社会6

歴史を漫画で学習しよう!武家政権のはじまり「鎌倉幕府」シンプルな漫画と説明でサクッと読める!

源平の戦いで勝った源頼朝は、鎌倉に新しい政府を作ったよね。

yumineko
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源平の戦いって?
源頼朝はどうして勝ったの?とピンと来なかったら、ココを読もう!

これを「鎌倉幕府(かまくらばくふ)」と呼ぶよ。
いよいよ、日本の歴史ではじめての「武家による政治」が始まるよ。

yumineko
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このページでは、鎌倉幕府がどうやって誕生したかを詳しく解説するよ!

そもそも、政治って?朝廷って?幕府って?

鎌倉幕府が開かれて、武家による政治がはじまったんだよね。
ということは、「朝廷」はなくなっちゃったの??
くまごろう
くまごろう
いや。
鎌倉幕府がひらかれた後も、朝廷はちゃんとあるよ
・・・あれ?
鎌倉幕府ができたのに、朝廷もあるの?
それって政治をするところが2つもあるということ・・?

なんだかよく分からなくなってきたよ。

くまごろう
くまごろう
そうだよね。
ちょっとここで、キホンをおさらいしてみよう

政治とは?

政治というのは、カンタンにいうと、国とか県、市のようにまとまった団体が、「これからどうするか」とか、「どんなルールにするか」とか、色々なことを決めることなんだよ。

キミの「家族」に例えて考えてみよう。

「どこに住むか」「今日のご飯は何にするか」「いつ、どこに旅行に行くか」「ペットの名前は何にするか」「ゲームの時間はどのくらいにするか」「お小遣いはいくらにするか」・・

家族の間でも、色々なことを決めたりするよね。
それは、これからも家族みんなが仲良く幸せに暮らしていくために必要なことを決めているんだよね。

時には家族で話し合ってきめたり、お父さんやお母さんがリーダーになって決めたりもするよね。

国の政治も同じ。

国に住んでいる人、つまり国民がこれからも仲良く幸せに暮らせるように、「どんな法律を作るか」「税金をいくらにするか」「どこに学校を作るか」・・・など、沢山のことを決めなくちゃいけないんだ。

くまごろう
くまごろう
なかには、「国のトップのが決めたいようにする!」と、ひとりの人や、限られた人だけで好きなように政治をする国や、時代もあったりするけどね。(そういうのを独裁政治(どくさいせいじ)というよ。)

今の日本では、「国民」が中心になって政治をする権利があるんだ。

でも、国民全員の意見を聞いていたり、話し合いに参加してもらったりすることは出来ないから、「国民を代表する人たち」を選んで、代表の人達に政治をまかせているんだね。

くまごろう
くまごろう
「国民を代表する人たち」を選ぶのが「選挙」だよ。
代表で選ばれた人たちが「国会議員」だね。「国会」で、日本の法律なんかは話し合って決められているんだよ。※これは「公民」という科目でこれから勉強することになるよ!

朝廷とは?

「朝廷」という言葉は、「天皇が中心になって政治をする」仕組みや場所という意味の言葉なんだよ。

くまごろう
くまごろう
現代のように「国民」が政治をするのではなくて、「天皇(と貴族など)」が政治をするというのがポイント。

天皇が中心ということは、「天皇の考えで、ある程度のことが決められる」ということ。
だから奈良時代にあった「都の引っ越し」も天皇の考え優先で出来ちゃったし、税の種類や、法律なんかも「国民がどうしたいか」は関係なく決めることだってできちゃう。
※もちろん、あまり国民を怒らせないようにしよう、とか国民が困らないようにしよう、ということも考えながら決めていたよ。

今の時代で例えるなら、天皇陛下が
「これから消費税は30パーセントにしよう」なんて急に決めたりするということかぁ。

今の日本だと考えられないね。

幕府とは?

では「幕府」という言葉はというと、「武士」が中心になってする政治の仕組みや、場所のことなんだ。

くまごろう
くまごろう
戦の時、軍のリーダーが「幕」を張って、みんなに指示するための陣地を作るよね。

「府」というのは「政府」でも使われるように、「政治を行う場所」のことなんだ。

武士が政治を行うから、戦の陣地を表す「幕」政治をおこなう場所の「府」が合わさって「幕府」になったといわれているよ(他にも説はアリ)

ちなみに、「幕府」という言葉は江戸時代に生まれたんだ。
だから、実は源頼朝の時代には、「鎌倉幕府」という言葉はなかったよ。

えっ
じゃあ、頼朝は「鎌倉幕府を開きまーす」と宣言したワケじゃないということ?
くまごろう
くまごろう
そう。
この時は「朝廷とは別に、頼朝が鎌倉で政治をおこなった」というカンジ。
それを江戸時代になって、歴史を振り返って考えたときに、「あの頃の頼朝の政府を幕府と呼ぼう」となったということだね。
中心になった場所が鎌倉だったから、「鎌倉幕府」と呼ばれたということ。

