社会6

元号一覧「元号の由来と改元の理由」まで わかりやすい【完全版まとめ】

飛鳥時代

元号 期間 改元の理由と由来 主な出来事
大化たいか
皇極こうぎょく天皇)
645年6月19日〜
650年
中大兄皇子なかのおおえのおうじ中臣鎌足なかとみのかまたりが、天皇を中心とする政治を目指して、力を持ちすぎた豪族の蘇我氏を倒した(乙巳いっしの変)。それにより新政府が誕生し、元号を定めることになった。
初めて定められた元号が「大化」。
書経しょきょう」の「ゆえに我大いに我が友邦ゆうほうの君を化誘かゆう(正しい道へ教えて導くこと)す」がもとになったという説があるが、確かではない。
大化改新たいかのかいしん(645年)
改新の詔(646年)
白雉はくち
孝徳こうとく天皇)
650年2月15日〜
654年
白雉とは、白いキジ(鳥の種類)のこと。穴戸(今の山口県)の国司(地方の国のリーダー的な役職の人のこと)が白いキジを献上(プレゼントすること)したときに、「これはとてもめでたい」と「白雉」に改元をした。白雉ではなく、白鳳という説もある。
白雉のあと、次の朱鳥まで32年間元号がなかった期間がある。理由は不明。
朱鳥しゅちょう
天武てんむ天皇)
686年7月20日〜 天武天皇が病気にかかってしまい、元号を改めれば病気が治るのではと考えられた。
しかし約1ヶ月の686年10月1日(朱鳥元年9月9日)に、天武天皇は亡くなってしまう。
朱鳥は中国の「四神ししん」のひとつ。「良いことが起こる前ぶれ」を表す鳥だったからという説がある。
朱鳥は1ヶ月間だけで、このあと大宝が定められるまで14年間元号が無かった。理由は不明。
大宝たいほう
文武もんむ天皇)
701年3月21日〜
704年
対馬から朝廷に金が献上(プレゼント)され、「金が採れた!」ということをお祝いするため改元された。
しかし、実際は対馬で採れたのではなく、朝鮮から持ち帰った金を対馬で採れたとごまかしたという説もある。
「たいほう」と読むほかに、「だいほう」と読む場合もある。
大宝律令たいほうりつりょう(701年)
慶雲きょううん
(文武天皇)
704年5月10日〜
708年
慶雲きょううんとは、おめでたいことが起こる前兆を表す雲のこと。この雲が現れたので、改元した。
慶雲を発見した人は大出世した。
改元に合わせて、神馬(神様が乗る馬のこと)を朝廷に献上(プレゼントすること)した郡は、税金が免除(払わなくていいということ)された。

奈良時代

元号 期間 改元の理由と由来 主な出来事
和銅わどう
元明げんめい天皇)
708年1月11日〜
715年
武蔵(今の東京・埼玉・神奈川)が朝廷に銅を献上(プレゼントすること)したので、貨幣を作りたいと考えていた天皇が喜んで改元した。
このとき作られた貨幣が「和同開珎わどうかいちん」。この「和同」は、「呂氏春秋りょししんじゅう」にある一文の「天地和同てんちわどう」が由来という説がある。「和同」とは、人々が納得するという意味がある。
和同開珎わどうかいちん(708年)
平城京へ遷都せんと(710年)
古事記こじき(712年)風土記ふどき編纂へんさんの命令(713年)
霊亀れいき
元正げんしょう天皇)
715年9月2日〜
717年
朝廷に霊亀が献上(プレゼントすること)されたので改元した。
霊亀とは、中国の神話に出てくる神の力をもった亀のこと。
実際に献上された亀は長さ21センチで、左目は白、右目は赤のめずらしい亀だったといわれている。
養老ようろう
元正げんしょう天皇)
717年11月17日〜
724年
元正天皇が出かけた途中、養老山地ようろうさんち多度山たどやまに「若返りの泉」を発見したのを喜んで改元した。
改元のときには、罪をおかした人の刑罰を少なくしてあげたり、お年寄りに位やお祝いの品を与えたり、病気の人を助けたり税をなくしてあげるようにした。
日本書紀にほんしょき(720年)
神亀じんぎ
聖武しょうむ天皇)
724年2月4日〜
729年
聖武天皇が天皇に即位したため改元。
由来は、改元する前の年に献上(プレゼントすること)された亀の両眼が赤く、姿が白かったことから、神亀になった。
神亀とは、中国の占いで「良いことが起こる」ことを表す亀のひとつ。
長屋王ながやおうの変
(729年)
天平
(聖武天皇)
729年8月5日〜
749年
貴族の藤原麻呂が、亀を献上(プレゼントすること)したことをキッカケに改元。
亀の背中には「天皇の世の中は貴く、百年平和に続く」と書かれていた、その文から、天皇の「天」、平和の「平」が元号の由来と言われている。
藤原広嗣ふじわらひろつぐらん(740年)
墾田永年私財法こんでんえいねんしざいのほう(743年)
天平地震てんぴょうじしん(745年)

