中学3年国語「高瀬舟」のテストで良く出る問題をまとめています。
クリックすると答えが表示されるので、実力試しや練習にピッタリです!
https://kyoukasyo.com/2021/09/13/9japanesetest9-1/
「高瀬船」テスト対策問題②はコチラ
「高瀬舟③」
テスト対策問題

以下の本文の部分について、答えなさい。
庄兵衛は今、喜助の話を聞いて、喜助の身の上を我が身の上に引き比べてみた。喜助は仕事をして給料を取っても、右から左へ人手に渡してなくしてしまうと言った。いかにも哀れな、気の毒な(ア)境界である。しかし一転して我が身の上を(イ)顧みれば、(3)彼と我の間に、果たしてどれほどの差があるか。自分も上からもらう扶持米を、(4)右から左へ人手に渡して暮らしているにすぎぬではないか。彼と我との相違は、いわばそろばんの(ウ)桁が違っているだけで、喜助のありがたがる二百文に相当する貯蓄だに、こっちはないのである。
さて桁を違えて考えてみれば、鳥目二百文をでも、喜助がそれを貯蓄と見て喜んでいるのに無理はない。その心持ちは、こっちから察してやることができる。しかし、いかに桁を違えて考えてみても、不思議なのは喜助の欲のないこと、足ることを知っていることである。
喜助は世間で仕事を見つけるのに苦しんだ。それを見つけさえすれば、骨を惜しまずに働いて、ようよう口を(エ)糊することのできるだけで満足した。そこで牢に入ってからは、今まで得がたかった食が、ほとんど天から授けられるように、働かずに得られるのに驚いて、生まれてから知らぬ満足を覚えたのである。
庄兵衛はいかに桁を違えて考えてみても、(5)ここに彼と我との間に、大いなる(オ)懸隔のあることを知った。自分の扶持米で立ててゆく暮らしは、おりおり足らぬことがあるにしても、たいてい(カ)出納が合っている。手いっぱいの生活である。しかるに、そこに満足を覚えたことはほとんどない。常は幸いとも不幸とも感ぜずに過ごしている。しかし心の奥には、こうして暮らしていて、ふいとお役が御免になったらどうしよう、大病にでもなったらどうしようという(キ)疑懼が潜んでいて、おりおり妻が里方から金を取り出してきて穴埋めをしたことなどがわかると、この疑懼が意識の(ク)閾の上に頭をもたげてくるのである。
いったいこの懸隔はどうして生じてくるだろう。ただうわべだけを見て、それは喜助には身に(ケ)係累がないのに、こっちにはあるからだといってしまえばそれまでである。しかしそれはうそである。よしや自分が(6)独り者であったとしても、どうも喜助のような心持ちにはなられそうにない。(7)この根底はもっと深いところにあるようだと、庄兵衛は思った。
問1
問2
問3
問4
問5
問6
問7
コメント