頼朝が政府を作るまで

朝廷とは別に政府を作るなんて、スゴイことだよね。
一体、頼朝はどうやって政府を作ることができたか解説していくよ。

キッカケ①鎌倉を拠点に、東国を任される

頼朝が鎌倉入りをする

平氏がやりたい放題になってきて、以仁王(もちひとおう)から源氏に「平氏を倒せ!」と命令を出したよね。

yumineko
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以仁王って?命令って何?と思ったら、ココを読もう!

それで、頼朝が「打倒平氏」の兵を挙げたのが1180年の8月。
10月には、鎌倉に入って(拠点にするために移り住んだイメージ)お邸を作ったよ。

くまごろう
くまごろう
鎌倉を選んだ理由はもう解説したよね。
源氏のゆかりの土地だったんだよね。
くまごろう
くまごろう
そう。
それと、鎌倉は地形で考えたときも、とても良い場所だったんだよ。

頼朝が拠点にした鎌倉の地形は、三方(東・西・北)が山に囲まれていて、南側は海。

だから、「敵から攻め込まれにくい」んだ。
だって海から敵(船)がやってきたらすぐ見つけられるし、山を越えて攻めるのは大変だしね。
頼朝は、山を削って「切通し(きりどおし)」という道を作ったんだけど、この道はとても狭くできていて、馬一頭(と乗った人)がやっと通れるくらいなんだ。

鎌倉から他の場所へ行き来する分には困らないくらいの広さだけど、「軍で攻め込む」にはとても狭くて無理、ということだね。

東国を任される

朝廷は、九州から関東までを統一していたけれど、東北地方をまだ統一できていなくて、困っていたよね。
それで、源氏に東国(関東地方などのこと)に行って、反乱などが起こると戦ってもらったりしていた。

だから源氏は関東の武士団(武士の団体)の味方も多かったし、平氏を倒そうと兵を挙げた時も、関東の武士たちがたくさん集まってくれた。

なので、関東の武士団を頼朝が管理することになったんだよ。

軍事・警察の役割「侍所」を作る

鎌倉に入った頼朝は同じ1180年に、武士団を管理するために「侍所(さむらいどころ)」という組織を作ったんだ。

「侍所」という言葉は平安時代からあって、「軍事(軍隊や、戦に関すること)」や「警察」のようなことをする組織だよ。

くまごろう
くまごろう
鎌倉時代の侍所では、行事が行われる時の警備をおこなったり、罪人の収監(犯罪を犯した人を牢屋に入れる)を任されていたりしたんだ。
侍所のトップは、別当(べっとう)と呼ぶよ。

1184年に裁判をする「問注所」行政機関の「公文所」を作る

頼朝としては、管理することになった武士団にはお互い仲良くしてもらう方が助かるよね。
今まではもめごとが起こると、一族同士でケンカしたりしていたけど、ちゃんと裁判のように、お互いの言い分を聞いて、どちらが悪いかなどを頼朝が判断してあげる「問注所(もんちゅうじょ)」を作ったよ。

「公文所(くもんじょ)」というのは、政治をするために必要な手紙や文書を作るところ

くまごろう
くまごろう
こうやって、東国を任された頼朝は、政治をするための組織をそろえていったんだ。

とはいえ、まだまだ東国以外は朝廷が支配しているよ。

キッカケ②義経と対立

義経は、頼朝の弟で一緒に平氏と戦って大活躍したひとだよね。
でも、平氏を倒したあと、義経があまり頼朝の言うことを聞かなくて、頼朝は義経のことを「謀反人(むほんにん・裏切った人のこと)」として、捕まえて殺すことにしたんだ
源義経がしょんぼりしているイラスト

えぇっ
弟なのに・・
一体なにがあったの?
くまごろう
くまごろう
戦いの時に、勝手な行動をしたとか、頼朝に黙って朝廷から官位(かんい・偉くなってもらう位のこと)をもらってしまったとか、色々説があるよ。
頼朝は、朝廷とは別の政治を行うつもりだったから、朝廷から官位を受けたりすることをとても嫌がっていたらしいよ。

キッカケ③全国に守護・地頭をおく

頼朝は、「義経を捕まえてやっつける」と朝廷からも許可をもらったんだ。
そして、1185年に「義経を捕まえるため」ということで、朝廷の支配している全国の国ごとに「守護(しゅご)」「地頭(じとう)」をスタンバイさせたんだ。