天平文化が栄える
天平感宝てんぴょうかんぽう
(聖武天皇)
749年4月14日〜 3ヶ月の期間しかなかった元号。
初めての4文字。
大仏を作りたいと考えていた聖武天皇だが、材料である金が足りなくて困っていたところに、陸奥(青森・岩手・宮城・福島・秋田)から黄金が献上(プレゼントすること)されたのを喜んで改元。
「天平」に「感宝」を加えて作った元号。
聖武天皇しょうむてんのう譲位じょうい(749年)
天平勝宝てんぴょうしょうほう
孝謙こうけん天皇)
749年7月2日〜
757年
聖武天皇が譲位(天皇の位を譲ること)して、聖武天皇の娘である阿部内親王あべないしんのうが即位して孝謙天皇になったため改元した。
天平→天平感宝→天平勝宝と、同じ年に2ど改元したのは日本の歴史上このとき以外にはない。「勝宝」の由来は不明。
大仏開眼供養だいぶつかいげんくよう(752年)
鑑真がんじんが来日(753年)
天平宝字てんぴょうほうじ
淳仁じゅんにん天皇)
757年8月18日〜
765年
聖武天皇が亡くなり、1周忌法要しゅうきほうようの最後の日に、かいこが産んだ卵が「天皇の治める世の中は、100年安泰あんたい(安全で、危険がないこと)だろう」と読める形になっていたものが献上(プレゼントすること)されていたのがキッカケで改元された。
改元のときには、罪をおかしたひとの刑罰を少なくしたり、国民の税を減らしたりした。
藤原仲麻呂ふじわらのなかまろの乱(764年)
天平神護てんぴょうじんご称徳しょうとく天皇) 765年1月7日〜
767年
孝謙天皇が、淳仁天皇を廃位(天皇ではんくさせること)させて、また称徳天皇として即位したのをキッカケに改元したと言われているが、詳しいことは分からない。
藤原仲麻呂ふじわらのなかまろの乱を無事におさえることが出来たのは「神様が護ってくれたから」という意味を込めて「神護」が使われたと言われている。
神護景雲じんごけいうん
(称徳天皇)
767年8月16日〜
770年
おめでたいことが起こる前兆を表すという雲「景雲」が発見されたのを喜んで改元。
雲は三河(愛知)と伊勢(三重)で発見され、同じ頃に天皇自身も目撃していた。
改元のときには、罪をおかしたひとの刑罰をすくなくしたり、国民のぜいを減らしたりした。
宝亀ほうき
光仁こうにん天皇)
770年10月1日〜
781年
光仁天皇が即位するときに、白い亀が献上(プレゼントすること)されたことから
「宝亀」と改元された。
改元のときには、罪をおかしたひとの刑罰を少なくしたり、朝廷に仕えていた役人に新しい位を与えたり、出家した人にお祝いの品物をあげたり、お年寄りや生活に困っているひとを援助した。
ここからはまた2文字の元号が使われるようになった。
宝亀の乱(780年)
天応てんおう(光仁天皇) 781年1月1日〜
782年
伊勢神宮の宮殿に、美しい雲が現れたことを「良いことが起こりそう」考えて改元した。
1月1日に改元されたのはこの元号のみ。
ほかには、781年4月に桓武天皇が即位するために改元していたという説もある。
元号の由来は「易経えききょう」の一文「天に従いて人に応ず」がもとになっているという説がある。

平安時代

元号 期間 改元の理由と由来 主な出来事
延暦えんりゃく
桓武かんむ天皇)
782年8月19日~
806年
桓武天皇が即位したため改元。
「群書治要」の「民徳政を詠ずれば、即ち期を延ばし歴(暦)を過ぐ」が由来という説がある。
滋賀県にある延暦寺はこの元号からつけられた名前。
長岡京ながおかきょう遷都せんと
(784年)
平安京へいあんきょうへ遷都
(794年)
坂上田村麻呂さかのうえたむらまろ征夷大将軍せいいたいしょうぐんになる(797年)
大同だいどう
平城へいぜい天皇)
806年5月18日~
810年
   平生太上天皇の変
(薬子の変)(810年)
弘仁こうにん
嵯峨さが天皇)
810年9月19日~
824年
  弘仁地震(818年)
天長てんちょう
淳和じゅんな天皇)
824年1月5日~
834年
   
