり「日本っぽい」とか「日本ならでは」というイメージかな。
ということは、国風文化というのは、「日本ならではの文化」ということだね。
今まではどうだったの?
平安時代になってやっと「日本っぽい」って・・
あれ?それまではどうだったっけ?
飛鳥時代や奈良時代を思い出してみよう。
聖徳太子は、隋に使いを送って、中国の文化やルール作りを学んで、取り入れたよね。
聖武天皇も、唐の文化をみならって、仏教を日本で広めたり、外国の品物を集めたりしていたよね。
このように、今までは中国などの「大陸」から文化を取り入れていたんだ。
国風文化のきっかけ①
貴族「なんだか飽きてきたなぁ」
平安時代になって、藤原氏のように貴族が力をどんどんつけてきたよね。
貴族が力をつけてきたって?ピンとこない時はココを読んでね。
貴族たちは、荘園(自分たちの土地)を沢山持っていて、余裕のある暮らしだったから、「優雅で華やかな生活」をするようになったんだ。そんな中で、今までのような「大陸を参考にした文化」には飽きたなぁ、という雰囲気になってきたんだよ。
こうやって、
今までの大陸から学んだ文化
+
日本の風土ふうど(気候きこうや土地)に合った文化
↓
「日本オリジナルの文化」が新しく生まれていったんだ。
国風文化のきっかけ②
「遣唐使もうやめようよ」
平安時代、中国の唐はというと、唐の中で争いが起こって、どんどん国の力自体がなくなってしまっていったんだ。
今までは「なんとしてでも大国の唐のことを勉強し行かなきゃ!」と遣唐使を派遣していたけど、あまり無理をしてまで行く必要がなくなってきたんだ。
遣唐使なんてカンタンに言っても、実際この時代に日本から唐まで船で行くことはとってもとっても大変だったんだよ。
途中で遭難したり、嵐に巻き込まれたり、病気になってしまったり・・
241人で出発したのに、生き残って帰ってこれたのは5人だけなんて時もあったんだよ。
そこまでしていく必要がないところなのに、さらに命の危険があるとしたら、「行くのやめよう」ってなるよね。
こうして894年、菅原道真が朝廷に「もう遣唐使はやめましょう」と説得したことで、それ以降 遣唐使が派遣されることはなくなったんだ。
どうして菅原道真が?
菅原道真は894年に「遣唐大使」に任命(役を任されること)されたんだ。
でも、上のセリフのように「遣唐使なんてやめよう!」というハナシになって、結局遣唐使は「一旦ストップ」になったんだ。
そんなことしているうちに、907年には唐が滅びてしまったので、結局、遣唐使は「廃止(もうやめること)」ということになったんだよ。
なるほど。遣唐大使として唐に行くよう命令されて、「遣唐使はやめたほうが・・」と説得したワケなんだね。
・・・
もしかして行きたくなかったのかな(苦笑)
命がけのことなんだから、無理もないよね。
遣唐使が廃止されて、「大陸からの文化」が入ってこなくなって、なおさら「日本独自(オリジナル)の文化」が発展したんだね。
国風文化ってどんな文化なの?
家の形が日本オリジナルになった!
(寝殿造)
優雅な暮らしが好きだった貴族達の間で、「寝殿造」という家のデザインが流行ったんだ。
今までの「中国の文化を参考にした建物」との違いはカンタンに次のとおり。
- 土間(家の中で、地面のままのところ)ではなく、床を高く張った
- 屋根が「瓦」から「檜の皮」になった
- 柱などの木の部分は、「赤く塗る」のではなく「木の色のまま」になった
- 家の中に入るときはクツを脱ぐようになった
- ベッドではなく畳の上に寝るようになった
- 椅子ではなく床に座るようになった
- 壁などで囲まれたデザインをやめて、開放的なデザインにした
- 個室デザインから大部屋のデザインになった
クツを脱ぐとか、畳の上で寝たり座ったりとか、今でも同じだよね。
日本らしい「家のデザイン」ってこの「国風文化」のおかげでできていったんだね。
「かな文字」が発明された!!
