「古墳時代」大和政権と前方後円墳の意味とは?(古墳の種類)
高校日本史で学ぶ「古墳時代」について、大和政権と前方後円墳の関係、古墳の種類や、竪穴式石室と横穴式石室の違い、その理由など、古墳時代の定期テスト対策に必要となるポイントをわかりやすく解説するよ。
目次
大和政権とは
4世紀ごろ、大和(現在の奈良県)を中心に「ヤマト政権」が成立するんだ。
貿易で財産を築き、武力で支配する豪族たち
ヤマト政権は現在の近畿地方を中心に広がったんだけど、この地域は中国や朝鮮との貿易が活発に行われていたんだ。
近畿地方は京都府、大阪府、兵庫県、奈良県あたりだね。
だから、この地域に住む人々は活発な貿易によって、大きな財産を築く人が多かったんだ。
大きな財産を築いて、たくさんの人々をまとめる人を何て言うんだっけ?
そうだね。「豪族」だね。
3世紀に大きな力を持っていたのは、卑弥呼が率いた邪馬台国だったよね。
卑弥呼は「シャーマン(呪術師)」といって、これから起こることを予言したり、特殊な力を持った人物だった。
その力を使って、たくさんの人をまとめてたんだよね。
だけど4世紀ごろになると卑弥呼のような特殊な力ではなく、単純に武力を使うことで、リーダー(豪族)たちは人を支配するになる。
武力を言い換えると、暴力だよね。たくさんの兵士や武器を持っている人が大きな力を持つようになるんだ。
この豪族たちがお互いに協力関係を結び、成立したのがヤマト政権なんだよ。
多くの豪族が連合(協力)したから「連合政権」とも言うよ。
大和政権の中心人物「大王」とは
その豪族(リーダー)の中から選ばれたトップが「大王」っていうんだ。学校でたとえたら、校長先生かな。
たくさんいる先生(豪族)をまとめるのが、校長先生(大王)の仕事だよね。
この大和政権の大王が天皇の祖先とも言われているよ。
ヤマト政権はEU(ヨーロッパ連合)
ヤマト政権のイメージとしては、現在のEU(欧州連合)が分かりやすいかな。
ドイツやフランス、スペインが協力(連合)してできたのが、EUだよね。
EUに入れば、貿易が自由にできるし、移動も自由だ。メリットがたくさんある。
だから、たくさんの国がEUに入っているんだよね。
ヤマト政権も一緒だよ。
ヤマト政権に入れば、貿易もできるし、移動もできる。あともう1つ大事なのは、安全保障だね。
「安全保障」って聞くと、難しく感じるけど、大丈夫!
簡単にいうとヤマト政権に入れば、大王が自分たちを守ってくれるってことだよ。
大和政権はどのように勢力を広げたのか
もし自分たちの集落が誰かに攻められた場合、ヤマト政権が仲間を送ってくれて、集落を助けてくれるってこと。
だから「ヤマト政権に入りたい」っていう豪族がどんどん増えたんだ。
こうやってヤマト政権は拡大していったんだね。
だから争いが減って、少しずつ日本は平和になっていったんだよ。
ただね、平和にも注意が必要なんだ。
平和になったのは素晴らしいんだけど、今まで戦をしてきた人たちの仕事がなくなっちゃったんだ。
とくに男の人だね。
仕事がないと収入がなくなって、貧しくなってしまうから単純に困るよね。
仕事がない人が集落にたくさんいると、盗みとかが増えて、治安も悪くなってしまうよね。
だから豪族(リーダー)は仕事を用意しなくてはいけない。
その仕事っていうのが、古墳を作ることだったっていう面白い説があるんだ
古墳が作られた理由
古墳は失業対策だった!? 古墳を作る意外な目的とは?