承和じょうわ
仁明にんみょう天皇)
834年1月3日~
848年
  承和の変(842年)
 嘉祥かじょう
(仁明天皇)
     長年大宝ちょうねんたいほう発行
(848年)
 仁寿にんじゅ
文徳もんとく天皇)
851年4月28日~
854年 
   
 斉衡さいこう
(文徳天皇)
854年11月30日~
857年 
   
 天安てんあん
(文徳天皇)
 857年2月21日~
859年
   
 貞観じょうがん
清和せいわ天皇)
 859年4月15日~
877年
 清和天皇が即位したことにより改元。
易経えききょう」の「天地の道はじょうにしてしめすものなり」がもとになっているという説がある。
 貞観地震(869年)
貞観客式(法令)
応天門の変(866年)
 元慶がんぎょう
陽成ようぜい天皇)
 877年4月16日~
885年
   
 仁和にんな
光孝こうこう天皇)
 885年2月21日~
889年
   仁和地震(887年)
 寛平かんべい
宇多うだ天皇)
889年4月27日~
898年 
   寛平の治
遣唐使廃止(894年)
 昌泰しょうたい
醍醐だいご天皇)
898年4月26日~
901年 
   
 延喜えんぎ
(醍醐天皇)
901年7月15日~
923年 
   延喜・天暦の治
延喜えんぎ荘園整理令しょうえんせいりれい
(902年)
古今和歌集こきんわかしゅう編纂へんさん
(905年)
延喜通宝の発行(907年)
延長えんちょう
(醍醐天皇)
923年4月11日~
931年 
   清涼殿に落雷(930年)
 承平じょうへい
朱雀すざく天皇)
931年4月26日~
938年 
   平将門の乱(935年)
土佐日記
 天慶てんぎょう
(朱雀天皇]
 938年5月22日~
947年
   藤原純友の乱(939年)
 天暦てんりゃく
村上むらかみ天皇)
 947年4月22日~
957年
   
 天徳てんとく
(村上天皇)
 957年10月27日~
961年
   乾元大宝発行(958年)
 応和おうわ
(村上天皇)
 961年2月16日~
964年
   
 康保こうほう
(村上天皇)
 964年7月10日~
968年
   
 安和あんわ
冷泉れいぜい天皇)
968年8月13日~
970年 
「あんな」と読む場合もある。  安和の変(969年)
 天禄てんろく
円融えんゆう天皇)
 970年3月25日~
974年
   
 天延てんえん
(円融天皇)
 974年12月20日~
976年
   
 貞元じょうげん
(円融天皇)
 976年7月13日~
978年
   
 天元てんげん
(円融天皇)
978年11月29日~
983年 
   
 永観えいかん
(円融天皇)
983年4月15日~
985年 
   
 寛和かんわ
花山かざん天皇)
985年4月27日~
987年 
 「かんな」と読む場合もある。  
 永延えいえん
一条いちじょう天皇)
987年4月5日~
989年 
   
 永祚えいそ
(一条天皇)
989年8月8日~
990年 
 ハレー彗星が現れたり、地震が起こったので、「災い」を取り払うために改元。
この頃の彗星は「ほうき星」と呼ばれて、大な災害が起こる前触れとして不吉とされていた。
彗星を理由に改元したのはこれが初めて。
「詩経」の「君子は万年、胤を錫う」が由来という説がある。
 
 正暦しょうりゃく
(一条天皇)
990年11月7日~
995年 
   
 長徳ちょうとく
(一条天皇)
995年2月22日~
999年 
疫病が流行したため改元。
改元しても疫病はおさまるどころか全国まで広がってしまったので、「長毒」だと皮肉されることがあった。
中国の学者である楊雄の書いた文章「唐虞とうぐ長徳にして、四海永延壊す」から。
唐虞とは、中国の伝説上の聖天子である陶唐氏と有虞氏をあわせて呼ぶ時の呼び方。
 長徳の変
 長保ちょうほう
(一条天皇)
999年1月13日~
1004年 
 長徳に流行した疫病えきびょうや、日照りが続いて不作(作物が育たないこと)のために改元。「国語」の「ほどこあまねくして民あつからば、すなわちもって長く民をたもつべし」と、「易経えききょう」から引用している(易経のどの部分かは不明)。「全ての人に恵みを与えることができれば、長く人民を治めることができる」という意味。
改元のときには、罪をおかした人の刑罰が軽くされた。
 
