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「た」で始まる用語
大化の改新 | 645年、力を持ちすぎた蘇我氏の中心人物だった蘇我入鹿を、乙巳の変で倒し、天皇中心の国づくりをするために政治のやり方を新しくして、日本で初めての元号を決めた。 その初の元号が「大化」なので、この改革を「大化の改新」という。 乙巳の変と大化の改新で活躍した中心人物は、中大兄皇子と中臣鎌足。 登場するページ→6年歴史「大化の改新」中学歴史「大化の改新」 |
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太閤検地 | 検地とは、田畑の大きさや、田畑の良し悪しを測って、その田畑でどのくらいの米が獲れるかを検査すること。豊臣秀吉が年貢をきちんと集めるために、全国各地の田畑を検地した。このとき、豊臣秀吉は「太閤(もと大臣)という意味)」と呼ばれていたので、太閤が検地したということで「太閤検地」と呼ぶ。 豊臣秀吉は、全国の田畑を公平に検地するために、「ものさし」と「ます」を統一した。 登場するページ→6年歴史「安土桃山時代(豊臣秀吉)」 |
大山古墳 | 大阪府堺市堺区大山町にある古墳。第16代の天皇である仁徳天皇の古墳で、日本で一番大きな古墳。長さは525m、高さ39.8m。古墳のデザインは前方後円墳 登場するページ→6年歴史「古墳時代」 |
帯方郡 | 204年から313年の109年間のあいだ、古代の中国によって朝鮮半島中西部におかれていた拠点。植民地だったと考える意見もある。314年に高句麗によって滅ぼされた。 耶馬台国と魏(古代中国にあった国)のやりとりは、帯方郡を通して行われた。 ![]() |
大宝律令 | 701年に作られた日本ではじめての律令。律とは「刑法」のことで、つまり「こういうことをしたら、こんな罰を与える」ということを決めたもの。令はそれ以外の法律のこと。 中国の唐の律令を参考にして作られた。 律は全部で6巻、令は11巻ある。 大宝律令ができたことで「日本」という国号が決められたという説もある。 |
武田信玄 | 源頼朝と同じ清和源氏の支流で、鎌倉時代から甲斐国の守護をしていた。とても強くて有名。戦国時代では戦国大名として、織田信長や徳川家康と対抗した。 1572年の三方ヶ原の戦いで徳川家康を破る。(家康は逃亡) 第15第室町幕府将軍足利義昭の命令を受けて織田信長を攻める途中で、急病で亡くなった。 息子の武田勝頼は信玄のあとをついで信長と戦うが、1575年の長篠の戦いで破れた。 ![]() |
太政大臣 | 太政官の長官(リーダーのこと)つまり朝廷のトップの役職。適任者(役に合った人のこと)がいなければおかれない「則闕の官」と言われる。 位階は正一位・従一位、官職は太政官。 武家からは平清盛と足利義満・豊臣秀吉・徳川家康・徳川秀忠・徳川家斉が太政大臣に任命されている。 日本史上初の太政大臣は大友皇子(弘文天皇。天智天皇の皇子)で、明治の政治家三条実美まで95人がついた。 |
竪穴住居 | 地面を円の形や、方形(四角のこと)に掘ってくぼみを作り、そこに柱を何本か建てて、梁などをつなぎ合わせて家の骨組みを作り、その上に土や萱などの植物で屋根をふいた(上からおおって屋根にすること)建物のこと。 日本では、縄文時代・弥生時代によく家として作られていた。 古墳時代より後になると、だんだん作られなくなっていったと言われているが、東北地方では室町時代の竪穴住居が見つかったり、江戸時代にも使われていたという説もある。 「竪穴式住居」と書く時もある。 登場するページ→小学6年歴史「縄文時代」、中学歴史「縄文時代」 |
玉虫厨子 | 法隆寺におさめられている仏具。玉虫という昆虫の羽を飾りとして使っている。高さ233センチ。 飛鳥文化の特徴である工芸品のひとつ。国宝に指定されている。 厨子とは、仏像などを納める屋根付きの工作物のこと。 推古天皇が愛用していたと言われている。 登場するページ→中学歴史「飛鳥時代」 |
「ち」で始まる用語
地方機関(鎌倉幕府) | 鎌倉幕府の機関(ある目的を達成するために作る組織)のひとつ。鎌倉以外(京都や地方)のことを管理するための組織のこと。 守護・地頭・六波羅探題は地方機関である。 地方機関に対して、鎌倉におかれる「幕府の中心となる機関」を「中央機関」と呼ぶ 登場するページ→小学6年生歴史「鎌倉幕府のしくみ」 |