古墳を実際に見たことがある人なら分かると思うんだけど、本当に大きいんだ。大きいものだと、墳丘の長さが400mを超えるものもあるんだよ。
戦さばかりで忙しい時代には、古墳なんて作れないから、古墳時代はやっぱり平和だったんだろうね。
昔はショベルカーとか、ダンプカーがないから、古墳を作るのは一大イベントだったと思う。
時間もかかるし、そしてたくさんの人の協力が必要だ。なんと古墳を作るには、全部で680万人の人手と、15年8か月の期間が必要だったとも言われているんだ。
だから多くの人に仕事を用意できる古墳は最適だったんだ。
古墳を作るもう1つの目的は「技術開発」。
技術開発って聞くと難しいけど、ゆっくり説明するから大丈夫だよ。
弥生時代から稲作が始まったことは、前回確認したと思う。
稲作には水田(田んぼ)が必要だけど、水田を作るときには、たくさんの道具を使うよね。
あとは川から水を引いてくる技術とかね。
弥生時代の最初のころは「湿田」だったよね。
だけど水はけが悪くて、お米を作るには正直なところ適していなかった。
だけど少しずつだけど、水害の被害を受けない高い場所とか、お米をたくさん作れる場所に水田を作れるようになった。
こうした水田を「乾田」といったね。
なぜ「乾田」が作れるようになったんだろう?
川から水を引いてくる技術がバージョンアップしたんだ。
川から水を引いてくる技術を「灌漑」っていうよ。
こんな感じで時代が経つごとに、水田を作る方法もレベルアップしていく。
ここが重要なところなんだけど、古墳と水田を作る技術って似ているんだ。
土地を削ったり、土地の形を整えたりっていうのは、工事の基本だからね。
だから古墳を作るときに、新しい道具や工事技術を試したり、もし上手くいかなかったら改良(アップデート)するんだ。
そして、次の新しい水田を作るときに生かすんだよ。
古墳を作る目的は「新しい道具や技術を生み出すため」っていう、面白い説があるんだ。
教科書では「豪族(リーダー)の権威を見せ付けるため」ってさらっと書いてるけど、リーダーとしてたくさんの人をまとめあげるには、新しい農業や工事技術を開発することも大事なんだ。
新しい道具や技術を使って、少しでも多くのお米を作ることができれば、たくさんの人の面倒が見れるからね。つまり人口が増えるってこと。
人口が増やすことができれば兵士が増えるよね。つまり戦にも強くなるってことにつながるよね。
自分たちの集落を強くするためには、技術開発が必要不可欠だったんだ。
今回紹介した説は、あくまでも遺跡とか発掘されたものを分析して「こうなんじゃないかな」っていう予想(仮説)に過ぎないよ。
古墳にはまだまだ謎が多い。
だからこれから新しい発見があって、今までの考え方が間違っていたってこともあるんだ。
もし古墳について興味はある人は、本を読んだり、近くに博物館があれば行ってみてもいいんじゃないかな。
古墳は調べれば調べるほど、いろんな想像ができるから面白いよね。だから多くの人を惹きつけるんだろうね。
じゃあ、実際にどんな古墳が作られたんだろう。具体的に見ていこうね。
古墳の種類
前方後円墳とは
豪族が連合を組んで、ヤマト政権がどんどん拡大していったことは、先ほど確認したね。
ではヤマト政権が、どこまで日本を支配していたんだろう。なにか目印みたいのがあるのかな。
その目印が「前方後円墳」だよ。よく鍵穴の形をしているって言われるよね。
代表的なものとしては、今の大阪府にある「大仙陵古墳」なんかが有名だよ。
前方後円墳はヤマト政権の「シンボル」なんだ。
シンボルを分かりやすく説明すると、マクドナルドのマークが分かりやすいかな。
この近くにマクドナルドのお店があるって分かるのは、まさにマクドナルドのマークが入った看板が立っているからだよね。
つまり前方後円墳が発見された地域は、ヤマト政権が支配していたことを意味するんだ。
竪穴式石室と横穴式石室の違い
古墳っていうのは、豪族のお墓だよね。つまり偉い人だ。
あんなに大きいのに、1人の遺体しか埋めないんだ。
前期のころは、古墳ができると上から穴を掘って、石の部屋を作る。そして遺体を入れた棺を置いて、再び土で埋めるんだ。
この埋葬方法を「竪穴式石室」っていうよ。
石の部屋を作らないで、棺の周りを粘土で固めることもあったんだ。
この埋葬を「粘土槨」っていうよ。
古墳時代の後期になると「横穴式石室」っていう方法が出てくる。
言葉の通り、古墳の横から穴を掘って、遺体を埋葬するんだ。
なんでだと思う?
