
邪馬台国って??
邪馬台国というのは、弥生時代に日本にあったと言われているクニだよ。
.png)
.png)
.png)
どこにあったのか、今でもナゾなんでしょ。
九州の北部にあったという説と、大和地方にあったとする説があるよね。
でも、どうして日本のことなのに分からないの??



だから、中国の歴史書に時々書いてある日本の様子を手掛かりにするしかないんだよ。
.png)
.png)
.png)
邪馬台国のことが書いてある中国の歴史書は?
2~3世紀の中国は、魏・呉・蜀という3つの国が中国内で対立して争っていた時代なんだ。
その時代のことを書いた歴史書は「三国志」というよ。
三国志は65巻もあって、その中に、魏についてかかれたものがあって、それを「魏志」というんだ。
その魏誌には、「東夷伝」といって「中国の東の方に住んでいる民族」について書かれた部分がある。さらにその中には「倭人の条」といって、倭人、つまり日本人について書かれた部分があるんだ。
.png)
.png)
.png)
魏志倭人伝には、なんて書かれているの?
魏志倭人伝に書いてある内容
倭では、男は幅の広い布を結び合わせて服にし、女は布の中央に穴をあけ、そこから頭を通して着物にしている。
稲をつくり、桑を植えて蚕を飼い、織物をつくっている。
(中略)
もとは男子を王としていたが、乱がおこり、戦いが何年も続いた。
人々は、一人の女子を王とした。
その名を卑弥呼といった。
卑弥呼は神につかえ、夫はなく、弟が助けて国を治めている。
1000人もの女の召使をおいている。
(中略)
卑弥呼が死ぬと、大きな墓がつくられ、100人余りの奴隷が一緒にうずめられた。
倭国の人々の服装や、暮らし方について書いてあるね。
さらに、もともとは男性が王だったけど、ずっと戦争が続いてしまったので、一人の女性を女王にしたと書いてある。



この女王が卑弥呼のことだね。
卑弥呼が女王になると、戦いは落ち着いたんだ。
魏志倭人伝には他にもたくさんのことが書いてあるよ。
邪馬台国の位置のことも書いてあるんだ。
.png)
.png)
.png)
じゃあ、邪馬台国の場所って分かってるんじゃないの?



だから九州説も、大和地方説もどちらも可能性があるんだよ。



卑弥呼ってどんな人?
卑弥呼は、「ト術」をする巫女だったと魏志倭人伝に書かれているよ。
.png)
.png)
.png)
なんで卜術というの?
中国では、亀の甲羅を使って占いがされていた。
亀のお腹側の甲羅のくぼみに、熱くした木や青銅を押し当てると、「ぼく」という音を立てて亀裂(ひび)が入るんだ。
その亀裂は、くぼみとあわさって「ト」のような形になるよ。
なので、「卜術」という字を使うし、読み方は「ぼく術」なんだ。
卑弥呼は、すぐれた呪術で人々からの信頼を得て、30あまりの国をまとめていたと魏志倭人伝には書かれているんだ。
卑弥呼と中国との関係は?
魏志倭人伝には、卑弥呼が魏に朝貢して、「親魏倭王」という称号とともに印や100枚の銅鏡などを与えられたと書かれているよ。



.png)
.png)
.png)
弥生時代の学習ページでも解説したように、このころの中国は大国で、まわりの国は「中国に認めてもらう」というのがひとつのステータスのようなものだったんだ。
卑弥呼も、中国の皇帝から認められることで、王としての権威をアピールできると考えていたんだろうね。
卑弥呼が死んでしまったあとは?
卑弥呼ひきいる邪馬台国は、邪馬台国の南にある「狗奴国」と戦争をしていたんだ。そして247年ごろ、卑弥呼は死んでしまったと魏志倭人伝には書いてあるよ。
.png)
.png)
.png)
狗奴国との戦いが原因?



さらに奴隷が100人一緒に埋められたんだよ。
卑弥呼が死んでしまったあとは、また男性が王になったんだけど、また邪馬台国連合は争って乱れるようになってしまったんだ。
そこで卑弥呼の一族である「壱与」という少女に女王になってもらったら、また争いはおさまったと魏志倭人伝には書かれているよ。
※壱与の字は、説によって色々違う漢字が使われているよ。
その後も、266年に中国の「晋(三国時代が終わって新しくできた国)」に倭の女王が使者をおくったと書かれているんだけど、これは壱与ではないかといわれているよ。



なぜなら、この期間、日本から中国の皇帝に朝貢をする人がいなかったから、中国も特に日本のことを記録することがなかったから、と言われているよ。


だから、この期間、日本では何があったかはナゾに包まれているんだ。
.png)
.png)
.png)
いつか本当のことが解明される時がくるといいね。





中学歴史ではココを押さえればOK!
邪馬台国まとめ
- 邪馬台国は、弥生時代に日本にあったとされるクニの名前
- 邪馬台国の女王は卑弥呼
- 中国の歴史書「魏志倭人伝」に邪馬台国と卑弥呼のことは書かれている
- 卑弥呼は、ト術で人々を統率していた
- 卑弥呼は30あまりのクニを従えていた
- 邪馬台国のあった場所は、九州だという説と大和地方だという説がある
- 239年に卑弥呼は魏に使いを送った
- 卑弥呼は魏の皇帝に認められ、「親魏倭王」の称号をもらった
- 卑弥呼は魏の皇帝から金印と銅鏡をもらった
- 卑弥呼は247前後に亡くなった
- 卑弥呼のお墓は直径100歩の大きなお墓が作られた
- 卑弥呼のあとは壱与という女王がひきついだ



コメント