 寛弘かんこう
(一条天皇)
1004年7月20日~
1013年 
 地震によって改元。「漢書」の寛弘にして下に尽くせることは、恭倹きょうけんよりいでたり。」から引用。寛弘とは、心や度量が広いこと。恭倹とは、自分はつつましく、人にはうやうやしくすること。
はじめ、「寛仁かんにん」に決定されたが、一条天皇の本名である「懐仁やすひと」と「仁」の字が被ってしまうので変えられた。
 平安京内裏が火事により焼けて無くなる(1005年頃)
紫式部「源氏物語」
 長和ちょうわ
三条天皇さんじょうてんのう
 1013年12月25日~1017年  三条天皇の即位にあわせて改元。
礼記らいき」の「君臣正しく、父子親しく、長幼和し、しこうして後に礼立つ」から引用。
意味は「身分や年齢をわきまえることで、初めて礼儀が成り立つ」ということ。
藤原道長が後一条天皇の摂政になる(1016年) 
 寛仁かんにん
後一条天皇ごいちじょうてんのう
1017年4月23日~1021年   後一条天皇の即位にあわせて改元。
会稽記かいけいき」「書経しょきょう」のほか、「漢書」の「寛仁愛人、意豁如かつじょなり」から。意味は「寛仁(心が広いこと)にして人を愛し、心が大きく小さなことにとらわれない」ということ。
 藤原道長が「望月もちづきの歌」を詠む(1018年)
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       

 

鎌倉時代

元号 期間 改元の理由と由来 主な出来事
文治ぶんじ
後鳥羽ごとば天皇)
1185年8月14日~
1190年
百錬抄ひゃくれんしょう」には火災と地震が起きたため改元したとある。他にも「争いや乱が起きたため」とあるものも。
「文治」のほかに「建久けんきゅう」という案もあったが、後鳥羽天皇が「文治」が良いと考えたため選ばれた。
礼記らいき」の「文王は文によって国を治めた」という一文が由来。
意味は「文王ぶんおう(古代中国の伝説になっている王のこと)は武力に頼らず、文化や学問によって国を治める」というもの。
守護・地頭が置かれる
(1185年)

室町時代

元号 期間 改元の理由と由来 主な出来事
建武
(後醍醐天皇)
1334年1月29日~
1338年
建武の新政

江戸時代

元号 期間 改元の理由と由来 主な出来事
yumineko
yumineko
明治からは、「一世一元制いっせいいちげんせい」となり、1代の天皇に1つだけの元号を定めることになったよ。

【提案者】
岩倉具視いわくらともみ

【理由】
①改元するには、元号のそのものや、使われる字などについて たくさん議論する必要があり、時間がもったいないということ
②中国の清では、1代の天皇に1つの元号としていることを参考にした
③1代の天皇に1つの元号のほうが、国民にとっても分かりやすく、長く同じ元号を使うので、親しみをもちやすくなる。

明治

1868年9月8日~1912年
天皇:明治天皇(睦仁むつひと

改元の理由

明治天皇が即位したため改元。

由来

「易経」の一文
「聖人南面して天下を聴き、明に嚮いて治む」から。
「理想的な徳をもつ人は南の方を向いて※天下の人々の声をよく聴き、明るい方向に向かって世の中を治める」という意味。
※南を向くというのは、古代中国では天子(日本での天皇のイメージ)は南の方を向いて臣下と対面していたから。

明治政府の中心だった松平春嶽が2~3つの元号の案を出し、その中から天皇が「くじ引き」をして明治に決定した。

主な出来事
1869年 版籍奉還
1871年 廃藩置県
1874年 民選議員設立の建白書
1876年 日朝修好条規
1877年 西南戦争

大正

1912年7月30日~1926年
天皇:大正天皇(嘉仁よしひと

改元の理由

1912年に明治天皇が崩御し、皇室典範によって大正天皇が即位したため。

由来

「易経」の一文
いに亨りて以てしきは天の道なり」から。
「あらゆる物事が大いにうまくいき、正しく行われることが天の道理である」という意味。

当時首相をつとめていた西園寺公望が「大正」「天興」「興化」の3つの案を出し、その中から「大正」が選ばれた。

また、明治天皇から「天皇が亡くなると、その天皇の在位中の元号を追号ついごう(亡くなった天皇に対して贈られる称号のこと)として贈る」ようになった。
それまでは、その天皇の特徴にちなんだ言葉や、住んでいた院の名前などが付けられていた。

