「豪族」や「くに」、「王」の登場について分からなかったらココを読もう!

それから豪族や王は、「古墳」というものを作り始めるようになったんだ。
古墳がたくさん作られた時代を「古墳時代」と呼ぶよ。

- 古墳って何のためのものなの?
- 大和朝廷ってどこから出てきたの?
- 大和朝廷ってどんなことをしたの??
それでは早速解説していくよ!
古墳って一体何??
何のために作ったの?
力をもった豪族たちの間で古墳作りがブームになった!
弥生時代後半に、たくさんの「むら」を従えて力をもった豪族たち。
3世紀後半くらいになると、そんな豪族たちの間で「自分たちの権力をアピールするため」に古墳作りがブームになった よ。
古墳というのは、「お墓」のこと。
つまり豪族たちは自分の力をアピールするために、大きくて立派なお墓を作らせたんだ。



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すぐれた技術者の指導も必要だし、たくさんの人の働きが必要なんだ。
ということは、誰でも作れるものではないよね。
そんな古墳を作ることができて、しかもその古墳が大きければ大きいほど、立派であれば立派であるほど
「スッゴクすぐれた技術者を働かせられる」とか、「スッゴクたくさんの人を働かせられる」ということの証明になるからね。
たとえば、君もエジプトのピラミッドのことを
「すごいなぁ」って思わない?
でも、なんと古墳はピラミッドよりも大きいんだ。
作るのには平均15年8ヶ月ほどかかるし、必要な人手は687万人。費用なんて今の価値で考えると796億円かかるんだ!



「いかに自分が偉かったか」をこの世に残しておきたい、と考える豪族たちの間で古墳づくりがブームになるのも分かる気がするね。
日本最大の古墳は大阪府堺市にある
大仙古墳だよ。
古墳の形(デザイン)は色々あるんだけど、大きくて立派なのはほとんど「前方後円墳」なんだ。もちろん大仙古墳もそう。なぜ「前方後円墳」が多いかは、あとでも説明するね。
前方後円墳は、「前の方が方形(四角)で、後ろのほうが円(丸)」な形をした古墳ということだよ。
上から見るとカギ穴のような形なんだ。
余裕があったら読んでみよう!
前方後円墳は、どうしてあんな形なの?
前方後円墳は、鳥が羽ばたいている様子の形(亡くなった人が天に昇っていく様子)とか、男性を表す三角と女性を表す丸を合わせた(男性と女性を合わせることで、またこの世に生まれてこれるように)とかの説がある。
その他にも「天円地方」という考え方があって、「天は丸く、地上は四角」という意味なんだけど、亡くなった人は神になるから天の丸い方へおさめられて、地上に残った人々が四角い方で亡くなった方を祀るからだと言われている。
実際、お墓部分は丸い方で、祭壇が四角い方なので、この説はけっこうしっくりくるかもしれないね。
古墳に亡くなった人と一緒に入れられたのは?
はにわとか・・死者をなぐさめるため
かんむりなど・・いかにお金があったか、偉かったかを示すため
ほかにも、古墳時代前期には勾玉が一緒に入れられたよ。
これは、呪術や宗教的な意味があるんだ。
古墳時代後期には、兜や太刀(日本の刀のこと)がおさめられた。これは軍事力や権力を表しているんだ。
※大王は古墳時代前期は「司祭者(お祭りや儀式を司る人のこと)」だったのにたいして、時代が進むと「軍事指揮者」(戦いなどを指揮する人)になり、後期では「政治指導者(政治などを指導する人)」の立場だったと言われているよ。
- 力をもった豪族たちが、自分たちの力をアピールするために古墳を作るようになった!
- 古墳にはデザインがあって、前方が四角で後ろが円(丸)のデザインのものを「前方後円墳」と呼ぶ!
- 日本で一番大きい古墳は、大阪にある「大山古墳」
大和朝廷って一体どこから出てきたの!?
大和朝廷が出来るキッカケ
「2つの地域に強い豪族が集まった」
日本の色々な地方で、それぞれ力をもった豪族が誕生したわけだけど、
3世紀の終わりから4世紀ごろ、その中でも「特に大きな力を持った」豪族が集まった地域が2つあるんだ。
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この2つの地域に、特に強い勢力の豪族たちが集中していたんだ。



古墳は日本各地にたくさんあるけれど、あきらかに大和と河内には大きくて立派な古墳が集中しているんだ。
「大きくて立派な古墳が集まっている」ということはつまり、この地域に「勢力の強い豪族」が集まっていたということだね。
2つの地域の強い豪族たちが一緒になって政府を作った
その大和と河内の強い豪族たちが、連合(2つ以上の豪族がひとつにまとまって組織をつくること)して「政府」を作った んだ。


この政府が「大和朝廷(大和政権)」なんだよ。



邪馬台国はどうしちゃったの?中国の皇帝にも認められるほどの「くに」だったのに。



(なぜならその間、日本から中国に貢物(プレゼントのこと)を贈る人がいなかったから!)