日本には最初、「文字」がなかったよね。
うん。
だから邪馬台国のこととか、中国の本を参考にするしかなかったんだよね。
今は漢字はもちろん、カタカナも、ひらがなも使うようになったよね。
どうやってこれらが使われるようになったか順番に説明するよ。
①中国から漢字が伝わった
4世紀ごろになると、中国から漢字が伝わって、日本でも漢字が使われるようになったよ。
古墳時代の遺跡から見つかった鉄剣には「ワカタケル大王」の名前が漢字で彫られていたよね。
②漢字の文章にちょっと工夫をしてみた
でも、漢字は中国の文字なだけあって、「文章」になると中国の文法と日本の文法は違うから、そのままだと意味がよく分からない。
なので、漢文(漢字でかかれた文章)の時には漢字と漢字の間に意味が通じるようになる字を足してみたり、「この漢字と漢字はひっくり返すよ」なんて記号をつけ加えたりして工夫したんだ。(この工夫して読むやり方は、キミも中学の国語で習うようになるよ!)
③漢字の「音」で当て字をしてみた
記号で工夫してみたりしたけど、人の名前とか場所の名前を書く時には、さすがに「順番を入れ替える」とかいう問題ではなくて困ってしまった。
例えばさっきの
「ワカタケル大王」だけど、ワカタケル大王とは
「幼武天皇」のことなんだ。
でも、鉄剣には
「護加多支鹵大王」という漢字が彫られているね。
本当は「わかい=幼い」「たける=武」という意味の名前なのに、鉄剣にそのまま「幼武」と彫ってしまうと「ヨウム」とか「ヨウブ」とか読まれるかもしれないよね。※まだ「訓読み」という考え方はないからね。
そこで、「ワ」と読む「護」、「カ」と読む「加」、「タ」と読む「多」、「ケ」と読む「支」、そして「ル」と読む「鹵」を当て字にして「護加多支鹵」と彫ったんだね。
こうすることで、どんな日本の言葉でも、とにかく当て字にして表せるようになったんだ。
④ちょっと省略してみた
(カタカナ誕生!)
とにかく当て字で表せるようになったのはいいんだけど、ひと文字ひと文字当て字にしていると、すごい量の漢字になっていくよね。
「ワカタケル大王」だって
「護加多支鹵大王」って毎回書いてたらすごく大変そう。
とくに、この頃の「お坊さんの見習い学生達」がお経の勉強をするときに、「お経の読み方」をメモしていたんだけど、お経の本の余ったスペースにメモをするには「小さい文字しか書けない」し、「早く書く」必要があったんだ。
そんな時、ひと文字ひと文字漢字を書いていたら大変だよね。
なので、「とりあえず漢字の一部分だけでも省略して書いちゃえ!!」
となったんだね。
多という字は「タ」だけにしたり、「加」も「カ」だけにしたり・・
こうやってできたのが「カタカナ」だよ。
カタカナは、漢字で書くと「片仮名」なんだ。
「片」は「不完全」という意味なんだよ。
「仮名」はどういう意味??
もともとの中国で使われている漢字を「真名」と呼ぶんだけど、それに対して、漢字をもとにして日本でオリジナルに作られていった文字のことを「仮名」と呼ぶんだよ。
漢字をもとに作られた日本オリジナルの文字(仮名)で、省略されて書かれる(片=不完全)から「片仮名」なんだね。
⑤漢字を「くずしてみた」!
(ひらがな誕生!)
