【中学歴史】フランス革命をわかりやすく解説!人権宣言・ナポレオン・近代政治へのつながり
前の単元では、イギリス革命やアメリカ独立革命について学んだね。
そこでは、王や本国の一方的な支配に対して、人々が「自分たちの権利を守りたい」「政治に参加したい」と考えるようになったんだ。
この考え方は、フランスにも大きな影響を与えたよ。18世紀のフランスでは、王や貴族が強い力を持つ一方で、税を負担する多くの人々の不満が高まっていたんだ。
そして1789年、フランスで大きな革命が始まる。これがフランス革命だよ。
この単元では、フランス革命がなぜ起こり、どのように広がり、ナポレオンの時代へどうつながっていったのかを見ていこう。

この記事でわかること
- フランス革命が起こった背景
- 絶対王政と身分制度の問題点
- 三部会・国民議会・テニスコートの誓い・人権宣言の流れ
- フランス革命によって政治や社会がどう変わったのか
- ナポレオンの登場とヨーロッパへの影響
- フランス革命が現代の政治につながる理由
目次
フランス革命の前に、どんな社会だった?
フランス革命が起こる前のフランスでは、王がとても強い力を持っていたよ。
特に17世紀後半から18世紀はじめのルイ14世の時代には、王が政治の中心となり、議会をあまり重視せずに国を治めていたんだ。
このように、王が大きな権力を持って政治を行うしくみを絶対王政というよ。
ルイ14世は、豪華なベルサイユ宮殿をつくり、王の権威を示した人物として知られているんだ。宮殿はとても美しく、芸術や文化も発展したけれど、その一方で、国の財政には大きな負担がかかったよ。
さらに、フランス社会には身分による大きな差があったんだ。
| 身分 | 人々 | 特徴 |
|---|---|---|
| 第一身分 | 聖職者 | 教会に関わる人々。特権を持っていた。 |
| 第二身分 | 貴族 | 政治や軍事で力を持ち、特権を持っていた。 |
| 第三身分 | 平民 | 商人、職人、農民など。人口の大多数を占め、税を多く負担していた。 |

問題は、第一身分と第二身分には税の面などで特権があり、第三身分に税の負担が重くのしかかっていたことなんだ。
たとえば、クラスでほとんどの費用を一部の人だけが負担しているのに、決めごとは別の人たちが有利になるように進めていたら、不満が出るよね。
フランスの第三身分の人々も、「なぜ自分たちばかりが負担するのか」「自分たちの意見も政治に反映されるべきではないか」と考えるようになっていったんだよ。
たろう
くまごろう絶対王政とは?ルイ14世の時代
絶対王政とは、王が強い権力を持ち、国の政治を中心となって進めるしくみのことだよ。
フランスのルイ14世は、絶対王政を代表する王として知られているんだ。ルイ14世は、王の力を強め、フランスをヨーロッパの大国にしようとしたよ。
ルイ14世の時代には、文化や芸術が発展した一方で、宮殿の建設や戦争などに多くのお金が使われたんだ。
つまり、王の権威は高まったけれど、その政治を支えるために国の財政には大きな負担がかかったということなんだよ。
この「王の力が強い政治」と「社会の不公平」は、のちのフランス革命を理解するうえでとても大切な背景になるよ。
ここで押さえよう
- ルイ14世は、フランスの絶対王政を代表する王。
- ベルサイユ宮殿は、王の権威を示す象徴になった。
- 豪華な宮廷生活や戦争は、フランスの財政に大きな負担をかけた。
- 王の強い政治と身分制度への不満が、革命の背景になった。
フランス革命が起こった原因
フランス革命が起こった原因は、一つだけではないよ。いくつもの不満や問題が重なっていたんだ。
まず大きかったのは、身分制度への不満だよ。