邪馬台国がどうなってしまったのか、いつから大和朝廷が出来たのかなどは分かっていないんだ。
※邪馬台国が大和朝廷になったのでは?という説もあるよ。
ナゾはさておき、6年生の社会では「大和朝廷」が誕生したことが分かればOK。
そして大和朝廷には、やはり「一番偉い人」がいて、大王と呼ばれていたよ。
なんとこの「大王」は、今でいう「天皇」のことだよ。





日本の天皇家の歴史は少なくとも※1500年以上続く、世界最長の王家なんだ。しかも、万世一系(永久にひとつの系統が続くこと)を貫いている世界唯一の王家なんだよ。
※実在していた(本当にいた)とされているのは、26代目の天皇からで、そこから数えても1500年以上になるんだ。
もしも「神武天皇」から実在していたとすると、なんと2600年以上続いていることになるよ。



前方後円墳は、大和朝廷があった証拠!
「大きな古墳ほど、前方後円墳が多い」と説明したよね。
「大和朝廷があった」という証拠のひとつが「古墳のデザイン」。
豪族の間で古墳づくりがブームになった最初のころは、みんな好きなデザインで自由に作っていたんだけど、
大和朝廷が誕生したころから、古墳のデザインが「前方後円墳」中心になったんだ。
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だから、偉い人のお墓=「大きくて立派な古墳」ほど、「前方後円墳」が多くなる、というワケだね。
- 大和地方と河内地方に、特に強い力をもった豪族が集まっていた!
- 2つの地域の豪族が連合して、政府を作ったのが「大和朝廷」。
- 大和朝廷のリーダーは「大王」で、現在の天皇のことだった!
大和朝廷はその後どんなことをしたの?
大和朝廷は、日本を統一しようとした!
大和朝廷は、大王を中心にして日本の国土を統一しようとしたよ。



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つまり、熊本がある九州から、埼玉がある関東まで大和朝廷が制覇していた証拠なんだ。



★熊本県で発見されたのは「鉄刀」で、埼玉県で発見されたのは「鉄剣」だということ
★大和朝廷の大王だった人物の名前は「ワカタケル」だということ
この2つが期末テストに出た学校があるよ!



なんでそんなに強かったの?



すぐれた建築・土木工事の技術は古墳作りに役立ったし、
焼き物技術を取り入れて埴輪などをはじめ、もっと丈夫で使いやすい食器なども作れたし、
青銅や鉄を使った道具作りの技術は、強い武器をつくったり、米作りに便利な農具(農業で使う道具のこと)をつくったり。
漢字と仏教もこの頃に日本に伝わったと言われているよ。
大和朝廷は、こんなすぐれた技術を持った渡来人を重要な役目につけて、サポートしてもらいながら勢力を強めていったんだ。
・熊本県と埼玉県で、「ワカタケル」という同じ名前が記された鉄剣が見つかった
・大和政権は優れた技術を持った「渡来人」にサポートしてもらいながら統一をすすめた
統一されて、日本はどうなったの?






それを「ひとつにまとめた」んだね。
大和朝廷は、統一によって組み込んだ(ひとまとめにした)「くに」の「王」や豪族たちにも、ちゃんと権力を残してあげたんだ。
たとえば、各地でそれぞれが古墳を作ったりすることも認めていたんだよ。
バラバラだった力がひとつにまとまって大きな政府になることで、中国や朝鮮に対等にやりあう力を得ることができるよね。
これは後々、「日本」というひとつの「国」が生まれる大切なターニングポイントだったんだ。
さらにこのあたりから、「自分たちの歩みを残しておこう」と、歴史や神話も記されたよ。
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- 大和朝廷は、九州から関東までを統一した!
- 大和朝廷が統一していたことが分かったのは、熊本と埼玉の遺跡から「ワカタケル」という同じ名前の鉄剣が見つかったから!
- 大和朝廷は日本を統一するのに、優れた技術をもった渡来人にサポートしてもらった!
6年生はここを押さえればOK!
まとめ
- 豪族は自分のちからを誇示するため古墳を作った
- 日本最大の古墳は「仁徳天皇」のお墓である大仙古墳(大阪府)
- 前方後円墳とは、前が四角、後ろが丸のデザインの古墳
- 4世紀ごろ大和と河内の豪族たちが連合して大和朝廷という政府を作った
- 大和朝廷の王は大王と呼ばれ、後の天皇である
- 古墳作りには優れた技術者やたくさんの人の働きが必要
- 大和朝廷は渡来人の技術や文化を取り入れて、力を強めた
- 5世紀頃には大和朝廷は九州地方から関東地方までのくにを従え、国土統一を進めた






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