ひらがなも、カタカナと同じころに使われるようになってきたよ。
カタカナが「漢字の一部を省略してみた」のに比べて、ひらがなは「漢字の形をくずしてみた」んだ。
「くずす?」
ちょっと乱暴な言い方だけど、「キッチリ書かないで、テキトーに書いた」というイメージだよ。
「安」という漢字をくずして書くと「あ」になるよ。
「以」をくずすと「い」だね。
ひらがなは「平仮名」と書くよね。「平」は「カンタン」という意味だよ。
「以」よりも「い」の方が書くのはカンタンだよね。
「かな文字」というのは漢字で書くと「仮名文字」なんだ。
こうやってオリジナルに作った「仮名」の文字である「カタカナ」と「ひらがな」のことなんだよ。
物語や和歌など優れた文学作品が生まれた!
かな文字が発明されたことで、漢字だけだった頃よりも自由に文章が書けるようになったんだ。
日本の言葉をそのまま表せるし、カンタンに書けるしね。
特に、「ひらがな」のおかげで優れた文学作品がたくさん生まれたよ。
どうして「ひらがな」のおかげなの?
ひらがなは、「くずして」作られたから、なんと「文字同士をつなげて書く」なんてこともできたんだ。
さて、ここで問題。
「にわにはにわにわとりがいる」
この意味は分かる?
結構有名なクイズだから分かるかな?
「庭には2羽ニワトリがいる」という意味だね。
「にわには、にわ、にわとりがいる」だったらもう少し分かるよね。
でも「、」とか「。」の句読点は、明治時代に日本で使われるようになったんだ。
つまり平安時代にはまだ無かった。
日本語は英語とかと違って、言葉ごとにスペースをあけたりもしないよね。
だから、句読点がなくて全部ひらがなだったりカタカナだと「どこで区切っていいか分からない」んだ。
ここでポイントになるのが「ひらがなは文字をつなげられる」こと。
「単語ごと」や、「区切りたい言葉ごと」につなげて書けば、「区切る場所」が分かるんだ。
「区切る場所が分かる」ということは、「長ーい文章でも読みやすい」ということ!
ひらがなのおかげで、長い文章でもわかりやすく書くことができるようになったから、この頃に紫式部の「源氏物語」や清少納言の「枕草子」などが生まれたんだよ。
清少納言について、詳しく解説しているページもあるので、見てみてね。
日本がテーマの絵が登場!
絵画でも、「日本オリジナル」が生まれたよ。
それまでは、中国の「唐」から伝わった「唐絵」や、唐絵を参考に日本人が描いた中国風の絵が一般的だったんだ。
でも、遣唐使が廃止されて中国の文化が新しく入って来なくなった平安時代には、「日本の風景や暮らし」をテーマにした日本らしい絵が描かれるようになったよ。
「唐絵」に対して、「大和絵」と呼ばれるよ。
平安時代には「源氏物語」などの文学作品も生まれたよね。
この「源氏物語」の内容を表す絵を巻物にした「絵巻物」なんかも作られたよ。
6年生はココを抑えればOK!
「国風文化」まとめ
- 国風文化とは、「日本らしい」文化のこと
- 家の新しいデザイン「寝殿造り」が登場した
- 漢字をもとにしたオリジナル文字「カタカナ」と「ひらがな」が登場した
- カタカナやひらがなを合わせて「かな文字」という。
- かな文字のおかげで、優れた文学作品が作られる
- 紫式部が「源氏物語」を書く
- 清少納言が「枕草子」を書く
- 日本をテーマにした「大和絵」が描かれるようになる
運営者情報
ゆみねこ
詳しいプロフィールを見る
青山学院大学教育学科卒業。TOEIC795点。2児の母。2019年の長女の高校受験時、訳あって塾には行かずに自宅学習のみで挑戦することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。志望校の特待生クラストップ10位内で合格を果たす。
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自主学習(宿題)にいつもつかってます!
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2学期の復習中です。
めちゃわかりやすくて、愛用してます。 -
中学受験があるので、すごく助かります!夏休み中はこれ見て歴史の復習してます
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社会の授業でまとめるときに参考にさせていただきました!とても分かりやすかったです!
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ありがとうございます~
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ありがとうございました -
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面白いイラストもありわかりやすい。いくらでも見れる。これからもよろしくお願いします。
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わかりやすすぎ!
き