主な出来事
1914年 第一次世界大戦
1917年 米騒動
シベリア出兵
1919年 国際連盟に常任理事国として加盟
1923年 関東大震災
1925年 普通選挙法

 昭和

1926年12月25日~1989年
天皇:昭和天皇(裕仁ひろひと

改元の理由

1926年12月25日に大正天皇が崩御したため改元。

由来

書経しょきょう」の一文
百姓ひゃくせい明にして、万邦ばんぽうを協す」から。
「国民が明るく輝き、あらゆる国々が互いに調和する」という意味。

主な出来事
1931年 満州事変
1932年 五・一五事件
1933年 国際連盟脱退
1936年 二・二六事件
1937年 日中戦争
1940年 日独伊三国同盟
1941年 日ソ中立条約
太平洋戦争
1945年 広島原爆投下
長崎原爆投下
ポツダム宣言受諾(終戦)
1946年 日本国憲法公布
1951年 サンフランシスコ平和条約
日米安全保障条約
1956年 日ソ共同宣言
国際連合に加盟
1960年 日米新安全保障条約
1972年 沖縄が日本に復帰
日中国交正常化
1973年 石油危機
1978年 日中平和友好条約

平成

1989年1月8日〜2019年4月30日
天皇:上皇明仁あきひと

改元の理由

1989年1月7日に昭和天皇が崩御ほうぎょし、皇太子だった明仁親王あきひとしんのうが即位した。
皇位継承こういけいしょうをうけて、元号法げんごうほうに基づき改元。
法律によって改元されたのは日本史上はじめて。

小渕恵三おぶちけいぞう官房長官が新元号を公表した。

由来

「史記」の一文「内平かに外成る」
「書経」の一文「地平かに天成る」
「国の内外(中も外も)、天地とも平和になる」という意味。

東京大学名誉教授の山本達郎氏が提案した。

他にも「正化」「修文」の候補があった。
その中で「平成」が採用されたのは、「明治・大正・昭和」をアルファベットの頭文字で表したときに、「M・T・S」となるので、「正化」と「修文」では「S」がかぶってしまって見分けづらい、という理由もあった。

主な出来事
1989年 消費税導入(3パーセント)
1995年 阪神・淡路大震災
2002年 日朝首脳会談(拉致被害者5名帰国)
2003年 自衛隊イラク派遣
2011年 東日本大震災

令和

2019年5月1日〜
天皇:今上きんじょう天皇(徳仁なるひと天皇)

改元の理由

2016年8月8日に当時の天皇陛下(明仁天皇)が譲位(天皇の位を譲ること)することを発表され、改元の準備がされた。
あらかじめ新天皇の即位と改元を2019年5月1日に行うと決め、新元号の発表もその1ヶ月前に行うことが発表された。
新元号を先に発表するのは、コンピューターや書類などの変更手続きの時間を確保するため。

菅義偉すがよしひで官房長官が新元号を公表した。

由来

「万葉集」の中の、梅花の歌三十二首 あわせて序より。

【原文】
時に、初春の月にして、気淑く風らぐ。梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす。

【意味】
時に、初春の正月の令き月(おめでたい月のこと)にして、気候は快く、風はおだやかだ。梅は鏡の前の「おしろい」のように白く花開いて、蘭は香り袋のように香っている。

人々が美しく心を寄せ合う中で文かが生まれ育つ」という意味が込められている。

「万葉集」は、天皇や貴族はもちろん、庶民(一般の人のこと)の作品までおさめられた和歌集。初めて日本で書かれた書物から元号が選ばれた。

主な出来事
2019年10月 消費税10パーセント
沖縄県首里城火災
2020年4月 新型コロナによる緊急事態宣言
yumineko
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随時更新します

 

ABOUT ME
yumineko
2児の母。2019年の長女の高校受験時、訳あって塾には行かずに自宅学習のみで挑戦することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。 志望校にトップ10位内で合格を果たす。 勉強をみるにあたって感じたのは、教科書の説明には子供には分かりづらい部分が多く、子供にイメージしやすく噛み砕いて説明するのがとても有効だということ。 同じように教科書の内容が分かりづらいと感じている子供たちの ヒントになれば、との思いで「教科書を分かりやすく通訳するサイト」創設。

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