横から穴を掘れば、もし豪族の家族が亡くなったら、追加で埋葬できるよね。
前期の古墳は、1つの古墳につき1人だったけど、後期は1人ではなく家族と一緒に埋葬されるようになったんだ。
この古墳は、香川県にある6世紀半ばに作られた「王墓山古墳」。
こうやって、横にある入り口から故人が眠っている玄室(げんしつ:棺が納められる部屋のこと)まで行くことができる作りになっているんだよ。
副葬品も時代によって変化する
この古墳にはリーダーの遺体だけじゃなく「副葬品」も一緒に収められたんだ。
3世紀の邪馬台国の時代は、卑弥呼のような特殊な力を持った人物が支配していたから、どちらかいうと、副葬品は儀式に使う道具、銅鏡や勾玉がメインだった。
古墳時代の前期にあたる古墳から「三角縁神獣鏡」という銅鏡がたくさん見つかっているよ。
ちょっと不思議な名前だね。
「三角縁」というのは、銅鏡の周りの縁の部分が、断面図で見ると「△(三角)」の形をしているので、そのように呼ばれるよ。
だけど4世紀になって中期に入ると、リーダーが武力によって支配する時代に変わったことは、さっき確認したね。
だから副葬品も「自分がいかに大きな武力を持っているのか」という、力(権力)を見せることが目的になるんだ。
だから鉄製の武具とかの武器がメインになるよ。
だけど後期になると「横穴式石室」によって、古墳は家族も一緒に埋葬されたよね。
だから古墳の役割が「権力を見せ付ける」から「家族のため」に変化するんだ。
だから副葬品も、死後の生活も不自由しないようにって配慮から、土器や農機具などの日用品がおさめられるようになったんだ。
また埴輪と呼ばれる、人や動物の形に加工した土器も埋められたんだ。
埴輪の意味は死者の魂を鎮めたり、守るためと言われているよ。
高校日本史「古墳時代」まとめ
高校日本史「古墳時代と大和政権」まとめ
- 古墳時代、大和地方を中心とする大和政権という政治連合が形成されていた。大和政権の中心的人物を「大王」と呼ぶ。
- 3世紀中ごろから後半、前方後円墳をはじめとする古墳が西日本を中心に出現した。
- 墳丘の上頂部に長方形の穴を掘り、棺を置いて粘土で覆い隠す埋葬方法で、古墳時代前期から中期にかけてよく見られた埋葬施設を「竪穴式石室」と呼ぶ。
- 棺を粘土で覆う埋葬施設を「粘土槨」と呼ぶ。
- 墳丘の横から穴を掘り、遺体を納める玄室までの通路を設けている埋葬施設を「横穴式石室」と呼び、古墳時代中期から後期にかけて盛んに造られるようになった。追葬や合葬を目的としたと考えられている。
- 前期の古墳の副葬品は、武器・農具のほかに宗教的色彩の強いものが多く、当時の被葬者は司祭者的な立場の人物だったと考えられる。
- 中期からの古墳の副葬品は、武器の割合が高くなり、当時の被葬者は武人的な立場の人物だったと考えられる。
- 墳丘上には埴輪が並べられた。
- 周縁の断面が三角の形をしている銅鏡を、「三角縁神獣鏡」と呼ぶ。
- 最大の規模をもつ古墳は大阪府の大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)である。
運営者情報
ゆみねこ
詳しいプロフィールを見る
青山学院大学教育学科卒業。TOEIC795点。2児の母。2019年の長女の高校受験時、訳あって塾には行かずに自宅学習のみで挑戦することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。志望校の特待生クラストップ10位内で合格を果たす。
とてもわかりやすく合理的な説明だと思います。
ただ、前方後円墳に付いて、なぜ鍵型なのかですが、ヤマト王権成立過程で、
神武東征と出雲の国譲り神話が関係しており、出雲王権は方墳が基本と考えています。
一方、東征軍は円墳が基本墓形で、前方後円墳は方墳が円墳に併合された様をビジュアル化した物と考えています。
古代の人達は北九州発のヤマト連合の存在の他、出雲王権や吉備王権、機内王権等の併合地に円墳の方が高く方墳が細くなり円墳に付き従い吸収された事が一目で理解出来た事と思います。
これも仮説で根拠に乏しいのですが、前方後円墳の形の成り立ちとしての一説です。