フランスでは、第一身分の聖職者、第二身分の貴族、第三身分の平民に分かれていた。第一身分と第二身分は特権を持っていたのに、税を多く負担していたのは第三身分だったんだ。
次に、財政の悪化も大きな原因だったよ。フランスは戦争や宮廷生活に多くのお金を使い、さらにアメリカ独立戦争を支援したことでも財政が苦しくなったんだ。
さらに、ロック、モンテスキュー、ルソーなどの考え方も、人々に影響を与えたよ。「人々には権利がある」「政治は国民のためにあるべきだ」という考え方が広がっていったんだ。
つまり、フランス革命は、次のような流れで起こったと考えるとわかりやすいよ。
フランス革命が起こった背景
- 王が強い力を持つ絶対王政が続いていた。
- 聖職者や貴族には特権があり、平民に税の負担が重かった。
- 戦争や宮廷生活で、フランスの財政が悪化していた。
- 自由・平等・権利を重視する新しい思想が広がっていた。
- アメリカ独立革命の成功が、フランスの人々にも影響を与えた。
たろう
くまごろう三部会から国民議会へ

財政が苦しくなったフランスでは、1789年、王が三部会を開いたよ。
三部会とは、第一身分の聖職者、第二身分の貴族、第三身分の平民の代表が集まる会議のことなんだ。
王としては、新しい税を集めるために、身分ごとの代表を集めて話し合おうとしたんだね。
けれど、ここで問題になったのが、会議での決め方だったよ。第一身分・第二身分・第三身分がそれぞれ一票を持つ形だと、第一身分と第二身分が協力すれば、第三身分の意見は通りにくくなってしまうんだ。
第三身分の人々からすれば、「人口の大多数を占めているのに、自分たちの意見が反映されにくいのはおかしい」と感じたんだよ。
そこで、第三身分の代表たちは、自分たちこそ国民を代表しているとして、国民議会をつくったんだ。
さらに国民議会の人々は、憲法ができるまでは解散しないと誓い合ったよ。これをテニスコートの誓いというんだ。当時、会議場に入れなかった代表たちが、球技場に集まって誓ったことから、この名前で呼ばれているよ。
ここが、フランス革命の大きな転換点なんだ。政治の中心が、王や特権身分だけではなく、「国民の代表」に移ろうとしていたからだよ。
バスチーユ牢獄の襲撃と革命の始まり
国民議会の動きに対して、王や政府が強く出るのではないかという不安が広がったよ。
そして1789年7月、パリの民衆がバスチーユ牢獄を襲撃したんだ。
バスチーユ牢獄は、王の強い支配を象徴する場所と見られていたんだよ。そのため、民衆がそこを襲撃したことは、「王の支配に対して人々が立ち上がった」ことを示す大きな出来事になったんだ。
この事件をきっかけに、フランス革命は大きく動き出したよ。パリだけでなく地方でも人々が立ち上がり、特権身分への反発が広がっていったんだ。
ただし、ここでも大切なのは、民衆が単に暴れたということではないよ。背景には、食料不足、税の負担、政治への不信、身分制度への不満があったんだ。
人権宣言とは?
1789年、国民議会は人権宣言を発表したよ。
人権宣言では、人は生まれながらに自由で平等な権利を持つこと、政治の主権は国民にあること、言論や出版の自由があることなどが示されたんだ。
これは、フランス革命の理想を表すとても重要な文書なんだよ。
特に大切なのは、身分によって権利が違う社会ではなく、すべての人が自由で平等な権利を持つという考え方が示されたことだよ。
もちろん、当時すぐにすべての人が完全に平等になったわけではないんだ。けれど、人権宣言は、近代社会の考え方に大きな影響を与えたんだよ。
人権宣言のポイント
- 人は自由で平等な権利を持つ。
- 政治の主権は国民にある。
- 言論や出版の自由が示された。
- フランス革命の理想を表した文書。
- 世界の人権思想にも影響を与えた。
たろう
くまごろうフランス革命はどのように進んだ?