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中央機関(鎌倉幕府) | 鎌倉幕府の機関(ある目的を達成するために作る組織)のひとつ。 鎌倉におかれる「幕府の中心となる機関」のこと。 政所・問注所・侍所は中央機関である。 中央機関に対して、鎌倉以外の地方や京都のことを管理する機関を「地方機関」と呼ぶ。 登場するページ→小学6年生歴史「鎌倉幕府のしくみ」 |
中国大返し | 本能寺の変(織田信長の家臣の明智光秀が、裏切って本能寺にいた信長を攻めた事件)で信長が亡くなったことを聞きつけた豊臣秀吉が、光秀を討つために備中高松城(現在の岡山県)から京都までの230Kmをたったの10日間で駆け抜けたことが、あまりに驚くスピードだったので、人々は「中国大返し」と呼んだ。 当時は大雨が降っていて、戦いのために備中高松城に行っていた秀吉は重い甲冑姿だったので、信じられない速さだった。 そのため、秀吉はあらかじめ光秀が信長を攻めることを知っていったのでは?(秀吉が黒幕)と考える意見もある。 登場するページ→6年歴史「豊臣秀吉の全国統一」 |
朝貢 | 中国の周辺にある国々は、中国の皇帝のところへ使者を送って貢物(プレゼントのこと)をささげて、皇帝からそのお返しに恩賜(君主から臣下へ与える物や行為のこと。つまり、リーダーから家来へ渡すごほうびのイメージ)を授けて、称号を与えていた。このように、中国の皇帝へ使者を送って貢物をささげることを「朝貢」という。 朝貢をして皇帝から称号や恩賜を受けると、「大国である中国の皇帝に認めてもらえた」ことを他の国に示すことができる。 例えば中国の歴史書によると、①日本からは57年に倭(昔の日本の呼び方)の王が光武帝に朝貢して印綬を受けたこと、②107年に倭王の帥升が安帝に奴隷を送ったこと、③239年に卑弥呼が魏の皇帝に使いを送り、「親魏倭王」の称号と銅鏡を与えられたことが書いてある。 |
朝廷 | 天皇が役人と政治を行う場所のこと。「政府」そのもののことを表すこともある。 |
長徳の変 | 長徳2年(996年)に、藤原伊周が花山法皇を襲った事件。 藤原伊周が好きだった女性のところへ、花山法皇が通っている(この頃、好きな女性のところへ会いにいくことを「通う」という)のではないかと勘違いし、伊周は武士を連れて花山法皇を襲い、法皇の袖を矢で射抜いた。法皇は無事だったが、この事件をもとに伊周は太宰府(現在の福岡県)に流された。 |
「つ」で始まる用語
土一揆 | |
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鶴岡八幡宮 | |
徒然草 | |
「て」で始まる用語
鉄砲 | 火縄銃ともいう。1543年に、種子島(鹿児島県)にポルトガル人によって伝えられた武器。 ポルトガル人を乗せた貿易船が嵐によって種子島に流れ着き、島の領主(その国を支配している人のこと)だった種子島時尭がポルトガル人の持っていた鉄砲に目をつけたのがきっかけ。 種子島時尭はポルトガル人から2挺の鉄砲を買うと、刀鍛冶(刀を作る職業の人のこと)に同じものを作るように命じた。鉄砲の作り方はどんどん広がり、堺(大阪府)や国友(滋賀県)などで沢山作られるようになった。 戦国時代では、鉄砲が戦いに使われるようになった。 特に織田信長は鉄砲をうまく使って戦に勝ったことで有名。 長篠の戦いでは、3000丁の鉄砲を使ったと言われている。 【その頃の鉄砲の仕組み】長さ80㎝の鉄の筒。 ①中に火薬と鉛の弾を入れ、柵状で突き固める ②火蓋を開けて火皿に点火薬を盛り、火蓋を閉じて火のついた縄を火挟にセットする。 ③目当てで狙いを定めたら、火蓋を開けて引き金を引くと弾が飛び出す。 |
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田楽 | 華美(豪華で美しいこと)な服装をまとって、笛や鼓、「ささら」などを鳴らしたものを伴奏にして舞をおどるもの。 鎌倉時代終わりごろから、祭りのときなどに演じられるようになった。 |