守護というのは、警察のようなものだよ。
地頭というのは、朝廷の持っている土地や、貴族などが持っている荘園で税を集めて管理する人。

さらに、戦うために必要ということで、お米を集めることもOKをもらったんだ。(兵糧米・ひょうろうまいと呼ぶよ)

くまごろう
くまごろう
こうして、とうとう頼朝の力が全国にも影響するようになったんだ。

キッカケ④奥州の藤原氏を倒す

頼朝に追われた義経だけど、奥州にいる藤原秀衡(ふじわらのひでひら)のところへ逃げたんだ。

くまごろう
くまごろう
奥州の藤原秀衡のところで、義経は少年時代を過ごしたからね。

秀衡は、義経をかくまおうとしたんだけど、しばらくして死んでしまうんだ。
秀衡の息子の泰衡(やすひら)は、「頼朝に逆らうのはマズい!」と考えて、義経を襲って自殺させてしまう。

だけど、頼朝は泰衡のことも「今まで義経をかくまっていたのは裏切りだ!」と倒してしまうよ。

容赦ないね(恐)
くまごろう
くまごろう
実は頼朝は、鎌倉で政治をおこなっていくためには奥州の藤原氏を倒しておくほうが安心、と思っていたんだよ。

こうして、奥州の藤原氏も、義経のことも倒した頼朝は敵なし状態となったんだ。

キッカケ⑤朝廷から「征夷大将軍」に任命される

こうして鎌倉で政治するための組織はそろって、全国にも守護・地頭をおくことに成功して、奥州の藤原氏も倒すことができて、頼朝オリジナルの政府はカタチがそろったんだ。

でも、いくらカタチはそろっても、国の人々に「朝廷とは別の政府が出来た」と認めてもらうには、まだ説得力が足りなかったよ。

でも、1192年に頼朝は朝廷から「征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)」に任命されたんだ。
征夷大将軍というのは、朝廷が東北地方をおさえるために送る軍のリーダーのことだったね。
朝廷は京都にあるよね。
でも、戦いは東北地方。
ここで、戦う兵士や、兵士が食べるお米が足りなくなったら、京都までいちいち相談に行っていたら大変。
なので、「征夷大将軍」は、天皇の代わりに現地で兵士をあたらしく増やしたり、お米を集めたりする「権利」を与えられていたんだ。

つまり、「天皇の代わりに政治を行うことができる」役なんだよ。

この「征夷大将軍」に任命された頼朝は、とうとう「天皇の代わりに政治を行うことができる」というお墨付きを朝廷からもらった、というワケだね。

こうして、鎌倉幕府は「頼朝(武士)による政権」と認められることになったんだよ

くまごろう
くまごろう
この「頼朝が征夷大将軍に任命された」1192年に、「鎌倉幕府」が政府として認められることになった、と考えて「1192年に鎌倉幕府が開かれた」とすることが多いよ。※最近は、鎌倉幕府のスタートをどのタイミングにするか色々説があるんだ。
鎌倉幕府ができるまでの流れをざっくり言うと?

・平氏を倒すために、頼朝が東国を任される。頼朝は鎌倉に入り、陣地をかまえる。(侍所・問注所・公文所の設置)

・平氏を倒す

・義経が裏切ったとして、捕まえるために全国に守護・地頭を置く

・義経と奥州藤原氏を倒す(敵がいなくなる)

・征夷大将軍に任命される

年表をチェック!

1180年 頼朝が平氏を倒すために挙兵、鎌倉入り・侍所をおく

1184年 頼朝が問注所・公文所をおく

1185年 頼朝が全国に守護・地頭をおく

1189年 義経、奥州藤原氏を倒す

1192年 頼朝が征夷大将軍に任命される

6年生はココを押さえればOK!
まとめ

鎌倉幕府ができるまで まとめ

※赤いキーワードは必ず覚えよう!
・頼朝は、全国に守護・地頭を置き、全国に力をおよぼした
1192年に、朝廷から征夷大将軍に任命された
・頼朝が始めた武士による政治を鎌倉幕府という

歴史を漫画で学習しよう!鎌倉幕府はどんな政治をしたの?シンプルな漫画と説明でサクッと読める!源頼朝が征夷大将軍に任命されて、鎌倉幕府は朝廷とは別の「政府」として認められることになったね。 このページでは、鎌倉幕府ではどんな...

 

 

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2019年の長女の高校受験時、訳あって塾にはいかず自宅学習することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。 志望校にトップ10位内で合格を果たす。 勉強をみるにあたって感じたのは、教科書の説明には子供には分かりづらい部分が多く、子供にイメージしやすく噛み砕いて説明するのがとても有効だということ。 同じように教科書の内容が分かりづらいと感じている子供たちの ヒントになれば、との思いで「教科書を分かりやすく通訳するサイト」創設。

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