フランス革命は、人権宣言を出して終わったわけではないよ。その後も政治は大きく揺れ動いたんだ。
革命が進むと、王の権力はさらに弱まり、やがて国王ルイ16世は処刑されたよ。そしてフランスでは、王を置かない共和政が始まったんだ。
ただし、共和政になったあとも、フランスの政治は安定しなかったよ。国内では考え方の違いから対立が続き、国外ではフランス革命の広がりを警戒した国々との戦争も続いたんだ。
ヨーロッパの王や貴族たちは、フランス革命をとても警戒したよ。なぜなら、「国民が王を倒す」「身分の特権をなくす」という考え方が自分たちの国にも広がるかもしれなかったからなんだ。
革命の理想は広がったけれど、同時にフランス国内外で混乱や戦争も広がっていった。こうした不安定な状況の中で、軍人として力をのばした人物が登場するよ。それがナポレオンなんだ。
ナポレオンの登場

ナポレオン・ボナパルトは、フランス革命後の混乱の中で力をつけた軍人だよ。
フランスは、革命のあとも国内が不安定で、ヨーロッパの国々との戦争も続いていたんだ。その中で、ナポレオンは戦争で活躍し、人々から支持を集めていったよ。
人々は、長く続く混乱に疲れていたんだ。「自由や平等の考え方は大切だけれど、まずは国を安定させてほしい」と考える人も多かったんだよ。
ナポレオンは、そのような人々の期待を背景に政治の実権を握り、やがて1804年には皇帝の位についたんだ。
ここで少し不思議に感じるかもしれないね。フランス革命は、王や特権を批判して始まったのに、なぜナポレオンは皇帝になったのか。
これは、革命後の混乱をおさめ、強いリーダーによって国をまとめてほしいという人々の思いがあったからだよ。歴史では、理想を掲げた革命のあとに、安定を求めて強い指導者が登場することがあるんだ。
ナポレオンの時代とヨーロッパへの影響
ナポレオンは、フランス国内の政治や社会のしくみを整えたよ。
その代表が、ナポレオン法典だよ。これは、フランス革命で広がった自由や平等の考え方をふまえて、法律を整理したものなんだ。
ナポレオン法典は、フランスだけでなく、のちのヨーロッパ各地の法律にも影響を与えたよ。
また、ナポレオンはヨーロッパの多くの国々を戦争で破り、大きな影響力を持つようになったんだ。
ナポレオンが支配を広げると、各地にフランス革命の考え方も広がっていったよ。身分制度への疑問や、自由・平等の考え方は、ヨーロッパの人々にも刺激を与えたんだ。
ただし、ナポレオンがすべての国に勝ち続けたわけではないよ。スペインでは長い戦争で苦戦し、ロシア遠征にも失敗したんだ。
また、ナポレオンの支配に反発する人々もいたよ。フランスの支配を受けた地域では、「自分たちの国や民族を守りたい」という気持ちも強まっていったんだ。
つまり、ナポレオンはフランス革命の考え方を広げた一方で、ヨーロッパ各地に反発や民族意識を生むきっかけにもなったんだよ。
ナポレオンの没落とウィーン会議
ナポレオンはヨーロッパの多くの地域に勢力を広げたけれど、その支配は長くは続かなかったよ。
特にロシアへの遠征に失敗したことが、大きな転機になったんだ。広いロシアでの戦いはフランス軍に大きな打撃を与え、ナポレオンの力は弱まっていったよ。
その後、ヨーロッパ諸国はフランスに対して立ち上がり、ナポレオンは1814年に一度退位したんだ。その後、1815年に短い期間だけ復帰したけれど、ワーテルローの戦いで敗れ、最終的にナポレオンの時代は終わったよ。
ナポレオンが退いたあと、ヨーロッパ各国はウィーン会議を開いたよ。ウィーン会議では、フランス革命前の王や貴族中心の秩序をできるだけ復活させ、ヨーロッパの平和を保とうとしたんだ。
このように、フランス革命とナポレオンの時代のあと、ヨーロッパでは「革命前の秩序に戻そう」とする動きが強まったよ。
けれど、自由や平等、人権の考え方はすでに多くの人々に広がっていたんだ。そのため、ただ昔に戻るだけでは、人々の不満を完全におさえることはできなかったんだよ。
フランス革命は何を変えた?
フランス革命は、フランスの政治や社会だけでなく、世界の歴史にも大きな影響を与えたよ。
まず、身分による特権を見直し、人々が自由で平等な権利を持つという考え方を広げたんだ。
また、「政治の主権は国民にある」という考え方も広がったよ。これは、王が一方的に政治を行うのではなく、国民が政治の中心になるという考え方なんだ。
もちろん、革命のあとにすぐ理想の社会が完成したわけではないよ。政治の混乱や戦争も起こったし、ナポレオンのような強い指導者も登場したんだ。
それでも、フランス革命が「自由」「平等」「人権」「国民主権」という考え方を世界に広げたことは、とても大きな意味があるんだよ。
フランス革命が変えたこと
- 王や貴族の特権を見直す動きが広がった。
- 自由・平等・人権の考え方が広がった。
- 政治の主権は国民にあるという考え方が広がった。
- ヨーロッパ各地の政治や社会に大きな影響を与えた。
- のちの民主政治や人権思想につながっていった。
次の時代へどうつながる?