天下統一 | 天下とは、日本の歴史では「日本全国」という意味で使われる。 統一とは、一人の力によって全てを支配するという意味。 「全て」の中には、武家はもちろん、公家(朝廷)、寺社勢力もふくまれる。 そのため、日本の歴史上初めて天下統一したのは豊臣秀吉という考え方がある。 |
天下布武 | 天下を「武力」によって統一するという意味。 織田信長は、公的な文書を出すときには「天下布武」の印を使っていた。 |
天守閣 | |
天正遣欧使節 | |
天正地震 | 1586年(天正13年)に起きた地震。 近畿地方・東海地方・北陸地方が被害を受けた。 マグニチュードは7.8と推定される。 この地震では山崩れが発生し、飛騨(現在の岐阜県)の帰雲城が城下町とともに土に埋もれてしまい、城主(城の主のこと)と家臣は行方不明になったと言われている。 |
伝馬制度 | |
天龍寺 |
「と」で始まる用語
唐 | 中国の王朝の名前。李淵が、618年に隋を滅ぼして中国を統一した。 663年に朝鮮の新羅と連合軍を作り、百済を滅ぼす。百済と仲の良かった日本(倭)は、百済を復活させようと朝鮮へ兵を出し、唐と新羅の連合軍と戦った(白村江の戦い)。 日本軍は負け、668年には唐は高句麗も滅ぼした。 最盛期(一番さかえていたころ)には中央アジアの砂漠地帯まで支配した大帝国。 首都は長安。 日本は「遣唐使」を派遣することによって、唐の文化や政治についてたくさんの影響を受けた。平城京や平安京などの都づくりも、唐の長安の影響を受けている。 登場するページ→中学歴史「大化の改新」 |
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銅銭 | |
東大寺 | |
土器 | 粘土をこねて、器の形にして焼いて作ったもの。歴史の用語では、縄文土器や弥生土器のことを表すのに使う言葉。 縄文土器は縄文時代に使われていた土器で、縄で文様をつけて作ったので「縄文土器」と呼ばれる。 弥生土器は弥生時代に使われていた土器で、弥生町で発掘されたので「弥生土器」と呼ばれる。 土器のおかげで、人類の食生活がガラリと変わり、生活スタイルも大きく変わった。 登場するページ→小学6年歴史「縄文時代」、「弥生時代」、中学歴史「縄文時代」、「弥生時代」 |
土岐氏の乱 | |
徳川家康 | 三河国(現在の愛知県)の岡崎城城主の長男。父親は小大名(5万石以下の土地の大名のこと)だったので、小さいころから今川氏や織田氏の人質として過ごした。 桶狭間の戦いで織田氏によって今川氏が敗れると、織田信長と同盟を結び、信長と連合して戦った長篠の戦いでは武田氏を破り、駿河国を領国にした。 本能寺の変で信長が明智光秀に討たれると、光秀を仇討ちした豊臣秀吉が天下を取り、家康も秀吉のサポートをする。 しかし秀吉が亡くなると、秀吉の作ったルールを破るようになり、それが原因で敵対した豊臣方を関ヶ原の戦いで破り、全国の大名を従えるようになる。 1603年に朝廷より征夷大将軍に任命され、江戸幕府を開いた。 登場するページ→6年歴史「徳川家康の全国統一」 |
徳政令 | 元が日本にせめて来た時に戦った御家人に対して、幕府は御恩を与えることが出来ず、御家人が戦いのためにした借金を返せなくなったのを「徳政令」によって帳消しにした。 これをキッカケに御家人は借金ができなくなり、ますます苦しくなり、幕府と御家人の結びつきが弱まってしまい、幕府が滅びる原因となった。 登場するページ→6年歴史「鎌倉幕府のその後」 |
外様 | |
渡来人 | 大陸(中国や朝鮮)から日本まで「渡って来た人たち」のこと。 戦いが激しい中国や朝鮮から、日本へ逃げてきた人もいる。 縄文時代の終わりころに、日本に「米作り」の技術を伝えてくれた。 おかげで日本人の食生活がガラリと変わり、弥生時代へと移っていく。 新しい土器の作り方なども伝え、弥生土器が作られるようになった。 飛鳥時代に力をもった蘇我氏は、仏教を受け入れて渡来人と絆を強めることで進んだ技術や知識を取り入れ、さらに力をつけていった。 聖武天皇の大仏づくりをサポートした行基は渡来人の子孫。 登場するページ→小学6年歴史「弥生時代」、「古墳時代」、「飛鳥時代」、「奈良時代」、中学歴史「弥生時代」 |
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