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「な」から始まる用語
ナウマンゾウ | 古代(むかし)の日本にいたゾウの一種。 色々説があるが、40万年前くらいの氷河期から、2万年前くらいまでいたと言われている。 古代の人々は、ナウマンゾウを狩って食べていたと言われている。 日本の野尻湖遺跡などで化石が見つかっている。 |
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長篠の戦い | 1575年6月29日(天正3年)、に三河国長篠城をめぐって起きた戦い。 戦国大名の織田信長・徳川家康の連合軍(一緒に協力して戦う軍のこと)が武田勝頼と戦った。 当時の武田軍はとても強いと恐れられていたが、織田信長は、鉄砲を戦いに上手く取り入れ勝利した。 |
中臣鎌足 | 後の藤原鎌足。中臣氏は、飛鳥時代の有力な豪族の一族。 中臣鎌足は政治についての勉強にとても熱心な人で、このころ朝廷で 力を持ちすぎていた蘇我氏一族のやりたい放題さが許せず、同じく蘇我氏のやり過ぎを許せず、天皇中心の政治を行おうとしていた中大兄皇子に協力して蘇我入鹿を倒した。 この入鹿を倒した事件を「乙巳の変」という。 これをきっかけに蘇我氏の本家は滅び、年号(のちの元号)を「大化」と定めて、政治の改革を行った。 このことを「大化改新」と呼ぶ。 中臣鎌足は中大兄皇子から信頼を受けて、「藤原」という新しい名前をもらった。 藤原氏はその後政治でも重要な役職について、どんどん力を持つようになり、藤原道長のように、平安時代には藤原氏の力はとても強くなる。 登場するページ→6年歴史「大化改新」 ![]() ![]() |
中大兄皇子 | 力を持ちすぎてやりたい放題していた蘇我氏(そがし)の蘇我入鹿(そがのいるか)を乙巳の変(いっしのへん)で倒して、天皇中心の国を作るために政治のやり方を新しくした「大化の改新(たいかのかいしん)」で活躍した。 668年に天皇に即位して、天智天皇になった。 乙巳の変で一緒に活躍した中臣鎌足(なかとみのかまたり)に、新しい「藤原(ふじわら)」の氏をあたえた。 登場するページ→小学6年歴史「大化の改新」中学歴史「大化改新」 |
「に」から始まる用語
二条河原の落書 | 落書とは、その時代の政治や起こった事件に対する不満や批判を書いたもの。特に歌のように書かれているものは「落首」ともいう。 後醍醐天皇の建武の新政がおこなわれると、政治に対する不満を書いた落書が二条河原に掲示され、これを「二条河原の落書」と呼ぶ。 88節あり、落書の中では最高傑作と評価されている。誰が書いたのかは不明。 登場するページ→中学歴史「建武の新政」 ![]() ![]() |
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似絵 | 平安時代後期から鎌倉時代にかけて流行した大和絵で描かれた肖像画のこと。「実物に似せて描いた絵」。写実的(リアルに描かれた絵)で、美しい色使いと細かい描写が特徴。有名な画家として藤原隆信・信実・専阿彌・豪信などがいる。 |
新田義貞 | もとは鎌倉幕府の御家人。源氏の子孫。ムチャな命令(5日間で莫大な資金を用意しろという命令)に納得がいかず、後醍醐天皇が幕府を倒す計画を立てると幕府を裏切って味方した。1333年に鎌倉に攻め入って幕府を倒した。その後、おなじく幕府を裏切って後醍醐天皇の味方をした足利尊氏が今度は後醍醐天皇と敵対するようになり、新田義貞は足利尊氏の軍と戦って負けて亡くなった。 登場するページ→中学歴史「建武の新政」 ![]() ![]() |
日本書紀 | 日本の神話や、日本がどうやって作られたかが書かれている歴史書。720年に完成された。外国に対して日本の歴史を伝えるために作られたものと言われている。 |
仁和寺 | |
仁和地震 | 887年(仁和3年)の7月30日に南海道(四国の全体と、近畿地方の南部のこと)沖を震源として起きた地震のこと。 マグニチュードは8〜8.5。 日本全国が揺れ、各地で津波が発生した。 津波による溺死者は数えきれないほどの数で、特に摂津(現在の大阪府・兵庫県)は被害が酷かったと言われている。 |
「ぬ」から始まる用語
「ね」から始まる用語
年貢 | |
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「の」から始まる用語
能 | |
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野尻湖遺跡 | 長野県にある遺跡。オオツノシカの角とナウマンゾウの牙の化石が見つかった。他にも、大型動物をさばくのに使ったと思われれる石器が一緒に発見されている。 旧石器時代に、日本には大型動物がいて、人々は石器で大型動物を狩って食べていたことが分かる。 登場するページ→中学歴史「旧石器時代」、高校日本史「旧石器時代」 |
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