フランス革命とナポレオンの時代は、ヨーロッパ全体を大きく揺り動かしたよ。
ナポレオンが敗れたあと、ヨーロッパの国々はウィーン会議で、革命前の秩序に戻そうとしたんだ。
けれど、フランス革命によって広がった自由・平等・国民主権の考え方は、もう完全には消えなかったよ。
そのため、19世紀のヨーロッパでは、自由を求める運動や、国をひとつにまとめようとする動きが広がっていくんだ。
また、フランス革命やナポレオンの時代は、日本にも無関係ではないよ。欧米で近代的な政治や社会のしくみが発展していくことは、のちに日本が開国し、近代化を進める流れにもつながっていくんだ。
つまり、フランス革命は、ヨーロッパの出来事でありながら、世界の近代化を考えるうえでとても大切な出来事なんだよ。
重要語句ミニ辞典
この単元でよく出る重要語句を整理しておこう。
| 用語 | 説明 |
|---|---|
| 絶対王政 | 王が強い権力を持ち、政治を中心となって進めるしくみ。 |
| ルイ14世 | フランスの絶対王政を代表する王。ベルサイユ宮殿を建てたことで知られる。 |
| ベルサイユ宮殿 | ルイ14世が建てた豪華な宮殿。王の権威を示す象徴となった。 |
| 第一身分 | フランス革命前の身分制度で、聖職者を指す。 |
| 第二身分 | フランス革命前の身分制度で、貴族を指す。 |
| 第三身分 | フランス革命前の身分制度で、平民を指す。人口の大多数を占め、税を多く負担した。 |
| 三部会 | 第一身分・第二身分・第三身分の代表が集まる会議。 |
| 国民議会 | 第三身分の代表たちが中心となってつくった議会。 |
| テニスコートの誓い | 国民議会の人々が、憲法ができるまでは解散しないと誓い合った出来事。 |
| バスチーユ牢獄の襲撃 | 1789年、パリの民衆が王の支配を象徴するバスチーユ牢獄を襲撃した出来事。 |
| 人権宣言 | 1789年に発表された文書。自由・平等・国民主権などの考え方が示された。 |
| 共和政 | 王を置かず、国民の代表などによって政治を行うしくみ。 |
| ルイ16世 | フランス革命期の国王。革命が進む中で処刑された。 |
| ナポレオン | フランス革命後の混乱の中で力をつけ、1804年に皇帝となった人物。 |
| ナポレオン法典 | ナポレオンが定めた法典。フランス革命の自由や平等の考え方をふまえ、法律を整理した。 |
| ウィーン会議 | ナポレオンの退位後、ヨーロッパ各国が開いた会議。革命前の秩序を回復しようとした。 |

テストで問われやすいポイント
テスト対策ポイント
- フランス革命前のフランスでは、絶対王政と身分制度が続いていた。
- ルイ14世は、フランスの絶対王政を代表する王で、ベルサイユ宮殿を建てた。
- フランス革命前の身分制度では、第一身分が聖職者、第二身分が貴族、第三身分が平民だった。
- 税を多く負担していたのは、人口の大多数を占める第三身分だった。
- 財政悪化や身分制度への不満、自由・平等の思想の広がりが、フランス革命の背景になった。
- 1789年、三部会が開かれ、第三身分の代表たちは国民議会をつくった。
- 国民議会の人々は、テニスコートの誓いで、憲法ができるまでは解散しないと誓った。
- 1789年、パリの民衆がバスチーユ牢獄を襲撃した。
- 1789年に発表された人権宣言では、自由・平等・国民主権などの考え方が示された。
- フランス革命が進むと、ルイ16世が処刑され、王を置かない共和政が始まった。
- ナポレオンは、革命後の混乱の中で力をつけ、1804年に皇帝となった。
- ナポレオン法典は、フランス革命の自由や平等の考え方をふまえて法律を整理したもの。
- ナポレオンはヨーロッパの多くの国々を破ったが、スペインで苦戦し、ロシア遠征にも失敗した。
- ナポレオンは1814年に一度退位し、最終的に1815年にワーテルローの戦いで敗れた。
- ナポレオンの退位後、ウィーン会議が開かれ、革命前の秩序を回復しようとした。
- フランス革命は、自由・平等・人権・国民主権の考え方を広げ、世界の近代政治に大きな影響を与えた。
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青山学院大学教育学科卒業。TOEIC795点。2児の母。2019年の長女の高校受験時、訳あって塾には行かずに自宅学習のみで挑戦することになり、教科書をイチから一緒に読み直しながら勉強を見た結果、偏差値20上昇。志望校の特待生クラストップ10位内で合格を果たす。 ※サイト全体の運営実績についてはこちらにまとめています。

