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「ま」で始まる用語
枕草子 | 平安時代中期の女流作家「清少納言」が書いた代表作の随筆。 一条天皇の中宮である定子のもとに女房として使えていた清少納言が、宮中での生活の様子を書いている。 登場するページ→歴史人物図鑑「清少納言」 |
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政所 | 鎌倉幕府の中央機関のひとつ。鎌倉幕府の政治をおこなう機関。 登場するページ→小学6年生歴史「鎌倉幕府のしくみ」 |
「み」で始まる用語
湊川の戦い | 1336年に湊川(現在の兵庫県神戸市)で起きた戦い。 後醍醐天皇に反した足利尊氏が九州から京都に向かって攻めてきたのを、後醍醐天皇側の楠木正成・新田義貞が迎え撃とうと湊川に陣をはり、戦いが起きた。 足利軍が勝利し、楠木正成は自害した。 敗北した後醍醐天皇は「天皇のしるし」である「三種の神器」を光明天皇に渡した。 しかしその神器は実は偽物だったと後醍醐天皇は主張し、吉野へ逃れた。 これにより吉野の後醍醐天皇(南朝)と、京都の光明天皇(北朝)による2つの朝廷が並立してしまう南北朝時代となった。 |
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任那 | 古代の朝鮮半島の南部にあったといわれている大和政権の拠点。 日本書紀に書かれている。 |
明 | 1368年に洪武帝が建国した漢民族の王朝。この頃の日本には室町幕府があり、明の皇帝から「日本国王」として認められた3代将軍の足利義満は明と勘合貿易をした。 |
「む」で始まる用語
室町幕府 | 足利氏が開いた幕府(武士によって政治が行われるところのこと)。 もともと鎌倉幕府の有力な御家人だった足利尊氏が、後醍醐天皇に味方をして幕府を倒し、その後は後醍醐天皇に反して京都に新しい天皇を立て、征夷大将軍に任命されたことで京都に幕府を開いた。 3代目の将軍である足利義満が京都の室町に自分の邸を移動したことで、「室町幕府」と呼ばれるようになった。 ※足利義満の室町の邸は四季折々の花が咲くことから、「花の御所」と呼ばれる。 登場するページ→6年歴史「室町幕府」 |
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「め」で始まる用語
明応地震 | 1498年(明応7年)に起きた地震。 房総(現在の千葉県)〜紀伊(現在の和歌山県・三重県)で起きた。マグニチュードは8.2と推測されている。 津波によって鎌倉の大仏殿が流された。 静岡県の浜名湖はこの地震がきっかけで海と繋がったと考えられている。 |
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明徳の乱 | 1391年(明徳2年)に起こった乱。山陰を中心に力を持っていた有力守護の山名家が室町幕府に対して起こした反乱。 山名家が守護をつとめていた国は出雲・備後・伯耆・美作・備前・因幡・但馬・丹後・丹波・和泉・紀伊。全国が66ヵ国だったのに対して、六分の一にあたる11ヵ国を領有(守護として国を支配するイメージ)していたので、「六分の一衆」と呼ばれていた。 室町幕府3代将軍の義満は有力守護である山名氏を滅ぼすために「山名一族を仲間割れさせる」作戦を考え、山名一族の山名氏清と山名満幸に主筋(主人にあたる血筋のこと)の山名時熙を、幕府と一緒に討つ(倒す)ようにとけしかけた。 しかしいざ氏清と満幸が兵を挙げると、2人を「主筋に反乱するとはけしからん」と討伐することにした。 結果、幕府が勝利し、山名一族の領国は3ヵ国だけになった。 登場するページ→歴史人物図鑑「足利義満」 |
明徳の和約 | 室町時代のはじめ、後醍醐天皇が吉野へ逃れ、後醍醐天皇に反することになった足利尊氏が光明天皇を立てたことから、後醍醐天皇の南朝と、光明天皇の北朝という2つの朝廷が並立していた。 1392年、室町幕府3代将軍の足利義満の働きによって、南朝の後亀山天皇と話し合いをすることで、後亀山天皇は北朝の後小松天皇に三種の神器を渡したことで南朝と北朝は合一した。 この時の話し合いと合一の約束を明徳の和約と呼ぶ。 【約束の内容】 ①後亀山天皇から、後小松天皇へ三種の神器を渡すこと。 ②皇位には、持明院統(北朝の系統)と大覚寺統(南朝の系統)で交代につくこと(両統迭立という) ③国衙領(国の領地のこと)を大覚寺統の領地とする。 ④長講堂領(皇室がもっていた領地のこと)を持明院統の領地とする。しかし、②は守られることがなかった。また、③についても、大覚寺統が領地にできた国衙領はわずかだったと言われている。 |
「も」で始まる用語
蒙古襲来絵詞 | 熊本県の御家人だった竹崎季長が、元が日本に攻めてきた時に戦った時の様子や、自分がその褒美として幕府から土地をもらうまでの様子を描かせたもの。 よく「元寇(元が日本に攻めてきた時のこと)」の様子を伝える絵として教科書にも使われている。 ![]() ![]() |
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モース貝塚 | 1877年にアメリカ人のモースという人が発見した縄文時代後期の遺跡のこと。大森貝塚とも呼ばれている。日本で発掘調査を初めてしたのが大森貝塚。現代の東京都品川区と大田区にまたがる場所にある。 |
木簡 | 奈良時代の都の跡地から見つかった木の板。 地名と、その土地でとれる品物(特産物)の名前などが書かれていた。 これは、地方から都へ税(品物)を送るときに、「どこから取り立てた税なのか」を記録するために一緒に送られていた「荷札」のような役割。 この木簡が見つかったことで、奈良時代には地方から都へ税が集められていたことが分かった。 登場するページ→6年生社会「奈良時代(前編)」 |
問注所 | 鎌倉幕府の中央機関のひとつ。争いごとなどを解決する、裁判の仕事をする。 現代の裁判所と違って、鎌倉幕府の問注所はあくまで「裁判をするための手続き」ができるだけで、実際に判決(どちらが悪いかなどの判断)をくだす(裁判の結果を決める)のは将軍。 登場するページ→小学6年生歴史「鎌倉幕府のしくみ」 |
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